- Amazon.co.jp ・本 (752ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101042053
感想・レビュー・書評
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著者、有島武郎さん、どのような方かというと、ウィキペディアには、次のように書かれています。
---引用開始
有島 武郎(ありしま たけお、1878年(明治11年)3月4日 - 1923年(大正12年)6月9日)は、日本の小説家。
学習院中等科卒業後、農学者を志して北海道の札幌農学校に進学、洗礼を受ける。1903年に渡米。ハバフォード大学大学院を経て、ハーバード大学で1年ほど歴史、経済学を学ぶ。帰国後、志賀直哉や武者小路実篤らと共に同人「白樺」に参加する。1923年、軽井沢の別荘(浄月荘)で波多野秋子と心中した。
---引用終了
で、本作の内容は、次のとおり。
---引用開始
どうかして心が狂ってしまったんだ。こんな事はついぞない事だのに――。
大正8(1919)年、刊行。が、まるで現代に書かれたような、奔放な恋愛譚。愛に生きた葉子の、その結末とは。リアリズム文学の最高傑作。
美貌で才気溢れる早月(さつき)葉子は、従軍記者として名をはせた詩人・木部と恋愛結婚するが、2カ月で離婚。その後、婚約者・木村の待つアメリカへと渡る船中で、事務長・倉地のたくましい魅力の虜となり、そのまま帰国してしまう。個性を抑圧する社会道徳に反抗し、不羈(ふき)奔放に生き通そうとして、むなしく敗れた一人の女性の激情と運命を描きつくした、リアリズム文学の最高傑作。
巻末に用語、時代背景などについての詳細な注解、および解説(加賀乙彦「愛の孤独と破滅」)を付す。
---引用終了
そして、本作の書き出しは、次のとおり。
---引用開始
新橋を渡る時、発車を知らせる二番目の鈴が、霧とまではいえない九月の朝の、煙った空気に包まれて聞こえて来た。葉子は平気でそれを聞いたが、車夫は宙を飛んだ。そして車が、鶴屋という町のかどの宿屋を曲がって、いつでも人馬の群がるあの共同井戸のあたりを駆けぬける時、停車場の入り口の大戸をしめようとする駅夫と争いながら、八分がたしまりかかった戸の所に突っ立ってこっちを見まもっている青年の姿を見た。
---引用終了
現在、私がブクログに登録している白樺派の作家は、
・武者小路実篤(1885~1976)
・志賀直哉(1883~1971)
・有島武郎(1878~1923)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
最初は悪女だ、とレッテルを張りながら読んだが、途中から悪女は悪女だが、こういう心の揺れ動き、思っていることとは真逆のことを言ったり行動したり、強がったり、、、その程度は別にして誰にでもあることじゃないか、と印象が変わってくる。葉子を通じて、人間の心の中にある矛盾や葛藤、感情と理性の衝突、など「意外とそういうものかもしれない」と葉子を受け入れている自分に驚く。
一方、葉子は体調の悪化とともに精神がむしばまれていく。精神を制御するためには健全な肉体が大事。いろいろな読み方ができた小説であった。長くても読む価値あり。 -
たぶん中学や高校で読んだ、わかったのやらわからなかったのやら?
今の感性で読んでみたい。 -
日本文学史序説(加藤周一)より
・有島武郎は多くの文学作品を書いた。
そのなかで衆知のみるところ最も優れているのは、小説「或る女」である、
19世紀後半のヨーロッパの小説ーたとえばモーパッサンの「女の一生」やフロベースの「ボヴァリー夫人」ーのように、現実主義的な手法で、美しい奔放な中産階級の女の生涯を描く。
その生涯の内容は、主として男との恋愛関係で、社会の偏見と偽善に対して、自分自身に忠実な生き方を貫こうとした日本の女の戦いと敗北の歴史である。
有島自身はみずから「自然主義」を唱えなかったが、ヨーロッパの現実主義小説を模範として日本人の書いた小説のなかでは、いちばん成功した作品の一つであることは疑いがない。
「或る女」の主人公は、おそらく有島自身であった。彼はやがてその女主人公の運命を生きる。
日本文学史(ドナルドキーン)より
有島武郎自らが触れている。
「私はあの書物の中で、自覚に目ざめかけてしかも自分にも方向が解らず、社会はその人を如何あつかふべきか知らない時代に生まれ出た一人の勝気な鋭敏な急進的な女性を描いて見たまでで、信子さんの肖像を画こうとしたのではありませんでした」 -
戦後復興の時代。天性の美貌と魔性を持つ葉子。狂気的な生・性への執着と激情を完膚なきまでに描き切る。派手なアクション無しでも伝わる壮絶なリアリティに、息が詰まる純文学の大傑作でした…教えていただき、ありがとうございました!
