- 本 ・本 (384ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101050133
作品紹介・あらすじ
感想・レビュー・書評
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三島由紀夫のSF風純文学。
書かれたのは、1962年、東西冷戦時代。核兵器使用への恐怖が色濃かった。
人類滅亡への現実的な不安感が、漂う時代。
埼玉県のある家族が、それぞれ地球外の宇宙人である事に気づく。父は火星、母は木星、息子は水星、娘は金星出身。
家族は、特に父親は地球を破滅から救うべく、宇宙人であることは隠し、世界平和に向けた活動をする。
あくまで、三島由紀夫らしい美しい文章で、綴られる家族の活動は、藤本義一の重喜劇のごとく重コメディのようです。
対して、宮城県に、白鳥座の未知の惑星からの宇宙人3人組が、人類をいっそ滅ぼそうという思想のもと活動を始める。
全10章からなりますが、8から9章の宇宙人それぞれの地球に対する意見の応酬は、救済派と滅亡派ともに真理を得ている。
政治的な側面があり、SFを描きたいというより、宇宙人という俯瞰的な立場を利用して、多少コメディ風に、三島由紀夫の当時の緊張した政治への意見を書きたかったのかと思う。
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ある田舎の平凡な家族。彼らそれぞれがある時に円盤を目撃したことにより覚醒する。すなわち、自分らは実は宇宙人でそれぞれ違う惑星からやってきたのだと。そして、核兵器におびえる冷戦時代を背景に、人類に正体を隠しつつ彼らの人類救済事業がスタートする・・・。
三島由紀夫にしては風変わりなシチュエーションの小説だが、SF小説を装いながら自分にはブラックコメディーの小説のように思え、エスプリの効いたユーモアには大いに楽しませてもらった。(笑)シチュエーションは奇想天外だが、きめが細やかで端正な文章表現から生み出される真面目な精神展開や情景描写にて、ここでもほとんど隙が無い完璧な美意識が展開されており、それがまた可笑しみをも誘っている。
それぞれ別の惑星人だという家族それぞれの思惑の違いが物語の幅を大いに広げ、滑稽さも煽っているのだが、とりわけ、政治にうつつを抜かす長男と、宇宙人的(!)恋愛に浸る美少女の妹の様相は、一見風変わりではあっても、政治へ常に介在しようとする想いや、美少女の一途な破滅的な儚い精神と肉体といった三島節が炸裂していて、このあたりは三島ワールドテンコ盛りの楽しい世界でもあった。そして、彼らに横たわる精神の暗闇を乗り越えて、本性的には異なるはずの彼らの人間的な「家族の絆」の姿は、悲劇的な状況であったにもかかわらず、やはり喜劇のスパイスが充満していて、何とも微笑ましい限りであり、「家族」に対する挑発的な皮肉にも感じられた。
中盤に登場してくる敵対勢力の異星人は人類を核兵器にて美しく滅亡せんと画策していて、これがまたぶっ飛んだ連中なので何とも可笑しい限りであったが、彼らとの終盤での人類救済か滅亡かの議論は、三島の人類論、人間論、近未来終末論が対比効果により縦横に展開される白眉なクライマックスであり、この小説の構成の力強さを示すとともに、三島の社会や政治やひいては人類全体への挑戦であり、こうした奇抜なシチュエーションの文学的成功であったともいえる。
しかし、三島が一方で夢想した終末にはついに到らず、現在も漫然と進行している人間の歴史。本作に通底していた通り、三島も最後は個々の「絆」の確かさを理想として期待していたに違いない。
異色作であるというが、三島ワールドのエッセンスと三島の思考が十二分に詰め込まれた出色な文学作品であったと思う。 -
1962年に三島由紀夫が書いたSF小説。美しい文章と、ときおり野卑た言葉が織りなすエンタメ感のバランスが素晴らしかったです。
物語の場所は、埼玉県飯能市。11月半ばの夜明け前の羅漢山展望台。登頂した大杉家の親子四人は、何かを待ち望むかのように星空を仰ぎ見ていました。そこで夫の重一郎が「……むかし、たしかに私は故郷の火星から、こうして地球をみていたことがあるんだ」と朗々と語ります。しかし、周りの家族は驚くでも無く、自分たちの出自を仄めかしていきます。
そう、一家はそれぞれ太陽系の別々の惑星にゆかりをもつ宇宙人だったのです。一家は、生まれこそ地球ですが、それぞれ円盤を見たときから、意識レベルで自らの出自と『美しい星』である地球を救うという使命に目覚めたのでした。
ときは、フルシチョフとケネディの冷戦下。重一郎は、二大国が水爆実験を繰り返し、釦一つで滅亡する危機に晒されている地球を救うため、自らの出自を隠しつつ、雑誌に広告を出したり、講演を行って平和を訴えるようになります。
