小さき者へ・生れ出づる悩み (新潮文庫)

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  • / ISBN・EAN: 9784101042046

感想・レビュー・書評

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  • 実家の母から借りた本。
    母が以前勤めていた職場のかたが定期的に読み終えた本を送ってくれるらしい。なんて素敵な関係なんだ。
    有島武郎さんの作品は初めて読んだが、とても美しい文章で、日本に生まれてよかったなぁと思った。

    『小さき者へ』
    病気で母を失った我が子へ宛てた父の手紙。
    心を震わせるほど美しく力強い文章で想いが真っ直ぐに語られる。
    失うときに初めて気づいた愛する者との大切な時間。
    かなしい境遇を嘆くのではなく、父の苦悩や母の愛情を知って、幸せだったんだよと伝えたかったんだね。
    子どもたちを励ましているようで、自分自身に言い聞かせているような…
    そして最後の一文「行け。勇んで。小さき者よ。」が好きだ。

    『生れ出づる悩み』
    画家を志す少年と画家になれなかった教師。
    夢と生活のどちらを選ぶか。人生の究極の選択。
    どちらの選択も犠牲は伴う。
    その悩みや葛藤が、繊細で美しい言葉で語られる。
    自分の幸せって何?
    とても考えさせられる作品だった。

    • ひろさん
      あぁ!ホラーとか警察小説ですね!
      1Qさんの娘さんはお年頃なのですね~♪
      本棚に置いてあったらいつか娘ちゃんも手にする時が来るかも?!( ̄▽...
      あぁ!ホラーとか警察小説ですね!
      1Qさんの娘さんはお年頃なのですね~♪
      本棚に置いてあったらいつか娘ちゃんも手にする時が来るかも?!( ̄▽ ̄)ニヤリッ
      2023/08/08
    • 1Q84O1さん
      その時は娘に言ってやりますよ!
      「読めるようになったじゃん」「渋いのが好きになったね」ってw
      その時は娘に言ってやりますよ!
      「読めるようになったじゃん」「渋いのが好きになったね」ってw
      2023/08/08
    • ひろさん
      おぉ!言ってやりますか~!!w
      そのときのお年頃の娘さんの反応が気になります(/´△`\)
      おぉ!言ってやりますか~!!w
      そのときのお年頃の娘さんの反応が気になります(/´△`\)
      2023/08/08
  •  ちょっとセンチメンタル過ぎると思ったが、静かな中にも力があり、美しい文章。大正時代の文学。この時代の文章に接するのは幸せだ。

     『小さき者へ』
     妻を病気で亡くした後、残された幼い子供たちへ語りかける手紙のようなもの。以下は、心に響いた文章の抜粋。
    抜粋1 
    私が今ここで、過ぎ去ろうとする時代を嗤い憐れんでいるように、お前たちも私の古臭い心持ちを嗤い憐れむかもしれない。わたしはお前たちのためにそうあらんことを祈っている。お前たちは遠慮なく私を踏み台にして、高い遠い所に私を乗り越えて進まなければ間違っているのだ。

    抜粋2
    お前たちが一人前に育ったとき、わたしは死んでいるかもしれない。一生懸命働いているかもしれない。老衰して物の役に立たないようになっているかもしれない。然しいずれの場合にしろ、お前たちの助けなければならないものは私ではない。お前たちの若々しい力は、下り坂に向かおうとする私などに煩わされてはならない。斃れた親を喰い尽くして力を貯える獅子の子のように、力強く勇ましく私を振り捨てて人生に乗り出して行くがいい。

     あと、抜粋はしないが、妻が自分の病気を結核だと知らされ、間もなく自分は亡くなると悟ったとき、病気を子供たちに、移さないためだけでなく、子供たちに残酷な死の姿を見せて子供たちの心に傷跡を残して、その一生を暗くすることを恐れて、子供たちに死んでも会わない決心をしたという箇所、葬式には女中を子供たちにつけて楽しく過ごされてやりたいと遺書に書いている箇所、その芯が強さが美しく、心に響いた。

    『生れ出づる悩み』
    カバー裏からのあらすじの抜粋
    “君”という語りかけで、すぐれた画才を持ちながらも貧しさ故に漁夫として生きねばならず、烈しい労働と不屈な芸術意欲の間で逞しく生きる若者によせた限りない人間愛の書

