文鳥・夢十夜 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101010182

感想・レビュー・書評

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  • 夏目漱石の短編も読んでみたいなぁと思いこちらの本を。
    これはエッセイといってもいいくらい実話をもとにした話が多く、漱石の人柄が感じられてよかった。
    漱石は胃潰瘍を患い50歳の若さで生涯を終えた。どんなときも、どんな出来事も小説として昇華してしまえるのはさすがだなぁ。
    細かな機敏も丁寧に描かれており、日常の些細な出来事にも心を動かされながら生きているんだよなぁってしみじみとさせられる素敵な作品ばかりだった。

    「文鳥」
    人の勧めで文鳥を飼うことになり、不器用ながらも可愛がっていたのだが、執筆の仕事が忙しく世話が行き届かずに死なせてしまった話。不器用ながらも必死に育てる姿は愛おしく、文鳥の死を責任転嫁しなければ受け入れられなかったほど悲しみ愛していたのだなぁと思った。

    「夢十夜」
    「こんな夢を見た」という書き出しから始まる十個の夢の話。それぞれ独立した話だが、どれも幻想的で少し不気味な雰囲気が漂う。読むと、自分の中に眠っている潜在意識を呼び覚まされるように、不思議な世界に引き込まれる。話に余白がある分いろんな解釈ができそう。美しく幻想的な第一夜が好きかな。
     
    「永日小品」
    日常の風景を切り取ったような、ごく短い作品の詰め合わせ。とくにオチもなくサラッと終わる。漱石が日々感じたり考えたりしていることを垣間見られてよかった。人生って他愛ないことの積み重ねなんだよね。

    「思い出す事など」
    漱石が胃潰瘍で大吐血し生死を彷徨ったときの話。一命を取り留めた漱石のもとへ、周囲の人たちが見舞いに来てくれたり、知人の死を知ったりしたときに、彼が感じたこと、考えたことが綴られている。当時の寿命から考えると現代の医学の進歩を思うとともに、なによりも人の温もりが感じられた。

    「ケーベル先生」
    漱石はこのケーベル先生が好きだったんだなぁ。戦争の影響か、長年日本に留まり教授を続けるケーベル先生。漱石から見たケーベル先生の暮らしが綴られる。自分の好きなことや信念を大切にしながらも、他者への関心も持ち関わりを楽しんでいるところが素敵だなぁと思った。

    「変な音」
    入院したときの隣の部屋から聞こえる「変な音」の話。大根をするような音だと思っていたが、再度入院したときに音の正体を知る。逆に隣の部屋の患者は、こちらの変な音を運動器具の音だと思っていたが…。そのときの心身の状況によって、物音も違って聞こえるのだろうな。

    「手紙」
    ある夫婦(漱石?)が身内のような青年重吉に結婚の世話をしてやるが、偶然滞在していた旅館の引き出しから玄人の女性からの恋文が出てきて…。真面目な青年かと思いきや、人間は見た目では判断できないね。漱石の厳しくも優しい計らいも、重吉の銭の支払いが減っていったのは、人間そう簡単に変われるものじゃないってことかな。

  • 夢十夜のみ読了。

    見た夢の物語。

    場面を想像しながら不思議な感覚になる話が多い。

    読んでて思ったのが、夢ってたしかに音の少ないような、淡々と流れてゆく感じのを見ることもある気がしたこと

    私には難しくなんだかよくわからない話もありましたが、がっちり描写で固められていないのでその余白を色々と想像して楽しめました。

  • 短編集というより、随筆とかエッセイに近いと思いながら読むと、これらは、小品というジャンルとの事。短編と随筆との中間の曖昧な領域だそう。

    作品としては、7編だが、その中にもわかれた項目がある。ほぼ、専属作家として、朝日新聞系に掲載された作品群。

    まだ、未読の漱石の作品が多いけれど、私は長編の小説よりも好きかもしれない。

    「文鳥」
    文鳥を飼い始めた主人公(ほぼ漱石)の、観察日記風。文鳥の佇まいが、絵画のように表現されている。目の前に、真っ白な文鳥が現れてきます。
    それにからめて、一人の女性の記憶を、ちょっと寂しげに思い出したりします。

    「夢十夜」
    十夜の幻想的な夢物語。
    時代設定も、登場人物も様々。
    2回しか行ったことないけど、歌舞伎の場面転換のようで、世界観に直ぐに引き込まれる。
    それぞれ、趣きがあり、示唆的な内容だと思う。
    第一話は、百年後に会いに来るのを 百合 の花で表している。おしゃれでびっくり。

