放浪・雪の夜 織田作之助傑作集 (新潮文庫)

  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101037035

作品紹介・あらすじ

『夫婦善哉』の作者であり、太宰治、坂口安吾の盟友としても知られる織田作之助。その作品の魅力は豊かな物語性にある。料理人順平の流浪の旅を描く「放浪」。別府へと逃れ落ちた男と女──「雪の夜」。商才に優れた男が家を再興する芥川賞候補作「俗臭」。龍馬に慕われた寺田屋お登勢の半生「蛍」。織田文学の研究者が厳選した11編を収録。波瀾万丈そして人情。大阪が生んだ唯一無二の作家がここにいる。

感想・レビュー・書評

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  • 出先の書店で見掛て、興味を覚えて入手した。そしてゆっくりと読了した。本の題名となっている『放浪』や『雪の夜』を含めて、11篇の織田作之助の作品が収められている一冊だ。各篇共に長くはないので、篇毎に順次読み進められる感だ。
    織田作之助(1913-1947)は大阪に所縁が深い作家だ。大阪の文物等を巡る話題に至ると、「オダサク」(織田作)という知られているというニックネームも交えて、この人物の名が登場する場合も在ると思う。他方、その小説作品を個人的には読んでいなかった。書店で本を手に、「名は知っていて、作品を読んでいないという作家の短篇集であれば、読んでみるのが善い」と思い付いたという訳だ。
    各作品は、概ね織田作之助自身が生きた時代―御本人が少年であったと見受けられる大正期から、昭和に入って以降、終戦直後の昭和20年代初め頃―の街で繰り広げられる物語である。本書に収録作品の中、『蛍』という1篇は、幕末期の京都の伏見での物語で、例外的だ。
    各作品は、各々に様々な形で綴られている。織田作之助自身と重なるような語り手の独白風な作品も見受けられるが、作中人物達の辿る人生が、或いは淡々と、或いは濃厚に描かれていて、大阪等の街の設定されている時代の空気感が生き生きと伝わる。色々と在って、30歳代で他界してしまったらしいが、こういう方に永く大阪の街を綴り続けて頂きたかったというようなことも、各作品を読み続けた中で感じた。
    織田作之助自身は大阪市内に所縁が深いようだが、作中では狭い意味での大阪が舞台になるばかりでもなく、大阪圏の人々の様というのが作中人物達に広く反映されているように見える。作中、紀州の出という人達の話しや、住所としては大阪市を離れていると見受けられる場所での物語も在った。
    こういう短篇集は、各々の読み手が「御気に入り」を見出せば善いのだと思う。自身は『四月馬鹿』という篇が気に入った。
    『四月馬鹿』という篇を綴っている人物、作品の語り手は、恐らくは織田作之助自身に他ならないと思う。親交が在った作家「武田さん」に関する物語となっている。「武田さん」というのは武田麟太郎のことであるという。何かこの作品の調子、哀感に少し笑いも交るような感に惹かれた。
    何れにしても「名は知っていて、作品を読んでいないという作家の作品」に触れてみるのは興味深いものだ。

  • ストーリーが濃縮された短編とでも言えばいいのか、一つひとつの作品に力があって、どんどん読ませてくれる。
    「夫婦善哉」でもそうだったが、この人はダメな男を描かせたらすごいと思う。
    ダメなのに憎めない、そういう男。
    女性一人称の短編もあったが、個人的には男性が主人公の短編が好み。
    どういうダメ男がいい男なのか、知りたい方はぜひ。

  • 放浪・雪の夜
    織田作之助傑作集

    著者:織田作之助
    発行:2024年4月1日
    新潮文庫

    山荘まち(兵庫県)の図書館、新刊コーナーをうろうろしたら、この本が見つかった。オダサクの新刊がまだ出るんだな、と感心した。まあ、文庫本だから何年に一度、いや何十年に一度ぐらいが出るかも。でも、大阪のイメージがド強いオダサクの本が兵庫県に入るとはね、と思い、借りてしまった。

    この本の編者が、解説で「広く長く記憶され続けている割に、作品そのものは読まれてこなかった節がある」と書いている。実は、僕もこれまでオダサクはちゃんと読んだことがほとんどなかった。太宰治に喩えられることがしばしばあり、太宰にそれほど関心のないため、いくら大阪者でもあまり手がのびなかった。しかし、最近、たまたま大阪の図書館に展示してあった「夫婦善哉」と「続 夫婦善哉」をちょっと真剣に読んでみたら面白かったので、オダサクに対して興味を持ちつつある。

