しんせかい (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (178ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101015811

作品紹介・あらすじ

十九歳のスミトは、船に乗って北へ向かう。行き着いた【谷】で待ち受けていたのは、俳優や脚本家を志望する若者たちと、自給自足の共同生活だった。過酷な肉体労働、同期との交流、【先生】の演劇指導、地元に残してきた“恋人未満”の存在。スミトの心は日々、揺れ動かされる。著者の原点となる記憶をたぐり、等身大の青春を綴った芥川賞受賞作のほか、入塾試験前夜の希望と不安を写した短編も収録。

感想・レビュー・書評

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  • 初山下。芥川受賞作。主人公の名前からして一種の"私小説"だと思い、読んでいた。鬼気迫る感情の描写を期待したが、常に曖昧な感じを受けとても残念だ。私とは相容れない作家のようだ。

  • まるで、別の世界の迷宮に迷い込んだかのようであった。作者は、倉本聰の主催する富良野塾の二期生なので、この谷という場所はそこで先生は倉本さんなのだろうが、そこはテレビもない、冬は雪に閉ざされた場所で奴隷のような意味があるのかわからない労働をしいられ、勉強し、周囲の変化に無意識に翻弄され、まぁ、青春小説なのだが、前半、句読点をあるべき場所に打たない長文のリズム感の悪さにイライラさせられ、どこか見知らぬ場所に監禁されたような気分になったかと思うと、言い切り、断定的な表現を多用し読者を煙に巻く。不思議な小説だった

  • 男はいつも自分中心で鈍感だし、女心は婉曲で、鈍感な男にはわからない。


  • 完璧な綺麗な文章も好きだけど
    頭の中がダラダラ流れてくる文章も好き。

  • 主人公のスミトは、自分の記憶の頼りなさを問いかけながら生きている。葛藤も苦悩もなく、漫然と流されているような人生。演劇の「間」を、数を数えてやりすごす。自分が死のうとしたのかどうかすら、あやふやだ。この小説は、「個人」の頼りなさを描いているんじゃないかという印象をもった。

    僕の生半可な理解では、近代小説は一人一人が他人とは異なる自律的な「心」をもった「個人」を描くもの、である。だとすると、近代小説への挑戦、という気もする。

    しかし、この作品をポストモダン小説といってしまうことにも躊躇を感じる。不条理とか、幻覚的とかではないのだ。手触りのある現実感が、この作品にはつねにつきまとう。スミトだけが、ふわふわしている。

    じゃあ何なんだ、と言われると、よくわからない。よくわからないから「しんせかい」。なのかもしれない。

  • しんせかい 2
    素直に言って覚えていないのだ、あの晩、実際に自殺したのかどうか 3

  • 主人公の記憶力があやふや過ぎて、話の繋がりが分かりづらく読みにくい文章だが、徐々に慣れてきて一気に読んでしまった。特に盛り上がりがあるわけではないが「どういう意味だろう?」と先が気になって読むうちに加速して、気づけばラスト。
    読後すぐは意味の分からなさに混乱したが、しばらく考えているうちに、これは著者自身のことを思い出すままに書いたような小説なのかなという結論になった。思考が入り込む前の、本能的な人間の動きがそのまま書き出されたような素直さ。かと思えば流暢な関西弁で軽口を叩いたりもするから分からない。その違和感が引っ掛かりとして残る。
    進藤さんが電話をしている場面は、本来見えてないはずのものが天の目で何もかも見えてしまっていて気持ち悪さがあった。脚本家としての目線なんだろうか……それと金縛りと幽体離脱のような不思議体験は何だったんだろう。まるで死んだ人の霊が死んだと知らず浮遊して夢でも見ているようである。あれもこれも謎が残る。

  • 図書館・請求記号 913.6/Y448/a/

  • 読書開始日:2021年7月31日
    読書終了日:2021年8月7日
    所感
    これまた時間のかかる作品だった。
    今まで読んだ中で1番わけがわからなかったかも。ただどんなに仲が良い友達でも、どんなに好きな恋人でも、その人の顔や話してた内容を意識して思い出そうとすると、もやがかかる感じはわかる。
    恐らく収録2作品どちらも作者自身を書いてると思われるが、かなりの集中力散漫、執着がなさが伺える。この特徴が強ければ強いほど記憶のもやが濃くなるのか。
    浮遊感がえげつない。
    読みながら一回も安定できなかった。

    人が話している時に注目するのは語尾
    青の上は黒だとわかるほどの青さ
    ものごとは便利になり余裕が生まれるほど切羽詰まれなくなり堕落する

  • 最近、年のせいか、薄い本ばかり読んでいる。
    「百年泥」「ルビンの壺が割れた」そして、この「しんせかい」。
    今は大人の事情で終わってしまったが、深夜の「ゴロウデラックス」に山下澄人が出ていて、名前だけは知っていた。
    その時、「百年泥」も「おらおらでひとりいくだ」の作者も出ていた。
    予告ではないが「おらおらでひとりいくだ」は近く読むつもり。
    朝吹真理子の解説と併録されている「率直に言って覚えていないのだ、あの晩、実際に自殺をしたのかどうか」を読んで、なんとなく「しんせかい」が分かった。
    もちろん何度も推敲しているだろうが、記憶のむき出し感が、もろに出ている。
    時に記憶は、小説の中では、カオスの入り口として、用いられることがあるが、この作品では記憶の断片性が、不揃いでそれが同列に配置されているように思う。
    読みながら、倉本聡や富良野塾を具体的に当てはめても、あまり意味がない。
    曖昧な記憶が、補足無しに綴られていく。
    読み終わってから、あれはどうなった、これはどうだったと問い返したくなる作品である。
    どうしても、読者は作者にそれを求めるが、今回は僕らは自分勝手にそれらに解釈と結論を想定してしてしまおう。
    併録された「率直に言って〜」は、一見「しんせかい」の前日譚である。
    首都圏に住む僕には、新宿や新橋は行ったことのない富良野よりは、馴染み深い。
    タイトル通り、実際に自殺がどうなったのかは、記述されていないが、浮浪者に会った後、歌舞伎町を徘徊しているのだから、自殺はしなかったのだろう。
    アライグマを持ち主に返したところで、自殺は、無くなったのだろう。
    作家の文体に魅かれることも多いが、この作品の場合、文体というよりももっとゴロッとしたもの、文塊(そんな言葉は無い)が、所々に置かれているという感じがした。
    著者名は山下澄人なのだが、何故か矢川澄人だとずっと思っていたら、矢川澄子という作家がいたのだった。
    勘違いである。

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著者プロフィール

1966年、兵庫県生まれ。富良野塾二期生。96年より劇団FICTIONを主宰。2012年『緑のさる』で野間文芸新人賞を、17年『しんせかい』で芥川賞を受賞。その他の著書に『ギッちょん』『砂漠ダンス』『コルバトントリ』『ルンタ』『鳥の会議』『壁抜けの谷』『ほしのこ』がある。

「2020年 『小鳥、来る』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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