牛肉と馬鈴薯・酒中日記 (新潮文庫)

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101035024

感想・レビュー・書評

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  • ⚫︎感想
    「牛肉と馬鈴薯」
    思想短編。経済の奴隷にも労働の奴隷にもなりたくはない。そういう二者択一の「習慣(カストム)の眼」から逃れて、「驚き」をもって屹立したいという主義を述べたもの。

    「即ち僕の願はどうにかしてこの霜を叩き落さんことであります。どうにかしてこの古び果てた習慣の圧力から脱がれて、驚異の念を以てこの宇宙に俯仰介立したいのです。その結果がビフテキ主義となろうが、馬鈴薯主義となろうが、将た厭世の徒となってこの生命を咀うが、決して頓着しない!」

    「ヤレ月の光が美だとか花の夕が何だとか、星の夜は何だとか、要するに滔々たる詩人の文字は、あれは道楽です。彼等は決して本物を見てはいない、まぼろしを見ているのです、習慣の眼が作るところのまぼろしを見ているに過ぎません。感情の遊戯です。」



    ⚫︎あらすじ(本概要より転載)
    「近代的短編小説の創始者」独歩の中・後期の名作を収録。

    理想と現実との相剋を超えようとした独歩が人生観を披瀝する思想小説『牛肉と馬鈴薯』、酒乱男の日記の形で人間孤独の哀愁を究明した『酒中日記』、生き生きとした描写力を漱石がたたえた『巡査』、ほかに『死』『富岡先生』『少年の悲哀』『空知川の岸辺』『運命論者』『春の鳥』『岡本の手帳』『号外』『疲労』『窮死』『渚』『竹の木戸』『二老人』。詳細な注解を付す。

  • 岩波文庫の『運命』という短編集を読んで、その中の「運命論者」が強く印象に残っていた。また、教科書に載っていた「忘れ得ぬ人々」が忘れられなくて、『武蔵野』(新潮文庫)という短編集を読み、その中の「武蔵野」にもひかれた。

    今回『牛肉と馬鈴薯 酒中日記』で国木田独歩の読み残りの短編を読んだことになるのだが、その中の最後に収録してある「竹の木戸」と「二老人」にまたまたぐっと胸をつかまれてしまった。

    汲めど尽きせぬ日本の短編名手かな、国木田独歩さん、である。
    その一つをアップしてみる。

    「竹の木戸」

    郊外から都心(京橋)に通勤しているある会社員は真面目を絵に描いたような人柄。妻、実母、七つの娘、妻の妹(離婚して寄宿)、お手伝いさんという家族構成。明治時代だからサラリーマンでもお手伝いさんがいるのは普通のこと。
    その郊外の家(今の新宿大久保あたりというから時代変遷!)での生活は質素であったが、和気あいあいの家族だ。

    そこへ、隣の物置小屋のようなボロ家に若夫婦が住みはじめた。井戸がなくて困っていたので、使わしてあげるという親切。それも鷹揚な一家のあるじのはからいがあったからだ。

    隣とは生垣で仕切られていたが、隣の若夫婦が水くみの便利のため少し開けて木戸を作らしてくれとなり、それが木で作ったのではない、竹で間に合わせた粗末な「竹の木戸」。家族の女どもには大ヒンシュクだが、あるじはあいかわらずの鷹揚。

    いつの時代も光熱費には苦労する。当時は炭が主な燃料。一家が倹約して使うのは当然だが、隣の若夫婦はなお困っていた。買えないのだ。

    そして、その竹の木戸を通って水くみする通路に一家の炭俵が置いてあった。減り方が変だと気付いたお手伝いさん。はてさて大騒ぎとなり...。

    結局のところ若夫婦の妻が自殺するという不幸な結末なのだが、この普通の家庭の一家のあるじの行動が、博愛主義なのか、無関心なのか...。

    人間は、見て見ぬふりをしても、それが罪を犯すかもしれず、物事を追い詰めて結論を出そうとしても、罪に追いやるかもしれず、淡々とした平明な市民生活の描写(しかも明治の時代性濃い)のうちに、深く深く表された作品だった。

    たしかに現代では文学上普遍のテーマだろう、明治の小説黎明期にこのような作品を残した国木田独歩はすごい!