    太宰とオダサクの研究家である斎藤理生(まさお)阪大大学院教授が編者となって、11編の短編を掲載している。タイトルとなっている2編を含め、オダサクらしい(ってオダサクのことをよく分かってないが)クルリとまわって落ちるような傑作が揃っていた。中には、3ページちょっとという小話みたいな掌編もあった。「馬地獄」という作品で、大阪の玉江橋という橋が舞台だが、たまたま、玉江橋の横にあるジムで自転車を漕ぎながら読んだ。おお、そこやないか、と声をあげそうになった。

    注釈も親切でイラストもいい。解説も分かりやすくて初心者にも理解できる。もちろん、630円と安い。著作権切れだからネット文庫では無料だろうけれど、買う価値のある本だなあと思った。読み切っても捨てない方がいい一冊にも感じた。

    「放浪」「雪の夜」もいいが、プロレタリア作家である武田麟太郎の死へのレクイエムとも言える作品「四月馬鹿」は、とりわけ素晴らしい傑作だった。クルリと話を回転させてぽんと落とす、オダサクパターンだし、作家としての性、オダサク、タケリンそれぞれの作家としてのサガを、よく現した快作でもあった。悲しい思いを一杯にこめた、快作なのだろう。

    また、「神経」という作品は、現在のマスメディアに対する警告、あるいは、SNSで一斉にわっとなる風潮などに対する、非常に重要な示唆となる秀作だった。社会的に一定の地位を築いた、とくにマスメディアの人に、そして、若い人たちにもぜひ読んでもらいたい、なにより、ものを書いて生きている自分自身にしっかりと戒めとすべき作品であると断言できる一作だった。


    ***********
    (以下は備忘録)


    『放浪』 (10-51P)

    順平:岸和田から2里歩いた六貫村、10歳
    文吉:兄
    高峰康太郎:順平、文吉の父。やがて病死。
    おむら:母、順平を産んで死ぬ
    おそで:康太郎の後妻。順平より2歳上の連れ子(浜子)、康太郎との間に1歳下の弟を産む。浜子は後に阪大病院で看護婦に
    婆:おむらの母親で暫く順平を引き取るが、死亡

    金造:康太郎の義兄(姉婿)、文吉を養子にして農作業でこき使う

    おみよ(丸亀家):康太郎の妹、順平の叔母で大阪住まい、順平を引き取る
    美津子:おみよの娘で順平の一つ下
    丸亀の叔父:四日市出身、大阪でいろいろな仕事をし、生国魂神社前で仕出し料理店を経営、美津子の聟(むこ)に順平をというつもり?
    木下:丸亀の板場にいる男、東京で弁護士目指して勉強していたが震災で大阪へ

    関西大学専門部の某生徒
    オイチョカブの北田(でん公):本職は絵などを売るテキヤ
    「リリアン」の小鈴

    岸和田から2里あるいた六貫村、順平を産んだ、おむらは死んだ。父親の高峰康太郎は後妻をもらい、兄の文吉は康太郎の義兄(姉婿)・金造のところに養子に。順平はおむらの母親が引き取ることに。後妻のおそでには、連れ子の浜子(順平の2歳上)がいて、再婚後に順平の1歳下となる男子も誕生。

    順平を引き取った婆が死に、父親の康太郎も病死したため、康太郎の妹で大阪に住む、おみよのところに行く順平。生国魂神社前で仕出し料理屋の丸亀を経営。順平より1歳下の娘・美津子がいた。順平は板場の手伝いを始めるが、小遣いももらい、買い食いや祭にも行けた。生国魂の夏祭りには法被も与えられた。美津子が22歳のとき妊娠した。相手は関西大学専門部の生徒だったが、棄てられた。美津子の両親から疑われた順平だったが、否定する気が起きなかった。しかし、美津子が相手は別人だと両親に言ったため、両親の方から順平にもらってくれと頼んできた。

    2人は祝言をあげたが、美津子から相手にされなかった。子供のころから脱腸のある順平も自信がない。祝言に参列した文吉を送る途中、難波で出雲屋へ行って鰻やフナの刺身をご馳走する。文吉は、金造の娘に男の子ができてから冷遇され、貯金通帳をつくってお金をためておいてやるという金造の言葉も実は嘘だった。

    文吉は、ある朝、筍を大八車にいっぱい積んで市場へ。30円を手にして、岸和田駅前に車を放置して電車に乗って大阪へ。出雲屋へ行き、飛田へ。娼妓に言いくるめられてお金を使わされ、一文無しに。猫いらずを飲んで自殺をはかる。病院に運ばれたが、死亡。

    順平は葬儀で岸和田に行き、戻ると200円を持って家を出る。喫茶バー「リリアン」へ行き、知り合った北田に騙されて博打で全部すってしまう。それからは、北田を兄貴と呼んでついて回る。テキヤを手伝ったりするが、とうとう困って阪大病院で看護婦をしている浜子を訪ねる。お金を無心。2度無心したが、2度目のときに博打で勝ち、北田と山分け。

