美しい星 (新潮文庫)

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  • 新潮社
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  • / ISBN・EAN: 9784101050133

感想・レビュー・書評

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  • 三島由紀夫のSF風純文学。
    書かれたのは、1962年、東西冷戦時代。核兵器使用への恐怖が色濃かった。
    人類滅亡への現実的な不安感が、漂う時代。

    埼玉県のある家族が、それぞれ地球外の宇宙人である事に気づく。父は火星、母は木星、息子は水星、娘は金星出身。
    家族は、特に父親は地球を破滅から救うべく、宇宙人であることは隠し、世界平和に向けた活動をする。
    あくまで、三島由紀夫らしい美しい文章で、綴られる家族の活動は、藤本義一の重喜劇のごとく重コメディのようです。
    対して、宮城県に、白鳥座の未知の惑星からの宇宙人3人組が、人類をいっそ滅ぼそうという思想のもと活動を始める。
    全10章からなりますが、8から9章の宇宙人それぞれの地球に対する意見の応酬は、救済派と滅亡派ともに真理を得ている。
    政治的な側面があり、SFを描きたいというより、宇宙人という俯瞰的な立場を利用して、多少コメディ風に、三島由紀夫の当時の緊張した政治への意見を書きたかったのかと思う。

    • Manideさん
      おびのりさん、感想1100冊目ですよ
      (^^)パチパチ
      すごいですね。
      しかも、三島由紀夫というところがまた…なんか、すごいですね。

      三島...
      おびのりさん、感想1100冊目ですよ
      (^^)パチパチ
      すごいですね。
      しかも、三島由紀夫というところがまた…なんか、すごいですね。

      三島由紀夫作品読んだことないですが、宇宙人が登場するような物語もあるんですね。とてもイメージとのギャップがあります。
      いつか三島由紀夫読んでみたいですね。
      2023/11/25
    • おびのりさん
      Manideさん、こんばんは。
      丁重なレビューを続ける350冊でしたよね。
      お仕事等お忙しい中、レイアウトもいつも美しく
      感心しています。
      ...
      Manideさん、こんばんは。
      丁重なレビューを続ける350冊でしたよね。
      お仕事等お忙しい中、レイアウトもいつも美しく
      感心しています。
      私は、といえば、今回もなんとなく登録してしまいました。
      ほんとにたまたま、三島由紀夫の文学忌だったんです。そのうち三島由紀夫も読んでください。
      皆さん思っているより、面白いですし、言葉がぎゅっとなっていて、ほうわあってなります。(個人の感想です。)
      2023/11/26
    • Manideさん
      おびのりさん、コメントありがとうございます。

      三島由紀夫作品、どこかで一気に読んでみたいですね。
      どこかでゆっくり読んでみます(^^)
      おびのりさん、コメントありがとうございます。

      三島由紀夫作品、どこかで一気に読んでみたいですね。
      どこかでゆっくり読んでみます(^^)
      2023/11/27
  • ある田舎の平凡な家族。彼らそれぞれがある時に円盤を目撃したことにより覚醒する。すなわち、自分らは実は宇宙人でそれぞれ違う惑星からやってきたのだと。そして、核兵器におびえる冷戦時代を背景に、人類に正体を隠しつつ彼らの人類救済事業がスタートする・・・。

