憑神 (新潮文庫)

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  • / ISBN・EAN: 9784101019246

感想・レビュー・書評

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  • 「浅田次郎」の長篇時代小説『憑神』を読みました。

    『終わらざる夏』、『残侠―天切り松 闇がたり〈第2巻〉』、『王妃の館』、『一路』に続き、「浅田次郎」作品です。

    -----story-------------
    抱腹絶倒にして感涙必至。
    貧乏侍vs.貧乏神!? 
    幕末時代小説の最高傑作。

    時は幕末、処は江戸。
    貧乏御家人の「別所彦四郎」は、文武に秀でながら出世の道をしくじり、夜鳴き蕎麦一杯の小遣いもままならない。
    ある夜、酔いにまかせて小さな祠に神頼みをしてみると、霊験あらたかにも神様があらわれた。
    だが、この神様は、神は神でも、なんと貧乏神だった!とことん運に見放されながらも懸命に生きる男の姿は、抱腹絶倒にして、やがては感涙必至。
    傑作時代長篇。
    -----------------------

    「新潮社」の月刊小説誌『小説新潮』の2004年(平成16年)9月号から2005年(平成17年)5月号に連載された時代小説… 観たことはないのですが、2007年(平成19年)に「降旗康男監督」により映画化されているようです。

    時は幕末… 将軍の影武者を代々務めてきた由緒ある家柄(御徒歩)の次男である「別所彦四郎」は、幼い頃より文武に優れ、秀才の誉れ高く、貧乏旗本の次男の身ながら、その才を見込まれて大身の入婿となったが、婿養子先から離縁され、愛する妻子とは離れ離れとなり、冷たくされつつも兄夫婦と実母の暮らす実家に居候の身となった、、、

    「彦四郎」は、半ば失業状態となり、暇を持て余す日々を送っていた… ある日、ひょんな事から見つけた「三巡神社(みめぐりじんじゃ)」というお稲荷様に酔った勢いで祈ったところ、「彦四郎」は「貧乏神」・「疫病神」・「死神」といった災いの神様を呼び寄せてしまうことになる。

    次々と不幸の神様たちに取り憑かれてしまった「彦四郎」の運命やいかに!? 窮地に追い込まれた男の選んだ、真実の生きる道とは、、、

    「貧乏神」と「疫病神」については、婿養子先だった義父や実兄に宿替えして、何とか不幸から逃れるものの、憑いた人物を死に至らしめる「死神」については、宿替えすることを躊躇する… そして、「彦四郎」は死を意識することで、限りある命が虚しいのではなく、限りある命ゆえに輝かしいのだ ということに気付く。

    ユーモア仕立ての物語ですが… 重たいテーマを扱った作品でしたね、、、

    幕末の動乱の時代は、価値観が大きく変わり、揺らいでいた時代だと思います… そんな世の中で、武士の本文を通して愚直に生きようとする「彦四郎」に感情移入できたし、自分の信念を持って生きることの大切さ、尊さを感じることのできた作品でしたね。

    現代にも通じるテーマですねぇ… 「彦四郎」の義を重んじて、他人に惑わされず、自分の道、決めた道を貫き通そうとする姿は輝いていたし、とても共感できました、、、

    このあたりの男の美学的な部分の描き方は、「浅田次郎」の得意とするところですね… 時代小説も面白いなぁ。

  • 三巡稲荷の神様達が人情的で古典落語のような物語だった。
    幕末の人の心情や江戸の様子がよくわかる。

  • 貧乏神、疫病神、死神に憑かれてしまった武士が幕末の江戸の凋落の中で武士道の真髄に気づき、新しい世の中の礎になる覚悟を決める、っと書くと固い話のようだが浅田次郎らしい読みやすい文章になっている。非現実な憑神が登場する一方で勝海舟榎本武揚、徳川慶喜を登場させ史実と重なった話になっており面白かった。

  • 最初は貧乏神やら厄病神やらが出てきて、主人公がアップアップするコメディだったのが、後半は武士道精神を貫く漢の話になっていって、勝海舟やら榎本武揚とか、実在の人物も出てきて、何やらかんという感じですが、爽やかな読後感でありました。

