- 本 ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101036205
感想・レビュー・書評
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無意識の差別について考える。
小学生の時、下校中、ふと前を歩いてた友達に「歩き方変じゃない?」と言った。その子の横を歩いていた友達が、わたしに向かって走ってきて「そんなこと言わないで!」と小声で怒った。「病気なんだから」と。わたしはその時初めて知ったので、そうだったんだと納得した。でも、なんでこの子にこんなに怒られるんだろう?ってよく分からなかった。わたしの隣にいた友達にも「今のはあなたが悪いよ」って怒られて、無視された。え、そうなの?と戸惑った。わたしが悪意あって言ったと思ったから、怒ったのだろうか。悪意がなくても、言っちゃだめだったのか。病気だから?しばらく考えたけど、分からなかった。だって、痩せ型のわたしに「白骨」とあだ名で呼ぶ子に嫌だと言ってもやめてはくれなかったし、そのことに怒ってくれる友達なんかいなかった。わたしも病気だったら守られたのかな。分からないまま大人になった。今でも、分からない。このエッセイを読んで、無意識の差別という視点に気付いた。あの時、病気の子を傷つけたあの空気、あれを作ったのはわたしだけだったのだろうか……と考えずにはいられない。
もやもやした出来事は、大人になっても覚えている。これも小学生の時だ。遠足か何かのときに、友達が替歌を歌っていた。そこになぜか「車椅子」という単語が含まれていた。意味も何もない、語呂がいいだけの歌詞だったと思う。後日、学級会が開かれた。「車椅子に乗ってる人が聞いたら、どんな気持ちになると思いますか」って。別にどうも思わないだろ、とわたしはその時思ったのだが「不快に感じると思います。悪かったです。ごめんなさい」と結論を出すのが学級会の正解だというのは分かった。今考えても、先生の過剰反応だったように思う。車椅子という単語を発するだけでダメなのか。
「違うということが、差別を喚起する要因になり得るのを子供たちは勉強したのだ。」わたしも、そのようなことを勉強したように思う。でも、これもまた必要なことだったのかもしれない。差別を喚起する要因になるのなら、触れないのが一番だ。悪意がなくとも、あるように扱われる可能性があるのなら。
無意識の差別で思い出すことは、まだある。
これは大学の実習先でのことだ。わたしのペアの男の子は、片腕がなかった。実習先の先生が、その男の子に「出来るか?」と実技の最中に手を貸そうとした。その男の子は、嫌だったろうなと思った。だって、普通に出来ていたし。彼は片腕がなくても、その生活に慣れていて、わたしの目からはそこまで不自由してないように見えた。とはいえ、わたしはその男の子のことが嫌いだった。なぜなら「誰かが片付けるから」と言って、その辺に空き缶を放置するような人だったから。片腕がなくたって、空き缶はゴミ箱に入れられるだろ!
山田詠美は好きも嫌いもハッキリとしていて、怒りのポイントにも一貫性があって好きだ。その感覚に、分かる!と共感することは多いし、そこまで?と思うこともある。同じ人間ではないので、全てに共感できるわけがない。けれど、共感できなくても、そう思うんだねって納得はできる。だから、好きだ。
でも、感想を見ていると面白いくらいに読者の好き嫌いが別れている。それも、分かる。おそらく、山田詠美自身も分かっていて、そう来なくっちゃ、と思っている。時田秀美に思っているように。
わたしも、そんな心持ちでいたいと思う。理解されなくてもいい。それでも、自分の考えを嘘偽りなく言語化したいと思う。そう思って、小学生の頃の思い出を、初めて文字で綴ってみました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
著者のエッセイを集めた本です。
日本やアメリカで著者自身が身近に体験した人種差別について、怒りをまじえながらも快活さをうしなわないエッセイが多いように思います。あつかいかたによっては、かなり深刻な雰囲気を帯びてしまうテーマだと思うのですが、著者の強靭なスタイルは、「深刻ぶった」態度からずっと遠いところにあって、すがすがしさを感じます。
その一方で、これらの問題を著者のように個々人の美意識のようなところにまで追いつめていくべきなのかという、若干の疑問も感じてしまいます。「解説」を担当している齋藤孝は、「個人的な感性も大きく関係してはいるが、基本にあるのは、人種差別意識に対する怒りである。その意味では、普遍的なものだ」と述べていますが、ほんとうにそうなのだろうかという気がしています。 -
2015.8.4
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気持ちいいほど、人間の本質的部分をズバリと表現する。読んでいて気持ちがいいし、はっと気付かされることがたくさんある。
持ち歩いて贅沢に読み進めていきたいエッセイ集。 -
中学生の時に読んで、生意気なクソガキになったはじめの指南書。
おとなになって読んだらきっと、もっと身近になるとおもうのですが。 -
【経緯】
BOOKOFFで。
小説そこそこ読んだからそろそろエッセイで頭の中覗いてみようかと。
【感想】
うん、フィジカルあっての恋愛の醍醐味にときめくよね。フィジカル=セックスという安直なものではなく。男も女も「肉体」って素敵や。
【共感】
善意からの差別ほど厄介なも乗ってない
【引用】
【不可解】
間違った外来語を許さないこと。
蔑称として間違った外来語で山田詠美さんを紹介したのは絶対ナンセンスだと思いますよ!
ただ、ビーチサンダルをビーサンというもだめなの?
琥珀色を金色というのは嫌、とかイメージのニュアンスが違うものは分かるけど。。
わたしには譲れてしまうことだ。 -
再読。
1989-1998の
「人種差別と私」的な外国周りのエッセイを集めた本。
たまに思うのは、この人が糾弾する方々に
行き違いや双方の言葉の感覚による誤解があった時に
この人は許してくれるのかなって。 -
時田秀美の場所で泣きました。心が震えた。口の上手いひとは、わたしも嫌いだなあと感じた。体で語るひとがすき。そして、真剣になれるひと。ひどく共感してしまい、この部分に出逢えただけで、ものすごくしあわせです。
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経験者にしか伝えれない独特な感性から発される、差別や個人的領域や先入観などに対する言葉の数々が、自然と心に入ってくる。うんうん、と共感させられました。解説がまた良し。
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人はそれぞれということを感じます
著者プロフィール
山田詠美の作品