    三島由紀夫にしては風変わりなシチュエーションの小説だが、SF小説を装いながら自分にはブラックコメディーの小説のように思え、エスプリの効いたユーモアには大いに楽しませてもらった。(笑)シチュエーションは奇想天外だが、きめが細やかで端正な文章表現から生み出される真面目な精神展開や情景描写にて、ここでもほとんど隙が無い完璧な美意識が展開されており、それがまた可笑しみをも誘っている。
    それぞれ別の惑星人だという家族それぞれの思惑の違いが物語の幅を大いに広げ、滑稽さも煽っているのだが、とりわけ、政治にうつつを抜かす長男と、宇宙人的(!)恋愛に浸る美少女の妹の様相は、一見風変わりではあっても、政治へ常に介在しようとする想いや、美少女の一途な破滅的な儚い精神と肉体といった三島節が炸裂していて、このあたりは三島ワールドテンコ盛りの楽しい世界でもあった。そして、彼らに横たわる精神の暗闇を乗り越えて、本性的には異なるはずの彼らの人間的な「家族の絆」の姿は、悲劇的な状況であったにもかかわらず、やはり喜劇のスパイスが充満していて、何とも微笑ましい限りであり、「家族」に対する挑発的な皮肉にも感じられた。
    中盤に登場してくる敵対勢力の異星人は人類を核兵器にて美しく滅亡せんと画策していて、これがまたぶっ飛んだ連中なので何とも可笑しい限りであったが、彼らとの終盤での人類救済か滅亡かの議論は、三島の人類論、人間論、近未来終末論が対比効果により縦横に展開される白眉なクライマックスであり、この小説の構成の力強さを示すとともに、三島の社会や政治やひいては人類全体への挑戦であり、こうした奇抜なシチュエーションの文学的成功であったともいえる。
    しかし、三島が一方で夢想した終末にはついに到らず、現在も漫然と進行している人間の歴史。本作に通底していた通り、三島も最後は個々の「絆」の確かさを理想として期待していたに違いない。
    異色作であるというが、三島ワールドのエッセンスと三島の思考が十二分に詰め込まれた出色な文学作品であったと思う。

  • 読書。
    『美しい星』 三島由紀夫
    を読んだ。

    三島由紀夫が37歳の時に書き上げたSF的純文学作品。近年、現代版にアレンジされて映画化されてもいます。

    東西冷戦の60年代。ソ連による大気圏での核実験で放射性物質が日本にも舞い降りる時代。自分たち家族4人が自分たちの本来の属性は宇宙人だと気が付くのでした。父・大杉重一郎は火星人、母・伊代子は木星人、長男・一雄は水星人、長女・曉子は金星人。それぞれ、空飛ぶ円盤を見ることで覚醒するのです。重一郎はこの核の脅威によって人類が滅びてしまうことを、宇宙人として救おうとし、ソ連の書記長・フルシチョフに宛てた手紙を送付するなどの行動を起こし始めます。中盤からは、重一郎たちと対立する三人の、これまた空飛ぶ円盤との邂逅によって自分たちが宇宙人であることに目覚めた(あるいは思いだした)のですが、彼らの登場によって、一気に思想色が濃くなります。

    泰然としてつよく自信をもっている書きっぷりのように感じました。そして出だしからとても「シュール」なのでした。まるで漫画家・和田ラヂヲ先生が繰り広げる世界のようです。茶化すことも、ふざけることも、笑いを取ることもなく、一家の奇妙な精神性がそのままに反映された日常が描かれます。そういった「シュール」な表現というかあり方があまりに巧み(というか、迷いのなさがあって)ですごいんです、ナンセンスな「シュール」さが大好物の僕にとってはたまらない快感を得るくらいに。とても心地の良い笑いが生じてくる。

    なんというか、もはや「天然」の領域に立っているのかというくらいの出来映えなのです。三島由紀夫って、鋭さと繊細さと力強さを兼ね備えた才能だけじゃなくて「天然」も色濃く持ち合わせていて、両方が分かちがたく結びついている作家なのではないか、という考えが浮かんでくるほどなのでした。

    「シュール」さでいえば、でも、とくに後半にはいってから、「真剣」さがど真ん中に打ち出されてきます。思想や哲学の部分でです。そこがこの作品の二面性になっているかといえば実はそうでもないとも言えて、大体、「シュール」な感覚というものは、「真剣」に「ナンセンス」をやることだったりするだろうものなので、やはり、両者は地続きなのだろうと思えもするのでした。

    全10章のなかで、第9章の読みごたえに特に満足と興奮をおぼえました。主人公側は人類を救おうとし、悪役側は滅ぼすことこそが救いだとする。その対決の場面です。この作品はわかりやすい悪役の三人が出てきたところでこれまたわかりやすく対立が生まれたのだけれど、その対立と衝突の肉付けが最高なんです。この論争の部分は作者・三島由紀夫が血みどろになりながら、自分同士で戦っている場面なのかもしれません。重一郎と羽黒という対立する二人が論争していきますが、この論争劇って作者としては弁証法的に厚みを重ねていったのではないでしょうか。登場人物の二人が協力する場面はないのだけれど、弁証法的に得た知見を二人に割りふって論争のシーンとして作り上げた、というように僕には考えられるのでした。