  • 時は幕末、処は江戸。貧乏御家人の別所彦四郎は、文武に秀でながら出世の道をしくじり、夜鳴き蕎麦一杯の小遣いもままならない。ある夜、酔いにまかせて小さな祠に神頼みをしてみると、霊験あらたかにも神様があらわれた。だが、この神様は、神は神でも、なんと貧乏神だった! とことん運に見放されながらも懸命に生きる男の姿は、抱腹絶倒にして、やがては感涙必至。傑作時代長篇。
    (2005年)

  • 面白い!
    武士である主人公の心の葛藤も興味深い。

  • 時は幕末、場所は江戸深川。決して位が高いわけでもない一御家人、別所家の次男である彦四郎の物語。
    武道に優れ頭脳明晰、努力を怠らないにもかかわらず、昔から運に恵まれない彦四郎だったが、ある日古ぼけた祠にうっかり手を合わせてしまったことで、貧乏神、厄病神、死神と順々に取り憑かれてしまい、散々な目に遭う。
    だが、困難にまみえる中で彦四郎は次第に武士道とは何か、自分が進むべき道とは何かを見出していく。
    個人的に感じた彦四郎の良いところは、自らの行動指針が、自分の「仁」や「義」であること。婿入り先で理不尽な目に遭ったのも、自分が情に流されて御家人の大義を見失っていたからだと息子に話す。「すなわち、わしは井上の家よりも、妻子を愛しすぎた」。また、息子に責められた時も、「お前は偉い。よくぞ父を慕わずに、井上の惣領として爺様の言葉を信じた」と、言葉の是非ではなく、まず信ずるところの順序をたがえぬ息子を褒める。
    この想いがいつか息子にも届いて欲しい。
    要領のいい男ではないのかもしれない。客観的に見て正しい行動なのかもわからない。だが、世間に流されるのではなく、また人間誰しも持つ死への恐怖に流されることもなく、日頃から研鑽を怠らず、忠義を尽くす。自分の信じる道を堂々と進むことができる彦四郎はとても格好良い男だと思った。

  • 2020/04/02完讀

    這本小說其實是相當哲學性的小說,最後的結尾與前面略帶滑稽喜劇的腔調完全不同。主角別所彥四郎是御徒士家中的次男,家系是安祥以來譜代,先祖代代以夏之陣擔任過家康的影武者為榮,工作也是負責維護三十具與將軍相同的影武者鎧甲。

    身為次男的彥四郎,到了井上家當養子,但是當了種馬之後在對方的奸計之下回到實家過著憂鬱的生活,雖然文武全才但是身為次男沒有任何機會,也在心中暗暗希望可以某一天奪回自己的妻子八重和兒子市太郎。某天為了想出世的願望,參拜了小廟三巡稲荷,沒想到是貧乏神就纏上了他(作者相當趣味地將它設計成大店的老闆),後來彥四郎知道了轉嫁的祕法,在一怒之下說出希望轉嫁到井上家,井上家馬上就失火了,果然馬上一窮二白。彥四郎雖然有一吐怨氣的感覺,但也感到有點良心不安,也很擔心自己的妻兒。

    貧乏神走了之後留下意味深長的三巡預告,第二波疫病神(化身為強壯的九頭龍關)就降臨,彥四郎哥哥由於實在太廢了,再這樣下去這個榮譽的職位也可能會被奪走,為了別所家的榮譽安泰,彥四郎只好要求轉嫁到沒路用的哥哥身上,彥四郎就成為了當主。但是當時整備那些鎧甲自然無用武之地,彥四郎也只能度過徒勞無功的日子,不過他還是很認真地做。九頭龍關勸諭他(這段話非常地血淋淋)「戦国の世にしたところで、抜け駆けなぞは褒めた話ではないということはご存知か。ましては天下泰平の世の中で、お前さまのように何でも律義になそうとすれば、ほかの者の立つ瀬がのうなる。お前さまのその律儀さゆえに、自ら不運を招いてしもうた」,在這樣的世界中一個突出的人對其他人來說只是めいわく,一個人揮舞真劍也只是不得要領。這段對話在前半這段略帶喜劇的小說之中,帶著非常非常沉重的意味,讓人突然意識到這個小說的悲劇性,也意識到這段話多麼地露骨又多麼可怖,畢竟世界上多半"多做"卻吃力不討好的人,歷史上有多少熱血的人喪送在這些平凡卻又陰溼的惡意沼澤之中。然而彥四郎堅持,那就是他的武士道,就算榎本勸他以日本國民的身分來貢獻新國家,他依然覺得德川家才是他的正道。

