地獄変・偸盗 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
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本棚登録 : 2017
レビュー : 175
  • Amazon.co.jp ・本 (190ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101025025

作品紹介・あらすじ

"王朝もの"の第二集。芸術と道徳の相剋・矛盾という芥川のもっとも切実な問題を、「宇治拾遺物語」中の絵師良秀をモデルに追及し、古金襴にも似た典雅な色彩と線、迫力ある筆で描いた『地獄変』は、芥川の一代表作である。ほかに、羅生門に群がる盗賊の悽惨な世界に愛のさまざまな姿を浮彫りにした『偸盗』、斬新な構想で作者の懐疑的な人生観を語る『藪の中』など6編を収録する。

感想・レビュー・書評

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  • 「地獄変」「薮の中」「六の宮の姫君」等、芥川龍之介の”王朝もの”6篇を集めた短編集。

    私は泥臭い人間の上に、劣等生気質じみた嫉妬深さがあるせいか、どうも芥川龍之介に対する「あこがれ」がないようである。
    理知的でかっこよく、格調高くてシャープな文体とその内容をうらやましいと思いはすれど、あまりそこに惹かれない。晩年の作品を読んでいないための思い込みだろうか?

    なんとなく、芥川龍之介は「あこがれ」られている人だなー、というイメージがある。
    そういう位置の人なのだろうなぁ、と、勝手に思ってしまっている。
    一言で言うと、なんだか身近に感じないのだ。彼の痛みは高尚すぎる気がしてしまうのかもしれない。

    なので、この短編集で私がもっとも好きだったのは「六の宮の姫君」だった。
    もとより評価の高い短編らしいが、私はこの作品をもっとも「生きてる」と感じた。「地獄変」ではその炎の熱さを感じなかった私だが、この短編では風の冷たさを感じた。氷よりももっと冷え冷えとした、雨の匂いを感じた。

    「あれは極楽も地獄も知らぬ、腑甲斐ない女の魂でござる。御仏を念じておやりなされ」  ――六の宮の姫君 より

    • Pipo@ひねもす縁側さん
      芥川の王朝ものはいいですね。華やかさはみじんもなくて、炎と冷たい雨とはねる泥、、吹きすさぶ風のイメージを持っています。

      自分がまるっきり凡...
      芥川の王朝ものはいいですね。華やかさはみじんもなくて、炎と冷たい雨とはねる泥、、吹きすさぶ風のイメージを持っています。

      自分がまるっきり凡庸な人間だからか、学生の頃からあの冷やかで克明な筆致が好きで、今でもたまにページをめくります。芭蕉の臨終の日を追った『枯野抄』もいいですよ。
      2012/03/05
    • 抽斗さん
      私はどうもその、芥川のシャープさが近寄りがたくて苦手(というのとも違う気がしますが)なのですが、「六の宮の姫君」はしみじみと情景が伝わってき...
      私はどうもその、芥川のシャープさが近寄りがたくて苦手(というのとも違う気がしますが)なのですが、「六の宮の姫君」はしみじみと情景が伝わってきました。
      『枯野抄』も、その設定に興味を惹かれました!「六の宮~」と同じ匂いがしそうで(笑)。機会があったら、手に取ってみたいと思います(^^)。めもめも。
      2012/03/06
  • 偸盗、面白かったです。芥川自身は悪作だと自嘲していたようですが、このストーリー展開や登場人物たちは女性陣たちは好きなのではないでしょうか。まさに解説に書かれているとおりメロドラマ風。ハマってしまいました。そして地獄変。芸術のために娘の死さえも犠牲にする絵仏師。なんとも恐ろしい。最後自分の命を絶ったのは、そんな彼にもやはり人の心は残っていたのでしょうか。いやはや、芥川龍之介すごいです。

  • 「偸盗」
    「羅生門」の続編ということで、読みたくなったので購入。(今更だけど)
    いやぁ、描写がすごい。面白い。

    沙金の生々しさ(色艶があって、肥っていて、美しい女って想像が出来ないけど……)に、やられる太郎・次郎兄弟。
    でも、太郎は沙金の心が持っていかれることに嫉妬を感じ、次郎は沙金が他人の身体と触れ合うことに嫉妬を感じる。ここって、ちょっと考える。
    それぞれの拠り所が心か、身体か、ということか。

    クライマックスのスピード感が半端ないし、阿漕の聖性が最後には沙金に勝る所も、好き。

    「竜」
    三月三日に猿沢池に行きたくなりました。

    「薮の中」
    超有名作。
    でも、三者三様というところ以外、忘れかけていたので、改めて読んでみた。
    結局、皆が男を殺したことになっている。
    男でさえも。
    誰もが自分ではない、と言い張るよりも、誰もが自分と言い切ることの罪を考える。