    順平はそのお金で切符を買って東京へ。丸亀の板場にいた木下のところに暫く居候、その後、住み込みで寿司屋に。途中、脱腸が悪化して手術。主人が10円持たせてくれて、大阪へ帰してくれた。

    大阪で「リリアン」に行って北田を探すが、別府へ行ったという。リリアンの小鈴と出来ていたが、妊娠して結婚をせまられたが無視していると、小鈴が別の男(客)とかけおちして別府へ行った。それを聞いた北田は追って別府へ。

    順平も別府へ。北田を見つけ出す。北田の紹介で河豚料理屋へ就職。河豚はしたことないが、出来ると見栄をはる。ところが、自分1人しかいない時に出した河豚料理で、客の1人を死なせてしまう。1年3月の刑期で徳島の刑務所に。途中、仙台の刑務所に移る。出獄し、大阪へ。仙台刑務所でもらったお金も残り少ない。阪大病院に行ったが、浜子は結婚して退職していた。

    もう金が残り少ないので橋の上で考える。死ぬしかない。でも、あと少しお金があるはずだと思い、数え直すために懐から出すと、川に落としてしまう。絶望するも、警察に届けようとする。その時、自らの手を見る。これがあればまだ生きていける。


    『雪の夜』 (54-76P)

    別府の温泉地、大晦日。例年なら降らない雪がもう降っている。「別府の道頓堀」と称する流川通も、まちに観光客は多いのに人通りが少ない。大晦日だが露店も店じまい。一軒だけ、易者が店開き。河豚料理の料亭から出て来た男1人と女4人。その男が易者を見るなり「久し振りやないか。坂田君、僕や松本やがな」と大阪弁。5年ぶりにあった松本は、道頓堀のカフェー「赤玉」で、女給の瞳を争うライバル客だった。

    坂田は親の代からの印刷業で仕事一筋、ミルクホールすら覗かなかった。赤玉からの仕事でクリスマスの会員券を印刷すると、無理矢理1組(7枚)を買わされた。7円。従業員が誰も行かないので仕方なく自分が行く。瞳が出てきて、マネージャのスタンプが押してあった券なので坂田を大事に扱ったが、チップも置かずに彼は店を去る。しかし、刺激が忘れられずに大晦日にも行き、松の内も毎日。チップも置くようになり、瞳をナンバー1にしてやった。2ヶ月がたったが手も握らず。しかし、手相はみてやった。

    すっかり入れ込んで通いつめ、欲しいものも買い与えた。印刷の仕事も手抜きになってきた。ある日行くと店におらず、松竹座に行ったという。松竹座に行くと客の松本がいた。翌日、問い詰めたが常連客だから断れなかったと突き放される。益々恋しくなり印刷機も売り飛ばす。瞳は同情し、自分のせいだと思って一緒に大阪を離れることを提案した。自分はもともとうどんやの娘だし、と。

    無尽講や保険の解約で千円あり、それを持って2人で東京へ。瞳は本名の照枝に。照枝は胸を病んでいるので、憧れの別府を見てから死にたいと言う。熱海で2泊し、東京へ。別府へ行く旅費を稼ぐことに。照枝は妊娠していた。東京のうどんがまずいと、猪飼野でうどん屋をしていた照枝が一高の引っ越した跡地でうどん屋を。うまくいかず。照枝は流産も。店を売り飛ばして医者代に。坂田は資格を取って大道易者になる。1年後にやっと別府に・・・そんな過去があった。

    松田に無理に誘われ、6人でコーヒーを飲みに「ブラジル」へ。それまで易の客は3人、30銭で売上げ90銭。これではたまった家賃や他の借金も払えない。行きたくなかったが仕方なく行った。そして、2口3口すすると、あとは飲まない。他のメンバーは最後まで飲む。途中でここは払うと無理に伝票をつかみ、90銭のところを1円チップ込みで払って出て行く。実は、このブラジルはお得意さんだった。坂田は昼間にごみ集めをしていて、ブラジルでいつもびんを集めていく。だからかっこつけてチップも払った。

    1人出て、たまご屋の2階の下宿へ。絶望しつつ戻る。下から、痩せ細った照枝の体を思い浮かべる。でも、なにかほっとして表戸に手をかける。


    『馬地獄』 (78-81P)

    東から順に、大江橋、渡辺橋、田蓑橋、玉江橋。そこまでくると橋の感じがにわかに見すぼらしい。橋のたもとに、ずり落ちたような感じに薄汚い大衆喫茶店兼飯屋がある。地下室はどこかの事務所らしいが久しく人の姿を見受けない。

