明暗 (新潮文庫)

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著者 : 夏目漱石
  • 新潮社 (2010年1月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (685ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101010199

作品紹介

勤め先の社長夫人の仲立ちで現在の妻お延と結婚し、平凡な毎日を送る津田には、お延と知り合う前に将来を誓い合った清子という女性がいた。ある日突然津田を捨て、自分の友人に嫁いでいった清子が、一人温泉場に滞在していることを知った津田は、秘かに彼女の元へと向かった…。濃密な人間ドラマの中にエゴイズムのゆくすえを描いて、日本近代小説の最高峰となった漱石未完の絶筆。

明暗 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

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  • もし一言だけで表すとしたら「感嘆」の一言に尽きる見事な作品。

    新婚半年なのに互いをさらけ出すことをできずに探り合っている、気位が高くも臆病で気のおける若い夫婦のあやうい関係と心理を、彼らを取り巻く周囲の人々の姿と共に描いています。

    主人公のみならず、十数人はいる主要登場人物の立場、利害、そして個人的気質を、そこまでするかと驚愕するほど事細かに深く掘り下げて描写しつつ、その相反する点を綿密に組み合わせて、こちらの場面では誰と誰、あちらの場面では誰と誰、と、多様すぎるぐらい多様な形で、それぞれのエゴや思惑を対立させ、絡ませることを繰り返しながら、破綻も無駄もなく一つの大きな流れとして進めていくその奥行きのあまりの深さには、他の追随を許さない王者の風格さえある作品です。さすが、日本近代文学の父。

    本作は、漱石の死によって未完の絶筆となった作品です。そのため、一つ目の山場が来るか、というところでとまってしまっています。彼がこの作品を完成させていたら、どれほど究極的な人間劇ができていたかと思うと、惜しくなります。

  • 何と言う小説。

    水村美苗さんの「続明暗」を読みたいな、と思い再読したのだけど。

     此処に津田という男がいる。主人公である。会社員で、まずは悪くない勤め人で、30前後のようで、新婚である。その妻が延子。
     粗筋で言うと、津田が胃腸らしき病気である。大層ではないが数日入院して手術が必要だ。会社と、世話になっている親戚筋に挨拶して入院。手術する。
     津田の家庭はやや使い過ぎで、毎月の給料では足りない。京都の親が仕送りをくれていたが、仲違いしてそれが途切れた。金策に困る。

     延子は新婚で、津田との愛情、夫婦のあり方にぼんやり不安がある。
     津田の妹、秀子。津田の上司の吉川氏の奥さん。…などが、「延子は、いまいちな嫁ぢゃないか」、と言う。
     津田はプライドと保身だけではっきりしない。ふらふらする。そうして無事に退院する。

     退院したら、吉川の奥さんが、「湯治の旅に行け」、と、言う。津田が独身時代に惚れ抜いて、振られた女、清子。その清子会いに行け、と言う。
     津田はかつて、吉川の奥さんの紹介で清子と交際した。そして、津田は清子に振られた。清子は津田を振って、別の男と結婚した。で、津田もしょうがなく延子と結婚した。延子は、そんなことは何も知らぬ。
     その清子が今、ちょっと病気で、その温泉宿にいる。吉川の奥さんが、津田に「行け」、と言う。なんで振ったのか、聞いてこいと言う。会社は夫に言って、休みにしてやる。金はあげる。延子にはタダの湯治と言え、と。その間に延子には私が「教育」してやる、と。

     津田は情けなく言いなりになる。湯治に行く。清子と再会する。色々会話をはじめる。どうなるどうなる。 東京の延子には何が起こるのか。怖くて不安な心理小説である。

     だが、そこんとこで、漱石は死んでしまう。
     未完。おいおい!!

