人生論ノート (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
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本棚登録 : 988
レビュー : 93
  • Amazon.co.jp ・本 (176ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101019017

作品紹介・あらすじ

死について、幸福について、懐疑について、偽善について、個性について、など23題-ハイデッガーに師事し、哲学者、社会評論家、文学者として昭和初期における華々しい存在であった三木清の、肌のぬくもりさえ感じさせる珠玉の名論文集。その多方面にわたる文筆活動が、どのような主体から生れたかを、率直な自己表現のなかにうかがわせるものとして、重要な意味をもつ。

感想・レビュー・書評

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  • ☆4(付箋12枚/P175→割合6.86)

    千夜千冊1550夜から。いくつかの断章からなっている。その懐疑について、松岡正剛は以下のようにまとめていた。

    “不確実なものが確実なものの基礎である。
    パスカルは「人は不確実なもののために働く」とさえ言っている。なぜ懐疑が生まれるかといえば、いかなる者も他を信じさせることができるほどには、自分を信じさせることができないからなのである。
    懐疑は方法であり、そのことを理解できた者のみが、初めて独断も方法であることを理解する。”

    ***以下抜き書き***

    ・幸福は人格である。ひとが外套を脱ぎすてるようにいつでも気楽にほかの幸福は脱ぎすてることのできる者が最も幸福な人である。しかし真の幸福は、彼はこれを捨て去らないし、捨て去ることもできない。彼の幸福は彼の生命と同じように彼自身と一つのものである。この幸福をもって彼はあらゆる困難と闘うのである。幸福を武器として闘うもののみが斃れてもなお幸福である。
    機嫌がよいこと、丁寧なこと、親切なこと、寛大なこと、等々、幸福はつねに外に現れる。歌わぬ詩人というものは真の詩人でない如く、単に内面的であるというような幸福は真の幸福ではないであろう。幸福は表現的なものである。鳥の歌うが如くおのずから外に現れて他の人を幸福にするものが真の幸福である。

    ・懐疑には節度がなければならず、節度のある懐疑のみが真に懐疑の名に価するということは、懐疑が方法であることを示している。懐疑が方法であることはデカルトによって確認された真理である。デカルトの懐疑は一見考えられるように極端なものでなく、つねに注意深く節度を守っている。この点においても彼はヒューマニストであった。彼が方法叙説第三部における道徳論を暫定的な或いは一時しのぎのものとしょうしたことは極めて特徴的である。
    方法についての熟達は教養のうち最も重要なものであるが、懐疑において節度があるということよりも決定的な教養のしるしを私は知らない。
    …懐疑が方法であることを理解した者であって初めて独断もまた方法であることを理解し得る。

    ・懐疑は一つの所に止まるというのは間違っている。精神の習慣性を破るものが懐疑である。精神が習慣的になるということは精神のうちに自然が流れ込んでいることを意味している。懐疑は精神のオートマティズムを破るものとして既に自然に対する知性の勝利を現している。不確実なものが根源であり、確実なものは目的である。すべて確実なものは形成されたものであり、結果であって、端緒としての原理は不確実なものである。懐疑は根源への関係付けであり、独断は目的への関係付けである。理論家が懐疑的であるのに対して実践家は独断的であり、動機論者が懐疑家であるのに対して結果論者は独断家であるというのがつねであることは、これに依るのである。しかし独断も懐疑も共に方法であるべきことを理解しなければならぬ。

    肯定が否定においてあるように、物質が精神においてあるように、独断は懐疑においてある。

    すべての懐疑にも拘らず人生は確実なものである。なぜなら、人生は形成作用である故に、単に在るものでなく、作られたものである故に。

    ・自然は芸術を模倣するというのはよく知られた言葉である。けれども芸術を模倣するのは固有な意味においては自然のうち人間のみである。人間が小説を模倣しまた模倣し得るのは、人間が本性上小説的なものであるからでなければならぬ。人間は人間的になり始めるや否や、自己と自己の生活を小説化し始める。

