暗夜行路 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (640ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101030074

感想・レビュー・書評

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  • 荘厳なもの。一言で表すなら、こうしかない。
    初めて読んだ時は、話の理解に苦しむが、時間をかけて読むと、味わいが深くなる。
    場面描写も、非常に繊細で情景を浮かべながら、読むことができる。特に、終盤の大山の自然の情景は読む者に、自然の超然さ、荘厳さを与えてくれる。
    内容としては、主人公は終始、苦悩と葛藤の繰り返しであり、途中、平安を得るも脆く崩れ落ちる。絶望の底のような心境のなか、大山の雄大な自然に包まれ、自分の抱いてきた、苦悩と葛藤に終止符をうち、物語は終劇へと幕を下ろす。
    近代文学の最高峰とも呼ばれているので、とても読み応えはあるが、長編で内容が少し暗いため、
    休憩しながら、読むことを勧めます。
    駄文ですが、失礼します。

  • 再読。
    最初の謙作の女遊びのあたりは全然覚えていなかった。見る女見る女に淡い恋心を覚え、恋とは言えないまでも心にかかってくる感じ。芸者の登喜子に惹かれて何かと口実をつけて通いつつ一喜一憂する感じ。次第にそれで物足りなくなって、ただ芸者と遊ぶのではなく放蕩淫蕩に傾くこと。リアルな青年の姿に感じた。
    その生活から抜け出すべく一人赴いた尾道で、ずっと一緒に暮らしてきた祖父の妾お栄への結婚を申し込み、反対に出生の秘密を知らされる。父との確執はここがピークで、後篇では語られない。
    時代かもしれないけれど、謙作の結婚の申し込み(愛子、お栄、直子)はいずれも、本人が兄に相談し、その後は全部人任せだ。それが謙作の奥手なところなのか、そういう時代だからなのか、そもそも謙作は奥手なのか積極的なのかわからない。謙作は好き嫌いがわりにはっきりしていて、結構気分屋。不機嫌になったり不愉快になったりしているけれど、ノンアサーティブなわけでもなく、違和感があると結構突き詰める性格だと思う。前読んだ時は、現代版源氏物語のような、自分勝手な暴君としての謙作が印象に残ったが、そうではなくて、普通のやや気難しく気分屋な、普通の男、という感じがした。謙作の思索、論理的な思考と、感情的な部分とが同居したリアルな人間が感じられる。

  • かなり昔に読んだときは、内容を理解しがたくて途中で断念。社会人になって色々な経験をしてから読むと面白い、興味深い作品です。夏目漱石が志賀直哉を評価するのもなんとなく分かるような気がしてきました。

    この作品は主人公の出生や結婚した相手との関係性について語られる主人公の日記のような感じで進んでいきます。ウジウジした感情が続く部分、話の盛り上がりや中心となるようなテーマが見られるわけでもないまま終わる感じです。でも、この作品を読みながら、頭の中に主人公の見ている情景や主人公にいる場所の情景などを思い浮かべながら余韻に浸るのがこの作品の楽しみ方のように思いました。

    色々と経験した年齢になってから、再度手にとってみてください。一度は最後のページまで読む価値あると思います。

  • 「暗夜行路」そして「小僧の神様」をはじめとする短編、随筆を次々と読んで、いまとても感動している。
    すぐれた小説家の手にかかると、一匹の蜂の死骸から、ペットのウサギから、雨の音、風の冷たさ、日照りの温度から海の色まで、どうしてこんなに心を掴むんだろうと思う。

    志賀直哉については特に先入観もなく、この本も長いから暇潰しに。位の気持ちで手に取ったが良い意味で裏切られた。
    前編では謙作の東京での生活を読んでいるのが退屈で、芸者通いと飲み歩きと、書こうとしても書けない小説と、こういう話がえんえん続くのかなと思ったけれど、尾道に旅に出るあたりからとても面白くて、一字一句のがすまいという気持ちで読んだ。

    主人公、謙作がふたつの困難に出会うのがストーリーの骨子である。
    ひとつは自身の出生の秘密についてで、ふたつめは妻がそのいとこと過ちを犯すというものだ。

    謙作は思い悩む。けれど筆者の書き方が、善と悪の対比のような単純な価値観に全然行き当らないので、私たちはいっそう惹きこまれるのだと思う。
    志賀直哉の文章には西洋・東洋のいずれにしろ、「教え」とか「信仰」を感じさせないところがある。

    そのかわり作中には謙作が自分の足で歩いたこと、見たままの風景、寺社や絵画に感じたことがつまびらかに書かれている。

    特に、最後のあたりの大山の景色はすごい。謙作はその大きな自然の中で自身を「芥子粒」のような存在だと思うにいたり、ラストでは謙作が生きるも死ぬも自然のまま、という終わり方になっている。

    この締めくくりには深みを感じた。
    あとで読んだ志賀直哉の別の短い文章に「ナイルの水の一滴」というのがあり、それがこのシメによく通じていると思うので引用しておく。