    「六の宮の姫君」
    意外にこの話が一番キツかった。
    母も父もいず、自分を見初めた男でさえ、単なる庇護者以上の愛を感じることが出来ない。
    抱かれることの喜びもなく。
    そうして、生きることに疲れてしまう姫君の生とは、一体何だったんだろう。
    最期、念仏を唱えることも出来ず彷徨う姫君を、誰が嘲ることが出来るんだろう。
    あまりに、「あり得る」結末で、怖かったし……そこに思い至る芥川も怖い。

    「地獄変」は言わずもがな。
    ちくま文庫版でレビューを書いたので省略。

  • 短編集だが、地獄変についてのみ感想。言い得て妙なタイトルで、良秀が描く絵と物語の中の現実がタイトルによってリンクしている。現実の「地獄」の方は娘の愛らしさ、健気さ、伺候の事情などと対比されて凄惨さが際立つ。この娘を含め、登場人物や事件の詳細は第三者の視点から丁寧な口調で語られる。良秀については「描く」という行為に付随する傲慢なまでの気難しさ、及び奇矯な振る舞いと娘を溺愛する様子が特化して言及されている。才能と執着の先に幸福の極致を見出そうとするのはバランス感覚を放置して生きているようなものだ。加えて彼は己の心を占めるものへの妥協とは無縁な男である。
    そのような人物にありがちな、自らの精神的要求をそのまま言動に表わした結果として良秀はパトロンと似たような立場にある大殿の不興を買う。目の前で牛車ごと焼き殺される愛娘を食い入るように見ている様は事を仕掛けた大殿には到底理解の及ばない範疇だったであろう。

    以前、或る存命の日本画家がこれ以上一筆でも加えれば絵が崩壊する寸前まで筆を入れるという旨のことを語っていた。画家とはこのように手掛ける一枚の絵ごとに艱難辛苦の道のりと果ての登頂を繰り返している人々なのだと思う。しかし良秀はそうではなかった。
    絵筆を握り続けた人生で、彼が確とした登頂感を得たのは恐らく最後の地獄絵図だった。そしてその登頂感は到達した本人が二度と経験できないと即座に理解してしまう類のものだったのだ。
    この「絵」は娘が命を散らした時点で完成していたのではないだろうか。彼は現世の地獄を目に焼き付け、脳裏に描き切った。筆に乗せ、紙に写す作業は昇華である。最後の仕上げである。それより後は「崩壊」であった。いくら他者から絶賛されようとも、満足とは程遠いものが出来上がるに違いない。良秀はたった一度だけの最上級の満足を知ってしまった。描き続ける意味は、もうない。

    良秀の自死という結末は当然だ。絵筆を折るということは、自分の半身、否、その身の殆どを失ったと同義である。その上娘は死に、この世に彼を縛り付けるものはもうなかった。
    キリスト教と違い、自死は仏教では厳罰の対象ではない。釈迦も場合によっては自死を容認しているとする叙述もあるようだ。そして日本では自らの矜持を保つために、或いは身の潔白を証明するために命を絶つということは一種の美しさを持つ誇り高いことという認識があり、良秀のようにある境地に達したから生きるのをやめるといった死に方も黙認されていた。自死を選んだからと言って非難される土壌ではない。極楽には行けないであろうが、かといって地獄に落ちるという確実性もない。しかしそれでも、良秀は自ら望んで地獄道に落ちて行ったように思える。
    もし娘が生きていれば、案外以降の人生を単なる変わり者の男として生き延びた可能性もないではない、とも思う。しかしあの女房が娘でなければ地獄の絵は登頂点になり得なかったであろう。良秀は砂で出来た坂を這い上がるような心持で、他者からは瞠目されながらも自身では不足を感じる絵を不機嫌な面持ちで描き続けていたのではないか。
    生きるも地獄、死ぬも地獄。
    顛末の不条理よりも業について考えさせられた一編だった。

  • そういえば、今まで芥川って王朝物しか読んだことないかも。今度王朝物以外も読んでみたい。それで読んでみた本書。いくつかはぼんやりと読んだことがあるのか、知っているような話。この手の小説(特に「偸盗」なんか)は、読了後「で?」って感じる。それはつまり、いつも読んでいるような現代の小説は読者へのサービス精神が多めで、気づかないうちにどうしてもそれを期待してしまっているということなのかも。「竜」は今で言うとフェイクニュースで、いったんオープンになってしまうとニュースを流した張本人でさえ制御が効かなくなるという、現代でも十分ありそうな展開。

