暇と退屈の倫理学 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
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本棚登録 : 2204
感想 : 78
  • Amazon.co.jp ・本 (512ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101035413

作品紹介・あらすじ

「暇」とは何か。人間はいつから「退屈」しているのだろうか。答えに辿り着けない人生の問いと対峙するとき、哲学は大きな助けとなる。著者の導きでスピノザ、ルソー、ニーチェ、ハイデッガーなど先人たちの叡智を読み解けば、知の樹海で思索する喜びを発見するだろう――現代の消費社会において気晴らしと退屈が抱える問題点を鋭く指摘したベストセラー、あとがきを加えて待望の文庫化。

感想・レビュー・書評

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  • Kuma0504さんのブックリストでnaonaonao16gさんのレビューを再拝読したら興味を持って読んだ本です。
    お二人共ありがとうございます。
    熱い読書の時間を持つことができました。

    読んでいくうちに感じたことは、私は、今、現在は全く退屈していないと思ったこと。
    私は、今、仕事に就いていませんが、読書を毎日していてブクログに投稿していると退屈は感じられないです。
    退屈だと思う本はたまに選んでしまうことがありますが。
    逆に今、自分の本意でない仕事を持っていたら仕事中に退屈していたかもしれないとは考えました。
    恐ろしいことです。

    この本を読んでいる間中も全く退屈ではなく、どういう結末が待っているのかと思いワクワクしながら読みました。
    結論としてわかったことは、この本は本編を自分で”読む”という学ぶ過程そのものが大切な本でした。


    どういう本かと言うと、
    「資本主義の全面展開によって少なくとも先進国の人々は、裕福になった。そして暇を得た。だが暇を得た人々は、その暇をどう使ってよいのか分からない。何が楽しいのか分からない。自分の好きなことが何なのか分からない。→暇のなかでいかに生きるべきかという問いがあらわれる」

    というような問いかけの答えを探っていく本です。
    以下に私はメモ書きをしますが、この本に興味をお持ちの方はそれは読まれないで、本編を読まれてみてください。読んでいく過程が大切な本だそうなので。



    ・これまでに人類は痛ましい労働に耐えてきた。ならばそれが変わろうとするとき、日々の労働以外の何に向かうのか?

    ・しかしパンだけで生きるべきでもない。私たちはパンだけでなくバラも求めよう。生きることはバラで飾られねばならない。

    ・大義のために死ぬことを望む過激派と狂信者たちらの人々は彼らを恐ろしくもうらやましいと思うようになっている。

    ・食べることに必死の人間は大義に身を捧げる人間に憧れたりしない。

    ・幸福の秘訣はこういうことだ。あなたの興味をできる限り幅広くせよ。そしてあなたの興味をひく人や物に対する反応を敵意あるものではない、できるかぎり友好的なものにせよ(ラッセル)
    →頑張っている頃が一番幸せだったよね。
    →不気味な具体策を招き寄せるように思える。
    →社会が停滞したら戦争をすればいいと。

    ・退屈という気分が私たちに告げ知らせていたのは、私たちが自由であるという事実そのものである。

    一つ目の結論
    ・もうその実践のただなかにいる。大切なのは理解する過程である。本書を通読する過程を経てはじめて意味をもつ。

    二つ目の結論
    ・贅沢を取り戻すこと。<物を受取ること>とは、その物を楽しむことである。たとえば、衣食住を楽しむこと。芸術や娯楽を楽しむことである。

    三つ目の結論
    <動物になること>
    <人間であること>を楽しむ。
    食べることが大好きでそれを楽しんでいる人間は次第に食べ物について思考するようになる。
    美味しいものが何でできていて、どうすれば美味しくできるのかを考えるようになる。
    映画が好きでいつも映画を観ている人間は次第に映画について思考するようになる。

    ・世界には思考を強いる物や出来事があふれている。楽しむことを学び、思考の強制を体験することで、人はそれを受取ることができるようになる。


    おまけ
    ・記憶の消化を手助けしてくれる者が現れたら人はその人と一緒にいたいと願うのではないだろうか。
    ほとんどの人は自分一人では消化できない記憶を抱え、その作業を手伝ってくれる人を求めている。ならば人間はその本性ではなくその運命に基づいて他者を求めることになろう。

    • まことさん
      naoちゃん。
      返信ありがとうございます。
      「動物になること」は今、407ページを再読したのですが、「動物はどこに行けば獲物が捕らえやすいか...
      naoちゃん。
      返信ありがとうございます。
      「動物になること」は今、407ページを再読したのですが、「動物はどこに行けば獲物が捕らえやすいか知っている。本能によって、経験によって、それを知っている」また、「ドゥルーズは自分がとりさらわれる瞬間を待ち構えている。動物になることが発生する瞬間を待っている。そして彼はどこに行けばそれが起こりやすいのかを知っていた。彼の場合は美術館や映画館だった」そのあたりではないかと思います。
      私も、ノートに殴り書きしたのを写してレビューにしたので、ちょっとあやふやでした。

      戦争についての描写は、現実化してほしくないですね。
      昔の戦争は確かにそういうものだった気がしますが、悪い革命はもう起きてほしくないですね。
      2022/04/11
    • naonaonao16gさん
      まことさん

      おはようございます!

