豊饒の海 第一巻 春の雪 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (480ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101050218

感想・レビュー・書評

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  • どうしよう。全然たのしめなかった。
    せめて文章の美しさだけでも味わいたかったのに、それすらできなかった。
    これほど未知の日本語に出会うのがひさしぶりで、それは非常にたのしめたのだけれど、名高い数々の修飾文は刺さらなかった。
    全巻読んだあとなら、感じ方が変わるだろうか。

    新刊もあまりたのしめないのに、ロングセラーまでダメになったら読むものがなくなる。

  • 三島由紀夫に挑戦。第一巻が1番好き。
    三島の文章とストーリーの調和が絶妙で、美しい。
    帯に、東出昌大で舞台化の広告。演技は見たことないけど、顔や雰囲気は松枝清顕っぽくて良いじゃんと思ってたら、不倫報道で清様のイメージがあああああ

  • 『豊饒の海』は1巻「春の雪」2巻「奔馬」3巻「暁の寺」4巻「天人五衰」と、全4巻にも及ぶ大作です。
    この話には主人公が二人います。一人が本多繁邦。唯一全4巻を通して登場し、一種の語り部としての役割を担います。もう一人の主人公が、この本多の親友である松枝清顕です。ただ、これは1巻においての名前です。これがこの話の肝なのですが、清顕は転生を繰り返し、2巻、3巻、4巻は別の人物として登場するのです。そして、その全ての生まれ変わりと本多は再会することになります。本多は転生に気づきますが、清顕本人はそれに気づいていません。

    素晴らしいのは、いろいろな読み方ができることです。4巻を通して一つの話として読むのはもちろん、それぞれの巻で主人公やその性格が変わり、話全体の雰囲気もかなり変わるので単独作品としても読めます。いろいろな物語の要素が4巻分で楽しめるのです。ちなみにおおざっぱに一言で表すと、1巻は「恋愛」、2巻は「青春」、3巻は「官能」。そして4巻は一般的な言葉では言い表せず・・・しいて言うなら巻名の「天人五衰」でしょうか。
    また、1巻は大正、2巻は戦前昭和、3巻は戦中~戦後60年代、4巻で70年代と、時代も移り変わります。このように長い期間を描いているので、登場人物の変遷を眺められるのも面白い点。2巻で清純に描かれていた人が、3巻ではとんでもない年のとり方をしていたり・・・。登場人物の数も多く、それぞれ細かく描かれるため、群像劇としても楽しめます。
    あと、全体を通して鍵となる仏教思想については、軽くでもさらっておくことをおすすめします。

    私が特に好きなのは3巻。3巻は「起承転結」の「転」にあたり、前2巻から大きく変わる巻です。この巻では、インドのベナレスが登場するのですが、そのシーンがとにかく素晴らしく・・・。読んだ後、実際に三島が取材旅行に行ってものすごい衝撃を受けたというのを知り、だから描写がずば抜けていたんだな~、と納得。4巻中、最も幻想的かつ退廃的なのも好みです。
    3巻の「転」を経て、4巻で「結」にいたりますが、『豊饒の海』はラストがすごいです。読む前から「すごい」と聞いていて、心構えをしていたのですが、本当にすごかった。(語彙が貧困で申し訳ない・・・)私はこの終わり方はものすごく好きです。

    『豊饒の海』は三島の最後の作品で、この話が彼自身に大きな影響を与えたとも言われていいます。ただ、こんな話を書いてしまった後、次に書ける小説といったら、それこそもう何もないのだと思いました。

