白痴 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
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レビュー : 266
  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101024011

作品紹介・あらすじ

白痴の女と火炎の中をのがれ、「生きるための、明日の希望がないから」女を捨てていくはりあいもなく、ただ今朝も太陽の光がそそぐだろうかと考える。戦後の混乱と頽廃の世相にさまよう人々の心に強く訴えかけた表題作など、自嘲的なアウトローの生活をくりひろげながら、「堕落論」の主張を作品化し、観念的私小説を創造してデカダン派と称される著者の代表作7編を収める。

感想・レビュー・書評

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  • ジャンクなまぜそばみたいな作品。デカダン派、無頼派というジャンルの先駆者だそうで、ねじ曲がった男女の情愛をもつれさせて絡ませてぐちゃぐちゃに混ぜて一気に飲み込ませようとする。無骨で野卑。だからまぜそば。あと読むと何だかやるせなくなるところも一緒。

    7編あるうち毛色が違うなと感じたのは「母の上京」で、これは動きがあるだけでなく考えさせられることが多かった。なかでも「花咲く木には花の咲く時期がある(86項)」は名言。坂口安吾の痴情がふんだんに盛り込まれているし、こんな文章実体験でもないと本当に書けない、ある意味ルポルタージュの域にあると思う。

    と、同時に母に対する情愛が描かれているのも特徴的。「世の常の道にそむいた生活をしていると、いつまでたっても心の母が死なないもので、それはもう実の母とは姿が違っているのである。切なさ、という母がいる。苦しみ、というふるさとがある(98項)」もぐっとくるなー。解説にもあるとおり、観念と現実の対比を鮮やかに描き出しているのは他作品にも共通するところ。

    観念と現実の対比。自分の欲望を他人に通して生きやすくすることが観念だとするなら、その通りに行かずもがき苦しむのが現実。噛み砕きすぎなのは重々承知。結果そりゃぁ退廃的で厭世的にもなりゃあな。ことそれが男女間であればよりビビッドに描けるぞということで、ことあるごとに狂った女性が出てくるのではないか。邪推にもほどがあるけど。

    事前に堕落論を読むことをおすすめします。作者が言いたいことを具体に落とし込んだものがこの「白痴」だと思うので。

  • 『私はそのころ耳を澄ますようにして生きていた』
    極度に物を所有したがらなく、1か月の給与を1日で無理にでも使い切ろうとする語り手は、複数の女たちの間で爛れるような生活を送る。
     /いずこへ

    『その家には人間と豚と犬と鶏と家鴨が住んでいたが、まったく、住む建物も各々の食べ物もほとんど変わっていやしない』
    井沢の住む町は安アパートが立ち並び、淫売や山師や軍人崩れが住んでいた。
    井沢の隣人は気違いで、気違いの母はヒステリイで妻は白痴だ。その白痴の妻が井沢のアパートに転がり込んできた…。
     /白痴

    『母親の執念は凄まじいものだと夏川は思った』
    郷土の実家との関係を断ち切ろうとする夏川だが、その母はどうやったか夏川のアパートを突き止める。
    アパートに帰るか帰らないか…そしてその生活を顧みる。
     /母の上京

    『二人が知り合ったのは銀座の碁席で、こんなところで碁の趣味以上の友情が始まることは稀なものだが、生方庄吉はあたり構わぬ傍若無人の率直さで落合太平に近づいてきた』
    一人の女を巡る男たち。
    脱がなかった外套とその向こうの青空。
     /外套と青空

    『私はいつも神様の国へ行こうとしながら地獄の門を潜ってしまう人間だ。ともかく私は初めから地獄の門を目指して出かける時でも神様の国へ行こうということを忘れたことのない甘ったるい人間だった』
    元女郎と暮らす男。私は一人の女では満足できない。私は不幸や苦しみを探す。私は肉欲の小ささが悲しい、私は海をだきしめていたい。
     /私は海をだきしめていたい

