葉隠入門 (新潮文庫)

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レビュー : 160
  • Amazon.co.jp ・本 (221ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101050331

感想・レビュー・書評

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  • お父さんから借りて読んだ。難しかったけど佐賀の人として読んでおいてよかったかな。

  • 過去、どこかのレビューにも書いたのだが、再読してやはり、葉隠とはつくづく、自己啓発本だと思う。世に教訓をする人は多し。教訓を悦ぶ人はすくなし。まして教訓に従う人は稀なり。つまり、教訓を得るに、読書をするような自習も不可欠ということだ。恋愛や芸事、男色や上司との付き合いまで、その心得が書かれている。最近の自己啓発本と異なる点は、あるいは、武士道とは死ぬこと見付けたり、の一言に尽きるのかも知れない。常に死を覚悟することこそが誤りなく一生を過ごすために必要で、生きたいから、生きるための理屈ばかり考えるようではいけない。

    快楽を追求しても一時の認識に過ぎず、そこに執着する意味はない。しかし、自らが永遠に生きると錯覚するから、我欲にこだわるのだ。キリスト教がローマで急に勢いを得たのは、ある目標のために死ぬという衝動が渇望されていたからだという。我々も死について、覚悟と共に理想を携えておくべきなねだろう。そこから人生を設計することが、過剰な我欲を削ぎ、存在意義を全うできるのではないか。

  • 三島由紀夫が心酔した山本常朝の「葉隠」。「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」の一句で名高く、死という概念を中核に据えた闊達な武士道精神を著したものです。三島由紀夫に「私のただ一冊の本と」まで言わしめ、その精神を今日によみがえらせ、その教えを現代という乱世に生きる「武士」たちに説こうとした本です。また、彼の人生論や道徳論であり文学的な思想的自伝でもあります。

    この本は、前段では山本常朝が述べていることについて、三島由紀夫がコメントをするような形のつくりになっています。あるところは共感し、あるところは矛盾を指摘し、あるところはきちんとした根拠を持って批判をしたりするなど、鋭くかつ醒めた目でこの思想を見つめています。

    後段では「葉隠」の彼なりの読み方を紹介しています。「死ぬこと」という概念を鋭利な刃物のように鋭い目で見つめています。「葉隠」の暗示する「死」、特攻隊の「死」、自殺者の「死」についての精神的な考察が深いです。われわれは、一つの思想や理論のために死ねるという錯覚に、いつも陥りたがります。しかし、「葉隠」が示しているものは、もっと容赦ない死であり、花も実もない無駄な犬死でさえも、人間の死としての尊厳を持っているということを主張しています。生の尊厳をそれほど重んじるならば、死の尊厳を重んじないわけにもいかないはずです。

    この本を突き詰めていくと、死という真理を感じるとともに、踏み入れていはいけないところに足を踏み入れたような恐怖も感じます。巻末に「葉隠」の名言抄がついていますが、それを踏まえて読んでみると三島の「鋭さ」を感じます。しかしながらよく切れるけど、一つ間違うとすぐ刃が欠けて使い物にならなくなる刃物のような思想。そんな諸刃の剣の怖さも感じます。

  • 「武士道とは死ぬことと見つけたり」のフレーズで有名かつ戦時中の特攻などの精神的原点にもされた本で、一度読みたいと思っていた。特に、三島が座右の書にしていたということで、まずは彼の手による入門書を読了。武士の高潔な生き様を説くものと思っていたが、意外と処世術や恋愛、芸能(当時の技術者)に対する偏見など、内容は幅広い。主張の中心は、流行に流されないこと、本質的なことを研ぎ澄ませて真の在り方を確立すること、という感じ。ただ、あまりにも研ぎ澄ませすぎて、多様性を一切認めず、かなり偏見に満ちた面もあるのは否めず、三島の愛読も理解できる。

  • 「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」という一文が有名な「葉隠」、武士道の基本書のように語られるが「葉隠」自体は江戸時代中期の平穏な時代に書かれた自己啓発書に近い。冒頭の一文もあくまで「覚悟」であり平和な時代であったからこそ身を引き締めて主君に仕えよということだったのだろう。本書前半は三島氏の解釈、後半は原文と現代語訳という構成で、「葉隠」全体としては砕けた内容のようだ。