      ご丁寧に引用ありがとうございます。
      作中にもありましたが、動物と人間を真っ二つに分けたかと思うと実はそ...
      まことさん

      おはようございます!

      ご丁寧に引用ありがとうございます。
      作中にもありましたが、動物と人間を真っ二つに分けたかと思うと実はその考え方を否定したり、あとはそもそも「取りさらわれ」の部分で混乱したり…があったように感じています笑
      つまり、難しい…!!笑

      自分じゃ理解しきれなかった部分も多いので、みなさんのレビューが楽しいです!
      2022/04/12
    • まことさん
      naoちゃん。おはようございます。

      確かに難しかったです。
      でも、現代の日本人の方だったせいか、難しすぎて、全然読めないほどではなく、この...
      naoちゃん。おはようございます。

      確かに難しかったです。
      でも、現代の日本人の方だったせいか、難しすぎて、全然読めないほどではなく、このくらいならちょっと頑張って読んでみよう!と思える範囲内かな。
      古い外国の哲学書は、私は、もう頭が固くて読めなくなってしまいましたよ。
      ん「取りさらわれ」なんだっけ?
      理解できたといっても、その程度なんですが。笑
      2022/04/12
  • このくっそ忙しい年度末のタイミングでなぜこんなにも頭を使う作品を選んでしまったのか。
    ただでさえ通常の読書の2倍はかかりそうなのに、そんなこんなで3倍くらいかかってしまった…
    「暇と退屈」について、全部で508ページ。
    人が「生きる」とはどういうことか。

    オードリー若林「國分先生、哲学書で涙するとは思いませんでした…」と、帯にある。
    たぶんだけど、泣くのはラストである。P477『傷と運命』だと思う。
    そこに至るまでは、とにかく「人が退屈することについて」語られている。

    わたしたちは、初対面の人と打ち解けるタイミングで、その人に尋ねる。
    「趣味はなんですか?」「休日は何をして過ごしているんですか?」
    わたしたちは仕事以外の時間を余暇にあてるけれど、その余暇ですることといえば、現代においてはすっかりカタログ化されており、もはやP29「労働者の暇が搾取されている」状態である。
    つまりわたしたちはすっかり消費社会の歯車の一員となっているのである。
    こういう風に掘り下げていくと、わたしたちは次に「消費社会」が気になってくる。
    すると次は、「消費社会」について語られるのである。
    (ここで映画『ファイト・クラブ』について多く語られているのだ!そりゃ観たくなる!)

    こんな風に、ある話題を掘り下げると、また掘り下げたくなるテーマが出てくる。
    わかりやすく言い換える、事例をあげる、歴史を遡る、など、話が掘り下げられ続けて508ページである。

    暇と退屈を考えるために、縄文時代の生活へ遡り、マルクス経済学をわかりやすく紐解いてくれる筆者。
    こんな風に哲学や古代史やマルクスについて学べていたら、わたしはもっともっと楽しく学べていただろうし、よくわかってなくても「ふーーん」であるとか「よくわかんないけど、まあ、いっか」で済ませることは激減していたはずである。
    筆者も冒頭で述べているではないか!
    P4「問題が何であり、どんな概念が必要なのかを理解することは、人を、『まぁ、いいか』から遠ざけるからである」と。

    ものすごい膨大な時間をかけて、ぺたぺたと異様な数の付箋を貼り付けた。それを辿ればこの本のまとめを作ることができるだろう。
    だけどそれは、この作品を「読んだ」つもりにはなるのだろうけれど「理解した」ことにはならない。
    P392「『分かった』という実感は、自分にとってわかるとはどういうことなのかをその人に教えるからである。(中略)だから大切なのは理解する過程である。そうした過程が人に、理解する術を、ひいては生きる術を獲得させるのだ」。

    わたしが高校時代に数学の公式を丸暗記して理解に至らなかったのと同様、それは理解とは言わないのだ。この、読みながら「理解する」、あるいは咀嚼する時間こそが至福なのであって、それはこの作品を手に取って読む他ない。

    この作品のすごいところは、物事を深く深く、ずっと深いところまで掘り下げて、学問の垣根なんてあっという間に超えて、回答が出るまでとことん掘り下げるところだ。
    「暇と退屈」を語るのに、哲学はもちろん、ゴミの分別の複雑さやトイレの設置などの生活革命、社会学、昆虫学、最後は脳神経科学に触れるなど、とにかく作者の知見の広さに圧倒される。

    全体を通して「うんうん」と思いながら読み進めたけれど、やっぱりわたしにはちと難しかったので、置いてかれた部分もある。
    だから、作者の提案通り、注なんて全部すっ飛ばした。わたしにはそれで充分だった。

