- 本 ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101022314
作品紹介・あらすじ
今から三十年以上前、小学校帰りに通った喫茶店。店の隅にはコーヒー豆の大樽があり、そこがわたしの特等席だった。常連客は、樽に座るわたしに「タタン」とあだ名を付けた老小説家、歌舞伎役者の卵、謎の生物学者に無口な学生とクセ者揃い。学校が苦手で友達もいなかった少女時代、大人に混ざって聞いた話には沢山の“本当” と“噓”があって……懐かしさと温かな驚きに包まれる喫茶店物語。
感想・レビュー・書評
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中島さんと思われるタタンちゃんが、小学校から家に帰らず、母親のお迎えを待っていた喫茶店。お店のオブジェ大樽がタタンの指定席。樽の中から、見る風変わりでちょと偏屈な常連客達。時折、樽から出てきて、彼等と時間を共にする。作者の作家としての土台を作ったか、子供の頃からそんな状況でも大人達を観察できる能力があったから作家になったのか。
「小説家に聞いてはいけない質問。それはほんとう?それとも嘘?」と作中にも書いているから、この作品も、朧げな思い出(ファンタジー風味)かな。
小さな子供に生死を朴訥な感じで語る祖母との思い出が良かったです。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
不思議な読後感。
経験したことないのに懐かしい感じがするのは
この本の特徴かもしれない。
それぞれの距離感が絶妙だったな〜 -
小さな町の坂の下にあった一軒の喫茶店。
小学生だった私は、毎日その店に通っていた。
共働きだった両親に、保育所代わりに預けられ、インテリアのように置かれたコーヒー豆を入れていた赤い樽の中で、じっと過ごしていた。
そんな女の子が目にした大人の世界。奇妙なやり取り。
もう三十年以上も前の、かすかな記憶。
クセの強い常連客の話が噓なのか本当なのか、わからなすぎて笑いがこみ上げてくる。
のちに私は、父の転勤で外国に引っ越すことになり…
物語の最後には感動が待っていました。
懐かしさと、妙な嬉しさに包まれ、読後はうっとりと幸せな気持ちになれます。
喫茶店物語にしては、ちょっと異色だけれど、こんな世界もまた良いものですね。 -
子供の頃の記憶、思い出が時を経る毎に大人の自分によって脚色されて来たような気がする。
幼く理解力も乏しい時分からダンボの耳で大人の話に耳を傾けていた事を思い出す。時には雰囲気で解釈をしていたに違いない。
このお話を読み進めて行くと自分の幼少期を思い出して不思議な懐かしさを覚えていた。 -
大人の「わたし」が、小学生の頃に学校帰りを過ごした喫茶店での思い出を振り返る連作短編集。
子どもの頃の記憶というのは、当時の思い込みや想像と後付けの情報が混在しているのが面白い。
今の「わたし」が、時々それを指摘したりなんかしていて、そんな風に語られると本当に誰かの思い出話を聞いているみたいだ。
個性豊かな常連客や、喫茶店に現れては消えていく印象深い客のこと、祖母との思い出。
「もう一度、愛してくれませんか」では吸血鬼がしゃーしゃー言っていて、「町内会の草野球チーム」では学生さんの自意識が可愛い。常連客の、おまわりさんに連れていかれる→カゲキハ、という連想にはちょっと笑ってしまった。
最後にはもちろん言いたくなるのだ。
「それはほんとう?それとも嘘?」 -
幼い頃、喫茶店の樽の中に潜り込むのが好きだった主人公が、その幼い目で見た、喫茶店に集う大人たちの物語。ちょっぴり切なくて、昭和ノスタルジーの香りがほんのり。
子供視点での大人なので、なんとなく曖昧でよく分からない部分もあったり。たしかに子供の頃の記憶で、あれは一体なんだったのかな?ってぼんやり覚えてることとかあるもので…そういう懐かしさ、みたいな雰囲気はある。取り立ててこれ!という感動とか驚きとかはないけど、なんとなく雰囲気で最後まで読めた。 -
とある街の、坂の下の喫茶店。
少女は学校が終わると喫茶店で母親を待つ。
赤い樽にいた少女は、タタンという名で常連から可愛がられる。
喫茶店のマスター、常連客の小説家、売れない歌舞伎役者、神主、学生、サンタ。
最初から終わりがくることが暗示されているいつもの風景。
ああ、このままここでの生活が続いてほしい、と思った矢先のラストの妙。
うまいことできてるー! -
幼少期に過ごした小さな町。小さな喫茶店で過ごした記憶が、三十年以上の時を経て語られます。喫茶店での出来事、常連客の人柄・人生・孤独・大人の都合…、過去の少し曖昧な記憶と今の想いが溢れた九篇の物語です。
小学生ながら、喫茶店で多くを学んだ経験が、今の自分を形作っていることを自覚しているんでしょうね。単なるノスタルジーで終わらせない人生の機微・深みを感じさせてくれます。 -
「樽」と「タタン」=「タルトタタン」。タイトルに惚れ、そして舞台が「喫茶店」ということにそそられ手に取ってみた。懐かしい昭和時代、「タタン」と渾名を付けられた少女が小学校帰りに過ごす喫茶店。店にあるコーヒーの樽が彼女の居場所。個性的なお客達とのひとときは、シュールだけど温かくて、謎めいているのに少し切なくて。ノスタルジックだけど、懐かしさに浸りきらない、ちょっとザワザワする独特の寂寥感。中島京子作品ならではの空気感がたまらない!
どの話も好きだけど、亡きおばあちゃんとの思い出が語られる「ぱっと消えてぴっと入る」、鬼太郎ヘアの学生とのエピソードが微笑ましい「町内会の草野球チーム」かな。どの章タイトルも、どんな話なんだか見当がつかないのもまたよし。
読んでいて、ちょっと狐につままれたような気持ちになるのだけれど、そこは解説の平松洋子さんが的確に表現してくれている。
「幼い眼は、まっさらなぶんだけ現実と虚構を奔放に混ぜ合わせる。そして、想像や妄想や欲望を練り合わせてかたちをなした記憶のほうがリアルで堅牢なのはなぜだろう。」
自分自身にも、真偽の怪しい不可思議な幼少の記憶が心のすみにこびりついている。あれはなんだったんだろう…オチのない虚構めいた思い出は、タタンと同じだ。色々な境界が曖昧になり、じわりと溶け合ってくることの心地よさを感じる。
タタンが居着くのもわかる、喫茶店の雰囲気のよさもツボ。濃いめのコーヒーをお供に読みたくなる一冊だ。
著者プロフィール
中島京子の作品





