- 本 ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101013015
感想・レビュー・書評
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函館に行ったときに元町教会地区に石碑があったので何者だろう…と思っていた亀井勝一郎さんの本。
奈良好きの自分としては、古典案内としてじっくり読ませていただきました。
終戦直前くらいのエッセイなので、薬師寺は東塔だけだし、法輪寺は古塔がまだあったときだし、自分が知らないちょっと前の時代の「古寺巡礼」であり、いろんな意味で興味深かったです。
唐招提寺の柱に感じる思いは今と同じだなぁ…とか。
東大寺の大仏を作った聖武天皇絶賛などは、民間からお妃を迎えて、そのお妃の一族(藤原氏)がやりたい放題特権を行使しまくったことなどを考えると微妙だし、そもそも聖武天皇さん自体がメンタルがヤバそうな方だと思うので
賛同できなかったけれど、この80年でここに書かれた大和の古寺たちがどのように変化していったのか、どのよういに変わらずに存在し続けているのかを考えると、人間というものが苦しくも愛らしく感じる1冊でした。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
さて、仏像や寺院が幼少より好きだったので、小学生時代からテストの裏に夢見る仏像や理想の日本庭園のスケッチを描いていた。先生は可怪しいと思ったていたかしれないが見逃してくれた。
本書は、奈良は斑鳩の里、法隆寺を中心に広がる古都の寺院群への訪問記。ネトウヨは訪れたか(?笑 )。家元、阿呆なので、バカは相手にしないが、偶につっかっかってくる若い(偶にワシより歳の)似非右翼は、本当にどうしようもないな。例えば、百田君、桜井女史、等など。民本主義者の家元くらい勉強しなさい。
推古天皇の御代に世を治めていた飛鳥時代の風景を今に遺す法隆寺、夢殿、中宮寺界隈にかけての遍歴を著者は楽しんでいる。さらに、法隆寺の百済観音、中宮寺の半跏思惟菩薩の美に愉悦を抱く。上宮(聖徳)太子の十七条憲法は太子の祈りの言葉だと断じる。一に「以和為す貴」、二に「篤敬三宝」、三に「承詔必謹」が、特に太子の衷心祈念であるとし、外戚蘇我氏の影響を排したいのだろう。しかしながら太子サ薨去後、蘇我一族により斑鳩殿は灰燼に帰し、山背大兄王一族は皆殺しなった。その蘇我氏も中大兄皇子と中臣鎌足により大化の改新で滅ぼされたが、上宮王族滅亡三十余年にして壬申の乱が起こり藤原一族の擅権が始まる。
法隆寺の金堂に鎮座する百済観音と玉虫厨子、その内に描かれた「捨身飼虎図」が「汝の敵はまた汝の恩人」を意味するのだろう。中宮寺の半跏像は太秦広隆寺と同じ形式の像であり、弥勒菩薩なのだ。
白鴎時代の代表的寺院である薬師寺には、古仏の最高傑作とされる薬師如来がある。結跏趺坐する金剛坐像は漆黒の体躯に、アルカイックスマイルを口辺に漂わす。仏像に小学生の家元は恋をした。嗚呼、変態(笑)。
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学生時代に読んで、古都奈良に憧れた。
苔むした神社仏閣、古びた仏像をこれほど生き生きと語れることに感嘆した。
そこにはあたかも恋人を語るような趣があった。
このような文章を書いてみたいと、ある種の嫉妬を感じた。
かつて古都を巡るガイドブックは、このような本だった。 -
大和古寺を巡る紀行文。著者の古代史への深い憧憬と信仰に裏打ちされ、一文一文が滋味深い。ほとんどが戦前戦中に書かれたものなので今の風情とは大分様相を異にしていたであろうが、これを読んで私も大和古寺を巡りたくなった。
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春と秋に奈良の古寺を巡る著者の随筆。
信仰の視点から寺院、仏像について語られています。
上宮太子と聖武天皇、光明皇后を尊崇されているようで斑鳩や東大寺を巡る語りが熱かったです。
個人的には唐招提寺の評価の低さと新薬師寺の十二神将をグロテスクと評するあたりは受け入れられませんでしたが…。
人それぞれの受け止め方の違いを感じます。 -
著者の 聖徳太子への敬慕が伝わってきました。
聖徳太子は伝説的な人物として特に深く考えたことはありませんでしたが、著者を通じて なんだか身近に 感じられました。
奈良の中宮寺に「天寿国曼荼羅(てんじゅこくまんだら)」というものがある。
これは、聖徳太子が薨去された際、その冥福を祈って妃のひとりと側使えの人達が刺繍で作り上げた曼荼羅だという。これを著者は執念を感じて薄気味悪いと断言している。ちょっと たまげてしまった。
読後、奈良に行きたくなってしまった。
中宮寺の如意輪観音像をぜひとも拝観したいです。 -
天平時代に思いをはせて、血で血を洗う骨肉の戦いの中に求めた平和とは何だったのか。
聖徳太子由来の斑鳩宮、法隆寺から始まり、中宮寺、法輪寺といったマイナーな古寺から、薬師寺、唐招提寺、東大寺をめぐり、新薬師寺に至る。
戦前の文章とは思えない鮮烈さがある。 -
文章の美しさ。
鑑賞などではなく、信仰を呼び起こされる。
著者プロフィール
亀井勝一郎の作品