    もう一つ、オードリー若林との共通点のようなものと言えば。
    彼のエッセイ『社会人大学入学人見知り学部卒業見込み』で「ネガティブを潰すのはポジティブじゃない、没頭だ」という名言があって、その言葉にはかなり感銘を受けたのだけれど、この作品で「暇と退屈」について掘り下げていくと「没頭」というものに対しての怖さみたいなのも知ることになる。そもそも人は、「暇でいたい生き物」なのか、「没頭したい生き物」なのか。

    以前読んだ『スマホ脳』では、様々なホルモン物質について触れられていたけれど、本作品では一切それらには触れられていない。だけど現代人は「暇と退屈」さえあればスマホを触るのが当たり前になってしまったわけだし、現代人の「暇と退屈」と、この作品の中で描かれている人間の「暇と退屈」とは性質が少し異なってくるのだろう、と思う。
    わたしは、この作品が痛みから目を逸らしていないこと、長いことを承知していること、最後まで読めば自分なりの理解ができること、など、多少難儀なことはありつつも最後まで芯を貫き通してるって感じが好きだ。そういう考え方の人のようで。苦難を受け止めつつ「まあ、人生ってそんなもんでしょ」って言いながら、颯爽と歩いている人のように思えてくるのだ。この作品そのものが、凛としててかっこよく生きてる人みたいな、そんな一冊に思えてくる。
    残りの人生で、またこの作品を読み返したいって時が来てほしい。わたしは自分の人生の中で、少なくとももう一度、このかっこいい人に触れたい。それまで、ずっとそばにいてほしい。醜いかもしれないけれど、それなりに楽しい、わたしの人生を、そっと見守っててほしい。

    • naonaonao16gさん
      まことさん

      こんばんは!
      コメントありがとうございます^^

      そうなんです、難しいけど、読み切ると非常に満足する1冊ですよね!
      このレビュ...
      まことさん

      こんばんは!
      コメントありがとうございます^^

      そうなんです、難しいけど、読み切ると非常に満足する1冊ですよね!
      このレビューきっかけで読んでもらえたのはなんだか嬉しいです!

      若林どこで泣いたのか問題ですが…
      なんだかそこしか思い浮かばなくて…
      わたしも少しグッときましたね、救われたというか。
      哲学って生きることについて考える学問で、最終的にそこに触れていて、それが人に刺さるかは別としてきちんと筆者なりの答えを述べているところがよかったです。
      2022/04/11
    • sinsekaiさん
      naoさん!読み終わりました…
      かなり長かったけど、かなり興味のある考察だったので意外とサクサク読めました。
      自分のレビューにも書きましたが...
      naoさん!読み終わりました…
      かなり長かったけど、かなり興味のある考察だったので意外とサクサク読めました。
      自分のレビューにも書きましたが
      遊動生活から定住生活
      「ファイトクラブ」
      環世界の3つの考察が特に面白かったです。

      naoさんが読んでレビューにも書いてある「スマホ脳」てのもかなり気になるので読んでみようかなぁ…
      2022/04/15
    • naonaonao16gさん
      sinsekaiさん

      こんばんは!

      環世界、わたしたぶんちゃんとは理解できてないんですよね。
      人はそこを柔軟に行き来できる、っていうのが...
      sinsekaiさん

      こんばんは!

      環世界、わたしたぶんちゃんとは理解できてないんですよね。
      人はそこを柔軟に行き来できる、っていうのがいまいちよく分かってないです…

      今日は暇を謳歌したのですが、その時ずっと手にしてしまったのがスマホです。見過ぎないように制限かけてますが、やっぱり休みだとついつい長時間触ってしまって…スクリーンタイム見ると絶望して焦って凹みます笑

      「スマホ脳」是非読んでください。怖いです。
      また違った読書体験になると思います。
      2022/04/15
  • 「ブルックリン・フォリーズ」を書店のベンチで読んでいた日に、合間で哲学特集コーナーの棚にあって数ページ立ち読み。数年後思い出したところ文庫版が発売したばかりだったのでコチラを購入。

    暇も退屈も知っているようで理解できてはいない。
    ハイデッガーを中心に様々な哲学者の考えに触れながら退屈とは何かについて紐解いていく旅のように感じた。結論だけを読むのではなく、その読書の旅を通じて感じることに重きをおく考え方に励まされる。
    実際、途中の説明に出てきた「浪費と消費」について考えるうちに、書店で本を買うにも「この本を買うことで満足する(消費)」なのか「本を読み得たいもよがあるため買う(消費)」なのかを意識したり生活の中で頭をよぎった。

    人間は新しいことが現れると危険かと警戒してストレスを感じ、同じことの繰り返しで安心しつつ暇すぎてまた退屈でストレスを感じる面倒で面白い生き物。などとぼんやりとは思っていたが、丁寧に言語化されていて感動した。

    別の物語について書かれた本の中で、物語は「平和状態→事件→解決による平和状況への回帰」と書かれていて「安心だが退屈→何かに夢中になる、危機を感じる興奮状態→慣れて安心だが退屈」という流れと通じるものがある。
    人が物語を読む理由の一つは、退屈から脱する疑似体験をしている(よくある言葉だけど)のだと納得した。