    最終可怕的死神終於降臨,外觀是一個可愛的大胃王少女,開始無情地設計各種恐怖的題目,包括讓自己的兒子來砍他這樣的劇情。前兩段的神明都還帶有人間味,因此也讓這一段更加地令人毛骨悚然,而且這位神明非常地強,連白龍樣都被KO。彥四郎也發現代代傳家的康繼根本就是贋作,或許連家族的傳承都不可信。死神告訴他可以轉移,但他終究無法再轉嫁他人,於是等著可以有自己死得其所的機會,沒想到將軍家在鳥羽伏見之戰後,從大阪倉皇逃回江戶,接著一路恭順最終甚至逃到水戶去了就是不願迎戰,因此他連一戰的機會都沒了。但是如同磨刀師喜仙堂所謂,這個時代還是有人不合時宜地在作古太刀的仿作,「ならぬ徒花(あだばな)ましろに見えて、憂き中垣の夕顔やーー咲いたところで実を結ばぬ徒花は、ことさらに美しいものだ。しかもおのれを徒花と信じぬゆえに、徒花はなお美しい」。隨著上野彰義隊的風潮日盛,脫走在江戶也變得相當有人氣。自己的兒子市太郎和哥哥的長男都吵著要去參加,因此彥四郎終於覺悟不再是坐著枯等,死得其所的其所需要自己去創造。他放棄新政府的仕官之請,決定為德川之家而殉,於是扮成慶喜的模樣,擔任最後的影武者,英勇前往上野赴死。只有帶著舊時代的這些(已經無法回頭的)人一起走,才能成為新時代的基石...

    故事斷在這裡,前兩部的喜劇顏色完全被第三部特別是後半的半滑稽半悲傷的色彩給蓋過,在最後的幾十頁我才然發現這部小說和我想的不一樣(讀完前兩段時我都一直還認為最終會有個happy ending)。在後段我才想起,幕末德川家臣徒勞的血淚,不也是這位作者執筆的其中一個重要的旋律之一嗎。很多事雖然徒勞,但是雖千萬人吾往矣;「限りある命が虚しいのではない。限りある命ゆえに輝かしいのだ。武士道はそれに尽きる」,彥四郎悟出了生命正是因為有限因而尊貴,所以他決定以這點,對那些無限而無情的神明做出最大的逆襲,他認為這場與神明的戰爭最終還是人的勝出。

    以西方理性的思維來說,彥四郎這樣有才的人投入新政府可能可以幫助很多人,所以他幹嘛去自殺呢,還是跟一群烏合之眾去殉已經敗亡的故主之義。但他認為這些流血,帶走這一切才能讓新時代更好,這樣的感覺應該是這個國度很純粹的一種思維,而西方人很難理解的部分,儘管西化了,這樣的想法還是留在這個國度的血液中。無常,徒然,但是依然要以最美的姿態畫下句點。

    可是,既然徒勞,人為何還是要面對命運,不惜與神一博呢?在說有無必要之前,生命中究竟哪些事是必要的,那些事不是徒勞的,我們又怎麼說得出?在永恆的時空之前,很可能人的存在本身所有都是徒勞也說不定。