    三島氏の解釈は骨身に染み入る質実剛健な教えであるが、三島氏の性格からすると悪乗りとウィットが背後に潜んでいるようで、そうみるとなかなか面白い。

  • 「「うやうやしく、にがみありて、調子静かなる」というのは、そのまま一種の男性美学と言える(p58)」

    不定期に“魂注入”したくなる「三島由紀夫」。
    「葉隠」そのものは現代にも通じる不変の人生論であり、自己啓発書だ(本書後半に訳文掲載)。ただそれを三島由紀夫が解説すると独特の魅力というか色気を醸し出す。

  • 三島由紀夫による葉隠の解説。
    男性の女性化は、いつの世にも起こる。太平の世の武士の堕落した生活様式や風習を戦後の日本の「カルダンルック」の隆盛など嘆かわしい風潮と照らし合わせ、そのアンチテーゼとして書かれた葉隠を三島は座右の書と奉じる。
    武士道といふは死ぬことと見つけたり、とあるが実際には現在のビジネスマンにも通用するような現実的な処世訓と知恵に満ちている。忠告は相手との信頼関係が重要であるとか、
    あくびを人前でしないように、とかロールモデルはそれぞれの人のいいところを組み合わせなさい、とか。原本に興味がわく。

  • 「葉隠」の名言抄であると同時に、三島由紀夫の思想自伝。今回は三島の思想探索目的で読了。
    葉隠の"死を中核とした自由意思と情熱"に裏打された三島由紀夫だが、暑苦し気味の「奔馬」ですら大理石を思わせることが、今回改めて興味深い。

    葉隠自体はハウツー本であるが、マキャベリズムとほぼ対局に位置し、行動哲学的な[どう生きるか]系。
    真の熱血漢には向かないかもしれない…?

  • 自営業と経営者以外のビジネスパーソン全てに必要な志が葉隠に示されている、と感じるのは三島由紀夫の価値観が現在求められているからではないだろか。今、三島由紀夫が生きていたら?何を語るのか?意外とビートたけし的な存在だったりして。

  • 三島由紀夫氏が座右の書として何度も読み返した、武士の修養書。「自己中だとうまくいかないよ。利他に最良の結果が待っているよ」というのがメインメッセージ。それを有名な一節に起こすと「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」となる。

    【「死」とは選択可能な行為】
    葉隠は江戸時代中期に書かれた書物。その前提にたつと、名誉(粋に生きる)ことが「生」の価値とも言える時代ということが見えてくる。そのため、名誉が失われるようなときは、「死」こそが救いであり、切腹がその手段として選択されていた。
    その強い社会通念があるからこそ、当時の武士達は自分以上の力を社会のために発揮できたのかもしれない。

    【精神の停滞】
    「忠告は無料である。われわれは人に百円の金を貸すのも惜しむかわりに、無料の忠告なら湯水のごとく注いで惜しまない。しかも忠告が社会生活の潤滑油となることは滅多になく、人の面目をつぶし、人の気力をそぎ、恨みを買うことに終わるのが、十中八九である。(中略)自分が教訓を与える立場になると、もはや人から教訓を受ける機会はない。かくて精神の停滞が始まり、動脈硬化が始まり、社会全体のさけがたい梗塞状態が始まるのである。」(引用)
    身近にいるわいるわ、それ以上に自分もするわするわ、で突き刺さった。。。自分の方ができるというおごり、よく見られたいというねたみ、の精神をもっていることの理解の上にたち、行動を変えていきたい。

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著者プロフィール

三島由紀夫(1925.1.14~1970.11.25) 小説家、劇作家。
東京生まれ。学習院時代から文才を注目され、1944年、東大入学と同時に『花ざかりの森』を刊行。47年、東大卒業後、大蔵省に勤務するも、翌年辞職。49年、『仮面の告白』で新進作家として地位を確立。『金閣寺』『鏡子の家』『近代能楽集』など、強固な美意識で彫たくされた作品を発表。海外での評価も高い。68年、楯の会結成。『豊饒の海』の最終回を書き上げ、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地東部方面総監室に立てこもり、割腹自決。

「2017年 『告白 三島由紀夫未公開インタビュー』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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