- Amazon.co.jp ・本 (528ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101050225
感想・レビュー・書評
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十代、二十代、三十代‥‥読了する歳で感想が大きく変わる作品だと思う。
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豊饒の海第2巻「奔馬」
精緻な美しさと書かれている事実の荒々しさ。えげつない。
前半の本多が勲が清顕の生まれ変わりだと確信するところは鳥肌だった。そして裁判の時にも、本田にしか分からないあの北崎の逢瀬の話も出てきて、驚きすぎて言葉にできないほどであった。
何はともあれ、官僚をはじめとした周りの大人の腐敗が描かれて勲の純粋さが際立ち、彼は純粋を求めて奔馬の如く駆け抜けていったのだろうなぁと思った。清顕の生まれ変わりだということで、亡くなってしまうのだろうなと思ってしまい、読み進めるのが辛かったが、この物語の終わりに向けて私も本多と同様に見届けたいと思う。 -
爆発的なおもしろさで物語が進行中。
夭折した清顕が生まれ変わったのは、右翼の大物の一人息子で「大義のために死す」ことを夢見る青年、飯沼勲。昭和前期の不穏な世相の中、「悪いのは政府と財閥」だ、と昭和維新(要するにテロ)実行に命を燃やしている。
清顕の親友である本多は、裁判官としてエリート街道を驀進しているのだが、ある事件をきっかけに「清顕の輪廻転生」を確信し、合理性に基づく世界観が根本から揺らいでしまう。稚拙な計画が露見して勲が逮捕されたとき、本多は職を辞してまで弁護を買って出るのだった。
ここからの法廷活劇が最高なのだ。
「検事は予審終結決定の、単なる殺人予備罪という公訴事実に不満なのである。何とか事件を大きく、できれば、内乱予備罪にまで持って行きたい。そうすることによってのみこの種事件の禍根が絶たれると信じている。が、そう信じることによって、ともすると論理の足取が乱れてくる。大計画から小計画への縮小変更の立証にばかり骨折って、殺人予備のほうの構成要件の充足に手抜かりがある。『この間隙を狙って、できれば一押しに、殺人予備さえ否定してしまおう』と本多は思っていた」(P382)。
尋問の合間に唐突にはさまれる笑い。本多にしかわからない、背筋に戦慄が走るような転生の新証拠。クライマックスは、勲がひそかに思いを寄せている年上の女性、槇子の証言・・・。
「勲は『決して憎くて殺すのではない』と言っていた。それは純粋な観念の犯罪だった。しかし勲が憎しみを知らなかったということは、とりもなおさず、彼が誰をも愛したことがないということを意味していた」(P407)
第1巻は恋愛小説かと思ったら社会派小説でもあった。第2巻は社会派小説ながらつまるところ恋愛小説だとさえ感じる。そして同じように、大人社会の隠ぺいと青年の純粋のぶつかり合いが悲劇へと突き進む・・・
どうでもいいが、法曹人が戦前から自分のことを「当職」と称していたのがちょっと新鮮(笑)。 -
面白い。豊饒の海は、読み進めるほど引き込まれる。「純粋」とは。自覚している、していないの差はあれど、第一巻の松枝清顕も飯島勲も、青年の純粋さが琴線に響く。
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「又、会うぜ。きっと会う。滝の下で」
4部作の中でも、三島本人が好んだのは奔馬だったとか。たをやめぶりな『春の雪』から一変、ますらをぶりな『奔馬』
私個人としては『春の雪』の精緻な美しさが好きだったけれど、『奔馬』の直情的な勢いのある文体もまた良い。