    部分部分では文章が冴えていますし、ストーリーのほうでは余分なたるみもないように読み受けました。くわえて構成も話の深みも、ラストの落とし方も、意気盛んかつ手練れである作家だからこそ作り上げることができたものなのだと思います。

    当代一流の才能の熱と光にあふれています。毒気として受け止めるか、学びとして糧とするか、はたまた触発されるものとするか。読み手によって感じ方は異なるでしょうけれども、かなりの強い力を宿した佳作なのではないでしょうか。また別の三島作品に触れたくなりました。

    最後に引用を。
    __________

    人間の政治、いつも未来を女の太腿のように猥褻にちらつかせ、夢や希望や『よりよいもの』への餌を、馬の鼻面に人参をぶらさげるやり方でぶらさげておき、未来の暗黒へ向って鞭打ちながら、自分は現在の薄明の中に止まろうとするあの政治、……あれをしばらく陶酔のうちに静止させなくてはならん。(p287)
    __________

    慧眼ですよね。いつの時代も政治ってこうなんだなあ、と気づかされます。

    また、引用はしませんが、p290では人間の中の虚無についてのとらえ方がすばらしい。人間の中の虚無こそが、支配を逃れる希望というコペルニクス的転回で論じてくるのです。電車のなかでふと虚空を眺める人などの、その瞬間は社会的支配を逃れているわけで、そこに突破口を見出しているなんて、すごい眼力をしていますよね。

  •  読み終えて、巻末解説を読んでみると、懐かしい批評家奥野健男が「傑作だ」とほめていることに、心底驚きましたが、そういう時代だったのでしょうか。
     それもまた懐かしい気がしました。今のぼくには、信じられないほどつまらなかったのですが(笑)

  • 面白かったです。
    ある日、自分は地球人ではなく異星人である、という意識を持った家族のお話。
    それぞれ星が違うので、考え方も違うのが興味深いです。
    そして、家族とは別の場所で異星人という意識を持った3人との考えの違いが面白かったです。
    「美しい星」を目指すも、重一郎は人類を救おうとし、3人は人類を滅ぼそうとする。3人が重一郎にキツい言葉を浴びせるシーンは辛かったです。
    黒木が一雄ではなく3人を選んだことで、人類は滅亡に向かうのかなと少し思いました。
    先に映画を観たのですが、原作の方が深みがあって、映画はエンターテイメントだったんだなと思いました。佐々木蔵之介さんの異様さがよかったけど。
    ラストは、映画と違って、家族みんなが地球を離れるのですね。
    三島由紀夫は、人に好意と絶望を抱いていたのかなと思ったりしました。


  • 自分たちを宇宙人と信じ込んだ(若しくは本物)家族が人間につき論を巡らせる思想小説。
    各所で異色の作品とされているが、作中の自称宇宙人が論じる人類滅亡論・救済論は、いずれもしばしば三島の言語化により示される真理(正論)のようなもの。
    エンタメ性を持たせつつ当時の時代背景や作者の胸中が伝わり、社会派とも取られる作品だがよく考えられている。

  • 邪悪な魂を持ち、人類滅亡こそが救いだと唱える羽黒一派との対決は鬼気迫るものがあります。人類の罪を痛烈に非難しながらも、愛おしい存在であると訴えています。

    重一郎の存在は日本の美徳を愛し、憂い、国民に決起を呼びかけ、遂には自害した三島自身を投影していると思います。
    三島の魂も肉体の牢獄から解放され、火星に帰っていることを祈ります。

  • 登場人物がほぼ宇宙人(人間の形をした)という、いかにもSFになってしまいそうなテーマを純文学に落とし込める三島由紀夫の才能の凄さを実感した。
    そして内容が割と重かった!
    人類の破滅か存続かを宇宙人という第三者的客観的視点から論じていく。どちらの言い分も理解できるが故に私は結論が出がたく感じた。でもどちらか一方を選ぶのなら、私は人類の存続を選びたい。この愛すべき楽天さや気まぐれは人間にしかないものだと思っているから。そして私はそんな人間が好きだから。これだと羽黒一派に一蹴されそうではあるが、、、

  • ある日突然自分たちは異星人だと気づいた家族の物語。円盤を見るために山を登ったり、人類のために活動したり。ちょっとしたことですれ違ったり。宇宙規模の人間ドラマでした。
    異星人たちの理論は難解すぎて理解できなかった。

