- 本 ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101050270
感想・レビュー・書評
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悪徳をテーマにした三島由紀夫の戯曲2編。一読して自分なんかが感じたことは巻末の作者自身の解題に趣旨の解説としてほぼ書かれてしまっているのですが(笑)、備忘的に。これも解題にあるのですが、『サド侯爵夫人』は女性ばかりの配役で、『わが友ヒットラー』は男性ばかりの配役という一対の効果をねらったものということです。さらに、「悪の怪物」と認識される両者よりも、三島の関心は「サド侯爵夫人」「突撃隊幕僚長レーム」の方にあるようで、「悪」そのものよりもその周囲から語らせて「悪」の凄みを引きだし、これが本作の面白さを引きたてているといえるでしょう。本作は背景に特色があるため、若干の歴史的事実を理解した上で読むほうが、より楽しめるかもしれません。
演劇だけに、両作品とも役柄に明瞭な性格差異を与えていて、その対比から会話で魅せる手法は流石と思わざるを得ません。中でも世間様を代弁し強烈な反作用な個性のサド侯爵夫人ルネの母・モントルイユと、サド侯爵に「貞淑」を尽くす!ルネとの会話が火花を散らす第二幕、ひたすらヒットラーに友情を信じる極右レームと「革命」をそそのかす極左シュトラッサーの会話の第二幕は抜群の面白さでした。
2作品とも全3幕構成ですが、それぞれのテーマに即した幕構成も秀逸でこれもかなり唸らさせられました。解題によると長回しのセリフはワザと挿入しているとのことですが(笑)、文学的要素も多分に含んでいて覚えるのは大変そうだなあ。(笑)
テーマ内容としては、『サド侯爵夫人』ではサド侯爵アルフォンスに「貞淑」を尽くすということはどういうことか、そして最後の最後にサドにどう思われていたのかの三島なりの深層解釈が面白かった。『わが友ヒットラー』ではヒットラー自身を首相にまで押し上げた勢力を切り、独裁への次なるステップへ上がる時点でのそれぞれの思惑のぶつかりを、切られる方の葛藤と切る方の衝動と冷徹さの対比が面白かった。最後に垣間見られる「悪」そのものの実体がアイロニーに満ちているのは、舞台劇の結末として綺麗に落ちているといえるでしょう。どちらも舞台で観たくなりました。 -
戯曲二篇。「わが友ヒットラー」は、突撃隊幕僚長でヒットラーの友人を自認するエルンスト• レームと、ゴレゴール•シュトラッサーから見た、「長いナイフの夜」と呼ばれる1934年の大粛清劇の前後を描いたもの。政権基盤を固めるためなら苦楽を共にした友人をも切り捨てる、という独裁者あるあるの周りの当事者の視点、というのが面白い。
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あとがきにも書いてあるのだが、女脳、男脳というくくりはあって、例えば各々得意不得意がきっちり別れているのだが、自分は女脳らしく、「サド夫人」は面白く読めたが、「ヒトラー」の方は全然頭に入ってこず、なので感想はサドの方のみ。ほんとねー、あんな日の丸はちまきとか巻いてね、ここまで女ごころのひだまでわかっちゃう、あれ、これって誰訳だっけ、三島だったよ、って何回も確認させられる程のソフィスティケイトさ。もうなんなのよ、今みたいにスマホが何でも教えてくれるんじゃなくて、頭に全部入ってんだぜ。バケモンだ。
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(「BOOK」データベースより)
獄に繋がれたサド侯爵を待ちつづけ、庇いつづけて老いた貞淑な妻ルネを突然離婚に駆りたてたものは何か?-悪徳の名を負うて天国の裏階段をのぼったサド侯爵を六人の女性に語らせ、人間性にひそむ不可思議な謎を描いた『サド侯爵夫人』(芸術祭賞)。独裁政権誕生前夜の運命的な数日間を再現し、狂気と権力の構造を浮き彫りにした『わが友ヒットラー』。三島戯曲の代表作二編を収める。 -
二編あったが、どちらも戯曲形式になっている。
前者はサド侯爵の噂話を通じて、その有り様が伝えられていく。時間の跳躍があり、心模様の変遷が語られていく。母と娘の気持ちの行き違いがあって、それが交差していく。サドの狂気は全面に出ないが、その受け止め方にこそ狂気がある。しかし、幻のサド侯爵が現実になると、とたんに、その狂気も冷めてしまう。