そして生まれ変わりの輪廻を示唆する一文一文が、ゾクっとする感覚をもたらす。
滝の下のシーン、白衣の男たちに鎮魂されるシーン、裁判での証言のシーン、「ずつと南だ。ずつと暑い」
三島由紀夫という男、浜松中納言物語を下地にこんな壮大な輪廻の大河が描けるのか、200年に1人とはまさにこのこと。 -
三島由紀夫は、締めの一文が定まるまでは書き始めなかったという話だが、本編のラストにあたる一文もまた、いろいろな意味で言葉を失う(ネタバレになるので具体的に触れませんが、作家の最期を如実に暗示している内容)。
本編「奔馬」の中で触れられる「神意に容れられることが叶えば死をもって奉じ、容れられなかった場合は不敬を死でもって償う」という世界観を、どう鑑賞(?)すればいいのか。
一言でアナクロだと片づけるつもりなのであれば、そもそも豊饒の海を読み始めないのだが、2巻読了時点ではまだ心の中で形を成すことが出来ず、鬱々とした心持ち。
さらに「暁の寺」へ急ぐ。 -
輪廻転生をモチーフとしる”豊穣の海”シリーズの第2巻。第1巻で恋煩いから自死を遂げた青年が転生して、ほぼ同じくらいの年齢で登場するのがいよいよ本書である。転生した主人公同様に、第1巻から約20年後にあたる本書では、第1巻で主人公の自死に関連した人物が年齢を取って再登場する。
そして恋煩いを中心とした物語であった第1巻に対して、右翼少年によるテロ計画が本書でのメインテーマである。鬱屈した世相に痺れをきらし、若者特有の純粋さでテロを起こそうとする主人公らの姿は今にして読み返せば、明らかに楯の会を率いて自衛隊駐屯地で自死した三島由紀夫自身の姿を想起させる。
結果として無惨に失敗した三島の蜂起を知っている我々は、本書でのテロ計画も同様の結末を辿るのかどうかを巡り、異様な緊張感を持って物語の進展を追わざるを得ない。その点で現実と虚構がリンクするような奇妙な世界を味わえる。
第2巻でも結果として主人公の青年は自死を遂げ、時代が進み第3巻『暁の寺』での転生に繋がっていく。この第2巻を熱中して読み進めた自身にとって、その熱量がますます高くなっていくことへの期待を禁じ得ない。 -
「春の雪」の松枝清顕とは異なり、飯沼勲はまさに奔馬のような勢いを持つ青年。彼が持つ右翼思想の美学、それが高められた結末は三島の最期と切り離せない関係にあるのではないか。
輪廻転生についてはこの巻でどんどん謎を帯び、深みが増していく。 -
今朝、
天気雨が何度かぱらついたので、
西の空に、なんどもなんども虹がでた。
消えがての虹だけれども、
何かの予兆とでも感じる、
熱い柔らかい心が見上げるこちらにはあった。
おりしも『奔馬』を読み終えた。
『・・・日輪は瞼の裏に赫奕と昇った』
という一文にここで会えるとは。
それは
私の無知を曝け出している訳だが。
こんなくさいことよく書くよなーとは思う、
これも匿名だからという気安さがあるのだろうよ。
しかし、感動したという事実は本物なのだから。
三島由紀夫は『輪廻転生』という途方もない、
夢物語を書いているのだが、
諸所のリアルさにおいては舌を巻いてしまう。
林真理子が『名作読本』で
三島の作品はアフォリズム(箴言)がちりばめられている、
と書いているが、この夢想的な物語もしかりである。
それが私をなお惹きつける。
主人公「勲」の信念、理想は若さゆえの孤独に堕ちる。
とりまく大人の知恵、論理が淋しくも本当だからか。
この矛盾した夢のような現実をきらびやかに描く、リアルに。
ここが面白くないわけがない。
詳しく書けば歴史観とか人生観に、
心を動かされ、うべなったのだけど、省く。
読者は副主人公の「本多」の目になってはらはらどきどき、
あぶなっかしい情熱は奔流となって次巻へ繋がる、
「勲」の「夢」がそれを暗示して…。
『暁の寺』が楽しみ~、となる。