    『カマキリ親爺は私の事を奥さんと呼んだり姐さんと呼んだりした。デブ親爺は奥さんと呼んだ。だからデブが好きであった』
    私は昔女郎だった。今はある男と暮らしている。戦争中だけの関係。
    日本が戦争に負けて、男が全員殺されてもきっと女は生きる。
    でも可愛い男のために私は可愛い女でいようと思う。
    私は夜間爆撃に浮かぶB29の編成、そして被害の大きさに満足を感じている。
    男たちは日本中が自分より不幸になればいいと思っている。
    だから戦争が終わった時には戸惑いを感じたのだ。
    『私たちが動くと、私たちの影が動く、どうして、みんな陳腐なのだろう、この影のように!私はなぜだかひどく影が憎くなって胸が張り裂けるようだった』
     /戦争と一人の女

    『匂いってなんだろう?
    私は近頃人の話を聞いても、言葉を鼻で嗅ぐようになった』
    私の母は空襲で死んだ。
    私は私を迎えに来た男のオメカケになっている。
    私は避難所の人ごみで死ぬのなら、夜這いを掛けてきた青鬼に媚びて贅沢してそしていつか野垂れ死ぬだろう。
    すべてがなんて退屈だろう、しかし、なんて、懐かしいのだろう。
     /青鬼の褌を洗う女

  • これまで読んだどんな小説よりも、エロティックで背徳的。戦時下、常に死と隣り合わせの日常で、享楽を貪る男と女を描いた7編を収録。

    その中からいくつかの感想。
    「白痴」
    空襲の最中、男と女が押入れで息を殺しておびえている状況が現実感を伴って空恐ろしい。がなりたてるラジオ、警戒警報のサイレン、高射砲の音、B29の通り過ぎる音。照空灯の真ん中にぽっかり浮かぶ機影、真っ赤に色ずく夜空……
    畳み掛ける恐怖のイメージに鳥肌が立つ。戦争という言葉は、あまりに大きすぎて概念として捉えることしか難しいけれど、この物語はリアルに教えてくれる。

    「戦争と一人の女」、「青鬼の褌を洗う女」
    戦時下の日常において、自分の体をおもちゃにして遊ぶ女たちを描いた作品だ。
    ただ、己の肉欲のために肉欲の塊と化した女の匂い立つようなエロス。
    背徳的、官能的で、エロ小説以上にエロい。快楽のアリ地獄に落ちていきそうだ。苦しくて切なくて胸がふさがれそうな物語だ。

    肉欲でつながった相手の喪失感は、時に心でつながっていた相手の時よりもダメージが大きいのは、それは一点の曇りもない純粋さがそうさせるのだろうか。人間の理智なんて肉欲の前では簡単にひざまずいてしまうのだろう。

  • 『いずこへ』
    どうしようもなくなった主人公が、ある小説の一節を思い出し、図書館へ行く。そこで手当たり次第に本の目録をめくるのだが。

    「俺の心はどこにあるのだろう? どこか、このへんに、俺の心が、かくされていないか?」

    これを読んだとき、まさに「これだ!」と感じた。本を読むという事は、なんだか、そういうことなのかもしれない。


    『私は海を抱きしめていたい』
    高校の教育実習で知り合った方が、この題名をいたく気に入っていたのがとても印象に残っている。
    曰く「なんて綺麗な言葉だろうと思った」。


    まあ、基本的にダメな男と女なんだけども。

  • 高校時代、すっげぇ好きだった。

    いま、あらためて読んでみた。
    「文人ってオトナになれん人なんやなー」と思いながら、やっぱ好きだった。

  • 秩序と無秩序を戦時中に書き表した小説。白痴を避け、忌み嫌っている一方で白痴を求め社会から逃げられない自分を卑俗なものとする主人公。心のどこかで世間の当たり前に辟易している自分と重なる部分があった。

  • 戦後すぐ無頼派と呼ばれ時代の寵児となった著者の短編集。どの物語も戦中、戦後の混乱・退廃を描いたもので通じるものがある。『堕落論』での「戦争に負けたから堕ちるのではなく人間だから堕ちるのだ、美なる真理を編み出すためには堕ちるべき道を正しく堕ちきることが必要だ」という主張を思いながら読んだ。どれも読んでいて楽しい類のものではないが、続きが気になり読ませるものがある。