  • 春の雪
    (和書)2008年12月04日 21:11
    1977 新潮社 三島 由紀夫


    意外に読み易い文章でした。身分と言うものを普遍的関係としてとらえてしまうのはあまりに安直過ぎる読み方でしょうね。ただ恋というものがその関係を普遍的なものにしようとしているのでしょうか。諸関係をくつがえせという無条件的命令をもっておわる=止揚するということを考えた時、終わりあたりの仏教の説教はそこだけ不思議に難解であると思いました。そこがこの小説のトリックなのかもしれません。豊饒の海(一)ということでまだ先があるから読んでみないと分からないことが多いと思いました。
    清顕と聡子の恋愛だけの視点でみればとても読み易い美しい作品だと思いました。それ以上を望んだとき果たしてどこまでの作品なのかわかりません。
    三島由紀夫の作品は読むのを避けてきたところがあります。でも最近はその謎を解いて行きながら読むことが面白く感じるようになりました。アイロニーの暗黒圏みたいなものを怖れていたのです。でもそれを批判しようと試みることは必要だろうと思いました。間違っていたとしてもそれに気づかなければ駄目だろうと思いました。

  • 「豊饒の海」4部作の1作目。「春の雪」
    読後感が重い。そして自分の中に色々な感情が濁流のように押し寄せてきてうまく整理できない。でも何となく、清顕が本多に向けて言った最期の言葉「夢を見ていた。又、会うぜ。きっと会う。滝の下で。」に希望を感じた。中盤のシーン、典雅の禁を犯した清顕と聡子の逢瀬からは凄まじかった。その後の流れも含めて、彼らが刻々と堕ちていき、清顕は謹慎し、聡子は出家するということ。そして結局彼らは今世では会えないまま別れることになってしまうということ。全てが綿密に組み立てられていて、三島由紀夫の美麗な筆致と合わさることにより更に輝きを増す作品となっていた。
    まだこれで1作目だというから恐ろしい。残りの3巻も早く読みたい。

  • 三島の文章は美しい。
    そう言われているけれど、わたしにとって三島意外の作家さんでも文章は美しく感じるので、三島が特別美しいとは思っていません。
    だけど、一つ一つの文章には三島独特の感性があり、そこに【特別】を感じます。
    春の雪でも、清様の“若気の至り”というか、若いからこそ我を張る、若いからこその維持だったり若いからこそ見えるものを三島は捉えていて、そこに美しさだったり切なさを感じました。醜いのに、愚かなのに儚く美しいというのか。

  • [abbr]
    JP = Original (Tokyo, 1969)
    (新潮社、昭和四十四年四月第十二さつ)
    CK = Chinese translation by Ms Chiehjo Wen and Mr Mang Li (Chungking, 2014, reprinted 2018)
    TT = Chinese translation by Prof Tewen Ch’en (Tientsin, 2021)