    主人公はこの橋の近くにある倉庫会社に勤め、日に何かも得意先の間を往復する。10何年勤めるが平社員のままで、この弓形の橋の傾斜が苦痛に。欄干に手を掛けて見ていると、目一杯荷を積んだ荷馬車がよく通り、傾斜を鞭で叩かれながら乗り越えていく。弾みをつけて渡りきろうとしても、中程までくると轍が空回り。後退しそうになると馬に鞭。悲鳴を上げる。見ていて胸が痛む。

    そんななか、薄汚い男が憐れな声で針中野までの行き方を聞いてくる。市電で阿倍野、そこから大鉄電車で・・・と説明しかけると、お金がないので歩くという。和歌山から知人を頼って西宮まで来たが、針中野に移転したと言われ、西宮からは歩いて来た、針中野へも歩く、と。

    気の毒に思って50銭札を渡す。有り余る金ではなかったが。男はペコペコ頭を下げて去った。3日たった夕方、また欄干にもたれて川を見ていると、うしろから声をかけられる。ちょっとお伺いししますがのし、針中野ちゅうたらここから・・・振り向くと、この前の男だった。男はびっくりして逃げていった。


    『俗臭』 (84-105P)

    大阪の金満家である木村権右衛門に倣い、和歌山県湯浅の魚問屋丸福を経営する勘吉は長男に権右衛門と名付けた。勘吉は放蕩をはじめ、身代をすっかりつぶし、相当な借金までこしらえた。権右衛門は苦労して借金を清算し、4人の弟と2人の妹に対し、事情を説明、僅かな金を分け与えて離散させた。市治郎、まつ枝、伝三郎、千恵造、三亀雄、たみ子。権右衛門もあちこち居酒屋の女と別れて湯浅を出た。大正2年6月。

    大阪に出て、千日前で金を使い果たすと、偶然に居酒屋の花子に出会う。小料理屋で働いている、食べさせてやるから一緒に住もうと言われ、慌てて逃げる。野宿。川口の沖仲仕をするが、骨身惜しまず働き、魚問屋のボンボンだったことから、帳場に使ってくれた。しかし、安月給だし1月でやめて、それを元手に冷やしあめの露天商をする。弟の伝三郎に出会い、2人で売ったが儲からないので扇子売りに変えたが、女中をしているまつ枝とも出会ったため、彼女のために夜店出しはやめることに。

    伝三郎を寿司屋の住み込みに入れた足で、寺町を通るとあるお寺に行列。その寺の灸の日だった。住んでいる安宿にもと灸婆をしていた婆がいるので、狭山の商人宿を借りて灸をすると面白いように流行った。そこで、病人が多いと思われる紀州湯崎温泉に移動。値上げしても大はやりだが、婆がダウン。見捨てて大阪に戻る。

    帰りの船で知り合った金持ち風の男から、紙屑屋がもうかることを知り、日本橋五丁目に平屋を借りて、最初は紙屑屋、やがて切れた電球を電灯会社から買い取り、「五会」(古物屋集団)の古電球屋に売りに行くと、自分は高く買わされていたことを知る。研究の結果、「ヒッツキ」「白金つき」「市電もの」と3種類あることを知る。ヒッツキは線が片方切れただけなので、うまくすると復活して数日灯る、それを新品だと売る。白金は白金が使われている電球があり、それを取り出して高く売る。市電ものは、市電マークのついた電球で、それは電灯会社から借りた電球であり、切れた場合はもって行くと新品と交換してくれる。割れた場合は50銭払わされるけど、割れていないのを10銭で買って交換してもらえば、差し引き40銭のもうけになる。

    雇っていた青松は白金を取り出すのがうまく、商売はうまくいき、1万円の財産を貯めることを目標に頑張った。青松が感冒でダウンしたとき、派出看護婦として来た政江が気に入り、権右衛門は結婚した。2人は1万円を目標にがんばり、節約生活を送った。知り合いの電球工場経営者に金を貸し、その製品を抵当に押さえ、ちょっと危ない橋を渡らせ、その経営者が裁判に負けて製品が押さえられることになったが、先に権右衛門が押さえていたために高値で買い取らせることができ、また儲かった。

    先を見越し、電球商売はやめた。今度は銅、鉄、真鍮などの金属を取り扱うことに。談合の口利きなどもし、金は増える一方。弟や妹たちにも商売をさせたり、嫁にいかせたりして生活を安定させた。お金をつくる目標を10万円にし、さらに百万円に。品川沖で沈没した汽船を30万円で買い、引き上げて解体し、売って百万円にする計画を立てた。

    昭和3年、43歳のとき、百万円をためた。自分の家は建てず、紀州湯浅に亡父勘吉の墓を建てた。親戚縁者が集まり、49人。政江はダイヤモンドの指輪、春松は洋服を着ていた。


    『人情話』 (108-117P)

