白痴 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
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本棚登録 : 3242
感想 : 300
  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101024011

作品紹介・あらすじ

白痴の女と火炎の中をのがれ、「生きるための、明日の希望がないから」女を捨てていくはりあいもなく、ただ今朝も太陽の光がそそぐだろうかと考える。戦後の混乱と頽廃の世相にさまよう人々の心に強く訴えかけた表題作など、自嘲的なアウトローの生活をくりひろげながら、「堕落論」の主張を作品化し、観念的私小説を創造してデカダン派と称される著者の代表作7編を収める。

感想・レビュー・書評

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  • 特に青鬼の褌を洗う女ですが
    一応奥様がモデルとされていますが
    可愛くってしょうがない感じが
    にじみ出ております
    ひねくれた溺愛が心をくすぐりました

    戦争のさなか
    馬鹿々々しさや絶望があっても
    しっかり生きている感じ
    白痴や女性に対する
    憎悪や嫌悪があっても
    それは自分の怒りの投影であり
    そのなかで 支え合う姿には
    愛を感じます

  • 肉慾、肉慾、肉慾、、、
    うんざりするほど脂身だらけの描写。
    なのに、読むことを放棄しないのは
    通奏低音の堕落論に自分を見るからか。

  • 6冊目『白痴』(坂口安吾 著、1948年12月、1996年6月 改版、新潮社)
    坂口安吾の代表作「白痴」を含む、全7編が収録された短編集。
    全ての作品に共通して描かれるのは堕落と肉欲。
    人間の生の本質を、男女のまぐわいを通して描き出そうとする安吾。明確な答えを読者に提示するタイプの小説は一つとしてない。執筆をしながら作者本人が自問自答を繰り返し、その答えを探求しているかのような印象を受ける作品が揃っている。

    「火も爆弾も忘れて、おい俺達二人の一生の道はな、いつもこの道なのだよ」

  • 登場人物は、男女の肉体関係を、浮気を、戦争を愛する。それが正しいかどうかよりも、そういった小説のフィクション性が、現実の輪郭を際立たせること。というかなんなら「現実はフィクションを含む」ことを思い知らされる。

  • 大東亜戦争末期、敗戦直後の作品ならではの退廃感に満ちた作品群。 『堕落論』の実践、と言われる小説のようだが、堕落論を読んでいてもよく分からないところが多く、少々ぶっ飛んだ感ある。

    表題作の「白痴」では、ブラックジャックの「白痴」の回を思い出した。小学生の時に「白痴」ということばをそのとき初めて聞いたので。

    人間は堕落する生き物である、というよりは、楽をしたいプログラムが埋め込まれているから省エネで餓死せずに生き残ってきたのだろうとおもう。

  • 戦争。
    生と死が日常に戯れる環境下で、人間は克己心の拠り所をどう置くか?

    表題作『白痴』の、伊沢と言う男の歪んだ優越感を始め、数々の乱暴で頽廃的な思想には目を覆いたくなるが、決して背けてはならない。

    ただそこに生きた炎を。
    人それぞれが燃やす権利を。

  •  戦後すぐ無頼派と呼ばれ時代の寵児となった著者の短編集。どの物語も戦中、戦後の混乱・退廃を描いたもので通じるものがある。『堕落論』での「戦争に負けたから堕ちるのではなく人間だから堕ちるのだ、美なる真理を編み出すためには堕ちるべき道を正しく堕ちきることが必要だ」という主張を思いながら読んだ。どれも読んでいて楽しい類のものではないが、続きが気になり読ませるものがある。

     『いずこへ』『白痴』『母の上京』『外套と青空』『私は海をだきしめていたい』『戦争と一人の女』『青鬼の褌を洗う女』を収録。

    『いずこへ』
    自伝小説、ニート文学を超越した落伍者文学。

    『白痴』
    敗戦間近の蒲田の場末に暮らす映画演出家の男と、隣家の肉欲の塊のような白痴の女の「理知なき交流」を描く。『堕落論』の主張を作品化したものと言われる。

    『戦争と一人の女』
    空襲下のニヒリスティックな男女の物語。

    『青鬼の褌を洗う女』
    戦前から戦後を舞台に、一人の女性のたくましく生きる姿を描く。

  • ジャンクなまぜそばみたいな作品。デカダン派、無頼派というジャンルの先駆者だそうで、ねじ曲がった男女の情愛をもつれさせて絡ませてぐちゃぐちゃに混ぜて一気に飲み込ませようとする。無骨で野卑。だからまぜそば。あと読むと何だかやるせなくなるところも一緒。

    7編あるうち毛色が違うなと感じたのは「母の上京」で、これは動きがあるだけでなく考えさせられることが多かった。なかでも「花咲く木には花の咲く時期がある(86項)」は名言。坂口安吾の痴情がふんだんに盛り込まれているし、こんな文章実体験でもないと本当に書けない、ある意味ルポルタージュの域にあると思う。

    と、同時に母に対する情愛が描かれているのも特徴的。「世の常の道にそむいた生活をしていると、いつまでたっても心の母が死なないもので、それはもう実の母とは姿が違っているのである。切なさ、という母がいる。苦しみ、というふるさとがある(98項)」もぐっとくるなー。解説にもあるとおり、観念と現実の対比を鮮やかに描き出しているのは他作品にも共通するところ。

