豊饒の海 第三巻 暁の寺 (あかつきのてら) (新潮文庫)

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  • 新潮社
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本棚登録 : 2024
レビュー : 178
  • Amazon.co.jp ・本 (448ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101050232

感想・レビュー・書評

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  • 主人公の本多は47歳。もう若い力は残っていない。そんな折タイで「自分は日本人の生まれ変わりだ」という幼い姫に出会う。その姫に惹かれていく本多を描く。本多のタイ・インドでの体験と輪廻の話も出ており、これまでのそしてこれからの輪廻転生の物語を考える上で重要な部分のよう。ただ前の巻よりは劇的ではなかった。

  • 再読。昭和16年、47歳になった本多は仕事で赴いたタイ(シャム)で、かつて日本に留学していた王子の末娘ジン・ジャンが、勲の生まれ変わりであることを知る。今までとちょっと違うのは、この時点で7歳の月光姫が自分の前世の記憶を持っていること。

    このタイ、インド旅行のくだりは三島自身の旅行記のようでもあり、詳細な描写は興味深いけれど小説の内容とは直接関係のない無駄な部分も多い。さらに、この四部作全体のテーマに関わることとはいえ、大乗・小乗仏教、ヒンズー教、インド神話、マヌ法典からオルフェウスやディオニュソスにいたるまで、本多のモノローグを借りた三島自身の知識の博覧会のような部分も長々とあり、いささか退屈。アラヤシキとかもういいよー。

    さらにその11年後、昭和27年、本多は58才。18歳になったジン・ジャンが留学生として日本にやってくるが、すでに彼女は前世の記憶を失っている。すでに老年にさしかかっているが本多はジン・ジャンに恋をする。しかしロリコンな上に覗き趣味の本多は自分の恋が成就しない決定的な瞬間を覗き見してしまい・・・。

    輪廻転生、これが「海のオーロラ」(里中満智子)のような少女マンガであれば、引き裂かれた恋人たちが何度も生まれ変わって悲恋を繰り広げるところだけれど、三島の描く転生者たちは生まれ変わるたびに違う相手に恋をする。清顕は聡子のために死ぬけれど生まれ変わった勲は聡子のことなど知らず槇子に恋するし、その転生であるジン・ジャンは槇子とも会っているけれど何の感慨も催さず別の人物に恋をする。本多はすべてを見ているけれど、ジン・ジャンはけして本多には恋しない。

    「この世には、記憶に留められる者と、記憶を留める者と、二種類の役割しかない(P188)」というくだりがありますが、 自らを「客観性の病気」と自認する本多は間違いなく記憶を留める側であり、傍観者である彼が覗き趣味になるのはある意味自然ななりゆきかも。本多という人物には明らかに三島自身が投影されているけれど、にも関わらず、いや、だからこそ、三島自身は「記憶に留められる」側にいきたくてもがいていたのかもしれないと思う。

  • 暁の寺。始まり方が前の2作品とは違った印象を受けた。本多さんが輪廻について色々と考察するのは興味深い。「柘榴の国」について語る今西氏の考えになるほどと思った。ジャン姫が美しい。慶子さんがかっこいい。まさか真面目一筋だと思っていた本多さんにこんな趣味が。覗きのシーンはこちらまで後ろめたさが。

  • 1・2巻から続いて興味深いのは序章あたり、夢と転生。どうしてここで欲望の話になるのか、終わりの巻でどうなってしまうのか分からなくなった。

  • 1、2巻で唯一自覚的に輪廻転生を見守ってきた本多が主人公となった1作。1巻で松枝清顕として登場した『生』が、勲を経て、今回はタイのプリンセス ジン・ジャンとなって本多の前に現れる。
    仕事の報酬として大金を手にいれ、余裕ある生活を送るようになった初老の本多の、理性というのか、それまで自身の核であった意思の壁のようなものが崩壊した姿が無惨で、哀れに感じた。露悪趣味と思えてしまうほど、どんなに些細な醜い心のうちや弱さ、慾望まで光を当てて曝け出していて、この作者のように美学が強い人ほど、醜いものにも強く感応してしまうのかなと思った。
    長く挿入されている仏教哲学も内容もあまりに深くて難解で、私はきちんと理解出来ていないと思う…。ただ、読み終わって、何か大きな力(阿頼耶識というものだろうか?)の中にいて無力な人間の儚さを感じた。
    それと、この小説を書き終わった後で割腹自殺をした三島が、何かひどく壮大なことを考えながら執筆していたのだろうことは、ヒシヒシと感じられた。

