仮面の告白 (新潮文庫)

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  • 本 ・本 (252ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101050010

感想・レビュー・書評

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  • 殺人劇場と称して、脳内で好みの男が刺されて血を流す様などを夢想して興奮するという特殊な性癖の主人公。射精は毎回比喩的な表現をする。
    (腕は頭上で縛られ、脇や腰に矢を受けた裸の青年の絵、聖セバスチャンの絵に強く惹かれて初射精するのが象徴的)

    近江に熱い視線をやりとりし、つかの間、そのまま手を繋いで歩くところなんかは恋だな青春だなと感じられて微笑ましかったが、所詮そんなものは一時の夢に過ぎず、その後は現実。
    女を好きになろうと努力する姿が見ていてひたすら苦しく悲しい。
    もう少し違う時代に生まれたなら、素直に男と愛瀬を重ねられたのに。

    私は女だが、あくまでも男視点として、もし男に生まれていたら男色になったんじゃないだろうかと思うような、主人公の男に惹かれる描写に妙に共感した。

    p161〜お気に入り

    • きたごやたろうさん
      またまたオイラの本棚に「いいね」をありがとうございます。

      「森沢文学」いったから、次は「三島文学」かな。
      またまたオイラの本棚に「いいね」をありがとうございます。

      「森沢文学」いったから、次は「三島文学」かな。
      2025/02/10
    • まえさん
      初めての三島作品読了で、思ったより読みやすかったけど内容はさすがに複雑ですね。著者の生誕100年ということで書店で著者作品紹介の冊子が置いて...
      初めての三島作品読了で、思ったより読みやすかったけど内容はさすがに複雑ですね。著者の生誕100年ということで書店で著者作品紹介の冊子が置いてあって貰ってきたりして、金閣寺を始め、色々手を出したい気持ちもありながら、気楽に読める軽い作品は無さそうだなと笑
      2025/02/20
    • きたごやたろうさん
      三島由紀夫、生誕100年かぁ。
      生きてるうちに、一度は通ってみたい道ですね!
      三島由紀夫、生誕100年かぁ。
      生きてるうちに、一度は通ってみたい道ですね!
      2025/02/20
  • 三島由紀夫だ。
    内面の暴露であろう作品だが、ふと考えさせられる。本当は何を描いているのだろうか。
    ただ素直に受け取ると、戦時に生きる同性愛者の青年による告白であるが、それだけでもないぞ、と思わせる部分があった。
    読み続けられる重要な作品。

    にしても、何でもない動作、心理、情景をいちいち美しく表現することに苦労はなかったのだろうか。それとも自然と溢れてくるものなのだろうか。
    仮にも私が代筆したなら、ただ下品で見るに堪えない文になること必至である。

    時代も彼を追い詰めたんだろうな、と思う。
    自分の中にある矛盾や葛藤は、若者や性的少数者が抱える大きな悩みに違いない。

    性癖くらい誰にでもある。
    口には決して出せないし、ましてや欲求が満たされる瞬間などは一生やって来ないことは明白である。だからこそ底知れない魅力があるのだろう。

    美、羞恥、愛、欲望、死。どこまでも個性的なものであり、誰しもが隠匿する強烈な性癖の持ち主である。性癖には本人すらも受け入れることを躊躇するほど、過激なものもある。皆がその性的な欲求を抑えることに日々苦労しているのではないだろうか。
    自らの肉欲に対しての嫌悪、純粋さを求める精神の部分、純粋さを汚すことの喜び。
    抗し難く本能的に欲する性的な衝動は、理性によるコントロールでかろうじて抑えられている状態である。間違いでもなく、おかしなことでもなく、そういうものだ。

    読了。

  • 自身の性的嗜好に戸惑いつつも、最後には諦念と同性が好きであることを受け入れる少年「私」
    その背景には太平洋戦争真っ只中の環境もあったことを巻末の解説で知った。
    だが、ここまで赤裸々に人には言えない内面を告白できる主人公は凄いと思う。そして肉付きのよい若い男の腹や腋窩を刃で刺すという想像力が豊かである。

