- Amazon.co.jp ・本 (221ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101050331
感想・レビュー・書評
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Amazon、¥452.
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結局年寄が若者を批判するというスタンスは不変的な事実であるのだが、その中で不変的にズシっとくるものというのは、確実に胸に刺さってくるな、と思った。
付箋やマークした箇所は繰り返し読みたいと思います。 -
なかなか味わい深い。
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最初は読みにくいと感じていましたが、読めば面白く、俗にいうハウツウ物でこの先何度もことある毎に読み返せる本でした
先人の言葉も三島マジックにかかればこうも面白くなるのかと思い、更に三島の生き様を顧みる事もできるような作品でした -
葉隠れを読んでいないとなんのこっちゃかなー、という気はします。
付録に葉隠れが付いていたのに、結局そちらを読もうという気にはなれませんでした。
13.02.28 -
三島由紀夫はずっと好きでしたが、
初めてこの本を読んでみて、
とても色濃く、直截に三島の思想が現れていて、
驚きました。
三島の小説などにも、
この本の思想がかいま見えます。
「武士道の本質は、死ぬことだと知った。」
という有名な一文の反面、
健康を気遣い、十五年後を見据え、
好きなことをすることを奨める矛盾。
つまりは、人間誰しも、生まれ、死ぬ。
それを頭に置いておけば、
生きるのが辛いとかいう「グジグジ」や、
矛盾を「矛盾だ」などといって、
攻めたりする正義感も、
なくなるのではないでしょうか?
そのことがまた、三島のアイロニーにも
鋭さを与えているような気がします。
耳の痛いことも、多く書いてありました。
なので、今回ですべてが消化できたとは思っていません。
ものにできたのは、5割ぐらいでしょうか。
また、読み返したときに、
自分が変わっていたら、
この割合は、幾分増えているでしょう。
若い頃から慣れ親しんだ三島の、この本を、
座右の書としたいと思います。
(といって、★4つはおかしいですが、
今は、あえてそうしておきます) -
「武士道といふは死ぬことと見付けたり」
死ぬ自由とは逆説的に生きる自由でもある
そこに着目して、三島は葉隠を賞賛するが
同時にそれらは悪を為す自由でもあるわけだ
結果としてバブル以前の日本におけるこの本は
終身雇用と年功序列を合理化する以上の読まれ方をされなかったと思うし
また、バブル崩壊以降においては
プチ・ナショナリスト気分を合理化する役割しか果たしていないといえる
それは理性が働いた結果かもしれないし、
理性が働かなかった結果なのかもしれない
よくわからない
でも基本的にはいいこと書いてると思うよ
少なくとも、生の強制が死の強制に転ずるよりははるかにいい -
「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」の一節で有名な『葉隠』を三島なりに解釈し、浩瀚な同書から三島が厳選した48項目について解説するという内容。
三島が少年時代からの愛着を吐露している『葉隠』。本書を読む限りでは、武骨すぎて共感しかねる部分も少なくない。が、その基本的な姿勢は「損得勘定や小細工はいらねぇ!衝動のおもむくままに突き進め!」といった感じで、とても清々しい(現代ならばパンクロッカーなんかが好みそう)。大義のための死と愛・エロスの融合を最上の美とみなしていた三島のルーツも感じられる。
雄々しい言葉の羅列のうちに、いくつか、意外なほど柔和な格言が散りばめられていておもしろい。特に次の2つが気に入った。
「水至って清ければ魚棲まずと云ふことあり。およそ藻がらなどのあるにより、その蔭に魚はかくれて、成長するものなり。少々は、見のがし聞きのがしある故に、下々は安穏なるなり。」(寛容について)
「人間一生誠に纔(わづか)の事なり。好いた事をして暮すべきなり。夢の間の世の中に、すかぬ事ばかりして苦を見て暮すは愚なることなり。この事は、悪しく聞いては害になる事故、若き衆などへ終に語らぬ奥の手なり。我は寝る事が好きなり。今の境界相応に、いよいよ禁足して、寝て暮すべしと思ふなり。」(エピキュリアニズムについて)
余談だが、そもそもこの本を読もうと思ったのは「そういえば今年は三島の本を読んでない!今年中に読まねば!」と急に思い立って、かつ、未読の三島の中で一番薄い本だったから。んで、買って、少しずつ読んで、読み終えた日が、図らずも三島の命日(11月25日)だった。プチうれしい。 -
現在に通じる道徳本?
解説付きで理解しやすい。 -
三島由紀夫の座右の書。
戦後の価値体系の変化を感じながら、その新しい思想には共感を得なかった。
戦後思想への変化の中で、
戦国時代を終えた江戸時代に、死からの距離という類似点を見出した。
それにより、死を前提にして生きることの大切さを書いた「葉隠」は
三島文学の母胎となった。