後者はヒットラーとレームの友情が語られていく。しかし、レームはヒットラーの命令で殺される。それに関する描写がないので、実感が湧かない。極左の人間と、極右であるレームは話をするのだが、私の予想では、そこに密告者がいたということでの射殺かもしれないとも考えたのだが、左も右も殺してしまえば中道路線を保てるというヒットラーの天才が成し遂げたというのが、正しい読み方のようだ。 -
三島自身の解題にほぼ全てが語られていると思う。個人的には『サド侯爵夫人』の方が、情景描写にドキドキさせられたが、主題や登場人物という観点では『わが友ヒットラー』の方が愛おしく、切なかった。楯の会の三島由紀夫が『わが友ヒットラー』を書いたことも、はたして彼自身の心情はどこまで吐露されているのだろうかと思う。
「君は左を斬り、返す刀で右を斬ったのだ」を読む時、そこに浮かぶには日本刀で、戦前の昭和を思い浮かべてしまった。三島が能や歌舞伎に造詣が深く、劇作家でもあるという事実からも、戯曲に対して期待値は高く設定したが、それにきちんと応えてくれるところにますます三島由紀夫という作家の作品への信頼を深める一作となった。 -
3月に東山紀之&生田斗真の舞台を見に行ったので原作購入。
舞台はほぼ原作の戯曲通り。
『サド侯爵夫人』
ずっとかたくなに夫に固執していたルネが、3幕で突然夫に見切りをつけるのが不思議。
ルネが愛していたのは、「自らが作り上げたサド」だったのかなあ。
そのあたりは他の登場人物の台詞から組み立てて推理していくしかないかな。
すごく理論的な話の展開だと思った。
女性が6人でてきて皆固い口調で話すだけなのに。
『わが友ヒトラー』
舞台でも思ったけど、『サド侯爵夫人』より、こっちのが好き。
題名的には『サド侯爵夫人』が大々的にPRされてたけど。
盲目的にヒトラーに従うレームが悲しい。
どれだけ殺されると論理的に説かれても
親友のヒトラーが自分を殺すはず無いんだ、俺も裏切らないのさ!って言い張るレームが馬鹿で一途でかわいくて悲しい。
そこはかとなくホモっぽかった。
三島由紀夫だしなー。そういうことだったんだろうな、意図としては。
三幕で、自分を信じすぎていたレームが罪だと言うヒトラー。
政治家はつらいんだね。
戯曲っておもしろい。 -
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2012/03/12
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戯曲を読むのはなかなか難しい。女性しか登場しないサド公爵夫人と男性しか登場しない我が友ヒットラーという正比はおもしろい。
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【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/713404
著者プロフィール
三島由紀夫の作品






コメントありがとうございます。m(__)m
舞台でご覧になられたとは羨ましい!(笑)
テーマがテーマなだけに舞台で観ると少し気恥...
コメントありがとうございます。m(__)m
舞台でご覧になられたとは羨ましい!(笑)
テーマがテーマなだけに舞台で観ると少し気恥ずかしい気がするかなとも思っていたのですが、それだけの迫力だと圧倒されてしまうかもしれませんね!
ますます舞台で観たくなりました。(笑)近辺で公演されないかな。
「ヒットラー」幕間で殺されるから、悪を感じにくいのかもしれません。もし、生々しい描写で人を殺していくのなら、悪をもっと感じたでしょう。幕の中で生々しく殺されるのなら、リアリティーがあってよかったと思います。
コメントありがとうございます。m(__)m
夫人たちも悪というのはなるほど面白い見方ですね。
本人は悪とは思...
コメントありがとうございます。m(__)m
夫人たちも悪というのはなるほど面白い見方ですね。
本人は悪とは思っていないので、それほどの「悪事」を働けるのではないかと思っています。
それを周囲に語らせることによって白日に晒すというのは文学や演劇の秀逸な手法ですよね。
舞台で観るとまた印象は変わるかもしれないので、一度は観てみたいです。