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本 ・本 (224ページ) / ISBN・EAN: 9784101050331
感想・レビュー・書評
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またやってしまった、内容未確認予約文庫。「憂国」のような葉隠的な小説を読むつもりでしたが、三島由紀夫の評論的葉隠、熱い想いの一冊でした。200p強のうち、97pからは、付「葉隠」名言抄 笠原伸夫訳 という構成です。前半の葉隠入門で取り上げられた項目を、原文と現代訳で確認できるようになっています。
葉隠を読む日が来るとは思っていませんでしたが、せっかくなので、読ませていただきました。
まず、三島由紀夫はプロローグで、戦後と反時代的立場を支えた書物であり、行動の知恵と決意がおのずと逆説を生んでいく、類のない不思議な道徳書としています。彼の文学の母胎であったとします。
数度読み直しながら読了し、三島由紀夫の葉隠入門より、葉隠の方が読みやすいし、わかりやすいという解説ならざる逆説を生んでいるようでした。
葉隠は、江戸中期に、佐賀鍋島藩士・山本常朝が武士の心得を口述し、同藩士・田代陣基が筆録した物。7年かけた、座談の筆記。ですので、正式名称は、「葉隠聞書」。常朝は焼けと言ったのに、陣基がこっそり取ってあったとか。葉隠序段に、今の殿(四代目吉茂)が勉強しないでわがまま勝手でこまる。藩の伝統も知らず、統治にも身が入らない。とあり、せめて何かの役に立てば、と思い立ち、藩の誓願をまとめはじめる、とあります。
葉隠無知だった私は、葉隠は有名な武将とか江戸幕府の重鎮が、まとめ上げたものと思っていたので、九州の一藩の筆録という事実に一番驚きました。
そして、一、現代に生きる「葉隠」で、今の日本の世相との類似性を説明しています。葉隠の成立時は、江戸中期、案外太平の世なのです。天皇制解体、世界大戦敗戦後、経済成長した日本と背景は似ているのかも知れません。
男女の脈拍の差がなくなってきたという医学的な事実。また、芸術に対する厳しい批判があります。芸は、身を滅ぼすとまで、技芸者は侍ではないとも。
三島由紀夫は文学という芸能を担っており、葉隠との相剋にしばし悩むことになります。
次に、ニ、「葉隠」四十八の精髄 として、葉隠の名言を48項目に分けて、三島由紀夫の解説となります。
「武士道というは、死ぬ事と見つけたり」という一番有名な一節があります。続きを読めば、常に朝夕死を覚悟すると、武士道が身につき、一生ご奉仕できるとなります。死ぬ気で物事に向かう事、そして、死を自分で選択できるようにする事を聞書を通して伝えているのかと思います。
葉隠の中には、現在の組織の中でも充分に活用できる上下関係の在り方や、部下に対する注意の仕方、誉め方、上司への対応方法など具体的なものが多くあります。日常生活での振る舞いについては、欠伸を止める方法、翌日の準備は前夜のうちに、男のたしなみとしての身支度について、人を訪ねる時の注意事項等、すぐに役立つ豆知識まであります。
恋愛は、忍ぶ恋がベストであり、男色についてまで、注意事項をあげます。お付き合いするのは、一人にしなさい、両刀はダメですって書いてあります。常朝さんという方は、現実的な気配りの方だったと思います。
読んでいて、三島由紀夫の「葉隠入門」も案外まとまりがないんじゃないかと思っていたのですが、
私もさっぱり何を書いているのかわからなくなってしまいました。「葉隠聞書」そのものが、扱う項目が細かく多岐に渡り、時折、さっきの話と逆じゃないの?みたいな事もあり、聞書の限界点があるのかななどと言い訳を思いつく始末です。全部わからなくても、自己啓発的なところは、なかなかわかりやすい言葉で訳されいて、現在の啓発本にも書かれていそうな事も多く、役立ちそうなところを活用すれば良いのかなって事で。
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三島由紀夫が座右の書とし、佐賀鍋島家に伝えられる思想書、教育書、それが「葉隠」です。
「葉隠」を貫く言とは、「武士道とは死ぬことと見つけたり」です。
それは、やみくもに武士だから死ねといっているのではない。
生きるのがいいのか、それとも死ぬのがいいのかわからないときは、迷わず死ねといっている。
生きることで、死にどころを見逃し、恥をさらすよりも、結果は間違っていても、誹りはうけても、恥をさらすことがないように武士なら、死を選べといっている。
そして、毎日死を覚悟して生きよともいっている、毎日死を意識することによって、日常にて生をも意識する。
葉隠とは、死と生という対極の考え方、生き方を1つの書にまとめた、二面性を包含する逆説的な書なのである。