  • この巻で転生の謎は究極の位置まで来たように思う。それが本多が見たベナレスでの光景。ベナレスの描写とそれに直結する結末では、途轍もない高揚感が襲ってくる。また、この本はある面ではバンコク観光のための異色ガイドにもなる。

  • 個人的には作品と作者とは切り離して考えるべきだと思ってはいるのだけど
    どうしても、自分の中で勝手に構築していた三島由紀夫に対するイメージを、刷新せざるを得ない
    閃くことと瓦解することが同時に起きている

  • 川島雄三の風船を見たときに感じた、この時代の1890年前後生まれの世代に対する無自覚な印象が盛り込まれている気がする。今と違い格差が大きいから一概に世代とは言えないけど

  • 三島由紀夫「暁の寺 ~豊饒の海(第三巻)」
    そして、村上春樹への影響をめぐる個人的仮説。

    大東亜戦争が刻々と迫る中、弁護士として成功を収めている本多は、出張先のタイで「日本人の生まれ変わり」だと主張する幼い王女、ジン・ジャンと出会うことになる。第2巻で切腹した飯沼勲は今度は女性に転生しているのだった。

    前半のクライマックスは日米の開戦だが、著者がこの瞬間を以て日本の精神(らしきもの)の死を予感していることがよくわかる。開戦に沸く皇居の前で日露戦争の弔いの写真を思い出す場面が鮮烈。
    「本多の目はこの幻を歴然と見た。ふたたび万歳の声と、目に鮮やかな日の丸の手旗の波がよみがえってきた。そのことは、しかし、いいしれぬ悲傷に充ちた感銘を本多の心に残した」(P114)。本多をつうじて、三島はほとんど日本を「弔って」いるのである。

    それだけに戦後のどさくさで巨万の富を得た本多を描く後半はつらい。第1巻、第2巻で日本の精神主義をあれほど嫌っていた本多は、今度は戦後の拝金主義のおぞましさ、米国(というよりそこにおもねる日本)への嫌悪感からひたすら退廃的に生きている。朝鮮戦争の好景気の中、負傷した米兵を芸者があざ笑うシーンは強烈。そして来日しているジン・ジャンを守りたいという感情がいつしか欲望に変わっていく描写の救いのなさもすさまじい。

    この空虚さに、仏教の根本問題、すなわち「我を否定し、したがって霊魂の存在を否定している一方で、前世の業(カルマ)による輪廻転生もあるのだとしたら、転生しているのは一体なにものなのか」という問いについての考察が絡み合うのだ。三島すごすぎ。

    蛇足だが。以前から村上春樹は三島由紀夫の影響を受けている(本人は「日本文学はほとんど読んだことがない」と力説しているが)、というのが私のひそかな確信だったのだが、今回改めて実感した。つぎの二つって同じことを言っている気がしてならないのですがどうでしょうか?

    「自分が望むものは・・・もし手に入ったら瓦礫と化するに決っているから、望む対象にできうる限り不可能性を賦与し、少しでも自分との距離を遠くに保つように努力すること、・・・いわば熱烈なアパシーとでも謂うべきものを心に持すること」(P292)

    「東京について寮に入り新しい生活を始めたとき、僕のやるべきことはひとつしかなかった。あらゆる物事を深刻に考えすぎないようにすること、あらゆる物事と自分のあいだにしかるべき距離をおくこと―――それだけだった」(「ノルウェイの森」、上巻P47-8)。

    なんか、いろんな意味ですげーな、二人とも。

  • 豊饒の海(1)の感想ご参照

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著者プロフィール

三島由紀夫(1925.1.14~1970.11.25) 小説家、劇作家。
東京生まれ。学習院時代から文才を注目され、1944年、東大入学と同時に『花ざかりの森』を刊行。47年、東大卒業後、大蔵省に勤務するも、翌年辞職。49年、『仮面の告白』で新進作家として地位を確立。『金閣寺』『鏡子の家』『近代能楽集』など、強固な美意識で彫たくされた作品を発表。海外での評価も高い。68年、楯の会結成。『豊饒の海』の最終回を書き上げ、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地東部方面総監室に立てこもり、割腹自決。

「2017年 『告白 三島由紀夫未公開インタビュー』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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