    三平(三右衛門)は和歌山から大阪の下寺町にある風呂屋に来て30年。夜中の3時に起きて釜を焚いていた。18歳で雇われ、3年間は下足番、21歳で風呂釜を焚くことに。13年間、31歳のとき、主人夫婦はよう勤めてくれていると感心した。安月給だったが。そして、嫁の世話をしようかと言うと、本人は黙り込んだ。さらに3年。3人いる女中のうちの1人との縁談を進めることに。同じ和歌山出身。まとまった。

    嫁は朝7時に起きて下足をする。夜中1時に女中部屋で寝る。三平は三助の部屋で10時に寝る。経営者夫婦はせめてどこか2階でも借りて住めと勧めるが、2人はそのまま。食事中も会話はあまりなく、仕事を黙々とこなす。月2回の公休日も地味に過ごす。

    15年たち、三平は50歳近く。子もおらず。口数少なく飯を盛ってやる様子も夫婦らしくない。三平は正直一途の実直者であることは誰しも認めていた。そんなある日、急に大金が必要となり、三平を銀行へ使いに出した。千円を引き出す。腹巻きの中に入れ、手をあてて用心深くチェックして戻ってくるはずだったが、帰らなかった。逃げたなどと誰も思わなかったので、事件や事故ではないかと心配し、探したが見つからなかった。

    翌日の昼に帰ってきた。そして、クビにしてくれと言い出した。一生無縁な大金を手にし、さらに貯金通帳と印鑑もある。それを持ち逃げし、嫁も置いて東京に逃げれば一生暮らせるかもしれないと魔がさし、梅田駅に行った。しかし、切符を買おうとすると買えない。いったん離れて川の上でぼんやり。駅に戻るが、買えない。そうこうしているうちに夜になり、待合室で夜を明かし、戻ってきた。

    話を聞いた経営者はもちろんクビになどしなかった。入浴時間が変わり、風呂焚きも遅くなり、三平も同じ7時起きになった。2人は以前より親密になった。時に営業時間になっても女中が気を使って開けない。2人は白髪を取っていた。


    『天衣無縫』 (120-153P)

    政子は24歳で初めての見合いをした。親から言われたためだ。相手は29歳の大学出のサラリーマンである軽部清正。見合いの場に行くと、仲人と相手の両親は来ているのに本人がいない。仕事が終わったら来る予定だったが、長引いているらしい。あとでわかったが、仕事が終わったときに飲みに誘われ、断れずに遅刻したのだった。メガネのかけ方がじじ臭く、顔もぱっとしないし、遅刻だったし、無愛想にすごしたので、きっと断られるだろうと思っていたら、気に入ったとの返事が来た。そういわれるとまんざらでもなく、相手のことも少しはよく見えてきた。

    しかし、結婚までに何度か会った際も、清正は冴えない男だった。文楽に誘われて出かけると、遅刻してくるし、文楽は3日前に終わっているし。そのかわりに連れていくところも、芝居や食事でもない。

    ある時、食事でかき船にいくと、お金が足りないことも。政子が不足分を払う。実は、直前に同僚にお金を貸していた。足りるかなとハラハラしながら食事をしていれば、相手とのやりとりも上の空になるはず。

    結婚後、京都の三高時代の友人に聞くと、三高時代からそういう面があったとのこと。友人にお金を貸してくれと言われると、自分がもっていないのにいいよと言う。京都の親戚に借りに行こうとするが、1軒に行こうとして思いとどまり、もう一軒に行こうとしても思いとどまり。ペンを質入れしようとしても、そんなお金ができるはずがない。約束の時間になっても行けず、京阪に乗って大阪に。逃げたのではなく、大阪の実家に借りに行く。京都に戻ると、相手はもういない。探し回っていると、別の友人とばったり。金を貸してくれというから、先約があるので貸せない金だと分かっていながら、やっぱり貸してしまう。お人好しとしかいいようがない。

    結婚後は、そういうことがないように、政子がしっかりお金を管理し、毎朝、お金を与え、帰ってきたら財布をチェックしてどうお金を使ったか、厳しく管理した。うまくいっていた。そんなある日、清正の友達と称する人が訪ねて来た。実はお金を借りることになっているが、金は妻が管理しているので妻のところに取りに行ってくれ、と言われたので来たという。見ず知らずの人に貸せないと、いったん帰ってもらう。清正が帰ってきたので胸ぐらをつかんで問い詰めると、借金が断れずにそう言ってしまった、とのこと。そんな言い逃れをあとで取り繕うほうがよけい信頼を失うだろうと言うと、大丈夫、今、お金を貸してきたからと清正。どこにそんなお金があったんだと聞くと、コートの下の衣類が全部なかった。質入れをしたのだった。今度はなぐった。


    『高野線』 (146-153)