    「どうしてこのままではいけないのか?少年時代このかた何百遍問いかけたかしれない問いが又口もとに昇って来た。何だってすべてを壊し、すべてを移ろわせ、すべてを流転の中へ委ねねばならぬという変梃な義務がわれわれ一同に課せられているのであろう」(p153)
    無理に変わる必要などないのかもしれない。人と比べることは無駄であり、幸せにならないだろう。多感な少年時代には他の人と考え方が違う、性的嗜好が違うことによって悩み悶えていたが、それを徐々に受け入れることが大人に近づくことなのだろうか。

    三島文学は美しい文体であると聞いてはいたが、ここまで均整のとれている文体は読んでいても快かった。他の初期作品も読もうと思う。

  • 擬古的でいて珍美な本書。
    二十四歳の蒼き感性が光る美文体だった。
    …………………………………………………………………………………………

     戦争が終わり平和な世の中が訪れる事に著者は怯えを感じているようだった。当時は今よりも型にはまった生活を強いられていたもので異性と結婚し子をなし得て一人前のような考えが根付いていたんだろうな。三島自身は同性愛者であって異性を好きになる事はない。けれども世間体を重んじて異性を好きになろうと努力するものの疲労に終わった…。極端な話ではあるけれども戦争により命を終えることが出来ればその後の生活を考えなくていい。当時の世間体・普通の日常という重課がここまで三島の心を蝕んでしまっているとは思わなかった。

  • 「俺って、オトコを見て性的に興奮してる?ヤバイんじゃないか?俺、ホモなんじゃないか?」という思いに苛まれる男子の、もだえ苦しむ七転八倒の物語なんですね。もう、コメディマンガにしたら、抱腹絶倒ものです。

    人生初の三島由紀夫さんの本です。
    結構長い長い間、「読んでみようかなあ」と思いつつも「多分、好きになれないのではないか」という偏見があって読んでいませんでした。
    上手く言えませんが、なんだかマッチョな感じと言うか右翼な感じと言うか(笑)。いや、マッチョで右翼なことが、もちろん悪いことではないんですが。趣味、好みの問題で、好きになれないんじゃないかなあ、と。
    ただ、色んな本を読んでいると、やっぱり三島由紀夫さんの小説、というのを評価する人も多いので。「一度とにかく読んでみないとなあ」というぼんやりした思いも。
    そんなときに、割と好きな作家である橋本治さんの本で、「三島由紀夫とはなんだったのか」という評論本があることを知りました。
    「その本は読んでみたいなあ」と思い。そのためには肝心の三島由紀夫を読まなくてはならない。どうやら、「仮面の告白」「金閣寺」「潮騒」「豊饒の海1」「豊饒の海2」あたりを読めば、「三島由紀夫とはなんだったのか」は、読めるらしい。

    と、いう訳で、「仮面の告白」。1949年、昭和24年、三島由紀夫さん24歳のときの小説です。この人は、昭和の年号と年齢が同じなんですね。

    文庫本238ページ。短い、自伝的な一人称の小説です。これがまた、なんともスゴイ小説でした。面白かったかどうか、と言われると、まあ、面白かったです。好きか嫌いか、と言われると、微妙です(笑)。

    ホモの、ゲイの?若い男性の話です。
    と、まあ、そう言っちゃうと真面目なヒトからは怒られそうですが。でもまあ、そうなんです。
    ホモ、と言っても、実際に男性同士で性行為をしている訳じゃないんですが。精神的なホモ、とでも言いますか。
    主人公は(恐らくは三島さん自身が)、高級役人さんの家に生まれたお坊ちゃんなんです。
    蝶よ花よで女中がついて育てられ、生まれついて、病弱なというか、体が弱い人でした。学習院の小学校~高校に通ったみたいですね。とっても学業優秀、東大に進みます。