  • これを読んでいた時(7月の初め)、日が暮れて、しばらく経った頃(8時過ぎくらい)に何気に空を見たら、やたら明るい星があって。
    星にしては明るすぎるので、「飛行機?」と思ったけど全く動かない。
    「本当に星なの、これ!?」と空を見回したけど、空は曇っていて、他に星は見えない。
    「あれだけ明るいってことは金星なんだろうけど、それにしてもこんなに明るいもの?」と不思議に思って。
    ネットで見てみたら、なんと、7月7日が金星の最大光度なんだとか。
    しかも、初めて知ったんだけどw、金星って満ち欠けして。最大光度の頃、つまり、ちょうどその頃、望遠鏡で見たら三日月のような形なんだとか(゜o゜!
    それが書いてあった、国立天文台のサイトによれば、その頃はなんでも、地球から見える金星に太陽の光があたっているのは1/4くらいで。
    細く欠けているんだけど(やたら細い三日月みたいな感じ?)、視直径(見える大きさってことか?)は、外合の頃(地球から見て、金星が太陽に向こう側にある頃)の比べ4倍くらい大きく見えるらしい。


    というわけで、その金星には住んでいなくて、地球に住んでいる金星人(?)が出てくるw、この『美しい星』だ。←本題に入るまで長すぎw
    三島由紀夫こと、ミッシーが書いた小説だ。←気安すぎ(^^ゞ

    三島由紀夫くらい、知っている。
    でも、小説は読んだことない(^^ゞ
    つまり、知っていると言っても、その名前と市ヶ谷駐屯地で切腹して死んだことくらいだ。

    小説なら、小1の頃から読んでいるし。
    高校生くらいは、いわゆる“若さ故の過ちw”で、文学にのめり込みかけたようなこともあったから(爆)
    どこかでミッシーの小説(ミッシーって、誰だ? エリオットか?w)に接していてもおかしくないと思うんだけど、なぜかカスりもしなかった。
    というか、三島由紀夫っていう人がいたことを忘れていたのかもしれない。

    そんなミッシーこと、三島由紀夫を読んでみたいなぁーと思ったのは、Eテレの「100分de名著」でやっていた『金閣寺』を見た時だから、もう何年も前だ。
    日本が戦争に負けて、世の中の価値観や常識がものすごい速度で変わっていく中、アイデンティティーを失っていった、ある意味真面目で純情な人たちがいたわけだけど、三島由紀夫みたいな人ですら、あの頃はそうだったんだなぁーと知って興味を持ったのだ。
    なのに、読まなかったのは、三島由紀夫って何が面白いの?ってなった時、まず出てくるのが『金閣寺』だったからだろう(^^ゞ

    いや。「100分de名著」で『金閣寺』を見ていた時は、ちょっと面白そうだと思った。
    思ったんだけど…。
    でも、『金閣寺』ってさ。
    金閣寺(金閣)が燃えちゃう、それだけの話だよね?
    それなら、津山事件を描いた松本清張の『闇をかける猟銃』の方が猟奇的だからドキドキして面白いよね?
    みたいなー(爆) ←本当に100分de名著を見たのか!w

    高校くらいの頃、“若さ故の過ちw”で文学にのめりかけたのが一気に冷めたのは、アレキサンドル・デュマの『ダルタニャン物語』を全巻読んで。
    そのあまりの面白さに「文学なんて、何でも深刻ぶりたい人が深刻ぶるためのもの」って思ったからだ(^^ゞ
    つまり、『金閣寺』にイマイチ手が伸びないのは、そういうことなんだろう。
    ていうかー、『ダルタニャン物語』を読んで、「文学なんて、何でも深刻ぶりたい人が深刻ぶるためのもの」って思ったのは、“若さ故の過ちw”といかないまでも、若さ故の上から目線ではあったんだろう(爆)