    ”人間が出来て、何千万年になるか知らないが、その間に数えきれない人間が生れ、生き、死んでいった。私もその一人として生れ、今生きているのだが、例えていえば悠々流れるナイルの水の一滴のようなもので、その一滴は後にも前にもこの私だけで、何万年遡っても私はいず、何万年経っても再び生れては来ないのだ。しかもなおその私は依然として大河の水の一滴に過ぎない。それで差支えないのだ。”

    「それで差支えないのだ」という結び方が、とても力強くて好きだ。

  • 前半はなんだかぐだぐだと女遊びをするだけで、ろくに働きもせず、いいご身分だなあなどと思っていた。とにかくこの時代の小説を読むと、働きもせず、女中を雇って食べていけているというのが不思議で仕方ない。そんな中、尾道滞在から出生の秘密、次第に話が展開していく。後半、京都に来るようになってからは僕自身に土地勘もあるため話は楽しく読める。鴨川沿いの風景、結婚。このあたりからやっと話はおもしろくなっていく。子どもが生まれ、死ぬ。韓国旅行から帰国。妻の不義の告白。自分自身も母の不義の上でできた子であった。妻の新たな妊娠、疑い。生まれてきた子どもに何の罪もない。自分の子どもだと信じたい気持ち。妻を許したいという気持ち。それとは裏腹な行動。電車に遅れそうになって飛び乗ろうとした妻を押し倒す。頭で考えていることと、心で感じていることと、行動と、それらがうまくかみ合わない。自分で自分をうまくコントロールできなくなっていく。しばらく家を離れる。城崎から大山へ。このあたりも僕自身の体験に引き付けて読み進めることができる。玄武洞、三木屋、中海、大根島。残念ながら大山には登ったことがない。今後もその機会はないだろう。年に4回はその姿をながめているのだが。途中下山、発熱、死の淵へ。妻との再会、そして・・・。阿川弘之の解説を読んで初めて知った。夏目漱石に朝日に書くよう勧められていた志賀は、うまく書き上げることができずに義理を果たせていない。芥川龍之介や和辻哲郎も志賀のことを認めていたという。そして、なんと和辻は夏目門下であったのか。ところで、もう1人の解説者が、主人公謙作は大山山頂で次第に明けていく下界の風景を見て感動していると書いているが、謙作は腹の具合が悪く、途中でリタイアしたのではなかったか。まだまだ先は長かったはずで、とてもとても山頂まで上がれるような人物ではなかった、中途半端でとても何かを成し遂げられるような人物ではなかった、というのが本書を通して僕がこの主人公に対して持った印象であった。

  • 博多の水炊きみたいな作品。ダシのきいたベースに食感の変化が鮮やかで、ボリュームがあるように思えた具材もすっきりと食べ終えることができた。

    イライラは終始するんだけど本当に怒るべきところで怒ることができない人っているよね。明らかな相手の過ちに対して「過ぎたことは仕方がない&拘ることは全方向においていい結果にならない」とか努めて冷静にいうくせして、自分の思い通りにならない些細な事に終始イラっとして不機嫌になっちゃうあたり、愛らしさのない不器用さが主人公にはある。

    なんだか睡眠についての描写がやたらと多い気がした。まずもって神経質でワガママっていう設定の時点で快眠に縁のない人種だとは思ったけど、幸せを求めようとする程度には人間的で、伯耆大山の山肌と一体になったかのように朝を迎えるシーンなんか彼の作中ベスト睡眠ではないか(病に倒れただけだが)

    にしても時任氏は直子さんに出会えて本当に良かった。彼が「自分で自分のために」引っ張り出し続けた過去の因縁は、人生に苦悩する理由を正当化してくれるいわば呪われた武器のようなもので、その武器によるダメージを一手に引き受けながらもなお寄り添い続けた直子さんの真心が、時任氏の呪いを徐々に解いていってくれたんだろうな。そういう意味で「心から赦した」のは時任氏ではなく直子さんの方だと思うけども。

    巻末の解説にもあるけれど、確かにこれは恋愛小説だったなと読み終わって振り返って見てそう感じる。愛を表現できない不器用な男と健気な女性の物語。面白かった。

  • 遂に読み終わった、という気持ちがとても強いです。寂しい余韻が心を包んでいます。

    初めはなかなか読みづらく、時代背景もイマイチつかめない(多分1910〜1920年頃、韓国併合が行われ、満州事変の前くらいと思う)ので、途中で読むのをやめようか悩みました。しかし、だんだん文章のリズムにも慣れ、話に入り込めるようになり、最後まで読み切りました。

    主人公の時任謙作は真面目で真っ直ぐな性格、負けず嫌いで、せっかちでむっつりな性格。気取った主人公でないからこそ、親しみもあり、同時に共感できる部分もたくさんありました。
    信行の気持ちや性格もよくわかります。とても長男らしい考え方で自分も家の長男なので気持ちの面で共感できる部分がありました。

    景色、風景の表現がとても綺麗で、謙作の目線をそのままに描いており、これが写実的と言われる表現なのだなと良い経験になりました。(芥川龍之介が志賀直哉の小説は純粋だと評価している)

    個人的に好きなシーンは登場人物の手紙の内容です。手紙から登場人物の心からの訴えがすごく伝わる。文章に迫力があり、とても引き込まれます。

    私はこの小説をジャンル分けするなら、青春小説だと思います。謙作に襲いかかる全ての出来事に対し、葛藤し思い悩み成長する。思い立つ行動力や恋も、時代的な部分はありますが、今どきな言葉で言うとその行動全てが青春と言えるのではないでしょうか。
    …うーん、なかなか感想を書くのが難しい。

    読了には時間がかかりましたが、私はこの作品を読めてとても良かったです。人生おいて必読とは言いませんが、この作品を読む事は人生において無駄な経験と時間では決してないです。なので、気が向いた時にはいい機会だと思って、一度手に取って読んでみる事をオススメします!