     著者はこの若者が16才くらいの時に初めて会った。突然訪ねて来て、著者に自分の絵を見せたのだ。技巧的には幼さはあるものの驚くべき才能が見られる絵を見て、著者は驚いた。だが、その少年は絵のほうに進みたいが、実家に帰って、家業の漁業を手伝わねばならない。いつか、素晴らしい絵を描いて見せにくると言い残して、その場を去る。
     何年かして、その少年から油紙に何重にも包んだスケッチブックが送られてきて、著者はその成長を喜ぶ。「一度会わないか」と手紙を書くと、その時の少年は吹雪の中、訪ねてきた、すっかり逞しくなった姿、人間的な成長の著者はあの時の少年とは別人だと初め思った。
     その木本という若者から、毎日休む間もなく、死に直面しながら、家族を支えるため漁師として働いているという話、海が荒れて漁に出られない日に、近くの山の景色などをスケッチすることに勤しんでいるという話、しかしそのことも周りからは理解されず、本来ならば漁に出られない日も、網を直すなど仕事は山ほどあり、家族にすまない気持ちがするということなどを夜通し聞いて、著者の想像も交えて、木本という若者の苦悩の日々を描いている。

    以下は、木本が天気が怪しい中、漁に出て、嵐に会い、船が転覆した中、九死に一生を得た後の抜粋

    抜粋3
     君は漁夫たちと膝を並べて、同じ握り飯を口に運びながら、心だけはまるで異邦人のように隔たってこんなことを想い出す。なんという真剣なそして険しい漁夫の生活だろう。人間というものは生きるためには、厭でも死の近くまで行かなければならないのだ。謂わば捨て身になって、こっちから死に近づいて、死の油断を見澄まして、かっぱらいのように生の一片をひったくって逃げてこなければならないのだ。

     モデルになった若者は木田金次郎という画家で、有島武郎の死後、決心して、画家となった。グーグルで調べてみると、この小説の中に描写されているのと同じような絵。北海道、岩内の木田金次郎美術館に行ってみたい。



    • goya626さん
      ほう、木田金次郎美術館、行ってみたいですね。でも、あまりに遠し。
      ほう、木田金次郎美術館、行ってみたいですね。でも、あまりに遠し。
      2021/08/23
  • ●小さき者へ
    私は有島武郎のこの二つの作品から、静謐と光を感じた。表現は繊細で情景が浮かんでくる。

    「小さき者へ」は親の溢れる無償の愛が描かれている。
    印象に残った部分①
    〜お前たちは遠慮なく私を踏台にして、高い遠い所に私を乗り越えて進まなければ間違っているのだ。然しながらお前たちをどんなに深く愛したものがこの世にいるか、或はいたかという事実は、永久にお前たちに必要なものだと私は思うのだ。〜
    これだけはっきりと親を踏み台にしろと言う深い愛情表現と、生きていく上での拠り所になる、深く愛されていたという事実を伝えるための部分。

    印象に残った部分②
    お前たちの母上は全快しない限りは死ぬともお前たちに逢わない覚悟の臍を堅めていた。〜略〜お前たちの清い心に残酷な死の姿を見せて、お前たちの一生をいやが上に暗くする事を恐れ、お前たちの伸び伸びて行かなければならぬ霊魂に少しでも大きな傷を残す事を恐れたのだ。幼児に死を知らせる事は無益であるばかりでなく有害だ。葬式の時は女中をお前たちにつけて楽しく一日を過ごさして貰いたい。そうお前たちの母上は書いている。
    「子を思う親の心は日の光世より世を照る大きさに似て」
     とも詠じている。

    子どもたちを思いやる深く、永遠に続く愛情。ここには、何かをやってやりたいというような、自己満足が混じる気配は一切ない。潔く、清らかだ。

    印象に残った部分③
     小さき者よ。不幸なそして同時に幸福なお前たちの父と母との祝福を胸にしめて人の世の旅に登れ。前途は遠い。そして暗い。然し恐れてはならぬ。恐れない者の前に道は開ける。
     行け。勇んで。小さき者よ。

    最後の部分に光が見える。無条件で愛される幸せは何物にも代え難く、尊いものだと思う。自分自身が子として、また、子の親として、共感できるのは、自分もまた、恵まれているからであり、幸せだからであろう。


    ●生まれ出づる悩み
    読み終わり、有島武郎のことを調べた。
    木田金次郎をモデルとした本作。実際木田も漁業を生業としていたが、有島の死後、画家に専念。まさにこの作品の続きのようで、感慨深い。