  • 今まで読んだ本の中で一番強烈で、一番面白く、一番スリリングで惹きつけられた物語が芥川の『地獄変』。
    暗いし、怖いし、結末は悲惨だし、なんでこの話がこんなに好きなのか、と自分でも思うけど、初めて読んだ時から心をわしづかみにされた。
    炎に包まれた牛車が目の前に鮮やかに描き出されるようで、その迫力には何度読んでも息をのんでしまう。
    大好きな、大好きな、物語。

  • (1999.08.14読了)(1998.09.04購入)
    (あ-1-2)
    収録作品
    ・「楡盗」
    ・「地獄変」
    ・「竜」
    ・「往生絵巻」
    ・「薮の中」
    ・「六の宮の姫君」
    「これらの諸篇は、すべて『今昔物語』もしくは『宇治拾遺物語』の説話集に出典をあおいでいる。」(213頁)
    『今昔物語』からの作品:「楡盗」、「往生絵巻」、「薮の中」、「六の宮の姫君」
    『宇治拾遺物語』からの作品:「地獄変」、「竜」

  • 地獄変に関して、物語の大すじ以外、古典的描写に僕は少し退屈だが、映像化できれば楽しいだろう。偸盗はよい。野党の汚い世界だが、随所に挟む空模様で、景色の限られた古来日本の風景に広がりを持たせている。全肯定はできないが、気持ちのつながりより、血のつながりを感じた。

  • たしかこの中に、「袈裟と遠盛」が入っていたような。
    耳元で犇めき合う言葉のやり取りが、いいんだよね。
    二者のそれぞれの思惑が手に取るようにわかる描写が最高に好き。

  • 1.偸盗
    京の都に暗躍する盗賊団一味の話。ストーリーは「羅生門」「藪の中」ともリンクしており「藪の中」で悪事を働く盗賊の多襄丸もこの盗賊団の一員として登場する。
    個人的に、この小説に収録されている「地獄変」や「藪の中」に劣らぬ作品だと思います。
    改めて、芥川龍之介という作家の偉大さをまざまざと見せつけられる。美しい日本語を使った表現力の数々に圧倒されます。

    2.地獄変
    20年ぶりに読みましたが、やはり名作。
    劇画家、池上遼一の「近代日本文学名作選」で「地獄変」を読んだのも同時期だったので思い出深い。
    芥川龍之介の文体を好きになるきっかけとしては「蜘蛛の糸」と並んで好きな作品。
    芥川文学の初期から中期作品あたりの敬語を使った美しい言い回しは唯々格好良いですね。
    美しい敬語を使った言い回しが格好良すぎる。

    3.竜
    「嘘から出た実」の様な話。
    虚言である龍神を当人を含めた観衆全てが「己が望むものを見る(見た)」という話。
    世界はあなたが望むようにある。

    4.往生絵巻
    阿弥陀仏よや。おおい。おおい。
    声に出して読みたくなる短編。
    コミカルで面白い。

    5.薮の中
    当時、黒澤明「羅生門」を観た後にこの小説を読んだので、すぐに作品名と内容のトリックに気付きました。
    では芥川文学の「羅生門」とは一体どんな話なのだろうか?とまずは思いました。
    下の文章を20年振りに読んで、初めて読んだ学生時代と同じ様に、やっぱり心が揺さぶられました。

    「あの人を殺して下さい。」
    ――この言葉は嵐のように、今でも遠い闇の底へ、まっ逆様さかさまにおれを吹き落そうとする。
    一度でもこのくらい憎むべき言葉が、人間の口を出た事があろうか?
    一度でもこのくらい呪のろわしい言葉が、人間の耳に触れた事があろうか?
    一度でもこのくらい、――

    6.六の宮の姫君
    何の救いもない話ですが、生き方を考えさせられるので好きです。
    「父母の教へ通り、つつましい朝夕を送つてゐた。それは悲しみも知らないと同時に、喜びも知らない生涯だつた」
    「わたしはもう何も入いらぬ。生きようとも死なうとも一つ事ぢや」
    「あれは極楽も地獄も知らぬ、腑甲斐ふがひない女の魂でござる」

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著者プロフィール

小説家(1892-1927)。東京帝国大学文科大学英文学科卒業。創作に励むかたわら、大阪毎日新聞社入社。「鼻」「蜘蛛の糸」など数多くの短編小説の傑作を残した。1927年、服毒自殺。

「2020年 『羅生門・鼻・蜘蛛の糸 芥川龍之介短編集 Rashomon, The Nose, The Spider Thread and Other Stories』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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