  • 何処かに必ず独歩が出てくるので、臨場感があり、また自然に対しても人に対しても、愛情も愛嬌も満ち溢れている著者に大変癒されました。
    中には寂しい話もあり、読み終わりに近づくにつれて、だんだんこの本とのお別れが惜しくなるので、買うことをお勧めしたいです。
    また、色々な知識がたくさん詰まっていて、大変勉強にもなりました。
    読んでいて温かい気持ちになり、また学べる文豪だと思います。
    文豪慣れしてない方にも、この本はお勧め。
    どうしても堅苦しくなりがちな文豪ですが、本人が出てくることによりエッセイ的な感覚で手に取りやすいかとも思います。
    国木田独歩は二冊しか出ていないのが、残念で、また寂しくもあります。

  • 独歩の作品は、時代もあるだろうが、死が身近にあるのだなあ、と思った。以前読んだ時にあまり感じなかった『牛肉と馬鈴薯』は後半とても良い。『岡本の手帳』とあわせて一つのお話になる。『酒中日記』『竹の木戸』は、生活に追われる余り、生き延びることを忘れる現代と何が違うのかと思って切なかった。『渚』は、『独歩病床録』(未収録)を読んでいると未完で、もっと沢山書きたかった話の欠片なのだと知れて勿体無く思った。

  • 「酒中日記」読みました。

    酒を呑んで書くと、少々手がふるえて困る、然し酒を呑まないで書くと心がふるえるかも知れない。「ああ気の弱い男!」何処に自分が変っている、やはりこれが自分の本音だろう。

    …震えている手が、呑めばピタリと止まる、てのがありがちだと思うんですが。依存症ではないんだろうなこの人。

  • 独歩の『武蔵野』をいつか読もう。

    柄谷行人『日本近代文学の起源』を再読していた時に、そう思っていた。そんな時に本を整理していて昔古本で買っておいてあった『牛肉と馬鈴薯』が出てきた。初めての国木田独歩。

    ブクログ本棚に表示されている表紙は絵がついているが、自分が持っているやつは、もっとそっけない感じのベージュ色(?)の表紙のバージョン。他に自分が所有している新潮の本では、横光利一『機械・春は馬車に乗って』とかゾラ『ナナ』などがこのベージュの表紙だ。新潮文庫はたまに昔ながらのこの色のものがあったけれども、今でもあるのだろうか。

    それにしてもごつごつとした文章で、真面目というかかたい感じがする。しかし、あまり嫌いではない雰囲気だと思った。特に『牛肉と馬鈴薯』『少年の悲哀』『春の鳥』など印象に残った。

    中村光夫による解説があり「独歩の短編は、まったく文章による効果に頼ろうとしていないので」という文があり、そこがユニークだと続くのを見て確かにユニークだな、とは思ったが、文章をひねり出すにおいていろんなものに縛られている、という印象は終始受けた。『少年の悲哀』とか読んでいて「これ漢詩か?」と思えるようなとても格調高い文章が見られたりする。ユニークだとは思うが、何か独歩を支配しているものはあるのだろう、という感じを抱いた。それが何かはあまりうまくまとまらないが、たぶんそれ以前の文学にあたるものではないのかとなんとなく思う。あと『運命論者』を読んでいて、何となく夏目漱石の『こころ』を思い出したりした。

    後ろのほうの短編は多少、斜め読みになってしまったかもしれない。初めのほうの短編がわりとどれも新鮮に思えたので、自身後半少しバテたような気がする。また時を置いて後ろの方の短編をじっくりと読みたい。

  • 「少年の悲哀」
    漢文の書き下しのよう。
    堅くなめらかかつ豊か!

    どの物語も寂しすぎる。

    器小さいと思っていたけど、この話を書くってことは独歩は自分の器の小ささもどこかで俯瞰していたんだろうな。

    編集者は作家になれないって聞くけど、さすがです

  • 現代あまり広く読まれない作家だけど、読めば読むほど面白い。
    「春の鳥」好きだ。

  • 国木田独歩は決して上手い作家ではない。
    息の詰まるような結末が待っているわけでもなく、目の覚めるような名文に出くわすこともない。「えっ、これで終わり?」なんて中途半端な終わり方をする短編だって結構ある。繰り返しになるが、構造的にも装飾的にも、国木田独歩は決して文章の上手い作家ではない。

    それでもひとつひとつの短編を読み終えたあとのよく分からないうら寂しさは、ちょっと他の作家にはないものだと思う。なんだか不思議な感覚。

    こういうのって狙って出来るものではなくて、天然とでも言えばいいのか、作家自身の人間性が反映されたものなんだろうなあ。文章の巧拙を超えた部分で。

  • 夜寝る前にちまちま読んでいた短編集。読み切れてよかった。『春の鳥』がせつなくてよかったな。独歩の自然への想いとか貧困への想いとかが読み取れた気がする。

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