    ・ひとは愛に種類があるという。愛は神の愛(アガペ)、理想に対する愛(プラトン的エロス)、そして肉体的な愛という三つの段階に区別されている。そうであるなら、それに相応して怒にも、神の怒、名誉心からの怒、気分的な怒という三つの種類を区別することができるであろう。怒に段階が考えられるということは怒の深さを示すものである。ところが憎みについては同様の段階を区別し得るであろうか。怒の内面性が理解されねばならぬ。

    ・自己は虚無の中の一つの点である。この点は限りなく縮小されることができる。しかしそれはどんなに小さくなっても、自己がその中に浮き上がっている虚無と一つのものではない。生命は虚無でなく、虚無はむしろ人間の条件である。けれどもこの条件は、恰も一つの波、一つの泡沫でさえもが、海というものを離れて考えられないように、それなしには人間が考えられぬものである。

    ・孤独が恐ろしいのは、孤独そのもののためでなく、むしろ孤独の条件によってである。恰も、死が恐ろしいのは、死そのもののためでなく、むしろ死の条件によってであるのと同じである。しかし孤独の条件以外に孤独そのものがあるのか。死の条件以外に死そのものがあるのか。

    ・孤独は山になく、街にある。一人の人間にあるのでなく、大勢の人間の「間」にあるのである。孤独は「間」にあるものとして空間の如きものである。「真空の恐怖」―それは物質のものでなくて人間のものである。

    孤独は内に閉じこもることではない。孤独を感じるとき、試みに、自分の手を伸ばして、じっと見詰めよ。孤独の感じは急に迫ってくるであろう。

    ・嫉妬心をなくするために、自信を持てといわれる。だが自身は如何にして生ずるのであるか。自分で物をつくることによって。嫉妬からは何者も作られない。人間は物を作ることによって自己を作り、かくて個性になる。個性的な人間ほど嫉妬的でない。個性を離れて幸福が存在しないことはこの事実からも理解されるであろう。

    ・仮説的に考えるということは論理的に考えるということと単純に同じではない。仮説は或る意味で論理よりも根源的であり、論理はむしろそこから出てくる。

    ・娯楽という観念はおそらく近代的な観念である。それは機械技術の時代の産物であり、この時代のあらゆる特徴を具えている。娯楽というものは生活を楽しむことを知らなくなった人間がその代わりに考え出したものである。それは幸福に対する近代的な代用品である。

    ・今日娯楽といわれるものの持っている唯一の意味は生理的なものである。「健全な娯楽」という合言葉がそれを示している。だから私は今日娯楽といわれるもののうち体操とスポーツだけは信用することができる。娯楽は衛生である。ただ、それは身体の衛生であるのみでなく、精神の衛生でもなければならぬ。そして身体の衛生が血液の運行を善くすることにある如く、精神の衛生は観念の運行を善くすることにある。凝結した観念が今日かくも多いということは、娯楽の意義とその方法がほんとに理解されていない証拠である。

    • ぶっかけさん
      「人生論ノート」の断章を教科で読んでいた頃のことを思い出しました。
      「人生論ノート」の断章を教科で読んでいた頃のことを思い出しました。
      2014/09/09
    • whiteprizmさん
      ぶっかけさん、ありがとう!
      教科書で載ってたんですね~(^^
      ぶっかけさん、ありがとう!
      教科書で載ってたんですね~(^^
      2014/09/09
    • ぶっかけさん
      (^^)/
      (^^)/
      2014/09/11
  • 死について
    幸福について
    懐疑について
    習慣について
    虚栄について
    名誉心について
    怒について
    人間の条件について
    孤独について
    嫉妬について
    成功について
    瞑想について
    噂について
    利己主義について
    健康について
    秩序について
    感傷について
    仮説について
    偽善について
    娯楽について
    希望について
    旅について
    個性について