    「退屈を感じること」の原因の中に「楽しむことの訓練不足」があることにも共感する。これが丁度本を見つけた時に「ブルックリン・フォリーズ」で感じたこととも繋がる。誰かに伝えるために話を盛るわけでもなく、ただ生活に楽しみを見つけようとする行為は続けていきたい。

    暇と退屈について、過去の哲学者達の考えを参考にしながら退屈の正体と対処についての姿勢を教えてくれる本だった。また自身の身近な悩みについて哲学者達が、語っている、そして少し間違えている部分を知れて身近な存在に感じた良い本でした。
    「退屈」を感じ何か心を動かすものを待つだけではなく、狙いを定め行動しないと常に「今」という時間を逃し続けてしまうのでは無いか?とも思いました。

    (メモ:途中何度か図示して整理しながら読み進めた。)

    • ikezawaさん
      「暇と退屈の倫理学」を読み結論の一部について考えたことをメモする。
      退屈に対処するには、楽しむ為の感覚を高める訓練が必要であり没頭することが...
      「暇と退屈の倫理学」を読み結論の一部について考えたことをメモする。
      退屈に対処するには、楽しむ為の感覚を高める訓練が必要であり没頭することが対処となる→「没頭できる何か」を待ち構える状態を意識した時、無理やりこじつけて楽しみを見つける「何にでも興味を持つ(持たなくてはならない)強迫観念」に取り憑かれた状態にならないか?バランスを取らなくてはいけないような気がしている。

      ①消費と浪費
      消費:限界が無い、他者が関与
        食べたことを誰かに伝える満足
        例:承認欲求
      浪費:限界がある、自分のこと
        物理的に食べれる限界の満足
        例:食欲

      ②夢中に見える人
      夢中に見えるはずなのに惹かれないのは何故か?→拘りに縛られて窮屈に見える。本人は溺れているようで泳いでいるだけ。
      惹かれる人は何故か?
      →やりたいことを悩みながらも自由に動いているように"見える"(そういう部分だけ見せられている)人、見えているだけで自由かは別。

      ③行動へ
      全てのことに興味を持ち「楽しむ」ように意識を向ける訓練をした場合に弊害があるのでは無いか?何かを汲み取ろうとする姿勢が、深読みしすぎたり誤った認識をしてしまわないか?

      ●絶えず考え続ける状態(関心を持ち続け、面白さを見出せるか?無理矢理ではなくちゃんと無理そうならスルーする判断も)を意識する。

      ●そして"好き"を認識する。
      (他人から無意味と思われるようなことで、誰かに強要さていないこと、刷り込まれていないと思えて自発的にしている行為、見ているモノ、食べているモノを見つめ直す→本編中の"贅沢"に該当するのでは?)→没頭の足がかりとなるはず。

      追記:本の感想を残すことも誰にも求められているモノでは無い。読んだモノを自分のものとし、忘れてもいいようにする矛盾しているように思える行為。

      ④現在を逃す感覚について
      実家で親と生活をしていた時、現在子供と休日に遊んでいる時に、退屈ではないが"自分の創作の時間を取りたい"や本が読みたい等、やりたいことを気にして目の前の事に気が向いていなかったりテキトーになっていたりすることがあった。しかし、心のどこかでこの瞬間のように誰かと時間を共有出来るのは今だけなので優先しなくてはいけないと思っており、結果的に二兎を追い両方をすっきりしないまま逃していた。
      "今に向き合うこと"を意識して過ごすように心がける。
      (SNSを見過ぎていて、目の前の宿題から目を逸らす行為も同様)
      2022/04/07
  • まず一通り読んで、とにかく面白く夢中になった
    が、レビューが書けない
    大事な結論部分がまったく残っていないのだ
    一体何を読んだのか?
    そう何故なら結論に向かう過程の各トピックが面白すぎたからである
    哲学はもちろん、考古学、歴史学、人類学、経済学、政治学、社会学、心理学、精神分析学、文学、生物学、医学など様々な学問の分野がこれでもかー!と乱立しておりもう好奇心の毛穴が開きっぱなし!…となってしまったからである
    (資本主義からダニの生態まで…いや〜実に面白い)
    とにかく丁寧な説明と、飽きさせない内容である
    さらには各哲学者への批判、反論に留まらず、そこから視点を変えて新たな考えを導こうとするやり口も面白い
    暇と退屈以外が面白かったりする(笑)
    とはいうものの結論付までしっかり認識したいと思ったので結局2回読むハメに…

    ここまできたらこちらもガッツリ備忘録を残したい

    好きなことは何か
    何が楽しいのかわからない
    労働者の暇が搾取される時代
    暇の中でいかに生きるべきか、退屈とどう向き合うべきか

    ■暇と退屈の現理論
    パスカル
    (「人間は考える葦である」の人だ)
    人間は部屋でじっとしていられない
    退屈に耐えられないから気晴らしをする
    追い求めているもののなかに本当の幸せがあると思い込み、自分を騙す
    例)ウサギ狩り、賭け事
    熱中できなくては気晴らしにならない
    退屈する人間は苦しみや負荷を求める
    →人間は変態である(笑)