    The book club to be held by the library of my college I work for this autumn including the novel presented an invitation of being an introduction lecturer to me; and after appreciating Uisama’s (花宮初奈さん) delicate reading voice (of Chapter III-IV), I’m almost immersed all of a sudden in the story woven smoothly by Mr Mishima. When perusing, ‘Woaini Gondola’ (ウヲアイニ・ゴンドラ) by Mr Iwai (岩井俊二さん) played seemingly by my side, I was embracing with a softer and cosier but also riskier and more miserable image, curling as well as vacillating till his death in that Taisho romantic era, named with a purified one: Kiyoaki. ‘Twas obvious that his changes occurred internally are clearly milder than D. H. Lawrence’s similar male ones (see my review of ‘Women in Love,’ posted 24/04/14); Kiyoaki’s spirit is analogous to whipped cream, to be boiled repeatedly, to be steamed finally. This creamy stylistic device may be one of the specialties of Japanese fictions especially around 1945 (this work, 1965-6), generating an fierce antithesis with Lawrencian characters: hustling, bouncing and struggling.
    I’ve read 3 versions (2 Chn trans sim as CK and TT, and 1 Jpn org sim as JP), consequently I wanna initially review the translation.
    For Prof Tewen Ch’en’s text (TT) as my second choice of Chn trans, as he devoted himself unexpectedly to preserving the mellowness of his Chinese language, some parts (mainly words) are ignored attentively, which doesn’t do matter while still need to be pointed out: 'death' (死の影) in 6, 'overflowing' (充ちすぎてゐた) in 48 and 'being sealed off' (閉ざされた) (all above of JP), but one should be seriously point out is the deletion of depiction in Chapter XLI (see 292ff, JP); moreover, some parts are only given literal translation that seem a little rigid as a poker: just take it in comparison with Ms Chiehjo Wen and Mr Mang Li's text (CK), and then we'll find out the microcosmic secrets; for example, in 138, JP, where 'as fog fading, a row of white columns exquisitely come out as if they were crystals' (霧が霽れて白い圓柱列が玲瓏とあらはれるやうに) given, CK correctly transformed the adverb function of '玲瓏と' (exquisitely ... as if ... crystals) thus expressing the dolce gesture (あらはれる) in Kiyoaki's fantasy, while TT just take it as an adjective attached to the still scenery. Nevertheless, sometimes even at somewhere significant, apparent mistakes can be seized out from CK: 'glory' (煌めき) or 'alarm' (惶めき) (see 63, JP)? 'flowing smile' (微笑へ流れ) or just 'smile' (see 68, JP)? When it comes to the general style, perhaps TT is abler to grasp the elegance and mellowness of that literary era as has mentioned before, thus fit for readers who meet with Mishima's words (esp his 'Sea of Fertility' series) for the first time. CK, on the other hand, persisting on its piety towards texts thus giving us plain but faithful experience (though sometimes little mistakes appear), is fit for research as a bridge across Chn and Jpn languages.
    Let's return to discuss the fiction herself now.
    Various undercurrents of death or hermit or disillusion as some kind of instinct depressed represented as symbols or ghosty dialogues cover the whole book: moonlight princess (276, CK), two corpses (a mole and a puppy, linked in 304, CK), horrible aurora (350, CK)... It seems that Satoko as the Incarnation of those desires, has exceed the destiny to dive into the Dark before Kiyoaki, thus becoming the beauteous eternal, thus he Kiyoaki cannot even meet or touch, just since he's reached his 'after': his comprehension of their secret moment love, is a perfect, precious and privileged disobedience. Kiyoaki's death at the finale proves his permanent struggling for the moldy beauty marked on Satoko. 'Tis a dead, uncompromising beauty, at the dawn before God comes there.
    「優雅といふものは禁を犯すものだ、それも至高の禁を。」(172, JP)
    Many waves of narratives curling and fading but finally meet everywhere in the text, the quotation above should be the core one. And Satoko's words confirm the elegance of that contradiction between 'eternal' and 'moment' mentioned above:
    「でも、もし永遠があるとすれば、それは今だけなのでございますわ。」(237, JP)
    Thus a splitting world just live the two martyrs generated in the wettish spring snow. Now, the couple's summer comes, truly comes, not just within their bliss before.
    I may talk more about the seasons Mishima constructed and other things from my notes, but none of words can be found except Japanese itself; therefore this review is to be continued till I can express those perceptions in Japanese.

  • おもしろかった。
    三島由紀夫作品に魅了される人がたくさんいるのがわかる。

    松枝清顕の言動を優柔不断とか素直ではないと言う人もいるかもしれないが、十代後半のまだ思春期といえる年齢なら、聡子や恋心についてこなような態度を取るのもわかる気がする。
    自分の気持ちすら分からないこともあるのだと思う。
    清顕と聡子の恋愛が、とにかく清々しく感じた。
    作者の心理描写が秀逸で、どうしてこんなにも人の気持ちを文字で表せるのかと感動した。
    作者も、こんなに繊細の心の持ち主だったのかと想像した。
    来世では、清顕と聡子が結ばれ幸せになって欲しいと思った。

  • 再読

    高校生以来の再読。
    これでもかの怒涛の美文。
    ブンガクを、ミシマを読んでます、って
    顔して、エロスに鼻息荒くしてたであろう若かりし頃。

    今となってはそんな思想は古臭いしパワハラ的?かと
    思うんだけど、25年くらい前は確かに処女童貞なんて人間以前、
    というムードがあり。
    私も(子供のくせに、子供がゆえに?)その通りなんだろうな、と思っていた。