  • ハッとさせられるようなフレーズが随所に散りばめられている。
    人は言葉を使って考える以上、その言葉の意味をどう理解するかで、見える世界は変わってしまう。
    現代人の抱えるあらゆる問題の「根っこ」を見るために、今、このように丁寧に言葉・概念を掘り下げることは、とても有効で重要なことだと感じた。

  • 幸福を語ることがすでに何か不道徳なことであるかのように感じられるほど今の世の中は不幸に充ちているのではあるまいか。今日の反主知主義の思想の殆どすべてはこのように幸福論を抹殺することから出発しているのである。そこに反主知主義の秘密がある。

  • 僕の愛読書、というか人生の指南書のひとつです。

    「嫉妬心をなくするためには、自信を持てと言われる。だが自信は如何にして生ずるのであるか。自分で物を作ることによって。嫉妬からは何物も作られない。人間は物を作ることによって自己を作り、かくて個性になる。個性的な人間ほど嫉妬的でない。個性を離れて幸福が存在しないことはこの事実からも理解されるであろう。」

    「機嫌がよいこと、丁寧なこと、親切なこと、寛大なこと、等々、幸福はつねに外に現れる。歌わぬ詩人というものは真の詩人でない如く、単に内面的であるというような幸福は真の幸福ではないであろう。幸福は表現的なものである。鳥の歌うが如くおのずから外に現れて他の人を幸福にするものが真の幸福である。」

    もう60年以上前に書かれた文章だけれども、今でも真実を射抜く輝きを放っていますよね。「嫉妬について」、「幸福について」に限らず『人生論ノート』にはこういった名文句が溢れています。

  • NHK100分de名著11月名著
    人生をより豊かに生きる方法を学ぶ一冊。2017年4月放送分のアンコール。

  • カテゴリ:図書館企画展示
    2017年度第7回図書館企画展示
    「大学生に読んでほしい本」 第3弾!

    本学教員から本学学生の皆さんに「ぜひ学生時代に読んでほしい!」という図書の推薦に係る展示です。

    高木秀明教授(人間関係学科)からのおすすめ図書を展示しています。
        
    展示中の図書は借りることができますので、どうぞお早めにご来館ください。

    開催期間:2018年1月9日(火) ~ 2018年2月28日(水)
    開催場所:図書館第1ゲート入口すぐ、雑誌閲覧室前の展示スペース

    私が大学に入り、心理学を学ぶ中で読んだ1冊です。「死について」から「個性について」まで23のテーマについて書かれています。「我々は我々の愛するものに対して、自分が幸福であることよりなお以上の善いことを為しうるであろうか。」(「幸福について」より)や「偽善が他の人を破滅させるのは、偽善そのものによってよりも、そのうちに含まれる阿諛によってである。」(「偽善について」より)など、含蓄の深い言葉が続々と出てきます。

  • この歳になってしまうと、このような内容の本は「だから何?」というツッコミか、「ああそう」という相づちで終わってしまうのがよくわかりました。真剣に内容を吟味しようとするのは受験生時代までだなきっと。すいませんけど、まったく楽しめませんこの歳になると。すべて歳のせいにするのもなんですけれど、年齢を重ねるということはそういうことなんだろうと思います。

  • ずっと手元に置いておきたい一冊

  • 三木清さんのエッセイ集。もっと若い頃に出会っていたかった本。

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著者プロフィール

1897年、兵庫県生まれ。京都帝国大学哲学科卒。ドイツ留学を経て法政大学教授等を務めるが、1930年に法政大学を辞してからはジャーナリズムで活躍。1945年3月に検挙・拘留され、敗戦40日後の9月に獄死。享年48歳。著作は『三木清全集』全二十巻(岩波書店)にまとめられているほか、『人生論ノート』(新潮文庫)、『読書と人生』(講談社文芸文庫)などは文庫化されている。

「2017年 『三木清遺稿「親鸞」 死と伝統について』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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