    そんなミッシーこと、三島由紀夫(←しつこい!w)とは全然違う話になるようだが、自分はテレビ東京で朝やっている「モーニングサテライト(モーサテ)」という番組を録画して毎日見ている。
    経済情報中心のニュース番組なんだけど、NHKのニュース(?w)と違って、海外の情報が多く紹介してくれるところがいいのだ。
    そんな「モーサテ」だが、たぶん15年くらい、月〜金、毎日見ているから。自然とそこに出てくるアナウンサーに親しみを感じるようになるw
    その中に、角谷さんというアナウンサーがいて(今はWBSに出ているよw)。
    いっやー、こんなキレイな人いるんだぁーって、最初の頃は呆れてw見ていたんだけど。
    ずっと見ていたら、キレイはキレイなんだけど、コオロギをなんの躊躇もなくポリポリ食べてたりして、意外と親しみやすそうな性格なんだなぁーって思ったらファンになっちゃっと(^^ゞ
    とか言って、その頃、別の曜日を担当していた西野さんの方がちょっとだけファンだったりしたんだけどね(爆)

    それはともかくw、角谷さんってどういう人なんだろう?ってウィキペディアで見てみたわけ。
    そしたら、「好きな作家は、三島由紀夫」とあって。
    こんなキレイな人が、なんで三島由紀夫なんか読まなきゃなんないんだろ?って←角谷さんにも、ミッシーにも失礼だろ!w
    その点で、三島由紀夫に興味をもってしまったのだ(^^ゞ

    でー、読んだかと言うと、そんなこともなくw
    というのは、三島由紀夫というと、まず出てくるのが『金閣寺』。
    『金閣寺』というと、金閣寺(金閣)が燃えちゃうだけの話だよね?
    それなら、津山事件を描いた松本清張の『闇をかける猟銃』の方が猟奇的で面白いよね?
    やっぱり、そこに戻っちゃうわけだ(^^ゞ
    ちなみに、『闇をかける猟銃』は、何年か前に読んだんだけど、特に面白くもなかった…、というかー、ぶっちゃけ、『八つ墓村』の方が面白いよね?
    みたいな?←たんに真面目な本が読みたくないだけだろ!w


    ということで、三島由紀夫だ(^^)/
    ブクログのミョーな面白さは、読みたい本を不思議と見つけてくれるところだったりする。
    つまり、たまたま「いいね」をくれた方だったかな? その方の本棚を見たら、三島由紀夫の本が何冊もあって。
    「いいね」をくれた本の(その方の)感想が、自分の感想の何倍も知的かつ、整理されていたこともあって、この人の感想なら参考にしていいんじゃないか?と思ったのだ。
    そんなわけで、時間が空いた時とかに、その方の本棚をつらつら読んだりしていたんだけれど。
    それでもなお読まなかったのは、やっぱり三島由紀夫=『金閣寺』だからだろう(^^ゞ
    いっそ、銀閣寺だったら、今すぐにでも読むんだけどなぁーってこともないんだろうけどw、それはそれとして、『金閣寺』というハードルはそのくらい高い。
    それは、金閣は3階建てだけど、銀閣は2階建てだから、ハードルがちょっと低い、ということではない。←どーでもいい!w

    つまり、自分が三島由紀夫を読むには、『金閣寺』じゃない面白そうな三島由紀夫の作品が見つかればいいわけで、こうなったら、こっくりさんか、生成AIに聞くしかない!と(^^ゞ
    ただ、こっくりさんに聞くには一人ではダメなので。
    じゃぁ、AIのご託宣を仰ぐか…、と。
    「三島由紀夫を読もうと思ってるんだけど、最初に何がおススメ?」とグーグルの「Bard」に聞いてみたところ、出てきたのはまたもや『金閣寺』。┐(´д`)┌
    いや。『仮面の告白』とか『潮騒』、あと『鏡子の部屋』に『豊饒の海』もおススメとして上がっていたんだけど、やっぱり『金閣寺』と一緒で、どれも、なぁ〜んかイマイチ手が伸びない。

