- Amazon.co.jp ・本 (413ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101015149
作品紹介・あらすじ
五十五歳停年の時代に、退職が現実のこととして見えてきた保険会社次長の西村耕太郎。家庭を持ち、何不自由ない毎日を送っているが、心に潜む後悔と不安を拭えない。その心中を見透かすかのように島田課長にヌード撮影会に誘われる。日常への「抵抗」を試みた西村は、酒場で知り合った十九歳のユカリと熱海に出かけるが-。書名が流行語にまでなった日本的男性研究の原典。
感想・レビュー・書評
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タイトルが気になって、手にとって、いったん本棚に戻し、、一度通り過ぎてからまた戻ってきて購入した1冊。
結局、1日で読んでしまった。
「わたなべじゅんいち」的な展開を予想したが、なんというかお行儀のよい展開。それもそのはず。古き良き時代?の新聞連載小説だったのですね。時代的な感覚が、給与の額とか男性女性の考え方などでずれていることが分かるのに、なぜか、主人公のもつ悲哀の部分には共感できるんですよね。
いつの時代も、家庭をもつ中年おやじはこんな感じなのかな。いままでも、そしてこれからも。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
初の石川達三.私が中高生だった昔,本屋の本棚では新潮文庫が今よりもずっと幅をきかせて並んでいて,その中で石川達三は小難しそうなタイトルの本が何十冊も並んでいて存在感があった.今は数冊しか手に入らない模様.
この小説は昭和30年読売新聞連載で,読みやすい.
内容はなんともまあ身につまされるというか,中年男のどうしようなもない部分をうまく描いている.客観的に読めば醜悪だが,そうとばかりいえないのが悲しいところ.
女性が読めば男の身勝手さに腹が立つだろう.出版社が絶版にしたがるのもこのご時世わかる気がする. -
中高生の頃、出版社各社が出してゐる文庫解説目録を読むのが大好きでした。目録に目を通してゐると、ほとんどの本を読みたくなるのであります。
映画の予告篇と同じで、どんなツマラヌ作品でも、目録では面白さうに思へるのが良いですね。その愉しみは、しばしば実際の読書のそれを上回るのです。
そんな中で、新潮文庫解説目録で気になつてゐた一冊が、『四十八歳の抵抗』でした。自分が四十八歳になるまでには、必ず読まうと心に決めてゐたのであります。
それからたちまち年月が過ぎ、愚図愚図してゐるとわたくしもその年齢に達する恐れが出てきました。さっそく書店へ向ふと、店頭にはありません。名駅前のジュ○ク堂にもなかつたので、天損で取り寄せました。
で、ふとカバーの「新潮文庫 石川達三の本」リストを見て吃驚。何と本書のほかには『青春の蹉跌』しか無いではありませんか。かつては少なくとも40冊以上はあつたと記憶してゐるのですが、それが現在2冊とは。驕れる平家は久しからず。否、別に驕つてはゐないか。
さて本書の主人公・西村耕太郎は保険会社の次長さんです。タイトル通り48歳。定年が55歳の時代なので、あと7年を残すところであります。近く銀婚式を迎へる妻と23歳の娘と共に、まづまづの生活ぶり。
しかしこのまま定年を迎へ人生を終へることに、何か苛立ちを感じてゐるやうです。もつと他の生き方があるのではないか、それを探すのは「今でしょ」とばかりに、同僚の島田課長や部下の曾我法介からの危険な誘ひに乗つていくのでした...
小説としては面白かつたけれど、あまりにリアルな「四十八歳」の生態を見せ付けられて、我が身を振り返ると切なくなるのであります。やつぱりもつと若い頃に読んでをくべきだつたかなあ。
さう言ひながら、わたくしの眼前にも「曾我法介」が現れないかと待望する自分を発見するのでした。中年男性の心理は、発表された57年前と変つてゐないのですねえ。
そろそろ寝る時間です。西村次長と同じく、血圧高めのわたくしは休むことにします。
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自分と同じ年齢だったのがきっかけで読んだ本。自分では起こりえない事ですが、気持ち的には通じる部分がある。昭和の雰囲気が良く出ていてネオン街なんかも映像が見えてきそうな感じ。映画でも見てみたい気がする作品でした。
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読了。戦後の恋愛観、結婚観に照らすと現代はまさにカオスなのだなと実感。しかし時代背景が変わろうと火遊びをしようとする男の心理は変わってない(笑)
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なかなか時代が変わってもかわらないものですね。
P101 理枝には夢もあり理想もあるが、さと子には現実だけがある。彼女はその現実を何よりも恐れているが、娘のほうはまだ現実のこわさが解ってないのだ。
P269 たとい浮気が悪いといわれても、浮気ができる間に浮気をしておきたい。浮気にも定年がある。さきはもう永くないのだ。
P284 金はほしい。金さえあれば、あの清純な処女を可愛がってやることができる。男と生まれて、そのくらいのことはしてみたい。
P331 若い娘との道ならぬ恋に最後の青春をかけようとしているのであった。裏切りであり背徳である。それはわかっているけれども、裏切りもせず背徳の行いもせず、謹厳実直な日常をすごしていくことに、今は耐え難い苦痛を感じているのであった。
P341 とにかく金がほしい。金がなくては現在の悲しい恋を続けることができないのであった。金のある男だけが、年老いてからあとに美しい若い娘との恋を楽しむことができる。せめて一年でも、三ヵ月でもいいから、そういう喜びを味わってみたい。そのことによって彼の人生が変わる。彼の生涯がくいなきものになるような気がする。 -
私の四十八があと1ヶ月で終わるので読んでみた。私が産まれる前に書かれ、当時の定年は五十五とのことだが、現代でも全く違和感なく共感できた。さて私の抵抗は始まったばかりだが、いつまで続くか楽しみになった。
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昭和30年から31年にかけて読売新聞に連載されたものらしい。当時の給与額や、食堂での食事代、コーヒー代なども書かれているが、驚くばかり。本書が連載された当時の55歳定年が一般的だった時代の48歳と、65歳定年が一般しつつある現代の48歳には、それなりに心境や体力的な面でも違いがあるとは思われる。が、それでもなお、この主人公の心境が現代にも通じ、読者を一気に引き込んでいくのは、時代が変われど人間の本質はそうそう変わることがないということなのかも。一方、女性読者なら、この小説をどう読むのか?「やっぱり、男はバカね。」と一蹴されるのかも。