    で、この主人公が、中学生時分くらいからですね。
    若干、性的に倒錯趣味を持つと言いますか。要は、ちょっとグロイこと。血とか。死とか。それから、何よりも、同級生の男子の逞しい肉体とかに、性的興奮を覚えるんですね。
    ただ、だからと言って、実際に具体的に倒錯的行動をしてしまったり、犯罪したりはしないんです。
    あくまで、内面の話。つまりは、そういうことの妄想で、自慰行為したりする訳ですよ。
    いやあ、これぁ、凄い小説だなー、と(笑)。
    でまあ、もちろん、いくら戦前だってナンだって、そりゃ、マズいことだし、恥ずかしいことだし、ヤバいことな訳です。
    まして主人公さんは金持ちのお坊ちゃん、健全な市民家族ってやつの一員ですから。色々いっぱい本も読んでますし。
    主人公は自分で、「こりゃマズい。こりゃ、隠さないとマズい」って自覚する訳です。
    勿論、あくまで本人の内面の話なので、まあ何も行動に起こさずに、黙っていれば隠せるわけです。
    なんだけど、本人の中では、凄く葛藤する訳ですよ。「なんで俺はこうなんだろうか」って。

    …と、言うようなことが、執拗にして華麗な比喩と言い回しに満ちた、美しい日本語で、綴られるわけです。
    ねちっこく描かれます。

    「中学生くらいの頃に、筋骨たくましい同級生の男子が、体育の時間に鉄棒をする。その肉体と、その腋の下の腋毛のありように、如何に己が恍惚としてしまったか」

    というようなことが、もう呆れ返って爆笑するしかないくらいに、描写されるわけです。
    その状況と心理の、ぬめったヒダを舐めるような、スーパースローモーションのハイビジョン映像のような。
    きらめく光の中に、濡れそぼつ黄金の像の、輝く光芒の一瞬が、獲れたてのトマトの如き瑞々しさのような。なんだか良く判りませんが。
    もうとにかく、ジダンやロナウジーニョやバッジォの美しい足技のように、超絶なまでの技巧でもって、コトバにされるわけです。
    それがまた、しつこいんです。もう、帰宅したら留守番電話いっぱいにストーカーの男からの伝言が…みたいな勢いです(笑)。

    つまり、みっともないんです。惨めなんです。罪悪感で、後ろめたくて、嘘に嘘を重ねて、恰好をつけて、虚勢を張って生きる少年/青年な訳です。
    仮面をつけて生きている訳ですね。
    で、そのみっともなさと惨めさと醜さが、目も眩むような華麗な日本語で装飾されまくって描かれるんです。
    これ、確信犯だと思いますね。小説家としての。
    「ホモ的性的倒錯に悩む少年/青年の物語」。ある種、実に王道の青春物語なんじゃないかと思います。
    ホモ疑惑、ということじゃなくても、何かしら、劣等感、自意識、競争意識、世間体、そんなようなもののなかで、狭い世界で、もだえ苦しむ七転八倒ですからねえ。10代なんて。
    だから別に、ブンガクがどうとかじゃなくて、
    「ああ、これは、俺はホモじゃないかという悩みを抱えて、フツーのふりをして生きる青年の七転八倒を愉しむ本なんだな」
    という目線で読めば、実に面白いし、爆笑ものだし、そうやって主人公をどこか見下しているうちに、不意にグっと感動させられたりします。

    主人公はそういう意識と悩みのままで、大学生にまでなります。
    「うわー、なんか俺、全然相変わらず、おんなのからだに興奮しないんだよなあ…。相変わらず美男子とかに興奮しちゃうんだよなあ…。まずいよなあ…。でも友達はぼちぼち、おんなの話で盛り上がってるし、こりゃ調子合わせておかないとな」
    みたいな感じでいじましくがんばって生きている訳です。もう、ほんと、コメディです。

    そうなんですけど、そんな主人公も、色々出会いがあって、女性と知り合う訳です。

    (これ、戦時中の話なんですね。家柄とお父さんと、カラダが弱いお陰で、徴兵されないんですね。
    同じ頃に、軍隊で血のいじめに会って、戦場で人を殺したり殺されたりしてる人もいっぱいいる訳で、凄い差です(笑)。
    それでまた、主人公は、その「差」を頭では分かっているんですね。分かって、後ろめたかったり罪悪感だったりする訳です。
    でも、やっぱり、ホモじゃないか疑惑に煩悶する毎日な訳です(笑)。)