    というわけで。
    今度は、たまたま「いいね」をくれた方に、そのグーグルの「Bard」の回答を(ある意味ネタとしてw)コメント欄に書き込んでみたと。
    すると、その人曰く、“三島由紀夫は社会派系と恋愛系に分けられる。さらに、甘美系と酷薄系があるんじゃないかと思う”と書いてあって。
    それを読んで自分としては、三島由紀夫に社会派系、恋愛系があるのはなんとな〜くわかるし。甘美系も、そんな感じあるなぁーと思ったんだけど、酷薄系という作品が今ひとつイメージ出来なくて。
    であれば、その方が酷薄系の傑作としてあげていた『宴のあと』、それを読もうじゃないかと流域面積世界最大の川wへ。
    ところが、どういう運命のイタズラか?w
    レビューを読もうとスクロールしていたら、『美しい星』というのが目に飛び込んできた。
    『美しい星』?
    こんなタイトルの三島由紀夫の本、あったっけ?と、なんとなーく興味を引かれて、ついクリックしてみたら…。
    “自分たちは他の天体から飛来した宇宙人であるという意識に目覚めた一家を中心に、核時代の人類滅亡の不安をみごとに捉えた異色作”って、何だそれ!? そんな三島由紀夫の本あったのか ……、という戸惑いとともに脳裏に浮かんだのは、今をさること10年? いや、20年くらい前か? 「超常現象バトル」に出てきた、UFOコンタクティーと称する、たんなるバカな人が話していた、「あー、あー、あー。うー、うー、うー」みたいな宇宙語(爆)
    あ、これ、そういう話?←絶対違うw

    というわけで、自分が初めて読む三島由紀夫はこれしかない!!と(^^ゞ
    だって、金閣が燃えるより、男色に目覚めるより、宇宙人の方が何十倍もエキサイティングだし、面白いじゃん!
    ……と読み始めた『美しい星』だったが、読み始めて、最初のページでびっくり!
    暁子って、角谷さんと同じ名前じゃん!(^^)/



    そんな、ミッシーファン…、じゃなかったw、三島由紀夫ファンには怒られちゃいそうな、初・三島由紀夫だったが、うん。まぁー、これは小説としてはイマイチかなぁ〜って?w
    ていうか、どうなんだろう?
    著者としては、後半をあらかじめ想定した上で、前半を書いていたんだろうか?
    …と首を傾げてしまうくらい、前半と後半でチグハグ感があるよーな?

    ていうか、後半の重一郎と羽黒たちの議論は、ほぼ意味不明(爆)
    ま、その意味不明が、何でもかんでもわかりやすくしちゃって、誰も何もわからないし、わかろうともしない。
    さらに言えば、わかった風な顔して語っているヤツの話が専門的すぎて、ミクロで見て言うならうなずけなくもないんだけど、マクロで見たらそれって左翼の考え方だよね?みたいなことばかりな、今の時代性ゆえなのか?w
    それとも、この時代(出版されたのは1962年らしい)は、みんなでこんな意味不明な議論を楽しんでいたのか?w、その辺りはわからない(^^ゞ
    ていうか、60年代前半の情勢に基づく話を、今さらわかった顔する必要もないよーな?(爆)

    ただ、ざーっと読んだ限り、三島由紀夫自身のスタンスは、たぶん、羽黒の側にあるんだよね?
    坂本龍馬が言ったんだか、坂本竜馬が言ったんだか知らないけどw、『竜馬がゆく』の中に、“世界の人民をいかに皆殺しならんと工夫すべし。胸中にその勢いあれば天下に振うものなり”とあったと思うんだけど、たぶん、三島由紀夫も、事を成すにはそのくらいの非情さが必要だと自らを律していたということなんだろう。
    ていうかー、三島由紀夫の後の行動を踏まえると、戦後の日本人やその社会の風潮にウンザリしていて。「こんな浮薄な世の中、今すぐ滅んでしまえ!」と怒りで書いたのかもしれないし。
    そこまでいかないまでも、戦後のその時代をニヒリスティックに捉えた上での、多分にギャグを含んだ皮肉なのかもしれない。
    三島由紀夫という人がどういう人だったかイマイチよくわからないので、その辺はなんともだけれど。
    ただ、この本を読み終わってみると、実は三島由紀夫って、戦後の日本のカルチャー(大衆文化)の土台を、結果的につくっちゃった人であるような気がするんだよね。
    エロ・グロ・ナンセンスというのとはちょっと違うんだろうけど、羽黒の語っていることは、戦後の知識人による日本人へのブラックユーモアな皮肉という面が強いような気がするかな?
    ただし、それはユーモアのように穏やかなものではなく。それこそ坂本龍馬(竜馬?)じゃないけど、“戦後の日本人をいかに皆殺しならんと工夫すべし。胸中にその勢いあれば天下に振うものなり”的な、戦後の日本人とその社会をブスリと刺して。
    その反応を見て、イヒヒと笑って喜ぶユーモアなんじゃないだろうか?w