    ラッセル
    「幸福論」
    退屈の反対は快楽ではなく興奮
    楽しいことなど求めていない
    熱意をもって取り組める活動が得られれば幸福になる
    著者の反論
    不幸への憧れを生み出す危険がある(革命や戦争など)
    →ISに若者が各国から集まってしまったのもこういうことだろうなぁ

    スヴェンセン 
    ロマン主義のせいで退屈が生まれた
    平等や普遍性より個性、異質性を重んじるロマン主義的な気持ちを捨てるべき
    著者の反論
    それは諦めること?
    退屈をロマン主義に還元する姿勢は支持できない

    ■暇と退屈の系譜学
    人間はいつから退屈しているのか

    遊動生活から定住生活へ変わった(定住革命)
    遊動生活の新しい環境に適応する負荷と時間が軽減された 
    定住により文化を発展させたが、同時に絶えざる退屈との戦いをも強いられた
    大脳に適度な負荷をもたらす別な何かを求める
    退屈を回避する必要に迫られるようになる
    →生きるだけで精一杯の生活からゆとりが当然生まれる そりゃそうだ

    ■暇と退屈の経済史
    暇…客観的な条件
    退屈…主観的な状態

    暇の中にいる人間が必ずしも退屈するわけではない
    資本主義が高度に発達し人々は暇を得た
    余暇という権利
    自由と平等の達成
    しかし彼らは自分たちが求めていたものが実際には何であるのかわかっていなかった
    今を生きる術を持っていなかったために右往左往した

    ■暇と退屈の疎外論
    贅沢とは何か?
    消費社会は退屈と強く結びついている
    消費と浪費
    ■浪費…必要を超えてものを受け取ること 
    浪費は必要を超えた支出であるから、贅沢の条件である
    浪費はどこかで限界に達する(満足する)
    ■消費…消費には限界はないし満足をもたらさない
    消費の対象がものではないから
    人はものに付与された観念や意味を消費する
    商品が消費者の必要によってではなく、生産者の事情で供給されるから(生産者が売りたいと言うものしか市場に出回らない)
    消費は贅沢などもたらさない
    消費には限界がなく永遠繰り返される
    退屈は消費を促し、消費は退屈を生む
    →資本主義の恐ろしさだ

    例)映画「ファイトクラブ」←そんなふうに観なかったなぁ…

    ■暇と退屈の哲学
    そもそも退屈とは何か
    ハイデッガー(ハイデガー)
    「形而上学の根本諸概念」より
    ①何かによって退屈させられること=受動系
     はっきりと退屈なものがあって、それが人を退屈という気分のなかに引きずり込む
    例)早く列車が来て欲しいのに、ちっとも来ない
    →わかりやすいシンプルな退屈

    ②何かに際して退屈すること 
     何が特定のものによって退屈させられるのではない
    よくわからないが退屈してしまう
    退屈と気晴らしが独特の仕方で絡み合う
    気晴らしと区別できない退屈
    例)気晴らしのためのパーティーで何故か退屈してしまう(TV、映画、ゲームも然り)
    →よくありますねぇ 退屈退治のためにしたことが何だか退屈に感じてしまうやつ

    ③なんとなく退屈だ
    すべてがとうでもよくなって全面的な空虚のなかに置かれる
    外から与えられる可能性がすべて否定される
    →これ辛いヤツ!悶々としてしまう…

    反転の理論
    あらゆる可能性を拒絶されているが故に、自らが有する可能性に目を向けるよう仕向けられている
    ハイデッガー
    ここから人間は自分の可能性を示される
    それは「自由だ」
    自由がある故に退屈する
    退屈するということは自由である

    著者は分析は見事だか納得はいかないという

    ■暇と退屈の人間学
    ハイデッガーは人間だけが退屈であると考える
    動物は退屈しないのか?

    人間は環世界を相当な自由度をもって移動できるから退屈する
    動物はほとんど移動しない
    ※環世界とは…すべての動物はそれぞれに種特有の知覚世界をもって生きており、その主体として行動しているという考え
    何か特定の対象にとりさらわれ続けることができる人なら退屈しない
    逆に動物はひとつの環世界にひたる能力をもつ
    →時々動物が羨ましくなる!

    ■暇と退屈の倫理学
    決断することは人間の証しか?