    這個問題,好深又好難。在無限中,我們被有限囚禁,揮不去那深層的虛無感,找不到意義在何處。在虛擬的時代小說中闔卷就畫上句點,但活著的每一天都在問這個問題。徒勞之花,正因徒勞才會閃耀嗎?努力將自己的每一天賦予意義,但是我們同時卻又如此渺小如螻蟻,脆弱無比,被整個大時代無情地操弄左右,肉眼看不見的病毒幾天就可以讓人犬死。究竟人的精神可以達到什麼樣的高度,可以在有限的期限中活出什麼樣的光彩,至少像煙火一樣徹底燃燒那一瞬間的美?我不知道,但是我始終沒有忘記,被阿蘭畫中的偉大和精神性壓倒,「放蕩息子の帰還」那悲傷之海訴說著生命的本質就是悲傷,但是活著真好的那深切無比的感受。在他最老最病甚至失去兒子的那一年,生命走到最低谷甚至死亡已經在和他招手的那一年,他創出超越時空的傑作中的傑作,讓人無比欽羨,那絕對不是徒勞。他綻放出的生命烈焰如此耀眼,讓千千萬萬人都感受到他的喜與悲,他的堅強與光輝。我也記得,宗達的松島圖屏風和風神雷神屏風裡那種把命運和黑暗一腳踢開享受生命的喜悅與豪快,他的畫也給了千千萬萬人勇氣,他也絕對不是徒勞。然而一介平凡人每日在命運和環境的網羅中掙扎,究竟可以讓自己活得多具精神性,活得多有價值呢?人類歷史走得越遠,徒勞和層層的虛無感就越重,面對科技的進步,我們的虛無感包袱卻越來越大,承載著前人也問過同樣無數的問題,被一個小病毒弄得全世界都崩潰無助。但是我們依然必須進行手邊的事,把自己的工作做好,雖然可能一切終歸是徒勞,可能我們的行為連開朵花都稱不上,就在生命的迷霧中帶著命運預先設定的手銬腳鐐步履艱難地前進。我們到不了阿蘭的境界(那是對苦難的透徹所累積淬煉而成的),也無法像故事中的主角颯爽地離場,生命有太多不由自主的事,我們只能感謝在文學和藝術裡還是可以看到希望與高潔,還有很多令人尊敬的靈魂,不管黑夜多長多暗,還是有點點星火在毅然前行。

  • 幕末の貧乏御家人次男坊の物語。

    残り数十ページあたりで落ちはこうかなと思っていたのが、はずれました。

    損得勘定や世の流れに乗り切れない男の心意気は、浅田さんの愛するところなのかも知れません。
    それをユーモアで包んで描くのが、浅田さんらしさかも知れません。

  • 「ならぬ徒花ましろに見えて、憂き中垣の夕顔やーー」
    貧乏御家人の別所彦四郎。ある夜、酔いにまかせて小さな祠に神頼みをしてみると、霊験あらたかにも神様があらわれた。だが、この神様は、神は神でも、なんと貧乏神だった!ーーーーー

     
    映画は見ていないけど、テンポよければ面白そうだなあ。冒頭の彦四郎は、現状を打開したくても立場やら身分やらが邪魔してどうにもできない袋小路にいたのでもだもだした。貧乏神も彦四郎の境遇に同情している風だったので、後半の彦四郎の凛々しさが強調されて良いなと思った。他人に対して積極的に酷い人間じゃないところが彦四郎の良さだったな。己が己がと言うのでなく、大義大局に自分がなにができるのか、悩みに悩んで悟りを開く彦四郎は主人公としてすんなりと受け止められた。ご都合主義すぎないストーリーが良かった。神様に可哀想がられて恩恵が与えられてハッピーエンドじゃあ、なんかモヤっとするなと思っていたので、彦四郎が自分で答えを出したところが好きだった。井上様はその後どうなったんだろうか…?

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著者プロフィール

1951年東京生まれ。1995年『地下鉄に乗って』で「吉川英治文学新人賞」、97年『鉄道員』で「直木賞」を受賞。2000年『壬生義士伝』で「柴田錬三郎賞」、06年『お腹召しませ』で「中央公論文芸賞」「司馬遼太郎賞」、08年『中原の虹』で「吉川英治文学賞」、10年『終わらざる夏』で「毎日出版文化賞」を受賞する。16年『帰郷』で「大佛次郎賞」、19年「菊池寛賞」を受賞。15年「紫綬褒章」を受章する。その他、「蒼穹の昴」シリーズと人気作を発表する。

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