    一方、重一郎の語っていることは、もしかしたら、三島由紀夫の理想(?)である、自分が育った「浮薄でない戦争前の(上流階級の)日本社会」、つまり、「美しい星」に住んでいた頃のノスタルジーってことなのかなぁーと思った。
    そういう意味じゃ、ピュアな三島由紀夫?(^^ゞ

    そんなことを考えると、そのピュアさを恥じ、それを隠すために三島由紀夫特有の観念論をまとうことで、死ぬことに美を見出し、そこに突っ走っちゃったのって、どうにかならなかったのかなぁーって思うかな?
    昔、♬ツッパることが男のたった一つの勲章ぉ〜なんて、思わず、中二病も大概にしろよ、ばぁ〜か…w、って呆れちゃう歌(いや。その部分だけ好きだったw)があったんだけどさ(^^ゞ
    ツッパらなくていいの、イヤなことはしなくていの、自分が生きやすいように生きればそれでいいの的な左翼の腐ったのwみたいな考えばかりが横行して。
    誰もツッパりもしなければ、イヤなことなんてしないで楽ばかりして、いつの間にか後進国に住む人になっちゃった私たちニッポン人wを、「それでいいのかぁー、ニッポン人!」って大喝してくれる存在として、生きていて欲しかったかなぁー(^^)/

    もっとも、生きていれば生きていたで、テレビを始めとするエンタメ業界の重鎮としてチヤホヤされていて。
    もぉー、鼻持ちならないくらい、嫌ぁーなヤツになってたかもしれないけどね(爆)
    ていうかさ。
    もし、三島由紀夫が生きていたら、たぶん「朝まで生テレビ」とかに出ていてw
    大島渚と「バカヤロー!」、「お前こそバカヤロー!」なんて言い合っていたのかな?
    それはそれで、ちょっと見てみたかったよーな?(^^ゞ
    (あれ? 大島渚って、まだ存命なんだっけ?w)


    そんな『美しい星』だが…って、もはや、どんな『美しい星』だ!?って感じになってきたがw、最後はミョーに家族の内面をしみじみ描いて、静謐に終わる。
    その静謐な感じが、昔読んだ『赤外音楽』の原作とちょっと似ていて(?)、結構好きだった。
    もっとも、こっちの静謐さは、夜のそれなのに対して、向こうは(確か)昼間のそれだし。
    向こうは、主人公たちは、行かないことを選ぶのに対して、こっちは行っちゃう…、のか?w
    ていうか、『赤外音楽』の原作なら、こっちの方がまだ面白いんだけどさ(^^ゞ
    (って、ウッカリ『赤外音楽」のネタバレしちゃってゴメンw)
    ていうかー、そう、著者としては羽黒と重一郎が議論している内容は書きたかったんだろうけど、あの部分はない方が、たんに文芸作品としてスッキリ楽しめたんじゃないのかな?
    暁子が金沢に行く章とラストは、その情景がまざまざと浮かんでくるだけに、なぁ〜んか惜しい気がした。

    ただ、なぁ〜んか惜しい、と思っちゃえる内容の小説を、羽黒と重一郎の意味不明な議論で惜しげもなく破茶滅茶に出来ちゃうことこそが、その辺の作家と三島由紀夫の差なのかも?w、なぁ〜んて思ったりもした。
    やるじゃん! ミッシー(^^)/

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著者プロフィール

本名平岡公威。東京四谷生まれ。学習院中等科在学中、〈三島由紀夫〉のペンネームで「花ざかりの森」を書き、早熟の才をうたわれる。東大法科を経て大蔵省に入るが、まもなく退職。『仮面の告白』によって文壇の地位を確立。以後、『愛の渇き』『金閣寺』『潮騒』『憂国』『豊饒の海』など、次々話題作を発表、たえずジャーナリズムの渦中にあった。ちくま文庫に『三島由紀夫レター教室』『命売ります』『肉体の学校』『反貞女大学』『恋の都』『私の遍歴時代』『文化防衛論』『三島由紀夫の美学講座』などがある。

「1998年 『命売ります』 で使われていた紹介文から引用しています。」

三島由紀夫の作品

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