    「思い出すことなど」
    “修善寺の大患”の後の、死の直面から徐々に回復していく闘病記風。そんな状態でも、客観的に自分や周囲を飄々と語っている。

    どの作品も、読むたびに新しい印象を持てると思う。形式は、小品でも、これだけ集積されれば、大作ですね。

  • 夢十夜の第一夜が大好き。こんなに綺麗な文章を書く人が他にいたでしょうか。百合を見るたびにこのお話を思い出します。

    • 藤首 亮さん
      綺麗な文章と表現されていますので何処を指しているのかと、思い浮かべてみました。【百年待ってください】女の切ない気持ちが込められていると思った...
      綺麗な文章と表現されていますので何処を指しているのかと、思い浮かべてみました。【百年待ってください】女の切ない気持ちが込められていると思った。
      2019/05/20
    • 藤首 亮さん
      もう一度ゆっくり読むと、やっぱり墓石の下からのびて来た百合のつぼみが開き天から女の涙が落ちてきて見上げると暁に星が一つ
      「もう百年が来てい...
      もう一度ゆっくり読むと、やっぱり墓石の下からのびて来た百合のつぼみが開き天から女の涙が落ちてきて見上げると暁に星が一つ
      「もう百年が来ていたんだなあ」終わりが素晴らしい。
      2019/05/22
  • アパさん(https://twitter.com/honwoyomusaru?s=21)主催の「夢十夜」オンライン読書会出席のため、久しぶりに漱石を読みました。楽しい機会を作って頂き、ありがとうございました。

    「小説ともつかず、感想ともつかず、いわば短編小説と随筆との中間に広がる曖昧な領域」(解説より)を日本近代文学における「小品」と呼ぶのだそうです。本書は「文鳥」「夢十夜」「永日小品」「思い出す事など」「ケーベル先生」「変な音」「手紙」の7編を集めた小品集。小説の形式にはとらわれない自由な雰囲気の作品が並びます。
    読書会で課題となった「夢十夜」も、漱石が自由に書き上げたという雰囲気の作品であり、それ故に漱石の発想が飛び交い、解釈の分かれる作品。したがい、読書会の課題本にするには格好の作品です。
    読書会では参加者の皆さんがそれぞれの解釈を披露され、楽しい会となりました。
    例えば、
    1)「夢十夜」は「第一夜」が男女のプラトニックな関係を美しく表現した小説であるのに対して、最後の「第十夜」は暗喩的にも性を表現した作品であること。これは漱石が意図したのか?
    2)「第二夜」の最後、「はっと思った」というのは侍の悟りであり、「時計が二つ目をチーンと打った」ときに目が覚めて夢が終わった?
    3)漱石は色付きの夢を見ていたのか?赤を基調としたパートカラーの夢を見ていたのではないか?
    楽しい100分間でした。

    収録された他の作品も読み応えがあります。「文鳥」は命の哀れさ、「変な声」は生と死の狭間、「手紙」は苦笑いしたくなるような結末が印象的でした。「永日小品」は「夢十夜」と川端康成の「掌の小説」の間にあるような小品。これについても読書会の課題本になりえます。

    何度でも読み返したくなるような小品集。高校生のときに、読んだ記憶がありますが、やはり人生の半ばを越えて読んだ方が印象が濃いと思います。

  • 一番読みたかったのは夢十夜。
    夢と言うだけあって、ふわふわ掴みどころのないお話が十個。
    とてもロマンチックなお話もあれば、ゾッとするようなオチのものまで。
    特に第一夜は、ため息が出るくらい美しかった。

    夏目漱石って、どうしても文豪!というイメージが先行して、なかなか手に取りづらかったけれど…文鳥でもそうだけど、描写が美しい部分もあるし、クスッとくるところもある。
    長編だとちょっとな…と言う人に、ぜひ読んで欲しいな。

  • 『夢十夜』
    喉元に刺さって取れない魚の小骨。
    紙で切ってしまった指先の痛み。
    思い出せそうで思い出せない誰かの名前。
    そんな些細だけれど強烈な違和感や不快感を、夢として丁寧に発酵させたものが、このお話だと思う。
    わりと不気味で理不尽で、そこそこ寂しくて湿っている10の物語。
    だって夢だもの。

  • なんていうか、夏目漱石って人はエリートで文豪というイメージですから、強い意志で文学をやり抜いた人で、明治ならではの頑固者でもあったのではないか、なんて勝手に思ってしまうのですが、そうじゃないんですよね。文学をやり抜いたことはすごいことですけども、漱石自身もそうであるとしながら、人間一般っていうものの柔弱な部分を見つめ、愚かな部分を秘密にせず、露わにすることをよしとしている。明治時代ならではだなあ、と現代人には受けとめられるような、男尊女卑の浸透した生活の描写であっても、出来うる限りのフラットさで女性を描いているふうであるので、描かれている人間の差別意識だとか階級意識が透けて見えてくる。「素直に、ストレートに」というような姿勢が漱石のベースにはあるなあと読み受けました。イギリス留学時のいっときについての小品もありますし、猫(吾輩は猫であるのモデルですね)が死んだときの小品もあります。その他、明治の頃の情緒、生活感などを感じることができます。そんなところで驚くのが、当時の思想や哲学に、現代に十分使えそうなものがあることでした。漱石くらいのエリートですから、洋書をたくさん読んでいます。舶来品として、西洋で出版されてからそれほど長いタイムラグもなく漱石たち文化人や学生たちは吸収していたのかもしれない。……まあ、わかりませんが。