    で、女性と知り合うんですけど、どうも、今一つ、恋、というのもピンと来ない訳です。
    そうなんだけど、園子、という名前のお嬢さんと、忽然として恋に落ちる訳です。
    これがまた、唐突に不意打ちに、雷鳴が轟き眠れる龍が目覚めるかのように、恋に落ちる訳です。
    もちろん、要は相変わらず主人公の内面の話なんで。写実的に言うと、「待ち合わせしてたら彼女がやって来た」くらいの出来事なんですけどね(笑)。
    でも三島由紀夫さん、やっぱり言葉の描写力が、凄いんですね。
    もうそこで、主人公が唐突に恋に落ちる。
    相手を愛おしく思う。相手に幸せになって欲しいと思う。
    自分が彼女にふさわしくない人間だと思う。でも、手を握りたい、一緒にいたい、しゃべりたい、と思う。

    もう、そこンところで、なんていうか読んでいると、世界中の扉が開くわけです。
    アフリカの地平線に陽が昇り、悪魔の支配する闇が光に溶かされて行くわけです。
    奴隷は解放され、繋がれた象は鎖を引きちぎり平原へと還る訳です。
    彷徨えるユダヤの民の前で海が裂け、約束の地へと続く道が現れるんです。
    まあ、そういうような、不意打ちな感動が押し寄せちゃうんです。
    諦めていた試合終盤に、意外な選手がモノスゴいロングシュートを決めた感じです。
    すごいんです。
    でも、所詮は「待ってたら彼女が来た」というくらいの出来事なんですけど(笑)。
    コトバって凄い。うーん。

    で、また、その内、その女の子といよいよ、接吻だとか婚約だとか、という段になって、今度は逆に潮が引くように逃げ出す主人公が居たりする訳ですが(笑)。

    という訳で、もう、ほんっとに立派な変態さんです。
    なんていうか、ぐっちょぐちょのどろどろのネトネトの自意識と美学と屈折に満ちた、ヘンタイです。
    色んなヘンタイがあるんですけど(笑)、上手く言えませんが、谷崎潤一郎さんのヘンタイさは、僕はケッコウ味わいが好きなんですけど。
    この「三島由紀夫汁」とでも言うべき、この汁物の味の濃さ…えぐさ…うーん。
    美味しいですよ。美味しいと思うんですけどね。個性あります。それは、ほんとにすごいと思います。
    いやあ、何度も食べたいかって言われると、ちょっと微妙…。

    あと、戦前戦中戦後直後の、ある東京の上流階級の若者の精神史、という意味でもとても興味深いものでした。
    別段何も狂信的な右でも左でもなく、とっても理性的に、世相を観ていたんだなあ、と。
    戦時下の気持ちって、こういうことでもあるんだなあ、という。

    さあ、この先「潮騒」「金閣寺」「豊饒の海」と読み進むことが出来るのか…。
    数年がかりで、橋本治さんの「三島由紀夫とはなんだったのか」へと至るプロジェクトとして、慌てず進行していこうと思います。。。

  • ここ最近、何を読んでもあまり心が動かなくてどうしようかと思っていたところ、文豪ならどうだと思い積読から引っ張り出してきた。
    三島由紀夫は読んだことがなく、他の有名なのを差し置いて初っ端がこの作品だけど、めっちゃ良い。当たりだ。付箋を山ほどつけるぐらい。
    新潮社の2013年限定カバーで、レトロなメロンソーダとさくらんぼと帯のクリーム色がほんとに可愛い。買ってよかった。
    読む前の三島由紀夫作品のイメージといえば、なんとなく「耽美」「上流階級」が思い浮かぶけど、ほぼそういう感じだった。谷崎潤一郎の雰囲気と似ている。でもちょっと谷崎よりは現実味があるか。
    本人のイメージは、男っぽくてマッチョで濃いという感じ。本当は子供の頃から細くて病弱だったようだけど。


    内容は著者の幼少期から戦後すぐまでの自叙伝的小説。いや、官能小説?エッセイ?
    シンプルに書こうと思えばもっと短くできたはずだけど、著者自らが書いているようにそれでは面白くないのでわざと、ある出来事→哲学的分析…が繰り返して書かれている(私は哲学だと思ったけど法学的言い回しなのかも)。その為、全部を理解できたか怪しいところだし、とにかく読み進めるのに時間がかかった。
    また使われている語彙がとんでもなく豊富で、昔の人だから今は使わない言葉を使っているのかなと思っていたけど、違った。一々意味を調べてみたけど、これだけの言葉を扱える脳の容量に関心した。