     というわけで。
     会社員と専業主婦の夫婦が、ちょっとやりくりに困りながら、夫が胃腸らしき病気で入院して退院して湯治に行く、という粗筋(笑)。

     それが、最高に面白い。

     もう、心理描写が全て。
     ヒトというものは、プライドと競争と、人情と依存と見栄と、世間体と愛情に、揺れて揺られて高瀬舟、というマコトに情けなくも可笑しくて、ゾッとするものである、というサスペンス。
     津田が妹と、妻延子の噂をしている病室に、当人の延子が、ガラッと入ってくるところなど、単純に小説的な痛快さ、タマラないカタルシスがある。
     うーん。文章のテンポ、格調、日本語の快楽。心理を解剖して観察するのだが、淡泊端然、偉ぶらず、の諧謔精神。
     好みとしては、至高の小説。

     10代の頃に漱石は、夢中に読破したのだけど、40になって改めて舌を巻く。

    (脱線すると、漱石初体験に「我輩は猫」は、最悪。アレは第一章ダケならともかく、通して考えれは漱石最悪の退屈小説です。初めは「坊ちゃん」「こころ」あたりが良いと思う。オモシロイから。)

     25年ぶりくらいの二度目の体験、この歳になってなお更に、愉快興奮な読書だった。
     初の青空文庫。タダっていうのもヘンな心地ではあるけれど。

  • とってもいいとこで未完。承知で読んだから文句は言わないけど。小林、ものすごくドストエフスキーの小説に出てくる人物みたいだ、と思って読んでいた(カラマーゾフに出てくるスメルジャコフ的な)。その小林の言葉と思想が清子に合った後の津田にどのように響くのか、津田と清子がどのように転ぶのか、読みたい。読めないけど。

  • 絶筆の作品。だが、絶筆かな?と疑うほどで、あえてここでペンを置いたのではないかと勘繰りたくなる。
    非常に面白い作品だった。日本近代文学の最高傑作という声もこけおどしじゃない。

    明暗には一つの主題も視点がないといわれる。でも物語の軸になるのはやはりお金の問題かと思う。とくに前半。
    主人公・津田。妻・お延。実家に余裕があるからと結婚当初の津田は京都にいる父から金銭援助を受けていたが、ある日津田の妹・お秀が父に告げ口したか何かでお金が送られこなくなる。しかも津田は病気で入院しないといけない。でも金が送られこない。生活費・入院費に困ってしまう。


    お金の問題をめぐって津田・お延・お秀の三人の会話が繰り広げられるシーンは秀逸。病気・お金・夫婦問題が一緒くたになって会話が進む。誰ひとり噛み合ってない。ただ話がこじれていく。そこでは相手が見通せない、わからない「他者」として存在している。
    わからない「他者」の存在は明暗に出てくる全ての人物たちにいえる。(江藤淳や解説の柄谷さんが言うとおり)。誰からみても相手のことがわからない。際立つのは津田を強請りにくる小林。この小林という人物造形はドストエフスキーの影響だといわれてるが、まさしく!と膝を打ちたくなる。
    小林と妻・お延との会話もここまで相容れないのかと唸るほどの他者同士が対面している。

    対話すればするほど相手がわからなくなっていく。ズレていく。本当のことが分からない。見通せない。でもわからないんだけど関わらないといけない。しかも関わらないと「分からない」ということさえ分からない。まるで迷宮だ。迷宮だが人間と世界は結局そういうことだろう。読む内に迷宮にどんどん迷いこむ。ここが明暗の凄みである。

  • 最後の作品がこんなにぎすぎすした小説だったとは。
    そりゃあ生きて行くうえで誰もが大なり小なり本音と建前を使い分けているのだろうけれど、この登場人物たちは…ちょっとアクが強すぎる。こんな人たちが周りにいたら、自分なんかきっとすぐ泣かされてしまうだろうな。特に行動原理が理解できず気持ち悪かったのが吉川夫人と小林。小林には何度「早く帰れ!」と叫びたくなったことか。吉川夫人も、何が目的なんだこのおばはんって感じ。
    津田対お延、津田対お秀、お延対お秀、津田対小林、お延対小林、吉川夫人対お延…と話が進む中でいろんな関係や対立が明らかになってくる。敵の敵は味方、と単純にそうならないからまた難しい。お延が孤立していくのが気の毒だと思ったが、彼女自身のプライドの高さと意地が招いた結果でもあるからな…。岡本に津田の愚痴でも言えれば少しは違うのだろうけど。
    津田が男らしくないという点においては吉川夫人に同意。はっきりしやがれと言いたくなる。清子は津田を冷静に観察した結果結婚相手として不足を感じ見限ったのではないかという気がする。
    きっと小林の予言は的中し、いずれ津田は痛い目を見るのだろう。お延との夫婦関係は、どうなるのかなぁ。体面を気にする二人が本心で語り合える日は来るのだろうか。私には想像できない。