    9月3日の夕刻に南海電車高野線で死者70数人という事故があった、紀見峠の谷底に墜落した。翌朝、同じ線で数名の死者が出る事故。自分が住んでいる近くの萩原天神駅(現在の堺市)で起きた。そんな内容の書き出しから始まるが、どちらも1944年9月に実際に起きている。織田作之助は、1939年から妻・一枝と萩原天神駅の隣、北野田駅近くに住んでいた。

    次に、妻が死んだのは8月6日という話に及ぶ。オダサクは、実生活においても1944年に最初の妻・一枝を亡くしている。

    以降、小説では、自分たちに全く非がなく不本意にも谷底に落ちて死んだ人たちより、家の床で自分の手にだかれて死んだ妻はそれよりはるかに幸せではあるが、自分としては妻が本当にかわいそうでならないとして、妻ががんを患い、激痛に堪える姿を目の当たりにし、医療に対する怒りや、自らの力不足、ふがいなさなどに怒りを爆発させていく様子を描く。

    晩年、オダサクは私小説という伝統的スタイルに対して強く批判をしていたらしいが、この小説はもろに私小説に見える。ところが、編者はあざやかなフィクションだと解説する。

    主人公は作家らしき人物だが、寝付きが悪く電車の中で決して居眠りなどできなかったが、妻は乗るとすぐに寝たので非難めいたこと生前に言っていた。ところが、妻が死んだあとは何故か電車で居眠りをするようになり、ある講演帰りには終電なのに3駅も寝過ごして2時間近く歩かなければならなかった挿話まで展開している。また、妻ががんと分かった後に誰よりも詳しいと自称するほどがんについて勉強した。民間療法を含めていろいろ試した。医師の知らないことも含めて。医師は通り一遍のことしかせず、揚げ句のはてはもうだめだから痛み止めを近くの医師に打ってもらえと放り出す始末だと憤りを訴える。

    仕事で10日ほど家を空けた時、妻の具合は急速に悪化する。その後悔もある。妻が死に、電車での居眠りからふと目を覚ますと、がん治療に関する看板が目に飛び込む。しまった、あの治療をしてなかった、と小説を締めくくる。やはり、あざやかなフィクションが成立している。


    『蛍』 (156-175P)

    伏見の船宿・寺田屋に嫁いだ登勢の話。
    14歳の時に51歳で身ごもった母親は、妹を産むときに死んだ。赤児も10日目に死に、父親も半年で。彦根の伯父に引き取られ、18歳で伏見へ嫁ぐ。姑のお定は病気で式に出られず、後に中風と判る。嫁が来たので死に神が舞い込んだと騒ぐお定。江州なまりも嗤う。

    夫の伊助は潔癖症で、三三九度の盃も綺麗にしてから口をつける。宿仕事も襷掛けをせずにあちこちを拭きまくるだけ。お定は後妻なので、先妻の子である伊助ではなく、自分が産んだ娘の椙に入聟を取らせて旅館を継がせたかったが、椙は芝居道楽。結局、18歳の登勢が一人で旅館のことをし、お定の面倒もみた。

    五十吉という威張った男が来て、包みを預けた。中は絶対に見るなといって出かけた。帰ってきたら、なかを見ただろうといいがかりをつけ、風呂敷を開けた。中から人形が出てきて声をだして喋り、見られたという。脅してお金を取ろうとしていたが、お定をみにきた医師が最近はこんな犯罪があると世間話をしたため、五十吉は素性がバレて逃げていった。腹話術を使ってしゃべるように見せかけていた。五十吉になぜか目が行っていた椙は追い掛けて出て行った。

    ある夜、宿の外に赤児が泣いていた。反対されたが、登勢は育てたいと主張、お光と名付けた。そのうち、子ができて千代とした。お定は、お光は継子だと言い、自分と伊助の関係にも照らし合わせてつぶやいた。そして、お光もかわいがる登勢を評価し始め、感謝しながら死んでいった。

    伊助が浄瑠璃を習いたいといいだした。そのうち、伊助が外で女を囲っていることを知る。相手の女が挨拶に来た。堂々と対応して、責めようともしなかった登勢。相手の女も感心したのか、まもなく別れて出て行った。

    千代を亡くしてしまった。そして、椙が戻ってきた。お光を見るなり、自分と五十吉の子だと言い、連れていってしまった。子のいなくなった夫婦だが、町医者の娘だったお良を養子にした。

    客は薩摩の武士たちが多かった。船賃を無料にするなど彼らにはサービスをした。そして、1862年の寺田屋騒動が起きた。さらに、1866年には泊まっていた坂本龍馬が襲われ、お良が風呂から裸で飛び出して知らせ、窮地から救った。その後、2人は結婚した。


    『四月馬鹿』 (178-203P)