    『いずこへ』『白痴』『母の上京』『外套と青空』『私は海をだきしめていたい』『戦争と一人の女』『青鬼の褌を洗う女』を収録。


    『いずこへ』
    自伝小説、ニート文学を超越した落伍者文学。

    「人間の生き方には何か一つの純潔と貞節の念が大切なものだ。とりわけ私のようにぐうたらな落伍者の悲しさが影身にまで泌みつくようになってしまうと、何か一つの純潔とその貞節を守らずには生きていられなくなるものだ。私はみすぼらしさが嫌いで、食べて生きているだけというような意識が何より我慢ができないので、貧乏するほど浪費する、一ヶ月の生活費を一日で使い果し、使いきれないとわざわざ人に呉れてやり、それが私の二十九日の貧乏に対する一日の復讐だった。…細々と毎日欠かさず食うよりは、一日で使い果して水を飲み夜逃げに及ぶ生活の方を私は確信をもって支持していた。私は市井の屑のような飲んだくれだが後悔だけはしなかった。」

    「私はまったく落伍者であった。私は然し落伍者の運命を甘受していた。人はどうせ思い通りには生きられない。桃山城で苛々している秀吉と、アパートの一室で朦朧としている私とその精神の高低安危にさしたる相違はないので、外形がいくらか違うというだけだ。ただ私が憂える最大のことは、ともかく秀吉は力いっぱいの仕事をしており、落伍者という萎縮のために私の力がゆがめられたり伸びる力を失ったりしないかということだった。」

    「私は新潟中学というところを三年生の夏に追いだされたのだが、そのとき、学校の机の蓋の裏側に、余は偉大なる落伍者となっていつの日か歴史の中によみがえるであろうと、キザなことを彫ってきた。もとより小学生の私は大将だの大臣だの飛行家になるつもりであったが、いつごろから落伍者に志望を変えたのであったか。」

    「貧乏を深刻がったり、しかめっ面をして厳しい生き方だなどという方が甘ったれているのだと私は思う。貧乏を単に貧乏とみるなら、それに対処する方法はあるので、働いて金をもうければよい。単に食って生きるためなら必ず方法はあるもので、第一、飯が食えないなどというのは元来がだらしのないことで、深刻でもなければ厳粛でもなく、馬鹿馬鹿しいことである。」

    「私は食うために働くという考えがないのだから、貧乏は仕方がないので、てんから諦めて自分の馬鹿らしさを眺めていた。遊ぶためなら働く。贅沢のため浪費のためなら働く。けれども私が働いてみたところでとても意にみちる贅沢豪奢はできないから、結局私は働かないだけの話で、私の生活原理は単純明快であった。」

    『白痴』
    敗戦間近の蒲田の場末に暮らす映画演出家の男と、隣家の肉欲の塊のような白痴の女の「理知なき交流」を描く。『堕落論』の主張を作品化したものと言われる。

    「要するに如何なる時代にもこの連中(新聞記者だの文化映画の演出家など)には内容がなく空虚な自我があるだけだ。流行次第で右から左へどうにでもなり、通俗小説の表現などからお手本を学んで時代の表現だと思いこんでいる。」

    「この戦争はいったいどうなるのであろう。日本は負け米軍は本土に上陸して日本人の大半は死滅してしまうのかも知れない。それはもう一つの超自然の運命、いわば天命のようにしか思われなかった。彼には然しもっと卑小な問題があった。それは驚くほど卑小な問題で、しかも眼の先に差迫り、常にちらついて放れなかった。それは彼が会社から貰う二百円ほどの給料で、その給料をいつまで貰うことができるか、明日にもクビになり路頭に迷いはしないかという不安であった。彼は月給を貰う時、同時にクビの宣告を受けはしないかとビクビクし、月給袋を受取ると一月延びた命のために呆れるぐらい幸福感を味うのだが、その卑小さを顧みていつも泣きたくなるのであった。彼は芸術を夢みていた。その芸術の前ではただ一粒の塵埃でしかないような二百円の給料がどうして骨身にからみつき、生存の根底をゆさぶるような大きな苦悶になるのであろうか。生活の外形のみのことではなくその精神も魂も二百円に限定され、その卑小さを凝視して気も違わずに平然としていることが尚更なさけなくなるばかりであった。」