  • 明暗の時期、漱石は「則天去私」という言葉をよく使ってたらしい。
    自分が「私」を確立する時、「私」を確立してる他人を認めることを思う。
    太宰、ドスト、伊藤計劃とか未完ものは読んで来たけど、比較にならない未完成性。何処に持って行ったら良いのかわからない読後感に弱る。

    よく喋る女達も新しかったが、どこにも世の中がないという小林という胡乱な男にソワソワした。彼は、どれだけ社会から弾かれている人間でも、時には至純至精の涙が零れるって話した。小林の涙を読みたかった。則天去私で言えば、彼は「天」が人に嫌がらせを遣れと命ずるからでだけで、自身には目的は無い。でも「天」には目的があるかもしれない、僕はそれに動かされてるだけで、そして、それに動かされるのが本望だなどと、ほざく。カラマーゾフチックで、罪と罰みたい。

    表題に因み、散らばる明暗のメタファー、陰と陽。男女は陰陽不和だから引合うが、継続には陰陽和合を努力しないとなんて、常套の恋愛セオリーもあった。
    平凡なのに余裕な主人公の津田が、女にほだされ、明から暗へ移行する描写が絶品。漱石のプロットは、後半に向け急変を辿る。ダイナミックに死への疾走、それはまた生を謳歌する。
    横滑りで幽霊と化した津田と清子の再会、これからのところで中絶。
    読者を宙ぶらりんにした問題作。

  • 漱石の未完の大作。

    登場人物の各々が、自らを取り巻く他者との関係性の中において「自我」の存在を規定しようとする。

    この作品は主人公の視点からのみではなく(というよりは、主人公がいないともいえる)、様々な登場人物の視点から多面的に描かれている。
    解説によると、漱石の作品においてそのような書かれ方をしている作品はこれ以外には認められないそうだ。

    一応の主人公である津田は、現在の妻お延に満足しているように周囲には見せかけているが、心のうちではかつての清子という女のことを忘れられない。
    彼という人間の輪郭は、お延と清子、叔父にあたる藤井夫妻、上司の妻である吉川夫人、妹のお秀、そして友人である小林によって多面的に規定される。

    タイトルの「明暗」という言葉は何を示しているのだろうか。
    「明」は他者からある人物を見たときに感じるその人間の個性、輪郭、性格、社会的な地位、エゴのようなものであろうか。
    一方、「暗」は他者からは決して覗き見ることのできない、当人のみが知ることのできる「本当の部分」「エゴ」「心の奥底に抱える哀しさ」のようなものを表しているのではないかと感じる。
    漱石の作品を通して一貫して感じるのが、人間の内面というものを他者が推し量ることの困難性というか、不可能性のようなものである。
    そのどうしようもない壁をなんとかしようと試みるのであるが、どうしてもその壁は乗り越えることができない。
    そして漱石の作品においてはその壁の持ち主は「女性」であることが多いのである。
    今回の作品ではその壁の持ち主が清子であり、その対極にいるのがお延である。
    つまり清子が「暗」であり、お延が「明」なのである。