    武田さんのことを書く。
    この1行で始まる。大阪出身のプロレタリア作家、武田麟太郎との交流や思い出話を綴る。これも私小説のように見せて、実はフィクションなのだろう。実は小説の始まりのところで、私小説とフィクションについての論を述べている。麟太郞が外地から帰って間もなく書いた「弥生さん」という小説が、私小説だと言われているがそんなはずない、と書いている。

    武田麟太郎は、三ツ寺の喫茶店で働く女給に肩入れし、13時間も粘る。文学青年の入山という男は、そのライバル。ある日、女給に相談に乗って欲しいと言われ、二つ返事でOKして話をきくと、彼女は入山が好きなので代わりに言って欲しと頼まれる。やけになって泥酔。

    新進作家として売れ始めた武田、彼の八畳部屋を訪ねる。編集者やら記者やら、いっぱいいる。ただ武田といることが楽しいという人もいて、将棋を指している者も。ある新聞記者が、満州へいくならぜひ旅行記をお願いします、と言うと、飛び上がる武田。その前に満州へいくにあたって一文をお願いします、と記者。武田が、誰が満州へ行くんだ?と問う。今日のうちの消息欄に出ていました、と記者。それはデマだった、犯人は武田自身だった。

    武田の部屋にあった時計。武田は抱きかかえてこれだけは譲れないと言う。千円なら考えるが、と。しかし、大阪に帰り難波の夜店で2円50銭で売っていた。主人公はそれを購入して、武田さんに送ってやろうと画策するが、買ったら愛着が出てきた。

    「改造」の担当Aに、大日本印刷の校正室で缶詰にされて原稿を書かされている武田。誰も中に入れない。しかし、主人公は入ることを許された。原稿がまったく書けていないことをうち明ける。武田は入ってきたAにビールを1本だけせがむが拒否される。外出も拒否される。白紙の原稿用紙を封筒につめ、書けたよとAに渡して逃げる。主人公とおでん屋へ。追い掛けてきたAにつかまるが、また逃げる。しかし、2週間後の「改造」には、ちゃんと文章が載っていた。

    武田がジャワへ行った。陸軍報道班員。武田麟太郎鰐に食われて急逝す、という噂が流れた。考えられないので武田さんが自分で飛ばしたデマではないかと考えた主人公。果たして、元気に帰ってきた。マラリアにもかからなかったという。次に、武田が失明せり、という噂が大阪まで伝わってきた。これもデマだと思って聞いてみると、嘘だがメチルでだいぶ目をやられているようだった。

    罹災して新聞社に避難したという噂が流れた。自分で姿を消した感じだなあと想像した。あの人は不死身だ、と。しかし、4月1日の朝刊に「武田麟太郎急逝す」と出ていた。キツネにつままれた気持ちだったが、「凄いデマを飛ばしたなあ」という想いが主人公を救う。今日は四月馬鹿じゃないか、と。武田さんの〝一生一代〟(一世一代)の大デマだとつぶやきながら、ポタポタと涙を流した。


    『神経』 (206-234P)

    一から四の区切りで構成されているが、一では作家である「私」が、紋切り型で語るラジオ放送などを厳しく批判する。ラジオのアナウンサーの口調はもちろん、宝塚のレヴュ(レビュー)をそのまま流すラジオ、名人徳川夢声ですら「風と共に去りぬ」が宮本武蔵に聞こえる、と批判。

    二では、そんな紋切り型のレヴュに憧れた若い女性が命を落とした事件が語られる。千日前にある大阪劇場の裏手みぞのハメ板から死体が出てきた。死後4日で暴行された跡。他殺体。結局、10年たっても解決せず。

    被害者は家出をし、近くの安宿に泊まってレヴュに通っていた。「私」が聞き回ると、弥生座の前にある喫茶店「花屋」にも毎日来ていたという。きっと弥生座に出演した女優が来店するからそれが目当てだったのだろう、と。「千日堂」という飴屋にもよく来ていた。「私」も煙草と飴を買い、郭へ。女に飴をやる。大阪劇場の女優達がお金を出し合って近くに地蔵を建てた。

    三では戦争が始まって千日前が落ちぶれた話。(1945年)3月13日、花屋も千日堂も、そして銭湯の浪速湯も焼けてしまった。その10日後に歩くと、「花屋」も「千日堂」も大阪劇場も弥生座も、銭湯の「浪花湯」も焼けていたが、地蔵だけは焼け残っていた。それがかえってあわれだった。花屋の主人が焼け跡を掘り出していて「わては焼けても千日前は離れまへんねん」。名前を呼ばれたので振り向くと、中学のときから本を買っている「波屋」の参ちゃんだった。波屋で働いていたが、主人より店を譲り受けて波屋を経営していた。「今に見てとくなはれ。また本屋の店を出しまっさかい、うちで買うとくなはれ」、「南でやりま」。