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水村美苗さんが影響を受けた本だったか好きな本だったかで挙げていらしたので読まねば!と思って積んであった本をやっと。
前篇は、なかなかストーリーがすすまない感じで人間関係もつかみにくく、主人公に共感できることもなく、読みとおせないかもと思ったけれど、後編に入ったら突如おもしろくなってきて、いったいどうなるんだろうと引き込まれていった。のだが、だんだんおもしろいを通りこしてホラーかと思うおそろしさになっていき、ラストのほうではまさにこわくてふるえた。
主人公葉子の狂気がこわい……。これはいったいどこからくるものなんだろう……。いわゆる業とか性とか……? この時代の閉鎖的な社会からはみだしてしまう個性……?
救われない者は絶対に救われないというような人生の無常みたいなものを感じるような。
しかし、やはり文章はすごいかも、と。
狂気の描写とか自然描写とか読んでて戦慄するような、凄みがあるというか。
ほんと、おそろしかった……。 -
読み応えたっぷり。
和製スカーレット・オハラな女性、早月葉子の奔放で激情に身を委ねた人生を綴った大作。
婚約者の待つアメリカへと渡る船の中で、イケメン事務長に惚れてしまい、そのまま帰国。
このときの葉子の揺れ動く心が、海に揺られる船という舞台に絶妙にマッチしてて、その生々しい感情が読者にストレートに伝わってくる。
その表現力、内容の濃さ。感服です。
あぁ、女ってなんて馬鹿な生き物。
そう思わせる作品。
いつの時代も同じ(なのかな?-
「女ってなんて馬鹿な生き物」
私は、そうはならないよ。って言う反面教師になるのかな?
馬鹿でどうしようもないのは、男も同じですよ。「女ってなんて馬鹿な生き物」
私は、そうはならないよ。って言う反面教師になるのかな?
馬鹿でどうしようもないのは、男も同じですよ。2012/06/25 -
>nyancomaruさん
反面教師・・・女性が愚かになれるのはそれだけ相手を信じてるから出来るのだと思うのです。だから、私は葉子が必ずしも...>nyancomaruさん
反面教師・・・女性が愚かになれるのはそれだけ相手を信じてるから出来るのだと思うのです。だから、私は葉子が必ずしも不幸だとは思えないんですよね><2012/06/26 -
「それだけ相手を信じてるから」
んーー男は、それを利用するのか、、、嫌ですね。
幸不幸は、本人次第かも知れませんが、傍から見て可哀相に思える...「それだけ相手を信じてるから」
んーー男は、それを利用するのか、、、嫌ですね。
幸不幸は、本人次第かも知れませんが、傍から見て可哀相に思えるような事にならないようにしたい(何だか反省しちゃいました)。2012/06/26
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有島武郎は本当に男だったのだろうか…
読み進めていくうちに頭の中を何度もそんな思いがよぎった
コロコロと変わる気持ち、想いが強い故に起こしてしまう真逆の行動
女にしか分からない、何とも言えない表現し難い心理描写が手に取るように描かれている
愛情、嫉妬、母性
女なら少なからず誰しもが表裏一体に持ち合わせている心の動きが見事に表現されている
これは小説ではなく、誰かの手記なのではないかと疑いたくなる -
この小説が書かれた年代は1911年~13年、物語の時間は1901年(明治34年)の秋冬春夏。しかしまったく時代を感じさせない「或る女」「早月(さつき)葉子」というヒロインのなまなましさ、よ。
要するに道具立ては古いが(明治時代の背景)1人のヒロインの強烈な個性を描きつくした有島武郎という作家の腕の冴えを味わった。
美人で才知あふれ、気が強くかつ傷つきやすい女に、時代の荒波が(といっても現代とさしてかわらず)世間が、男の論理が襲いかかる。情熱をもって立ち向かう姿は迫力があるのだけれど、少々方向違い。
そりゃぁ、初恋の彼「木部」から新婚2ヶ月めに脱走し、離婚し、密かにそのときの子供を産み落とし、その身を親の後ろ盾がなくなり親戚に進められたとて、アメリカにいる婚約者のもとに行く船上で(2週間かかる)、船の事務長「倉地」に熱烈な恋をして結ばれ、アメリカに上陸もせずとんぼ返りしてしまう、そんなわがまま女幸せになれるはずがない。
日本に帰ってきても、船で知り合ったほかの男やら、アメリカの婚約者ともどもつなぎとめながら、「倉地」と同棲し深みにはまっていく。
という物語内容で「葉子」の性格行動を、文学的な心理描写とともに素晴らしく表現され、夢中に読ませる。やはり古典的自然主義文学の傑作なのである。
解説(加賀乙彦)にもあるが、アンナ・カレーニナやボヴァリー夫人のごとく、あざやかに浮かびあがる日本の女性像のひとり「或る女」の性格、現代にも、いや現代だからなおいるだろうね。「風とともに去りぬ」のスカーレット・オハラのように好悪のはっきり分かれる、妖婦的主人公である。
巻末に注釈あり、モデル説もありそういう興味もいいが、一気に読んで心理描写、歴史的時代背景、文学の情緒を楽しめる。しかも、仮名づかいなど表記も読みやすくなっているから、昔、読み挫折したけれど取り戻した感じで嬉しい。ああ、名作はいい!