    「ああ日本は敗ける。泥人形のくずれるように同胞たちがバタバタ倒れ、吹きあげるコンクリートや煉瓦の屑と一緒くたに無数の脚だの首だの腕だのが舞いあがり、木も建物も何もない平な墓地になってしまう。どこへ逃げ、どの穴へ追いつめられ、どこで穴もろとも吹きとばされてしまうのだか、夢のような、けれどもそれはもし生き残ることができたら、その新鮮な再生のために、そして全然予測のつかない新世界、石屑だらけの野原の上の生活のために、伊沢はむしろ好奇心がうずくのだった。それは半年か一年さきの当然訪れる運命だったが、その訪れの当然さにも拘らず、夢の中の世界のような遥かな戯れにしか意識されていなかった。」

    「戦争という奴が、不思議に健全な健忘性なのであった。まったく戦争の驚くべき破壊力や空間の変転性という奴はたった一日が何百年の変化を起し、一週間前の出来事が数年前の出来事に思われ、一年前の出来事などは、記憶の最もどん底の下積の底へ隔てられていた。伊沢の近くの道路だの工場の四囲の建物などが取りこわされ町全体がただ舞いあがる埃のような疎開騒ぎをやらかしたのもつい先頃のことであり、その跡すらも片づいていないのに、それはもう一年前の騒ぎのように遠ざかり、街の様相を一変する大きな変化が二度目にそれを眺める時にはただ当然な風景でしかなくなっていた。」

    「同じように落ちてくる爆弾でも焼夷弾と爆弾では凄みにおいて青大将と蝮ぐらいの相違があり、焼夷弾にはガラガラという特別不気味な音響が仕掛けてあっても地上の爆発音がないのだから音は頭上でスウと消え失せ、竜頭蛇尾とはこのことで、蛇尾どころか全然尻尾がなくなるのだから、決定的な恐怖感に欠けている。けれども爆弾という奴は、落下音こそ小さく低いが、ザアという雨降りの音のようなただ一本の棒をひき、此奴が最後に地軸もろとも引裂くような爆発音を起すのだから、ただ一本の棒にこもった充実した凄味といったら論外で、ズドズドズドと爆発の足が近づく時の絶望的な恐怖ときては額面通りに生きた心持がないのである。おまけに飛行機の高度が高いので、ブンブンという頭上通過の米機の音も至極かすかに何食わぬ風に響いていて、それはまるでよそ見をしている怪物に大きな斧で殴りつけられるようなものだ。攻撃する相手の様子が不確かだから爆音の唸りの変な遠さが、甚だ不安であるところへ、そこからザアと雨降りの棒一本の落下音がのびてくる。爆発を待つまの恐怖、全く此奴は言葉も呼吸も思念もとまる。愈々今度はお陀仏だという絶望が発狂寸前の冷たさで生きて光っているだけだ。」

    「女の眠りこけているうちに女を置いて立去りたいとも思ったが、それすらも面倒くさくなっていた。…微塵の愛情もなかったし、未練もなかったが、捨てるだけの張合いもなかった。生きるための、明日の希望がないからだった。明日の日に、たとえば女の姿を捨ててみても、どこかの場所に何か希望があるのだろうか。何をたよりに生きるのだろう。どこに住む家があるのだか、眠る穴ぼこがあるのだか、それすらも分りはしなかった。米軍が上陸し、天地にあらゆる破壊が起り、その戦争の破壊の巨大な愛情が、すべてを裁いてくれるだろう。考えることもなくなっていた。夜が白んできたら、女を起して焼跡の方には見向きもせず、ともかくねぐらを探して、なるべく遠い停車場をめざして歩きだすことにしようと伊沢は考えていた。電車や汽車は動くだろうか。停車場の周囲の枕木の垣根にもたれて休んでいるとき、今朝は果して空が晴れて、俺と俺の隣に並んだ豚の背中に太陽の光がそそぐだろうかと伊沢は考えていた。あまり今朝が寒すぎるからであった。」