    2人の執着ぶりがうれしかったので、「起ち上る大阪」という題でこの2人のことを書いた(実際に週刊朝日に書いている)。1月ほどすると、戎橋を北へいった右側で参ちゃんが本屋を出していた。この前の記事のことを言った参ちゃんは、自分のことを書いていて、殺生だっせ、と。花屋のおっさんにも見せたが、あない書かれたら、もう離れとうても千日前は離れられるんと言うてた、とも。花屋の主人に会うのがつらくなった。

    帰りの電車で夕刊を読むと、「浪花ッ子の意気」という見出しの記事があった。空景気もいいかげんにしろと思った。自分が使った「起ち上る大阪」という言葉も、文章を書く人間の陥り易い誇張だったと、自己嫌悪の念がわいてきた。

    四は、戦争が終わって2日目に、「起ち上る大阪」と同じ週刊誌から、終戦直後の大阪の明るい話をかいてくれと依頼され、再び花屋と参ちゃんのことを書いた、という話から始まる。2日、3日で見通しなどまるでないのに、月並みなことでお茶を濁す内容で書いてしまった。

    3ヶ月ほどしてミナミを歩くと、もとの場所で参ちゃんが本屋を復活させていた。2回も書いてもらったんで頑張らなあかんと思った、といわれた。千日間通りにさしかかろうとすると、腕を捕まれた。相手は花屋の主人だった。書いてもらったので頑張って、いま普請中でもうじき店が復活する、一番に来店して欲しいから住所を教えてくれと言われる。大阪劇場も再建されレヴュをしていた。千日堂もぜんざい屋になっていた。


    『郷愁』(236-252P)

    作家の新吉はどうしても原稿が書ききれない。東京から原稿請求の電報。今日、郵便で送ったと返事をしてしまった。午後3時に郵便局は閉まったが、原稿はまだ出来ていない。全然寝ていないので、もう諦めかけたが、大阪の中央郵便局までいって速達で出せば間に合うからと思い、起きてヒロポンを打って原稿を書き始める。

    新吉はこれまで書き出しは苦労しても落ちで苦労はなかった。というのも、落ちを思いついてから書き出していたから。しかし、今回は落ちがどうしても思いつかない。世相を描こうとした物語の結末だった。夜の8時に書き上げたが、ついに落ちは出来ず、無理矢理絞り出した落ちは「世相は遂に書きつくすことは出来ない。世相のリアリティは自分の文学のリアリティをあざ嗤っている」という逆説だった。

    駅員が帰り暗くなった清荒神駅で大阪行きを待っていると、宝塚行きが来て、40歳ぐらいのみすぼらしい女が降りてきてここは荒神口でしょうか?と聞くので、違う、そんな駅はこの線にないと答える。なんでも夫からすぐに荒神口に来いとウナ電があり、子供が食事中だけど飛んで来た。誰もいない。いくらウナ電でも7時間ぐらいかかるから変な話ではある。

    新吉は大阪に出て速達を送る。電車の中では旧券で市電の回数券を1万冊買った奴がいて、1冊5円なので5万円だがちびちび売れば結局、5万円分の新券が手に入る、汚いことを考えるやつだと乗客が話していた。速達を出してから、阪急百貨店の地下室入口前までいくと、一人の浮浪者が寝転び、横に5つか6つぐらいのその子供(男子)が立て膝でうずくまっていた。父親はぐうぐう寝ている。

    階段を上っているとき、新吉は人間への郷愁にしびれるようになっていた。世相などという言葉は、人間が人間を忘れるために作られた便利な言葉に過ぎないと思った。なぜ人間を書こうとせずに、世相を書こうとしたのか。新吉ははげしい悔いを感じながら、ふと道が開けた明るい思いを揺すぶりながら帰りの電車に。清荒神では、まだあの女が座っていた。

    戦後、GHQ占領下ではあるが、世相を自由に書けるようになった。一方で、人の問題はどうなのか?それを放置して世相にばかり筆や関心がいってしまっていいのか?そんな作家自身の問いが聞こえてきそうな作品。

  • 人間が生きている限り、理由や原因の無い憂愁の感情が有る。しかし織田作之助の生きていた当時、新作を発表する度にすざまじい悪評をされたという。

  • とっても良かった。僕は好きです。

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著者プロフィール

一九一三(大正二)年、大阪生まれ。小説家。主な作品に小説「夫婦善哉」「世相」「土曜夫人」、評論「可能性の文学」などのほか、『織田作之助全集』がある。一九四七(昭和二二)年没。

「2021年 『王将・坂田三吉』 で使われていた紹介文から引用しています。」

織田作之助の作品

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