    だってさ、清顕が聡子にちょっと揺さぶられたくらいで
    「どどど童貞ちゃうわ!女なんてみんなビッチ!」
    て手紙を送りつけて(しかも勢い任せに書き殴ったのならまだ可愛げあるのに、
    何度も書き直して練った表現で…)
    シャムの王子達に恋人として紹介しないといけなくなったから
    「読むなよ!絶対読まずに燃やせよ!」と慌てて電話して。
    読むに決まってるだろそんなん。
    こういう、拗らせ童貞の右往左往、イキり、潔癖を
    覚えがあるようなないような、でウワーと思いながら
    読まされたら、そう思うって、、、。。

    もっと早く行動を起こしてたら、気持ちに気付いてたら
    こんな事にはならなかったのに、とは思えず。
    これはなぁ、性癖だから、好みだからどうしようもないのよな。
    清顕と聡子はああいう形でしか結ばれなかった。
    それはもう仕方ないんだよなぁ。

    そして、かつては怖〜、おぞましい…と思ってた
    蓼藍。
    もう今完全にこっち。このポジション。
    伯爵が血迷って…のところもあ〜…あるかもなぁ、だし。
    清顕と聡子の仲立ちも、まぁ忠義だけじゃないよね…
    若き2人のエネルギーをごっつぁんですしちゃう感じ、
    わかる、正直わかる…。
    散らない老醜にもそれなりの趣きがあるものでして。

    豊饒の海は春の雪だけしか読んでなかったので、
    この際全部読もうかな。 

  • 三島由紀夫は敬遠してきた。
    「金閣寺」と「潮騒」、それからいくつかの通俗小説程度しか読んでこなかった。
    映画を見たことがあったかな。
    妻夫木聡と竹内結子が演じたもの。

    しかし、何という圧倒的な作品だろう。
    美しさを描くとはこういうことなのか、と思わされる。
    例えば源氏物語を読んで、絶世の美女、紫の上の描写を読んでも、古文というせいもあって、へえ、と思うだけだ。
    でも、この作品では、何か実体感を伴ったものと感受できるのはなぜだろう?

    清顕の友人、本多がいることで、例えば美と支配力の問題や、輪廻転生のモチーフが哲学的な深みをもつ。
    (そう言えば、シャムの王子は映画には出てきていただろうか? もしカットされていたら、結構平板な内容になっていたはずだ。)

    前半は清顕がプライドから聡子への思いに抗い、復讐心に燃えるところが面白い。
    時代設定が大正初期ということだからか、「清様も今に分かりますわ」というような、聡子の謎めいた言い方は、どこか漱石の藤尾やら、美禰子やらを思わせる。
    そうしてそれが清顕を苛立たせるのだが、若いなあ、と思ってしまう。
    ただ、聡子にはそこまで深いものを感じられないのはどうしてだろう。
    落飾して清顕を拒み続ける彼女にも、だ。
    それこそ源氏の浮舟が重なって見えてしまうからか?

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著者プロフィール

本名平岡公威。東京四谷生まれ。学習院中等科在学中、〈三島由紀夫〉のペンネームで「花ざかりの森」を書き、早熟の才をうたわれる。東大法科を経て大蔵省に入るが、まもなく退職。『仮面の告白』によって文壇の地位を確立。以後、『愛の渇き』『金閣寺』『潮騒』『憂国』『豊饒の海』など、次々話題作を発表、たえずジャーナリズムの渦中にあった。ちくま文庫に『三島由紀夫レター教室』『命売ります』『肉体の学校』『反貞女大学』『恋の都』『私の遍歴時代』『文化防衛論』『三島由紀夫の美学講座』などがある。

「1998年 『命売ります』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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