    生活か、夢か。
    目の前の家族を支えるための生活が、
    夢を選ぶことを悪のように感じさせ、また
    自分の才能を自分自身が信じきれない思いもあり、
    揺れ動く。

    印象的な、少年との出会いの場面が好きだ。自分の絵を見せる少年の挑むような気迫と、対する「私」の緊張感と、絵に惹かれている気持ちや、絵に対する素直な反応が丁寧に書かれている。
    時は流れて少年は青年になり「私」の目の前に現れた。少年は誰だかわからないくらいに見る面影もなく、漁業従事者として日々暮らす青年となっている。それでも自然に対する感受性が、未だに彼の根本であるらしい。

    抜粋
    パンのために精力のあらん限りを用い尽くさねばならぬ十年――それは短いものではない。それにもかかわらず、君は性格の中に植え込まれた憧憬どうけいを一刻も捨てなかったのだ。捨てる事ができなかったのだ。

    土途中から、「私」が少年のこの10年を想像して執筆する場面になる。北国での厳しすぎる漁業従事者の様子が語られ、そこでは、一人芸術家の魂を持ちながら働く君が、漁業にも絵にも気持ちとしてはどちらともつかず揺れ動き、孤独を味わっている。

    そして最後の9章は、すべての悩みを抱える「君」=読者に語りかける。魂の悩みは、考え抜き、答えは己が出すべきものであると。

    抜粋
    そして僕は、同時に、この地球の上のそこここに君と同じい疑いと悩みとを持って苦しんでいる人々の上に最上の道が開けよかしと祈るものだ。

    君よ、春が来るのだ。冬の後には春が来るのだ。君の上にも確かに、正しく、力強く、永久の春がほほえめよかし‥‥僕はただそう心から祈る。

    心の底から、すべての悩める魂に、春が来ると畳み掛けるようにしてエールを送り、最後を締める。


    私がこの物語で考えたことは、凡人からすると羨ましいかぎりだが、才能ある創作者たちは、産み苦しむということだ。才能は自分で見つけても、またはだれかに見つけられても、必ずしも幸せに直結するものではなく、苦しみの始まりかもしれないということだ。歴史上振り返れば、幾人も幸せな一生には見えない天才たちが存在する。その天才たちが生み出した作品のおかげで、多くの人の心は震える。
    改めて産み出す天才たちに敬意を払いたい。

  • この本は、私の親友の愛読書の一つであると言う理由で読み始めた。
    順番は逆に、生まれ出づる悩み、から読み始めた。

    以前、網走監獄を訪れて、そこから北海道開拓史に興味を持ち、その生活の厳しさを考えたことがあった。その時に感じた寒さ、厳しさは今のような明るく、本州からの避暑地と言ったイメージとはかけ離れた物であった。漁夫の家族として生まれた男、しかし、お金がないにも関わらず恐らくは画家としての才能を持ち合わせた男の、生まれ出づる悩み。

    昔の文章なので読みにくい。しかし、表現の美しさは私のような者にも伝わる。

    この時代ほどではないにしろ、生まれた場所によって生きる選択肢を制約されることはよくあることだ。そのことで、昔ほどではないにしろ、苦しんでいる人はいつの時代もいるものだ。

    自分の才能を、限りある人生だからと、信じ切って生きられる人がどれほどいようか。

    「この地球の上のそこここに君と同じ疑いと悩みとを持って苦しんでいる人々の上に最上の道が開けよかしと祈るものだ。

    ほんとうに地球は生きている。生きて呼吸をしている。この地球の生まんとする悩み、この地球の胸の中に隠れて生まれ出ようとするものの悩み
    それは湧き出て躍り上がる強い力の感じを以て僕を涙ぐませる。

    君よ、春が来るのだ。冬の後には春が来るのだ。

    君の上にも確かに、正しく、力強く、永久の春が微笑めよかし。僕はただそう心から祈る。」

    この世は不平等だ。どこに生まれるかは本人が決められたものではない。だからこそ、地球をも動かすようなエネルギーで、物事を動かしてほしい。そんな人々への熱いメッセージ。