同じころ、仙台市には同じように宇宙人としての自覚と使命に目覚めた、羽黒助教授とその取り巻きがいました。彼らは、はくちょう座61番星にゆかりを持ち、人類滅亡を目論んでいたのです。ある日、彼らは、重一郎の講演活動を快く思わず、大杉家を訪ねます……。
と、この後は裏表紙のあらすじのように、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』の”大審問官”のようなやり取りがされるのですが、そこでの羽黒助教授の水爆の釦を押す三つの論理に対する重一郎の反論がいいですね。そこで”人間の五つの美点、滅ぼすには惜しい五つの特質”が語られますが、人間の愚かさや愛おしさを実に端的に伝えてくれています。理詰めの羽黒助教授か情に訴える重一郎か、両者の言い分は表裏一体とも言えますが、思うに人間愛や地球に警鐘を鳴らすのに、ここで激論を交わしているのが、地球人が一人もいなくて宇宙人にさせているのがいいですね。客観的に第三者からの視点として書き連ねることで、まるで本来自分たち地球人たちが解決しなければいけない問題を揶揄されているようで、とても考えさせられる内容でした。
ところで、これを書いている時、ノーベル平和賞を受賞した日本被団協一行が授賞式に飛び立っていきました。三島由紀夫が生きていれば果たして何を思ったでしょうね。幸いにも、今のところ「何とかやってくさ、人間は」という重一郎の言葉通りになっていますけど……とりあえず、タイムリーな読書体験でした。 -
読書。
『美しい星』 三島由紀夫
を読んだ。
三島由紀夫が37歳の時に書き上げたSF的純文学作品。近年、現代版にアレンジされて映画化されてもいます。
東西冷戦の60年代。ソ連による大気圏での核実験で放射性物質が日本にも舞い降りる時代。自分たち家族4人が自分たちの本来の属性は宇宙人だと気が付くのでした。父・大杉重一郎は火星人、母・伊代子は木星人、長男・一雄は水星人、長女・曉子は金星人。それぞれ、空飛ぶ円盤を見ることで覚醒するのです。重一郎はこの核の脅威によって人類が滅びてしまうことを、宇宙人として救おうとし、ソ連の書記長・フルシチョフに宛てた手紙を送付するなどの行動を起こし始めます。中盤からは、重一郎たちと対立する三人の、これまた空飛ぶ円盤との邂逅によって自分たちが宇宙人であることに目覚めた(あるいは思いだした)のですが、彼らの登場によって、一気に思想色が濃くなります。
泰然としてつよく自信をもっている書きっぷりのように感じました。そして出だしからとても「シュール」なのでした。まるで漫画家・和田ラヂヲ先生が繰り広げる世界のようです。茶化すことも、ふざけることも、笑いを取ることもなく、一家の奇妙な精神性がそのままに反映された日常が描かれます。そういった「シュール」な表現というかあり方があまりに巧み(というか、迷いのなさがあって)ですごいんです、ナンセンスな「シュール」さが大好物の僕にとってはたまらない快感を得るくらいに。とても心地の良い笑いが生じてくる。
なんというか、もはや「天然」の領域に立っているのかというくらいの出来映えなのです。三島由紀夫って、鋭さと繊細さと力強さを兼ね備えた才能だけじゃなくて「天然」も色濃く持ち合わせていて、両方が分かちがたく結びついている作家なのではないか、という考えが浮かんでくるほどなのでした。
「シュール」さでいえば、でも、とくに後半にはいってから、「真剣」さがど真ん中に打ち出されてきます。思想や哲学の部分でです。そこがこの作品の二面性になっているかといえば実はそうでもないとも言えて、大体、「シュール」な感覚というものは、「真剣」に「ナンセンス」をやることだったりするだろうものなので、やはり、両者は地続きなのだろうと思えもするのでした。
全10章のなかで、第9章の読みごたえに特に満足と興奮をおぼえました。主人公側は人類を救おうとし、悪役側は滅ぼすことこそが救いだとする。その対決の場面です。この作品はわかりやすい悪役の三人が出てきたところでこれまたわかりやすく対立が生まれたのだけれど、その対立と衝突の肉付けが最高なんです。この論争の部分は作者・三島由紀夫が血みどろになりながら、自分同士で戦っている場面なのかもしれません。重一郎と羽黒という対立する二人が論争していきますが、この論争劇って作者としては弁証法的に厚みを重ねていったのではないでしょうか。登場人物の二人が協力する場面はないのだけれど、弁証法的に得た知見を二人に割りふって論争のシーンとして作り上げた、というように僕には考えられるのでした。
部分部分では文章が冴えていますし、ストーリーのほうでは余分なたるみもないように読み受けました。くわえて構成も話の深みも、ラストの落とし方も、意気盛んかつ手練れである作家だからこそ作り上げることができたものなのだと思います。