「葉隠」は、戦略、戦術などを論じた兵法書ではない。そこを間違えてはいけない。
本書は、3部で構成されている
・「葉隠」が現代にある意味
・「葉隠」の48の教え、エッセンシャル
・武士でない我々が「葉隠」をどう読めばいいのか
そして、三島が原注したくだりの現代訳を付として、用意していただいている。本文中、不明瞭な点については、後述の名言抄に記載あるを謝す。
気になったのは、以下です。
■現代に生きる「葉隠」
・三島(わたし)は、自由を説いた書物といっている。これは、情熱を説いた書物なのである。
・「武士道とは死ぬことと見つけたり」というその一句自体が、この本全体を主張する逆説なのであう。わたしはそこに、この本から生きる力を与えられる最大の理由を見いだした。
・「葉隠」ほど、道徳的に自尊心を解放した本はあまり見当たらない。精力を是認して、自尊心を否定するというわけには行かない。ここでは行き過ぎということはありえない。高慢ですら、道徳的なのである。
・人間の陶冶と完成の究極に、自然死を置くか、「葉隠」のように、斬り死や切腹を置くか、わたしには大した逕庭(へだたりという意味)がないように思える。
・「葉隠」の恋愛は、忍ぶ恋の一語に尽き、打ち明けた恋はすでに恋のたけが低く、もしほんとうの恋ならば、一生打ち明けない恋がもっともたけの高い恋であると断言している。
・「葉隠」は、武士という前提をもっている。武士とは死の職業である。どんな平和な時代になっても、死が武士の行動原理であり、武士が死をおそれ、死をよけたときには、もはや武士ではなくなるのである。
・毎日死を心に当てるということは、毎日生を心に当てることと、いわば同じことだといううことを「葉隠」は主張している。
■「葉隠」48の精髄
・葉隠は、全11巻からなっているが、山本常朝自身の教訓は第1巻と、第2巻にまとめられているので、この2巻が思想の中心である
・葉隠を哲学書とみれば、3つの特徴がある。①行動哲学、②恋愛哲学、③生きた哲学である。
①行動哲学 主体を重んじて、主体の作用として行動を置き、行動の帰着として死を置いている
②恋愛哲学 日本には、恋はあったが、愛はなかった エロスとアガペーとが一直線につながっていて、この二つを峻別しない
③生きる哲学 「葉隠」は厳密な論理体系ではない。あらゆるところに矛盾衝突があり、一つの教えが、別の教えで覆されているとみることができる。
・常住死身になることによって自由を得るというのは、「葉隠」の発見した哲学であった。
・男の世界は思いやりの世界である。男の社会的な能力とは、思いやりの能力である。
・常朝は、けっして、人を責めるに厳ではなかった。そして、手ごころということを知っていた。
・葉隠は酒席は晴れの場、すなわち公界といっている。武士はかりにも、酒の入った席では、心を引き締めていましめなければならないと教えている
・武士はなによりも、外見的にくたびれてはならず、くたびれてはいけない。それは、死あるときに、身だしなみが乱れていては恥をかくからである。切腹のときに、蒼白となった顔面をみられないように、薄く化粧を施すのも、恥をかかないためである。
・人との交際においても、真心が第一、約束なきむやみに人を訪問してはならない。ただし、人がきたら、受けなければならない。
・武士は合理主義者では務まらない。合理的に考えれば死は損であり、生は得である。死をとらなければならない武士に合理性はいらない。
・人は理屈ではない。人の強みとは、「智恵に流されないこと」であり、「分別に溺れないこと」である。
・人と誠実につきあう。親密になれば、諫言も耳に達することができ、直言しても失礼にならなくなる。人と接するに準備を入念にしなければならない
・いつでも死ねる覚悟を心に秘めながら、いつでも最上の状態で戦えるように健康を大切にし、生きる力をみなぎり、100%のエネルギーを保有することだ。
■「葉隠」の読み方
・問題は、一個人が死に直面するというときの冷厳な事実であり、死にいかに対処するかという人間の精神の最高の緊張の姿は、どうあるべきかという問題である。
・図にあたるということは、現代の言葉で言えば、正しい目的のために正しく死ぬということである。その正しい目的というこは、死ぬ場合にはけっしてわからないといううことを「葉隠」はいっている。
・「葉隠」は図にはずれて、生きて腰抜けになるよりも、図にはずれて死んだほうがまだいいという、相対的な考え方をして示していない。
・「葉隠」はけっして死ぬことがかならず図にはずれないとは言っていないのである。
目次
プロローグ 「葉隠」とわたし
1 現代に生きる「葉隠」
2 「葉隠」48の精髄
3 「葉隠」の読み方
付 「葉隠」名言抄 笠原信夫訳
ISBN:9784101050331
出版社:新潮社
判型:文庫
ページ数:224ページ