  • 自らのための備忘録

    まず、新潮文庫で本書を読もうとする読者にお伝えしたいのは、「決して裏表紙の紹介文を読んではならない」ということです。これほどヒドいネタバレは私の知る限りありません。新潮文庫の編集部に抗議したいほどの紹介文です。

    いやはや。
    志賀直哉という人物をこれまで私はある種の神格化をしていたのだと思い知った作品でした。これが誰かのブログだったら馬鹿らしくて途中で読むのをやめていたに違いないと感じました。文豪志賀直哉の作品だということで最後まで読んだのだけれど、主人公の性格のひどさにはまったく驚いてしまいました。明治という時代ならば、この男の特権階級意識は特別視するほどのこともないのかも知れませんが、まあ関わり合いにはなりたくない男だと思いました。(特権階級というのは、成年男子だということと、小金を持っている階級の出であるということ程度なのですが)

    『小僧の神様』や『城の崎にて』は昔おもしろく読んだので、今回、城崎温泉に旅行に行ったので、それではと本書を手に取ったのですが、私にとっては衝撃的なつまらなさでした。いえ、つまらないばかりではなく、腹立たしい小説でした。ぐずぐずと煮え切らず、ろくに仕事もせずに芸者遊びに明け暮れて、癇癪持ちで、妻に手を上げるDV亭主で、節操がなく、何かといえば人のせいににし、まあ簡単に言えば不愉快な男が主人公の小説でした。

    愛子さんへの縁談申込みの際の主人公の周囲への逆恨み、長年世話になったお栄さんと関係にも呆れましたが、直子が汽車に駆け乗ろうとした時のエピソードには心の底から怖ろしいと感じました。

    最後に追い討ちをかけたのは本人による「あとがき」でした。《主題は女のちょっとしたそういう過失が、——自身もその為苦しむかも知れないが、——それ以上に案外他人をも苦しめる場合があるという事を採りあげて書いた》という一文には唖然とさせられました。

    今日なら犯罪被害者と認定されるような女性に対し、「過失によって他者を苦しめる女」と位置付けるなどまったくもって不愉快極まりない小説でした。他責にも程があります。

    百年経ってもこの小説を出版し続ける意味がさっぱり理解できませんでした。

    敢えて本書の長所をあげれば、明治時代の芸者というのは、今のキャバクラ嬢のような存在だったというのがわかるなど、時代が書き込まれていることでした。

  • 主人公の謙作がマザコン性欲野郎で気持ち悪い。実母に甘えたかったという気持ちと肉欲の混じったものを周囲の全ての女性に向けるので、「あの幼子を連れた母親は美しい」とたまたま見かけた人(既婚)を見たりしている。
    幼馴染の愛子に結婚の申し込みをして断られたのは、準備不足が大きいだろ。普段仕事している様子もなく、芸者に入れ上げたりして遊んでるだけだし。本人へ直接気持ちの確認もしてないのに外堀を埋めようとする失礼なやつだから、この結婚しなくて正解。
    お栄にも同じ意気地のないことをしているし、衝撃の事実が判ったら今度は仲介してくれた信行に対してツンケンしてるし。
    謙作だけが色欲強すぎて悩んでるのかと思ったら、親も嫁もそんな悩みがあるんかい。
    暗夜行路は悩みで悶々する主人公の迷いのことを指していると得心した。

  • 2021夏の読書。
    序詞の文章のキレの良さがまずすごい。
    前篇の終わり方の「豊年だ!豊年だ!」は割と衝撃的に淫靡。
    後篇の最後で突然視点が切り替わるところで普通に声が出た。

    結局のところ抗うことのできないことが次々と起こる人生を受け入れて生きるということを言っている、とまとめてしまうのは乱暴だろうか。

    主人公、母親、祖父、お栄さん、直子、お由、竹さん、みんな置かれたところで必死に咲こうとしている花のよう。

    大山の夜明けの描写は良い。山陰に旅に行きたくなる。

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著者プロフィール

志賀直哉

一八八三(明治一六)- 一九七一(昭和四六)年。学習院高等科卒業、東京帝国大学国文科中退。白樺派を代表する作家。「小説の神様」と称され多くの作家に影響を与えた。四九(昭和二四)年、文化勲章受章。主な作品に『暗夜行路』『城の崎にて』『和解』ほか。

「2021年 『日曜日/蜻蛉 生きものと子どもの小品集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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