  • 夢十夜の「第四夜」について書く。

     この話には、「臍の奥」に住み、「あっち」へ行こうとしているほろ酔い加減の幾年か分からない御爺さんが登場する。御爺さんは手拭を出し、「今になる、蛇になる、きっとなる、笛が鳴る」などと唄いながら河に入って行き、「深くなる、夜になる、真直になる」と言いながら見えなくなるまで歩き続ける。よくよく考えると手拭が蛇になるはずはないのだが、〈自分〉は酔っぱらいの御爺さんの言うことを信じてじっと待っている。けれども御爺さんは、子どもの〈自分〉に期待を持たせたまま河から上がってくることはなかった。
     一見、御爺さんが〈自分〉を騙したように見えるのだが、その様子にはなぜか物悲しさを感じる。御爺さんは笛を吹いたり輪の上を何遍も廻ったりと様々なパフォーマンスを披露するが、浅黄色の手拭は何も変化しないままである。御爺さんのこの行動からは、何かを成し遂げようとして様々なことを試みるものの結局それが叶うことはない、という人生の儚さのようなものを感じた。しかし、子どもたちに自分の生き様を見せつけ、御爺さんはいなくなったのだ。それは無謀な挑戦だったかもしれないが、御爺さんは最後まで唄いながら真直ぐ歩いていった。御爺さんは、蛇は人に見せてもらうものではなく自分自身で見つけるしかないものであり、蛇という理想へ辿り着くためには細い道を歩かねばならない、ということを〈自分〉に示してくれているのだろうと思う。
     一方、〈自分〉は最後の最後まで御爺さんが手拭を蛇に変えるものだと信じて疑っていないし、河の中に入って見えなくなってからもたった一人で何時までも待っている。ただ待っているだけで、自分から河の中に入って御爺さんを探して見ようとは微塵も思っていない。人を心から信じられる純粋さは尊いものだと思うが、いくらか行動力に欠けているように思う。見ているだけでは何にもならないし、待っているだけでは何も始まらない。自分から河の中に飛び込んでみなければ、何時まで経っても何も分からないままなのではないだろうか。
     また、河の中に入って行ったのは御爺さんだけで、〈自分〉は河の傍でそれを眺めているだけであった。河の中で何が起こっているのか。それを知っているのは河の中に入った御爺さんだけである。もしかしたら、〈自分〉はまだ河の中に入れないのかもしれない。それを眺めることはできても、実際に河の中に入ることはできない。河の中の様子は実際に入ったことのある人間にしか分からず、しかも、一旦その中に入るともう二度と出てくることができないのではないだろうか。河の中に入るという行為は、死そのものを表現しているのではないだろうか。

    【補足】
     この作品全体を通してみると、人間の一生を表現している作品ではないかと思った。「臍の奥」に住んでおり、「あっち」へ行こうとしている御爺さん。店の中にいる御爺さんは、「臍の奥」、つまり子宮の中に住んでおり、ほろ酔い加減で未だ存在が確定していないのではないか。そして、店を後にすることでこの世に生れ落ち、「あっち」へ向かって人生を歩み始める。そこで、「蛇になる、今になる、きっとなる」などと唄いながら子どもたちに様々なパフォーマンスを披露する。最後に、河に入って行き、〈自分〉の前からいなくなってしまい、二度と上がってくることはない。この一連の行動が、人間の生き様を描いているのだと思った。

  • 短編集。「夢十夜」が楽しかった。文豪と言えど、全部が世紀の傑作というわけではない。スランプ含めての作家。

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著者プロフィール

1867(慶応3)年、江戸牛込馬場下(現在の新宿区喜久井町)にて誕生。帝国大学英文科卒。松山中学、五高等で英語を教え、英国に留学。帰国後、一高、東大で教鞭をとる。1905(明治38)年、『吾輩は猫である』を発表。翌年、『坊っちゃん』『草枕』など次々と話題作を発表。1907年、新聞社に入社して創作に専念。『三四郎』『それから』『行人』『こころ』等、日本文学史に輝く数々の傑作を著した。最後の大作『明暗』執筆中に胃潰瘍が悪化し永眠。享年50。

「2021年 『夏目漱石大活字本シリーズ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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