    主なテーマは著者の性愛の対象が男性か女性かという悩みについてであるが、私は三島由紀夫が同性愛者だったのかもしれないということを今まで全く知らなかった。
    でも読み進めるにつれて、同性愛とはちょっと違うのではないかと思ってきた。

    この時代、インターネット、SNS、スマホ、どころかテレビもなく、自分と周りの家族や知人が世界の全てであった時代、情報共有なんて新聞やラジオぐらいで、それも都合の良いように操作されている。
    LGBTQや多様性という言葉もなく、人に言えないような悩みがあったとしても、それがよくあることなのか、同じ悩みを持った人はいるのか、どう対処すればよいのか分からなかったと思う。一人で悩むしかなかったと。

    でも現代の目で見ると、そういうことって「よくある」のではないかと思う。この本を読んで改めて考えると、性愛的な意味で興味を持つ対象って、性別は関係ないかもしれないと思った。顔やスタイルが整った人は性別に関わらず魅力的に見えるし、逆に男性の身体を見ても何も思わなかったり見てはいけないものを見たような気恥ずかしさや嫌悪感があるけど(p.74「この一種不快なよそよそしい充溢」のように)、女性の身体は同性でもドキドキする。
    それとは別に、精神的に通じ合うと好きになる(愛する)対象は男性のみ。だから私が好きになる男性は、少なくとも内面や性格的に好きな人のことだと言える。外見や表面的なことで惹かれることもあるけれど、あくまで鑑賞するだけ。

    この作品では、性愛的な対象は汚穢屋やギリシャ彫刻や近江であり、精神的には園子を愛していたのではないかと私は考えた。また、又従姉の澄子のことははっきり「好き」と認識している。バスの貧血質の令嬢のことも恐らく、異性だから気になっている。
    ただ三島は単に男性を性的に見ていただけでなく、その体に傷が付き、血が流れることを好んでいたようなので、こちらの性癖の方が一般的でない気がする。
    幼少期の様子から、特に祖母の態度や言動が家族に与えた影響は大きかったと思われる。病気なのに父母から子供を奪って自分のいる階で育てようとしたり、祖母が選んだ女の子としか遊ばせなかったり、食べ物を色々制限させたり・・・まともであるはずがない。こういった環境の影響で、抑圧されたのか愛情不足なのかは分からないけど、心が歪んでくるのかもしれない。

    昔とはいえさすがに20歳そこそこで大学生で結婚を決意するのは三島でなくとも難しかったんだな。何の稼ぎも肩書もないのだし。
    園子が結婚してからも身勝手に執着するほどなら婚約ぐらいしておけば良かったのにずるいなとも思うけど、女性を愛せないかもしれないと悩んでいたのなら無理はないか。
    この辺りの三島の言動が、園子を得られなかった負け惜しみのように責め口調になっていく。元々プライドが高そうではあるけど、園子を妹扱いして舐めているような。

    園子の「~ことよ」という語尾がすごく好き。上品で可愛らしくて。一言でお嬢様なんだなと分かる美しい言葉遣い。
    二人のやりとりを見ていると、この時代の20歳前後って大人っぽいのかと思いきや、やっぱ子供だなと思ったり。お坊ちゃまお嬢様は身の回りの世話をやってもらっているので意外に自立しないまま結婚したり。

    最後の終わり方、すごく好きだった。暑苦しさと、眩しさと、潔さのようなものを感じて。あぁやっぱり、そっちに行ってしまうんだね・・・という哀切。園子との決定的な別れ。
    全然別物だけど、『シャッターアイランド』という映画のラストシーンを観た時に似た感覚。


    ここでは全く書かれていなかったけど、三島は中高生の早いうちから小説を投稿し才能を認められていたらしく、終盤では既に有名人だったのではないか。自分の青春や恋愛の一方、裏では着実に作家として実力を付けていた。
    24歳でこのような文章が書けるのがすごいなと思うし、東大卒で官僚でもあった人だけど、悩みは尽きないのだな。むしろ頭が良くて深いところまで考える分、苦悩しただろうなと想像した。
    それを包み隠さず小説にしてしまうことがすごい。自伝的小説を書く人って、そこまで書くのかと思うことが多くて、小説家とはやはり自分を切り売りすることなんだと思う。

