清兵衛と瓢箪・網走まで

  • 新潮社 (1968年1月1日発売)
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本 ・本 (276ページ) / ISBN・EAN: 9784101030043

感想・レビュー・書評

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  • 申し訳ないけれど、作者のクズさが登場人物に出ててよかった。大体祖母の出るお話の主人公は作者なんだろうなと思う。
    クズさの生々しさがいい感じ。
    最後のお話は地元を想像して読んでたけど、思い切りそうだった。

  • 読み終わった他の本に比べて、後味が悪いというかスッキリしない話の割合が多かった気がする。登場人物が破滅的というか。若い頃に書かれたものが多いようなので、その影響も出ているのかな。

  • 解説にて日本近代文学者の高田瑞穂氏はこの作品集の作品ごとの感想を述べたあと、志賀直哉の作品性についてこう述べる。「......直哉の作家的自我確立の営みが、終始自己に誠実なものであったことは明らかであろう。直哉はあくまで自我中心的であった。」ここで浮き彫りになる直哉の自我中心である姿勢というのに、何かを感じずにはいられない。私には二十四歳の今の段階で、師や父というものを持てないのではないか、という考えが湧き上がってくる。自分が自分であろうとするほど彼らの考えと容赦なくぶつかり、失望させているのではないか。そんな私の不安めいたものともいえる気持ちに、志賀直哉の作品らがやさしく寄り添ってくれているようである。
    さて個々の作品についてはどうだろう。改めて目次を開き、各題名をみると、「彼と六つ上の女」「母の死と新しい母」を特におもしろく読んだ覚えがある。どうやら私は志賀直哉の女性に対する眼差しがつよく現れている作品が好きらしい。前に読んだ『小僧の神様・城の崎にて』のときも「佐々木の場合」などをおもしろく読んだ。はじめはその相手に羨望を覚えているのが最後には落ち着いていく、またはその女性を元の姿として視界に収めようとする成り行きに心の底で頷いている。なんだか女性というものに対する青年期の男性のひとつの答えのように私には思える。初読のときに目に留まるのはついついこんな作品たちばかりになる。

  •  楽しみにしていた「剃刀」はオチにおおおおおお?となった。いや、そんな意外なオチじゃなかったかもしれないが、とりあえず驚いた。
     自伝的小説の「母の死と新しい母」は好みだ。
     自己の内面世界と感覚を見つめた描写、だからどうしたよ、という話ラッシュにお思えて、未だにその良さがぴんと来ていない。
     「彼と六つ上の女」や「濁った頭」などの簡単な筋がある話に惹かれる。
     取り扱いテーマと話の結末を知り、自伝的小説が多いと聞くと、この作家、生き辛そうよなと思う。この作家、書き辛そう、でもあるか。

  • 高校生の時に授業で「城之崎にて」を読んで苦手だなぁと思った。
    最近チラホラ断片的に読んで、今ならイケるかも?と読んでみたけど、相変わらず志賀直哉は私に冷たかった。ページから目を背けたくなるほど痛そうなのはだめだなぁ。
    それでも、予測不能の展開や心情描写はおもしろかった。

  • 「快楽原則」の人。文体においても、行動においても。そしてひたすら「見る」人。視点人物の「見る」という動作がしゃんと肉体に結びついている。見続けると目が疲れるという当たり前のことを書ける作家。ヌーヴォー・ロマンの連中とは決定的に違う点。

    ロマネスクな作品の方が出来がよい。「菜の花と娘」「剃刀」「正義派」「范の犯罪」。家族物は偽善者ぶりが発揮されてつまらない。「濁った頭」は糞。

  • 志賀直哉著『清兵衛と瓢箪 ; 網走まで 57刷改版』(新潮社)
    1968.9発行
    1999.9改版発行

    2020.9.10読了
     志賀直哉(1883-1971)の初期作品を収める。志賀直哉は人道主義・理想主義を旗印とする白樺派として知られているが、自分は少なくともこの短編集から人道主義的要素を見出せなかった。むしろ作者のエゴイズムが前面に押し出されていて、読む者に強烈な印象を与える。エゴイズムへの挑戦とその挫折が全編を貫く彼の系譜だと感じた。自我肯定と社会倫理がうまく調和すれば「出来事」のような心地よい一体感も出てこようが、どちらかというと志賀直哉はエゴが最も尖鋭化する性欲やロマンティック・ラブをテーマにした短編を多く書いているようだ。濃淡はあるが、「網走まで」のように青春の一コマで済むようなものもあれば、「彼と六つ上の女」のように溺れることもある。我執も度が過ぎれば憎しみに変質するだろう。行きすぎれば破滅願望へと転落し、果ては監獄か瘋癲院か。若い頃の志賀直哉はどうもそういう気質があったように思われる。
     志賀直哉の初期作品は後年の「城の崎にて」に代表されるような簡潔でリアリズムに徹した文体となっていない。ところどころくどい文章も散見される。だが、作者の鋭敏な観察眼によって人間の底深い部分が抉り出されて明々と解剖台に晒されているのは事実だ。己の感情をまるで私屍を晒すような大胆さで写実している。現実の流れる時間の中では摑み損ねてしまうような一瞬一瞬の感情の変化・推移を見事に小説世界に閉じ込めてしまっている。細に入って観察し、それを大胆に表す。これが後年の完成された文体の秘訣か知らん。

    https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000136-I1130282271215086208

  • かなり良い

  • 志賀直哉の初期の作品集。
    1番初めの小説が「暗夜行路」だと思ってたけど、違った。

    胸糞悪いものも、あった(剃刀や濁った頭、児を盗む話)。

    反対に、好きなものは「菜の花と小娘、網走まで。」

    「清兵衛と瓢箪」では、おい周りの者々、清兵衛くんにもっと理解を示さんか、という感想を抱いた。

  • 志賀直哉初期の短編集。時代は明治から大正にかけて。

    教科書に出てくるような作家なので、敬遠しがちだったが、読んでみるととても面白い。

    表題作の2つもこんな話だったのねと面白く読めた。

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著者プロフィール

志賀直哉

一八八三(明治一六)- 一九七一(昭和四六)年。学習院高等科卒業、東京帝国大学国文科中退。白樺派を代表する作家。「小説の神様」と称され多くの作家に影響を与えた。四九(昭和二四)年、文化勲章受章。主な作品に『暗夜行路』『城の崎にて』『和解』ほか。

「2021年 『日曜日/蜻蛉 生きものと子どもの小品集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

志賀直哉の作品

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