    『戦争と一人の女』
    空襲下のニヒリスティックな男女の物語。

    「私はだいたい男といふものは四十ぐらゐから女に接する態度がまるで違つてしまふことを知つてゐる。その年頃になると、男はもう女に対して精神的な憧れだの夢だの慰めなど持てなくなつて、精神的なものはつまり家庭のヌカミソだけでたくさんだと考へるやうになつてゐる。そしてヌカミソだのオシメなどの臭ひの外に精神的などゝいふものは存在しないと否応なしに思ひつくやうになるのである。そして女の肉体に迷ひだす。男が本当に女に迷ひだすのはこの年頃からで、精神などは考へずに始めから肉体に迷ふから、さめることがないのである。この年頃の男達になると、女の気質も知りぬいてをり、手練手管も見ぬいてをり、なべて「女的」なものにむしろ憎しみをもつのだが、彼等の執着はもはや肉慾のみであるから、憎しみによつて執着は変らず、むしろかきたてられる場合の方が多いのだ。彼等は恋などゝいふ甘い考へは持つてゐない。打算と、そして肉体の取引を考へてゐるのだが、女の肉体の魅力は十年や十五年はつきない泉であるのに男の金は泉ではないから、いくらも時間のたゝないうちに一人のおいぼれ乞食をつくりだすのはわけはない。」

    『青鬼の褌を洗う女』
    戦前から戦後を舞台に、一人の女性のたくましく生きる姿を描く。

    「…私はしかしあのとき、もしこの火の海から無事息災に脱出できれば、新鮮な世界がひらかれ、あるいはそれに近づくことができるような野獣のような期待に亢奮した。翌日あまりにも予期を絶した戦争の破壊のあとを眺めたとき、私は住む家も身寄の人も失っていたが、私はしかしむしろ希望にもえていた。私は戦争や破壊を愛しはしない。私は私にせまる恐怖は嫌いだ。私はしかし古い何かが亡びて行く、新らしい何かが近づいてくる、私はそれが何物であるか明確に知ることはできなかったが、私にとっては過去よりも不幸ではない何かが近づいてくるのを感じつづけていたのだ。」

    「…実際は無一物など気にしていなかった。何も持たない避難民同士のなかから布団と毛布がころがりこむし、三枚の乾パンでは腹がペコペコだけれども、あしたはお米がくるというから、私は空腹よりも、こうして坐っていると人が勝手にいろいろ何とかしてくれるのが面白くて仕方がない。私はちょっとした空腹などより、人間同士の生活の自然のカラクリの妙がたのしい。窮すれば通ず、困った時には自然に何とかなるものだ…。」

    「私にとっては私の無一物も私の新生のふりだしの姿であるにすぎず、そして人々の無一物は私のふりだしにつきあってくれる味方のようなたのもしさにしか思われず、子供は泣き叫び空腹を訴え、大人たちは寒気と不安に蒼白となり苛々し、病人たちが呻いていても、そしてあらゆる人々が泥にまみれていても、私は不潔さを厭いもしなければ、不安も恐怖もなく、むしろ、ただ、なつかしかった。…新聞やラジオは祖国の危機を叫び、巷の流言は日本の滅亡を囁いていたが、私は私の生存を信じることができたので、そして私には困った時には自然にどうにかなるものだという心の瘤があるものだから、私は日本なんかどうなっても構わないのだと思っていた。私には国はないのだ。いつも、ただ現実だけがあった。眼前の大破壊も、私にとっては国の運命ではなくて、私の現実であった。私は現実はただ受け入れるだけだ。」