    ◇戦争について◆

    ・この本を読んで、私が思っていた戦争時代とは世界観が違うなと感じた。食べ物も着る物もなくて、いつ空襲が来るか分からず怯えて、男子は徴兵されて、家族や家も失って・・・というのは庶民の話で、
    上級国民はさほど生活に困った様子はないし、徴用・徴兵を逃れることさえできる。以前宮崎駿の対談を読んだ時、駿の祖父が機転を利かせて空襲や戦後を生き延びた話を読んで、やはり知恵のある者は生き残る行動を取り子孫を残すのだと思ったけど、そういう面でも上流階級は有利なんだと、生物の理や弱肉強食のような理不尽さを感じた。

    ・p.124「近代的な科学の技術、近代的な経営法、多くのすぐれた頭脳の精密な合理的な思惟、それらが挙げて一つのもの、すなわち「死」へささげられているのであった。」
    バカらしいよなぁ。最先端の技術を使って人を死に追いやる。死人が出ることが分かっている道具を全力で造る。よく人間て本当に賢いんだろうか?と疑問に思う。三島や、日本人の少なくとも庶民の大半が戦争に意味など見出していないだろうに、思想が国家に反映されることはない。国家とは一部の特権階級が都合の良いように動かしているだけなのではないかと、民主主義を疑いたくなる。民主主義だけでは足りていないのだろうなと感じている。けれど人間は未だにこれ以上の平和的システムを開発できてない。

    ・疎開って、人だけじゃなく建物疎開や荷物疎開もしていたのだなぁ。伝手がある人だろうけど。

    ・p.146
    3月10日の東京大空襲を俯瞰で見た描写は初めて。紙一重で助かったり亡くなったりする毎日だったんだろうな。

    ・B29、ボーイング社製のBだったのは知らなかった。

    ・園子がチェックのスカートを穿いていたり、三島の親戚が派手な着物を着ていたり・・・戦時中でもこのようなファッションをしている人がいるものなんだと、ここでも格差を感じた。またカタカナや外国語も多用していたようだけど、確かに禁止したところで意味のないことで、まずこの人達は将来を見据えて英語も勉強していただろうし、似たような階層の人ととしか関わらないので問題ないのだろうか。逆に頭が良くないと非合理的なことをしがち・・・なんだろうか??

    ・読んでいる間ずっと、三島の死について考えていた。後に自決することを前提に読んでいると、理由は異なるだろうけど確かに作品中にも自分が死ぬ妄想や死を望んでいるような描写が何度も出てくる。でも一方で徴兵から逃れるし白いシャツ白い半ズボンで原爆対策もばっちりで・・・言ってることとやってることが違う。本当は死にたくないけど、人恋しくて、構ってほしくて死のうとする・・・これは太宰治だ。太宰も自叙伝的小説を書いているので分かるけど、幼少期の様子が本当におかしい。異常。やはり親の遺伝子、教育、生き様、環境は子供の一生を左右するのだなと確信した。
    でもどうしてだろう、三島は作品の中でも生き方にしても、あまり暗さを感じない。単純でネアカな面もあり人間関係はそれほど問題がないように見える。チャレンジ精神旺盛で、役を演じることも好きだったようだ。
    それこそ仮面を着けて、色んな自分を演じ分けることが得意だったのだ…女性に好意があるかのように装っていた時から。

    ・終戦って、私達が思っているより当時の人々に影響を与えたようで、戦前国や政府が言っていたことが戦後に全く違う方針に変えられて、何を信じれば良いのか分からなかったと思うし、だから反抗したくもなる。それでなくとも大勢が亡くなったし、人生のあらゆる貴重な時間が失われた。
    戦争とは非日常で、それは通常であればすべきこと、考えるべきことを後回し、回避、免除されている状態である意味三島にとっては楽だったのかもしれない。戦争中であれば現実逃避できたのに。終戦を迎えて、日常生活が戻ってくる方が絶望。一瞬で命を奪われることはなくなったけど、毎日同じことを続けて、長い長い時間をかけて命を削られていくのが日常生活。私は戦争は絶対嫌だけど、その気持ちはよく分かる。