定価:590円(本体)
1983年04月25日発行
2007年01月31日42刷 -
「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」のフレーズで有名な『葉隠』について、三島由紀夫がその思いを書き記したもの。後半は、笠原伸夫氏による現代訳。
主君ありきの考え方、生き方のため、普遍的でははないのかもしれないが、論語にも似た教訓をもたらしてくれる。
いつ死んでも悔いのないよう日々過ごせと言われているようだ。
これを書いて数年後に事件を起こすのであるが、天皇を主君に、自衛隊を武士に見立てて思考を組みたてたのであろうが、それでも謎である。
40にして惑わずだが、経験に新鮮味も薄れ、また、先が見えてきてとかく退屈にもなる。ヒリヒリするような人生・死を求めていたのかなとも思ってしまう。 -
なぜ三島は「葉隠」に固執し愛読書としていたのか?そこを考えながら読まないと、この武士指南書は少し退屈かもしれない。
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人として、こういった葉隠に記載されている生き方を貫きたい、そう思わせて貰えた作品。
SNSやマスメディアにまみれた昨今では葉隠のような考え、行動哲学を受け入れる人は少なく感じる点もあるが、素晴らしい書籍だと思います。
三島の書籍の中で、類似する行動学入門等もあるが個人的には葉隠入門は何度も読み返したい、そう思える作品です。 -
「人間の一生は誠にわづかの事なり。
好いた事をして暮らすべきなり。
夢の間の世の中に、
好かぬ事ばかりして、
苦しみて暮らすは愚かな事なり」
「水清ければ魚棲まず」
「芸術家や哲学者の世界は、自分のまわりにだんだんひろい同心円を、重ねていくような構造をもっている。」
…
「『葉隠』の死は、何か雲間の青空のようなふしぎな、すみやかな明るさを持っている。」
それは死を敗北としてではなく、完成の頂点としてとらえ、生の第一歩を踏み出すのに、一等大きなもの、絶対のものに身をあずけてしまう、という英知の晴れやかさである。武士において死は、能動的意志的にえらびとるものであり、激しい行動による生の充実の極限に位置するものであった。
… -
- 葉隠はそういう太平の世に、死という劇薬の調合を試みたものであった
- 武士は死の職業である。どんなに平和な世であっても、武士が死を恐れた時点で武士ではないのである。
- 高橋美代子さんの解説の言葉もすさまじい・・・。
- 読む前は理解できなかった、「爽やかな、さらりとした死」という概念を理解できた
- 根源的な心の在り方から、くしゃみの止め方といった実用的なアドバイスまで、さまざまな言葉が収められており親しみやすい
- 三島由紀夫の語彙力というか、言葉の迫力がすさまじい。この時代の人たちの言葉は非常に好きだ。 -
三島由紀夫は葉隠を座右の書としていたという。
本書は、その葉隠の内容を著者自身がどう解釈をしているのか、を記したもの。
著者によれば、葉隠は「武士道とは死ぬことと見つけたり」という一節があまりにも強烈であるため、戦時中の神風特攻隊を彷彿とさせるが、葉隠の意図はそうではない。
死はいつの世にも誰にでも来るものであり、何ら特別なものではない。特別なものではないからこそ、毎日死を心に当てることは、毎日生を心に当てることといわば同じことである、と。
毎日死を心に当てることで、生きることが鮮やかになるという、逆説に葉隠の意図した生き方がある。
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葉隠のキャリア観は現代にも充分当てはまる
若き内に立身して御用に立つは、のうぢ(能持)なきものなり。發明の生れつきにても、器量熟せず、人も請け取らぬなり。五十ばかりより、そろそろ仕上げたるがよきなり。その内は諸人の目に立身遅きと思ふ程なるが、のうぢあるなり。又身上崩しても、志ある者は私曲の事にてこれなき故、早く直るなり。
ニヒリズム
他人に期待するから、過度に自分に期待するからその反動がある
好きな一節
・大雨の感
→避けられないものは腹を決める
・一念一念と重ねて一生
→今ここに集中
・水増せば船高し
→困難に立ち向かえば、一段上の能力がつく
・只今が其の時、其の時が只今なり
→平時も危機も区別なく臨戦態勢で。鯉口を切る -
決断をすることは選択肢を狭めるが、制限ができることでかえって自由になる。みたいなことを言ってて確かにな〜と思った。
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一念、一念とかさねて一生
一瞬、一瞬を、真剣勝負のつもりですごすこと
ゆったりとした心持ち
著者プロフィール
三島由紀夫の作品