    人間の内面のダイナミズムを絶妙な文体を以て描き出す、漱石ならではの作品。

  •  ひとりの主人公というのでなく、幾人もの登場人物が織りなす群像劇の趣。だが、読後も強印象を残し存在感が大きいのは、津田、その細君お延。理に勝り勝気な津田の妹、お秀。津田との関係はよくわからない吉川夫人。卑屈を凝縮したような不逞なたかり屋小林。そして、津田の以前の許婚で、急に翻意して他所に嫁いだ清子。これらの面々が、主要の登場人物。例えば、夫の津田からその細君お延に主客が入れ代わると、次の章ではお延の内面からの叙述に移る、という具合。それぞれの対話場面では会話の応酬に加えて、人物の内面がこってりと叙述される。本文庫版で650頁に達するボリュームは、この心理描写の厚みによる。
     例えば、
    「だって延子さんは仕合せじゃありませんか。(後略)」(お秀)
     「ええ。其所だけはまあ仕合せよ。」(中略)(お延)
    お延は自分がかりそめにも津田を疑っているという形跡をお秀に示したくなかった。そうかと云って、何事も知らない風を粧って、見す見すお秀から馬鹿にされるのは猶厭だった。従って応対に非常な呼吸が要った。目的地へ漕ぎ付けるまでには中々骨が折れると思った。 (百二十七章)
    * * * 
    かような具合だ。さらには、その“呼吸”の采配や、そのタイミングの細部。目的地に漕ぎ付けるまでの会話の普請、道程を詳述するのである。
    背反して存在する感情の矛盾。心理戦の如き切り返しの瞬間。こうしたものが細密に書かれ、しかも切れ味がいい。
    注解には「ねばねばとした人間どもの織りなす最高の心理小説」ともある。最高かどうかはともかくとして、女同士の感情のせめぎ合いを克明に描いてお見事である。
    また「ねばねば」でもあるが、淡白の対極にある無遠慮で厚かましい人間どもが次々に押し掛けるてくる点で、鬱陶しい。( 津田は術後療養中だぞ!安静に休ませておけよ!と突っ込むことしばしばであった。)

    かような鬱陶しさで、なかでも吉川夫人と小林は突出。夫人のお節介ぶりは度を越して迷惑千万。まるで娯楽を動機に、津田と清子の再会を画策。そうしなさいと迫る。
    本作について、エゴイズムが主題であるとか、立身出世主義がテーマであるとする評がある。私が感じたのは、異なる価値観のせめぎあい、摩擦である。また、異な価値観や主張が折り合うことの無理、難しさである。
    近代が開化し、個々の人間の意識や人生観も開化した。そうなった以上、こうした摩擦を解消することは出来ないのだ、という感じを抱いた。むしろ現代の方が、他者は他者、とする相互不干渉の処世訓や文化が定着している。明治期のこの当時がいちばん厄介だったのではないか。そして、津田のクールさ、ドライさには、一種現代的なものを感じた。

    終盤、列車で東京を発ち、伊豆らしき温泉地へと舞台が移る。津田は清子のもとを訪ねるのだ。一対一の会話劇が続き、空間的に閉塞した感じが募っていただけに、文字通り風景が切り開かれていくような爽快な感じがあり、心地よい。
    さらには、夜半に山深い温泉宿に到着してからが面白い。旅館は巨大な迷宮のような複雑な構造。人気が無く森閑としている。異境異界に迷い込んだような不可思議な趣がある。
    温泉宿の夜を描いたこの章だけでも、いつか再読したいと思う。

    津田は清子と再会。ほどなく、物語はぱたりと途絶。未完で終わる。
    謎は、謎のまま残される。清子が津田から離れたのはなぜか? その後、津田と清子は、どういうやりとりを交わすのだろう。
    私は今も、そのことに思いを巡らせている。
    そして、清子の気持ちも、その後の二人の空気もなんとなく想像できる積もりでいる。そのため、この突然の幕切れも、これはこれであり、という気がしている。

    *本作読了で、漱石の文庫化全作品を読了コンプリート。

  • 小林が津田に言う。"君は度胸が坐ってないよ。厭なものを何処までも避けたがって、好きなものを無闇に追懸けたがってるよ。なまじ自由が利くためさ。贅沢をいう余地があるからさ。僕のように窮地に落とされて、勝手にしやがれという気分になれないからさ"。気持ちを開放出来なければもはや不自由である。わざわざ温泉場まで追いかけていって、津田と清子はどうなっていくのだろう。だからと言って、他の作家が書いた続篇を読みたいとは思わないな。前後期三部作から自分で想像するのも一興。

  • 続きを読めないのが非常に残念。主要人物たちの思わせ振りな言葉などが頭に残ったままです。
    それにしてもすごい。底意地の悪い人のオンパレード。
    それぞれが一番正しいのは自分だと思っていそうなところが、素敵に滑稽に見えます。
    実を言うと、小林vs吉川夫人を見てみたかった。

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