    人間は普段②の何かに対して退屈と感じ生きている
    これこそが退屈と切り離せない生を生きる人間の姿そのもの
    そしてこの②の状態が苦しくなり何かに飛び込むべきではないのかと感じ、①や③に逃げ込む
    つまり故意に無関心になり、ただひたすら仕事・ミッションに打ち込む
    それが好きだからやると言うより、その仕事・ミッションの奴隷になることで安寧を得る
    →若い頃、よく陥ったなぁ…

    しかし逃げ込まず、考えることの契機となる何かを受け取る…という希望もあるのだ
    そう関心を持って新しい環世界へ移動したり、創造したりできるのだ

    ■結論(著者の)
    通読し自分なりの理解する過程が大切
    そして消費ではなく浪費により贅沢を取り戻すこと
    限界が来たら満足できるのだから
    いつまでも終わらない消費は満足が遠のき退屈が生まれる
    そして受け取るものを楽しむこと
    衣食住を楽しむ、芸術や芸能、娯楽を楽しむ
    これには訓練が必要だという
    パーティーだって楽しむことができるのだ
    訓練は日常生活でできる
    そして楽しむことは思考することにつながる
    さらには退屈と向き合う生を生きていけるようになれば、他人に関わる事柄を思考することができるようになる



    ふぅ
    一見理解できるのだが心底理解するのは難しい
    よくあるわかった気になるヤツだ
    暇と退屈…
    これも何だか記号的象徴に感じてきた
    実際、別に暇もないし退屈もしていない
    でも何かそういうことじゃないのだ!
    なにかをやってるから良い…わけじゃなく…
    言語化できないが少しわかった気がする
    そして個人的見解としては
    ・毎日丁寧に生きよう
    ・物事を自分の頭できちんと考えよう
    言葉にすると簡単で陳腐なのだが、本当に真剣に実行するのは結構難しい
    そして忙殺されるような生活では難しい

    あと今も理解しきれていない「自分の中の夢中になっていること」が、実は現実逃避ではないのか…⁉︎
    本書を読むと本当に好きなことなのか分からなくなってきてしまうのだ
    本当に好きなこととの違いはなんだろう
    これについて分析していきたい
    自分の中の哲学的課題

    ああ、何年後かに再読した時、何を考えどう感じるのだろう…

    • まことさん
      ハイジさん。こんにちは♪

      何も残らなかったとおっしゃりながら、2回も通読されて、これだけのレビューを残されるとは凄い!
      さすがハイジ...
      ハイジさん。こんにちは♪

      何も残らなかったとおっしゃりながら、2回も通読されて、これだけのレビューを残されるとは凄い!
      さすがハイジさん!
      ハイジさんの「自分の中の夢中になっていること」が現実逃避ではないのか?
      と言う問いかけも響きます。
      私、本当に、読書が好きなのか??と思うときあります。
      他にやることがないから夢中になっているのかな~(^^;と思うときも。
      自分のレビューに書いたこととは違いますが…。
      2022/05/07
    • ハイジさん
      まことさん こんにちは!
      面白かったですね(^ ^)
      こちら!

      そうなのですよ
      長年やっている趣味に対して、一時あまりにも夢中になり過ぎて...
      まことさん こんにちは!
      面白かったですね(^ ^)
      こちら!

      そうなのですよ
      長年やっている趣味に対して、一時あまりにも夢中になり過ぎて…今に至るのですが、よくわからなくなります(笑)
      意地になってる部分もあるのかな?と…

      2022/05/07
  • 青山ブックセンターで文庫本で売上一位になってたので目について、「暇と退屈の倫理学」ていうタイトルにもかなり興味を惹かれて、帯に書いてあるオードリーの若林のコメントで買うしかないと思い
    購入に至りました。

    哲学なんて読む機会がほとんどないので
    どんなもんかとちょっと不安でしたが
    かなり読みやすく、わかりやすい考察でサクサク読み進める事ができました。

    遊動生活から定住生活の考察

    「ファイトクラブ」を例にした考察

    環世界の考察
    などとても興味深い考察で「暇と退屈の」根源や
    歴史的な考察、生物学的だったり様々な視点で
    語られるので、より深く「暇や退屈」について
    理解できた(つもり…)になれた気がします!

    この本の結論として書かれてますが、
    「人間が人間らしく生きることは退屈と切り離せない。」と言っている通り
    人間には切っても切り離せない「退屈」
    まさに退屈しのぎに読んでみるのもいいかもしれません!

    • sinsekaiさん
      いやーなかなかの拗らせ環世界を生きてますな…

      気圧とかではなくて、一日中ゴロゴロしてると
      なんか頭が痛くなったり、腰が痛くなったりと
      調子...
      いやーなかなかの拗らせ環世界を生きてますな…

      気圧とかではなくて、一日中ゴロゴロしてると
      なんか頭が痛くなったり、腰が痛くなったりと
      調子悪くなるので、なるべく出掛けてブラブラしながら孤独のグルメをしてます!
      2022/04/15
    • sinsekaiさん
      ちなみにディーン&デルーカのフレンチアップルパイを温めてもらって食べるのがオススメです!

      チェリーパイ今度食べてみよっかな
      ちなみにディーン&デルーカのフレンチアップルパイを温めてもらって食べるのがオススメです!