    観念と現実の対比。自分の欲望を他人に通して生きやすくすることが観念だとするなら、その通りに行かずもがき苦しむのが現実。噛み砕きすぎなのは重々承知。結果そりゃぁ退廃的で厭世的にもなりゃあな。ことそれが男女間であればよりビビッドに描けるぞということで、ことあるごとに狂った女性が出てくるのではないか。邪推にもほどがあるけど。

    事前に堕落論を読むことをおすすめします。作者が言いたいことを具体に落とし込んだものがこの「白痴」だと思うので。

  • 『私はそのころ耳を澄ますようにして生きていた』
    極度に物を所有したがらなく、1か月の給与を1日で無理にでも使い切ろうとする語り手は、複数の女たちの間で爛れるような生活を送る。
     /いずこへ

    『その家には人間と豚と犬と鶏と家鴨が住んでいたが、まったく、住む建物も各々の食べ物もほとんど変わっていやしない』
    井沢の住む町は安アパートが立ち並び、淫売や山師や軍人崩れが住んでいた。
    井沢の隣人は気違いで、気違いの母はヒステリイで妻は白痴だ。その白痴の妻が井沢のアパートに転がり込んできた…。
     /白痴

    『母親の執念は凄まじいものだと夏川は思った』
    郷土の実家との関係を断ち切ろうとする夏川だが、その母はどうやったか夏川のアパートを突き止める。
    アパートに帰るか帰らないか…そしてその生活を顧みる。
     /母の上京

    『二人が知り合ったのは銀座の碁席で、こんなところで碁の趣味以上の友情が始まることは稀なものだが、生方庄吉はあたり構わぬ傍若無人の率直さで落合太平に近づいてきた』
    一人の女を巡る男たち。
    脱がなかった外套とその向こうの青空。
     /外套と青空

    『私はいつも神様の国へ行こうとしながら地獄の門を潜ってしまう人間だ。ともかく私は初めから地獄の門を目指して出かける時でも神様の国へ行こうということを忘れたことのない甘ったるい人間だった』
    元女郎と暮らす男。私は一人の女では満足できない。私は不幸や苦しみを探す。私は肉欲の小ささが悲しい、私は海をだきしめていたい。
     /私は海をだきしめていたい

    『カマキリ親爺は私の事を奥さんと呼んだり姐さんと呼んだりした。デブ親爺は奥さんと呼んだ。だからデブが好きであった』
    私は昔女郎だった。今はある男と暮らしている。戦争中だけの関係。
    日本が戦争に負けて、男が全員殺されてもきっと女は生きる。
    でも可愛い男のために私は可愛い女でいようと思う。
    私は夜間爆撃に浮かぶB29の編成、そして被害の大きさに満足を感じている。
    男たちは日本中が自分より不幸になればいいと思っている。
    だから戦争が終わった時には戸惑いを感じたのだ。
    『私たちが動くと、私たちの影が動く、どうして、みんな陳腐なのだろう、この影のように!私はなぜだかひどく影が憎くなって胸が張り裂けるようだった』
     /戦争と一人の女

    『匂いってなんだろう?
    私は近頃人の話を聞いても、言葉を鼻で嗅ぐようになった』
    私の母は空襲で死んだ。
    私は私を迎えに来た男のオメカケになっている。
    私は避難所の人ごみで死ぬのなら、夜這いを掛けてきた青鬼に媚びて贅沢してそしていつか野垂れ死ぬだろう。
    すべてがなんて退屈だろう、しかし、なんて、懐かしいのだろう。
     /青鬼の褌を洗う女

  • これまで読んだどんな小説よりも、エロティックで背徳的。戦時下、常に死と隣り合わせの日常で、享楽を貪る男と女を描いた7編を収録。

    その中からいくつかの感想。
    「白痴」
    空襲の最中、男と女が押入れで息を殺しておびえている状況が現実感を伴って空恐ろしい。がなりたてるラジオ、警戒警報のサイレン、高射砲の音、B29の通り過ぎる音。照空灯の真ん中にぽっかり浮かぶ機影、真っ赤に色ずく夜空……
    畳み掛ける恐怖のイメージに鳥肌が立つ。戦争という言葉は、あまりに大きすぎて概念として捉えることしか難しいけれど、この物語はリアルに教えてくれる。

    「戦争と一人の女」、「青鬼の褌を洗う女」
    戦時下の日常において、自分の体をおもちゃにして遊ぶ女たちを描いた作品だ。
    ただ、己の肉欲のために肉欲の塊と化した女の匂い立つようなエロス。
    背徳的、官能的で、エロ小説以上にエロい。快楽のアリ地獄に落ちていきそうだ。苦しくて切なくて胸がふさがれそうな物語だ。

    肉欲でつながった相手の喪失感は、時に心でつながっていた相手の時よりもダメージが大きいのは、それは一点の曇りもない純粋さがそうさせるのだろうか。人間の理智なんて肉欲の前では簡単にひざまずいてしまうのだろう。

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著者プロフィール

1906年10月20日ー1955年2月17日

「2023年 『「新しい戦前」の時代、やっぱり安吾でしょ 坂口安吾傑作選』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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