- Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101040028
感想・レビュー・書評
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表題含む9編からなる短編集。
初めて岡本かの子の作品を読んだが、いきなり『老妓抄』で心を掴まれた。老妓なのに艷やかで粋で魅力的だ。他の作品も、仄かな想いや栄華から没落していく悲哀などが描かれているが、毎度物語に驚きがあり味わいがある。どの短編も個性的で心に残った。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
この本を読んでいる間、なんども電車を乗り過ごしそうになった。題名が作品を表していて、しかも予想と違う話ばかり。小説はおもしろいと心から感じさせてくれる一冊だった。
好きなのは「蔦の門」。孤独な者同士が牽き合い、孤独でなくなる話。気にかけていい存在があるからこそ、やさしい人になれることはあると思う。 -
2022.9.15 読了。☆3.5くらいにしたい。
9編の短編小説集。
海外から新しい文化が入ってくる時代の波の中、今までの生活を手放せず新しい文化に憧れつつも受け入れることにも葛藤している主人公が多いと感じた。
満たしたい欲望を満たせない焦燥感や哀愁が淡々とした文章の中にひしひしと感じられた。
一番長い小説「食魔」では食という欲求を語りつつ死生観が描かれていたように思う。
現代のあまり使われない語句が使われたりしていて、それが余計作品に色気を醸し出していた気がする。
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未読のままに来てしまった日本近代文学の「名作」を改めて読むシリーズ、今回の岡本かの子は、1889(明治22)年生まれ、林芙美子より一回り年上だ。もちろん、画家・岡本太郎の母親であったことは有名な事実。
初めて読むこの作家の短編集は、まず何よりも、彫琢された文章の充実が見事であり、それだけで大変読み応えがある。こういう文体はゆっくりと味わいながら読むべきものだ。
一方で物語内容は、「あまり面白くない」ような、刺激の少ないもので、巻頭の名作の誉れ高い「老妓抄」は、要するに老いた芸妓が若い男を「飼う」という話で、これがどのような意味を持つのか最初判然としなかった。亀井勝一郎の巻末の解説を読んで、老妓の性愛を描いている、という評価を手がかりとすると、なるほど、若い芸者たちを雇って嬌態によってサービスさせたり、養女が幼い媚で迫るに任せたり、といった実践が、自らの愛欲を他者に託して表象しているのだと推測することはできる。しかし、一読してなかなかそうは明確にならないので、直接描かない心理の不明瞭が、もどかしい。
むしろ「鮨」「東海道五十三次」「家霊」などの方が話として分かりやすく、文学的に充実を極めた文体とともに、良かった。
この集中、「越年」だけは異色で、文体はごく普通の平易なものだし、いきなりオフィスの情景を描写しているし、ストーリーも「ちょっとした恋愛小話」のようなもので、まるで違う作家の作物であるかのようだった。書いた年代が違うのか、原稿を発表した雑誌が他とは異なる種類のものだったのか、巻末にもデータが無いので分からなかった。
最後の「食魔」は、ちょっと記述がだらだらと間延びしていて、他の秀作のような簡潔さに欠け、良くなかったと思う。 -
初 岡本かの子。老女中と茶屋の娘が孤独なもの同士、素直ではない心の通わせ方を見せる「蔦の門」。極端に偏食(潔癖)な子供のために母が目の前で寿司を握って食べさせるシーンがキラキラしている「鮨」。当時評価の高かったという「老妓抄」は、現役を退いてからの老妓の生き方が肝が据わっていて背筋がピンとしています。老妓の短歌「年々にわが悲しみは深くして いよよ華やぐいのちなりけり」かっこいいですね。奥深さにシビれます。
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言わずもがなではあるが、岡本太郎巨匠の母上。
小説は時代を切り取って、その時代を表現する言葉を
利用した芸術だろうと思う。
本書は、まさに作者の生きた時代を表現し、
読者の前に見事に現出させる言葉の魔術師だ。
彼女にしかできないやりかかたで、きっちりと
その時代の風景が見えてくる。
そんな作品群を鑑賞して、在りし日の日本に思いをはせる。
心の贅沢が得られる良書である。 -
読みにくさはあるものの、惹かれるものがある。
今の時代にはない、強さがある。
悲しさも憎さも、今の数倍強い。
だからこそ、明るさも光っている。
本の中の人物が、生きている。 -
真綿で首をしめてるようだ・・・・。
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岡本太郎のお母さんの代表作。
岡本太郎ファンなので、そのお母さんの本はずっと気になっていた。愛人と旦那と息子の太郎で暮らすとゆう令和になってもおいつくことのなさそうなぶっ飛んだ価値観を持った女性だったらしい。ただただすげえ。
老妓抄とは、年取った芸者(老妓)が、発明家を目指す若い男の子のパトロンになってあげるってゆう話。おそらくだけど、作者の岡本かの子自身を重ねた話なんじゃないかな、と思う。
この作品で描かれる一線を引退した「老妓」は、今の感覚だと70-80代の老人のイメージだけど、やりとりからして40代くらいなんじゃないかと思われる。(実際林真理子の解説の本にもそう書いてあった。)
当時の感覚でゆうと40代の女が青年を色恋の目で見るとゆう感覚はなかったのかもしれない。一方的にいいなと思うことがあっても、老妓のように青年をかくまい、少しずつ自分のテリトリーから逃がさないようにするなんてことができる人はそうそういないと思う。そして、老妓のおそろしいところは、この青年も知らないうちにある意味で老妓の気持ちを受け取りつつあることだと思う。しかし、今のスキャンダルなんか見ると40歳すぎようと芸能人では不倫とかのスキャンダルは物珍しいものじゃない。そう思うと今の感覚では、同じように70-80代の女性が本気で青年を好きになることはそうそうあることじゃないと思っても、何10年後かになったら、物珍しくなくなるのかもとか思った。 -
さっと読んでしまったけれど、これは再読しよう。