    この作品を読んだだけでは、その後「倒錯」に悩んでいた三島が結婚したり、自衛隊で自決する結末に全く繋がらないので、その辺りの心境について資料があれば読んでみたいと思った。
    ただやはり望んだり口に出すと叶うのだ、良い事も悪い事も。
    園子のモデルになった人は、自分のことを赤裸々に小説に書かれてどう思っていたのだろう…。

    20240601

  • 三島由紀夫の代表作であることしか知らず、あらすじも見ずに読み始めたのであまりに官能的かつジェンダーに踏み込んだ内容に面食らいました。しかしそれ以上に、比喩に富んだ文章表現が非常に美しい!正直、内容はあまり好みではないんですが、それでも気がつくと主人公の生々しい独白に引き込まれており、三島由紀夫が称賛を受け続ける、その理由は知ることができたと思います。

  • …人の目に私の演技と映るものが私にとっては本質に還ろうという要求の表れであり、人の目に自然な私と映るものこそ私の演技であるというメカニズムを、このころからおぼろげに私は理解しはじめていた。

  • 本書が出版された当時において、本書の内容はセンセーショナルだっただろう。自分は普通ではないという苦しみ、どこか少しでも自身に「普通」を見出したい気持ちが一連を通じて読み取れる。今世の中では、「普通ではない=個性」という図式が成り立っているが、それはルサンチマンではないだろうか。結局、それは強がりであり、「普通」に憧れているのではないだろうか。私たちが苦悩する自身の中にある「非普通」を、所謂「セクシャルマイノリティ」の視点で書かれた一冊である。

  • 久しぶりの再読。昭和24年、三島24歳のときの半自伝的小説。「永いあいだ、私は自分が生れたときの光景を見たことがあると言い張っていた。」で始まる幼少期からの回顧。厳しい祖母に育てられ、女の子たちとしか遊ばせてもらえなかった幼年時代。

    やがて逞しい労働者や汗くさい兵士などに心惹かれ、聖セバスチャンの絵に興奮するように。そして中学の同級生で留年しているので年上の野卑な少年・近江に強く惹かれるようになる。雪の日の場面など、まるで近江はコクトーの『恐るべき子供たち』に登場するダルジュロスのようだ。

    自分が同性愛者であることに悩みながら、主人公は親友・草野の妹・園子に女性としては初めて惹かれるものを感じる。もしかして彼女となら…という淡い期待。しかしやはり女性に性欲は感じない。園子との結婚の話を結局主人公は断り、園子は別の男と結婚するが…。

    初めて読んだときは作中の主人公と変わらない年齢だったこともあり、たとえば同性愛者の苦しみ悩みというのは理解できなくても、戦争が、戦争で死ぬことが、何もかも終わらせてくれることへの希望、みたいな、屈折した心理には共感した記憶がある。死ぬのは嫌だし戦争にも行きたくないのに、戦死してしまえば自分の嘘や罪は露見することなくすべて丸く収まるはず、という期待。

    今読むと、主人公の魅かれる男性像が独特でガチっぽいなと思う。年下の美少年にちょっと惹かれる的な題材は昔から結構いろんな作家が描いているけれど、結局美少年というのは女性の代替物のようなところがあり、つまり最終的には異性愛者(あるいは両刀)でしたとなるけれど、マッチョな肉体労働系に魅かれるあたりが、三島らしい。そして、自分がそうなりたい、という願望との一体化。

    園子は結局主人公にとってなんだったのかなあ。謎。

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著者プロフィール

本名平岡公威。東京四谷生まれ。学習院中等科在学中、〈三島由紀夫〉のペンネームで「花ざかりの森」を書き、早熟の才をうたわれる。東大法科を経て大蔵省に入るが、まもなく退職。『仮面の告白』によって文壇の地位を確立。以後、『愛の渇き』『金閣寺』『潮騒』『憂国』『豊饒の海』など、次々話題作を発表、たえずジャーナリズムの渦中にあった。ちくま文庫に『三島由紀夫レター教室』『命売ります』『肉体の学校』『反貞女大学』『恋の都』『私の遍歴時代』『文化防衛論』『三島由紀夫の美学講座』などがある。

「1998年 『命売ります』 で使われていた紹介文から引用しています。」

三島由紀夫の作品

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