    小さき者へ。

    君たちは不幸だ、と書かれていたので、不幸な家のもとに生まれた子どもたちに対する話なのかと思った。しかし、そうではなかった。

    「前途は遠い。そして暗い。然し恐れてはならぬ。恐れない者の前に道は開ける。
    行け。勇んで。小さき者よ。」

    自分の子どもたちにも同じ気持ちを持てた、と同時に親から自分へのメッセージともとれた。

    私達は、子どもを愛することから様々な学びを得る。それは見返りを求めるものではなく、その全ての気持ちが私達を豊かにするものなのだ。

    だから、「お前たちの助けなければならないものは私ではない。お前たちの若々しい力は既に下り坂に向かおうとする私などに煩わされていてはならない。
    力強く勇ましく私を振り捨てて人生に乗り出して行くがいい。」

    少子高齢化の中、家族の関係が問われることがあるが、私もこのような考えで子供と接したい。

  • 絶望と少しの希望。
     希望の裏には常に絶望や不安の影が見える。北海道の冬の寒さと暗さを引きずっているかのような一貫した陰鬱さがあるのだ。
     冒頭に筆者は母を亡くした子供達に対して「お前たちは不幸だ」と言い切る。私はこの「不幸だ」という言葉が子どもたちではなく筆者が自分自身に向けた言葉に思えてならなかった。彼は子供のことを思っているように見えて常に自分の不幸を気にしているのではなかろうか。作品の最後には子供の背中を押すような言葉がある。ほとんど確定した自分の死を念頭に、残される子供への遺言を残しているかのようだった。

  • 『小さき者へ』
    これほど胸に来るエッセイは他に無い。
    愛と自責、慈しみと罪。

  • 大正時代の作品だったため読みにくい表現もあるかなと思って読み進めるも、表現もくどい言い回しはなく読みやすかった。
    『生れ出づる悩み』家業の漁業を手伝うために漁夫として故郷で奮闘するも、絵を描くことも諦めきれない若者が題材。
    著者がその若者から夜通し聞いた話を元に書いた苦悩の日々から、若者の煩悶とした様子がよく伝わってきた。
    両作品とも文章が美しかった。北の大地の自然についての文章からありありとその様子が伝わった。

  • 明治〜大正時代の小説家、キリスト教人道主義、白樺派の文学者であった、有島武郎の小作品。
    『小さき者へ』は妻の死後に幼い子どもたちへ書いた手紙のような短い小説。亡くなった母の想いや、恵まれた生まれ、父である武郎のさまざまな反省などを伝え、母を失い不幸ながらも愛ある生を受けた子どもたちを祝福し勇気づける小説である(天空の城ラピュタの『君をのせて』でいうところの「父さんがくれた熱い想い、母さんがくれたあの眼差し」と似たような感じの内容と思って差し支えない)。

    誰か大切な人の想いを背負うことや、世間から見れば小さな出来事を深く掘り下げ感じ入ること(有島は、人生に深入りすることと呼ぶ)は、人が生きていく指針を持ち、厳しい現実を切り拓いて(不幸ながらも勇気を持って)歩むために大切なことだと思った。

    一方で、感傷的で説教臭い小説にも感じる面がある。本書は、子どもたちに何度も「不幸な」子どもたちと呼びかけ、その不幸な状況を生み出した世界の不条理や有島自身の至らなさを悔いることから始まり、それでも愛を注いだ母の偉大さや恵まれた出自に触れ子どもたちを励まし、父親有島を踏み台として登っていって欲しいと語りかける。これはこれで子どもへの愛だと思うが、どこかに自己犠牲を美化するような色や、人生を達観した目線を感じて、有島の自分自身の観察に浅いところがあるのではないかという疑問を覚える。もっと、有島自身の立場、気持ち、子どもたちへの揺れるさまざまな想いを描いていれば、本当の有島のことをもっと知れたのに、と思う。そしてそれは本当に人間らしさを描くことになるのに、また子どもたちとの会話になるのに、と思う。

    なんとなく、白樺派ってそういうところがあるのかしら...。トルストイとかも説教くさい作品あるし。

  • 小さきものへの感想
    失いそうになって初めて、大切なものに気づき、守ろうとした。しかし、その失われそうになっていたものは、自分にこれから守るべきものを与えてくれていたことに気がついた。それらをこれから守るという自分自身への決意表明のようなお話。
    生まれ出づる悩みの感想
    自分の希望する道へ進むことができず、家族のためについた仕事で不本意ながら汗をかく。生きるということはこういうことが大概あるのではないだろうか。

  • 北海道の厳しい大自然
    どことなくバタくさい文体
    それゆえに両作品とも
    物語最後のメッセージが
    とても力強く感じる

    酒井駒子さんの表紙絵が良い

    ブックオフにて購入

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