    「私は知っている。彼は恋に盲いる先に孤独に盲いている。だから恋に盲いることなど、できやしない。彼は年老い涙腺までネジがゆるんで、よく涙をこぼす。笑っても涙をこぼす。しかし彼がある感動によって涙をこぼすとき、彼は私のためでなしに、人間の定めのために涙をこぼす。彼のような魂の孤独な人は人生を観念の上で見ており、自分の今いる現実すらも、観念的にしか把握できず、私を愛しながらも、私をでなく、何か最愛の女、そういう観念を立てて、それから私を現実をとらえているようなものであった。私はだから知っている。彼の魂は孤独だから、彼の魂は冷酷なのだ。彼はもし私よりも可愛いい愛人ができれば、私を冷めたく忘れるだろう。そういう魂は、しかし、人を冷めたく見放す先に自分が見放されているもので、彼は地獄の罰を受けている、ただ彼は地獄を憎まず、地獄を愛しているから、彼は私の幸福のために、私を人と結婚させ、自分が孤独に立去ることをそれもよかろう元々人間はそんなものだというぐらいに考えられる鬼であった。」

    「女はどんな好きな人にでも、からだだけは厭だという、厭ではなくても厭だという、身をまかせたくて仕方がなくとも厭だといって無理にされると抵抗するような本能があり、私でもやっぱり同じ本能があって、私はしかしそれを意識的に抑えただけのことで、私はそんな本能はつまらないものだと思っている。女は恋人に暴行されたいのだ。男はその契りのはじめにおいて暴行によって愛人のからだと感謝を受ける特権がある…。」

  • “有終の美”へのアンチテーゼ

  • ★更新中★

    初・坂口安吾。青空文庫で読み進め中。

    ☆白痴
    現在は使われていない単語のため、具体的にどのくらいどういう状態を白痴と呼ぶのかは想像を巡らせるしかない。登場するとある女を明らかな白痴と表現しているけれど、物語を読んでいくと主人公本人も含めて、誰もが戦時下のどうしようもない中で、おかしな感じになっているのが物悲しい。
    私たちが多くの戦争作品で出会う「欲しがりません勝つまでは」のような美しい国民像とはかけ離れた、ひとつの本当の姿を描いた作品なんだと思う。
    途中で出てくるメディア批判にはニヤニヤさせられた。いつの世も意外と変わらないのかな。


    ☆母の上京
    ☆外套と青空
    ☆私は海をだきしめていたい
    ☆戦争と一人の女

    ★青鬼の褌を洗う女
    何だろう、お妾さんの子供がお妾さんとして生きていく様を一人称で淡々と語る、不思議な作品。モデルがいるのかなぁ…すごく身勝手に思えるのにちっとも憎めない、不思議な魅力を醸し出している女性なのだ。男の人の目線でこういう作品を書くの、難しそうだと思うけど、女性作家が書いたら「ちっとも憎めない」女性にはならないと思う。上手く説明できないけど。その感性というか、バランスというか、この主人公の立たせ方が際立っていた。

  • 表題作を含む7つの短編集。
    「私はそのころ耳を澄ますようにして生きていた。」
    「匂いって何だろう?」など、どの話も出だしの文章が特にかっこいい。
    『青鬼の褌を洗う女』が好き。

    希望がなくても生きていかなければならない人間臭さはわかるんだけど、
    現実と理想のギャップにもっとじたばたしている方が私は好みだ。
    お屠蘇気分で読んでいたので、きちんと読み取れなかったかも。
    またいつか読み返してみようと思う。

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著者プロフィール

新潟市生まれ。1919(大正8)年県立新潟中学校に入学。1922年、東京の私立豊山中学校に編入。1926年東洋大学大学部印度哲学倫理学科に入学。アテネ・フランセに通い、ヴォルテールなどを愛読。1930(昭和5)年同校卒業後、同人誌「言葉」を創刊。1931年に「青い馬」に発表した短編「風博士」が牧野信一に激賞され、新進作家として認められる。歴史小説や推理小説も執筆し、文芸や時代風俗から古代歴史まで広範に材を採る随筆など、多彩な活動をした。

「2018年 『狂人遺書』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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