当代一流の才能の熱と光にあふれています。毒気として受け止めるか、学びとして糧とするか、はたまた触発されるものとするか。読み手によって感じ方は異なるでしょうけれども、かなりの強い力を宿した佳作なのではないでしょうか。また別の三島作品に触れたくなりました。
最後に引用を。
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人間の政治、いつも未来を女の太腿のように猥褻にちらつかせ、夢や希望や『よりよいもの』への餌を、馬の鼻面に人参をぶらさげるやり方でぶらさげておき、未来の暗黒へ向って鞭打ちながら、自分は現在の薄明の中に止まろうとするあの政治、……あれをしばらく陶酔のうちに静止させなくてはならん。(p287)
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慧眼ですよね。いつの時代も政治ってこうなんだなあ、と気づかされます。
また、引用はしませんが、p290では人間の中の虚無についてのとらえ方がすばらしい。人間の中の虚無こそが、支配を逃れる希望というコペルニクス的転回で論じてくるのです。電車のなかでふと虚空を眺める人などの、その瞬間は社会的支配を逃れているわけで、そこに突破口を見出しているなんて、すごい眼力をしていますよね。 -
人類にとっての平和とは?その実現の困難さを、SFという物語でトレースしたように、克明に浮かび上がらせている。
登場人物たちが、ふとした情景を、「人間的に」感じる場面の描写、美しくてたまらない。 -
読み終えて、巻末解説を読んでみると、懐かしい批評家奥野健男が「傑作だ」とほめていることに、心底驚きましたが、そういう時代だったのでしょうか。
それもまた懐かしい気がしました。今のぼくには、信じられないほどつまらなかったのですが(笑) -
面白かったです。
ある日、自分は地球人ではなく異星人である、という意識を持った家族のお話。
それぞれ星が違うので、考え方も違うのが興味深いです。
そして、家族とは別の場所で異星人という意識を持った3人との考えの違いが面白かったです。
「美しい星」を目指すも、重一郎は人類を救おうとし、3人は人類を滅ぼそうとする。3人が重一郎にキツい言葉を浴びせるシーンは辛かったです。
黒木が一雄ではなく3人を選んだことで、人類は滅亡に向かうのかなと少し思いました。
先に映画を観たのですが、原作の方が深みがあって、映画はエンターテイメントだったんだなと思いました。佐々木蔵之介さんの異様さがよかったけど。
ラストは、映画と違って、家族みんなが地球を離れるのですね。
三島由紀夫は、人に好意と絶望を抱いていたのかなと思ったりしました。 -
自分たちを宇宙人と信じ込んだ(若しくは本物)家族が人間につき論を巡らせる思想小説。
各所で異色の作品とされているが、作中の自称宇宙人が論じる人類滅亡論・救済論は、いずれもしばしば三島の言語化により示される真理(正論)のようなもの。
エンタメ性を持たせつつ当時の時代背景や作者の胸中が伝わり、社会派とも取られる作品だがよく考えられている。 -
ある日突然自分たちは異星人だと気づいた家族の物語。円盤を見るために山を登ったり、人類のために活動したり。ちょっとしたことですれ違ったり。宇宙規模の人間ドラマでした。
異星人たちの理論は難解すぎて理解できなかった。 -
邪悪な魂を持ち、人類滅亡こそが救いだと唱える羽黒一派との対決は鬼気迫るものがあります。人類の罪を痛烈に非難しながらも、愛おしい存在であると訴えています。
重一郎の存在は日本の美徳を愛し、憂い、国民に決起を呼びかけ、遂には自害した三島自身を投影していると思います。
三島の魂も肉体の牢獄から解放され、火星に帰っていることを祈ります。
著者プロフィール
三島由紀夫の作品






(^^)パチパチ
すごいですね。
しかも、三島由紀夫というところがまた…なんか、すごいですね。
三島...
(^^)パチパチ
すごいですね。
しかも、三島由紀夫というところがまた…なんか、すごいですね。
三島由紀夫作品読んだことないですが、宇宙人が登場するような物語もあるんですね。とてもイメージとのギャップがあります。
いつか三島由紀夫読んでみたいですね。
丁重なレビューを続ける350冊でしたよね。
お仕事等お忙しい中、レイアウトもいつも美しく
感心しています。
...
丁重なレビューを続ける350冊でしたよね。
お仕事等お忙しい中、レイアウトもいつも美しく
感心しています。
私は、といえば、今回もなんとなく登録してしまいました。
ほんとにたまたま、三島由紀夫の文学忌だったんです。そのうち三島由紀夫も読んでください。
皆さん思っているより、面白いですし、言葉がぎゅっとなっていて、ほうわあってなります。(個人の感想です。)
三島由紀夫作品、どこかで一気に読んでみたいですね。
どこかでゆっくり読んでみます(^^)
三島由紀夫作品、どこかで一気に読んでみたいですね。
どこかでゆっくり読んでみます(^^)