      チェリーパイ今度食べてみよっかな
      2022/04/15
    • naonaonao16gさん
      拗らせ…笑

      あーなるほど、うちのばあちゃんも昼寝したりゴロゴロ横になると頭痛くなるとか言ってたような…
      ベッドが目に入るとゴロゴロしてしま...
      拗らせ…笑

      あーなるほど、うちのばあちゃんも昼寝したりゴロゴロ横になると頭痛くなるとか言ってたような…
      ベッドが目に入るとゴロゴロしてしまう面倒くさがり人間には羨ましい限りです
      孤独のグルメいいなぁ…

      あれ?前にチェリーパイおすすめされたような?フレンチアップルパイの間違いだったのかも!
      2022/04/15
  • この本は。東大&京大で実績第一位❕として紹介されている本ですが、めちゃくちゃ面白かったです。
    とても丁寧に論理展開して、わかりやすく説明されており、読んでいると引き込まれて、グイグイ入っていけました。
    「暇と退屈」というテーマを、様々な哲学者の解釈を混じえながら丁寧に説明されており、「そういう捉え方もあるのかー!」と、とても参考になりました。
    ぜひぜひ読んでみて下さい。

  • 「暇とは、何もすることのない、する必要のない時間を指している。暇は、暇のなかにいる人のあり方とか感じ方とは無関係に存在する。つまり暇は客観的な条件に関わっている。
    それに対し、退屈とは、何かをしたいのにできないという感情や気分を指している。それは人のあり方や感じ方に関わっている。つまり退屈は主観的な状態のことだ」

    人間は、退屈をする。
    いつから退屈していたのか、退屈とはどのような状態を指すのか等々は、本書に詳しく、とても面白く書かれている。

    ある物事について、囚われるように考え続けているようでも、ある時、それを手放してしまう。
    人間は、考え続けることが得意ではないらしい。
    しかし、退屈もまた、長続きしない。
    退屈という状態を感じると、人は何かを為そうとする。気晴らしを試みる。打ち込むものを探す。

    ここで、消費の罠にハマると、モノそのものを得ることではなく、記号を消費するようになってしまう。
    絶え間なく売り出されるモデルチェンジした車は、もはや車というモノが必要なのではなく、チェンジしたことの方に価値を見出している。
    だから、買った時点で、次の満足が口を開けて待っている。

    退屈を、実体のない消費で満たすことは出来ない。
    しかし、退屈をバラで、贅沢によって彩ることは可能であると言う。
    モノを味わうこと、楽しむこと。
    そして、時々、退屈の声を聞くこと。
    それが人間らしい生活である(一方で、退屈を許されない人々、生活もある)。
    んー。ズレていたら、ごめんなさい。

    読みながら思っていたのは、「退屈」であることを強制されることの苦しみだった。
    たとえば、働きたくても、働けないこと。
    心が、身体が、機能せず、声が届かない状態。
    それは退屈と重ねられないかもしれないが、時間に押し潰されるような不安という点では、似ているかもしれないと思うのだった。

    そこに、どんな一歩が見出せるのだろう。

  • 産業革命と資本主義の登場によって、貴族階級のみならず人びとは余暇を持つようになった。そのかわり我々は絶えず消費し、また消費のスピードを上げることでしか退屈をしのげなくなってきている。人は暇のなかでいかに生きるべきか。退屈という感情とどう向き合えばいいのか。パスカル、ラッセル、ハイデッガーらが試みた〈暇と退屈の倫理学〉を批判的に参照しながら考える哲学書。


    〈暇と退屈〉をキーワードに、主に近代以降の機械化された社会で生きる人間が〈気晴らし〉を求める心理のメカニズムをおさらいできてよかった。この〈気晴らし〉に「万博」とか「博物学」「百貨店」「探偵小説」などを代入すれば高山宏先生の世紀末表象文化論になり、果ては「戦争」に行き着くだろう。それくらい、人類が抱える〈退屈〉は病的なのだとも言える。
    けっして埋まり切らない空洞という意味での〈暇と退屈〉を追いつつ、〈疎外〉という概念を本来性抜きに捉え直して〈気晴らし〉を肯定していく(「生きることはバラで飾られねばならない」)前段は面白かった。だが、最終的な結論がいかにもブルジョア的というか、かつての貴族の暮らしやパーティー文化を肯定し、現代人にとって一番身近なポップカルチャーは「消費」と位置付けただけで終わっているように見える。映画『ファイト・クラブ』の評論はあるにしろ、この視点はありきたりで本書の弱点なのではないかと思う。
    人は生きるために必要なこと"だけ"をして生きていては狂ってしまう。例の「健康で文化的な最低限度の生活」というフレーズに使われる「文化的」の一語が示すのは、「気が狂わないための」という意味なのだと思う。だが、気が狂わないための気晴らしにもっと大きな刺激を求めていくうち、異なる狂気に足を踏み入れてしまうことも多々ある。それなら、ただ退屈を感じているだけの無害な存在でい続けられないものか。
    実は、一番面白く読んだのは増補新版で追加されたという付録の「傷と運命」だった。精神医学と脳神経科学を援用して、そもそもなぜ人は〈退屈〉に苦痛を感じるのかを考察している。退屈が辛いのは、我々が無意識レベルで生きることに慣れるために負った心的外傷が空虚な時間につけこんで蘇り、我々を苛むからだという。今ある痛みを忘れるため、人は新しい刺激=新しい環世界を求めるとここでは結論づけられる。
    新しい環世界とは、つまり他者の世界ということだ。たとえば本書が言うように、本を読むことも他者の環世界を覗き込むという体験なのだとすると、『プリズン・ブック・クラブ』(21/11/25読了)や『テヘランでロリータを読む』(21/11/27読了)で書かれた読書会の浄化作用にも合点が行く。本という他者、そして読書会のメンバーという他者と世界を共有し、あるいは反発することで、現実の痛みが和らげられる。それは逃避ではなく、気が狂わないための、正気を失わないでいるための命綱のような〈気晴らし〉なのだ。

  • 私は暇な状態にはかなり耐えられるほうで、休みの日は家でいくらでもごろごろできるタイプではあるんだけど、さすがにコロナ禍で外出しづらくなってからは退屈だと感じる頻度が増えた。
    本書では暇や退屈の正体、その起源、人はなぜ退屈するのかといった内容から、そういう暇や退屈に飲み込まれないように世の中を楽しむためのヒントまで書かれている。ものごとを楽しむための勉強、私ももっとしていきたい!

    【読んだ目的・理由】暇が好きで、暇について知りたかったから
    【入手経路】買った
    【詳細評価】☆4.0
    【一番好きな表現】実際に何かを理解する経験を繰り返すことで、人は次第に自分の知性の性質や本性を発見していくのである。なぜなら、「分かった」という実感は、自分にとって分かるとはどういうことなのかをその人に教えるからである。(本文から引用)

  • ハイデガーや他の哲学者の引用や哲学以外の学問からの視点で説明しており、初心者には分かりやすかった。感動はしなかったものの、非常に参考になる一冊だった。
    特にスピノザの考えは面白かった。
    「わかったと言う感覚はわかるとはこういうものであると自分自身に教えてくれる。」
    つまり反省的なのだ。だから大切なのはこの結論だけを読むのではなく本を読む過程においてこそ理解する力を獲得することができるということ。
    そしてこの本を通読して、本書の内容を引用しつつ自分なりのまとめを以下に記したいと思う。

    第一結論
    こうしなければいけない、ああしなければいけないと思い患う必要は無いということ。
    この本を通読したことによって暇や退屈を考える上で注意しなければならない知識を得た。これこそが第一歩である。これを読んで何かを実践するのではなく、もうすでに実践の中にいるということ。


    第二結論
    贅沢を取り戻すこと=人間であることを楽しむ

    贅沢とは浪費することであり、必要以上に物を受け取ることである。これは生活に豊かさを与えるが、現代社会では浪費が妨げられている、現代人が消費者になることを強いられているのである。
    例えば食事はある程度食べたらお腹いっぱいになる。これは食事という物を受け取った。これが浪費。
    次にあなたが何かの媒体で新商品のブランド物の広告を見たとする。あなたはその商品を買う、そして誰かにこの商品を買ったよと言う。これは物を受け取ったのではなく観念や意味を買ったのである。つまり誰かに言うために買ったのだ。これが消費。
    浪費はある程度のところでストップするが消費は終わらない。それは新しい物がでればまた広告され、購入を促されるからだ。
    そして消費は満足を得られることができず、退屈する。ここで言う物を受け取ったと言うのは、物を楽しむことで、例えば衣食住を楽しむこと、芸術や娯楽を楽しむことである。これにはある程度の訓練が必要で決して容易ではない。
    例えば知識ゼロでアートを楽しむよりも歴史上の変遷を知った上でアートを楽しむのでは後者の方がより多くのものを受け取ることができる。
    これらは文学やその他、何にでも当てはめることだと思う。


    第三結論
    夢中になれる瞬間を待ち構える

    人は退屈だと思った時何か決断をする。しかしその決断は自ら奴隷状態へと陥らせる。その決断は自ら好きで行ったのではなく退屈だから決断したのである。
    例えば退屈だから資格取得するかなど、このようなことだ。
    ではどうすればいいか退屈を時折感じつつも物を享受する生活をおくることが重要である。そういった生活は楽しむことと思考すること両方を受け取ることができる。
    例えばアートを見て楽しんでる人は次第にいつどこでどのように作られた作品かについて思考する。つまり思考の強制が起こっており、その瞬間退屈は全く感じない。
    このような夢中になれる瞬間を待つことが重要なのだ。
    しかし人は思考することを嫌がる。それは何故か新しいものを知ると言う事は労力を使うからである。人は安定が好きな生き物で、異常に出会うと逃げそうとする。しかしその行動が自分自身を退屈にさせる。つまり自らの行動が自らを退屈にさせるのである。

    退屈と気晴らしが共存する世界で物を充分に楽しみつつ、何か気になることがあれば、思考し続けて見ようではないか。

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著者プロフィール

東京大学大学院総合文化研究科准教授(哲学)。著書に、『暇と退屈の倫理学』(新潮文庫、2021年)、『はじめてのスピノザ――自由へのエチカ』(講談社現代新書、2020年)、『中動態の世界――意志と責任の考古学』(医学書院、2017年)、『スピノザの方法』(みすず書房、2011年)など。

「2022年 『地球的思考』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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