金閣寺 新版 (新潮文庫)

  • 新潮社 (2020年10月28日発売)
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  • 本 ・本 (400ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101050454

感想・レビュー・書評

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  • 【読もうと思った理由】
    以前読んだ平野啓一郎氏の「本の読み方」で書いていたが、著者が読書にのめり込むようになったきっかけの本が、本書だという。それを知ってから気になり始め、「金閣寺」のレビューを色々見ていた。難解ではあるが金閣寺を放火してしまった理由も、分からなくはないというレビューも意外と多い。レビューを見てからは、「金閣寺」を読もうと心に決めた。だが平野啓一郎氏自身が「本の読み方」で書いていたが、三島由紀夫氏が書籍の中で伝えたかったことが、初読みの際には、ほとんど汲み取れなかったという。そう、やはり難解ということだろう。そのために読むのに躊躇していた。そんな折、今年に入ってから著者自身が刊行した、その名も「三島由紀夫論」。(「三島由紀夫論」の感想は、感想欄に書いたので、気になる方はご覧下さいませ。)「三島由紀夫論」を読了し、今回は準備万端で「金閣寺」を読み始めた。

    【三島由紀夫氏の経歴】
    (1925-1970)東京生れ。本名、平岡公威(きみたけ)。1947(昭和22)年東大法学部を卒業後、大蔵省に勤務するも9ヶ月で退職、執筆生活に入る。1949年、最初の書き下ろし長編『仮面の告白』を刊行、作家としての地位を確立。主な著書に、1954年『潮騒』(新潮社文学賞)、1956年『金閣寺』(読売文学賞)、1965年『サド侯爵夫人』(芸術祭賞)等。1970年11月25日、『豊饒の海』第四巻「天人五衰」の最終回原稿を書き上げた後、自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決。ミシマ文学は諸外国語に翻訳され、全世界で愛読される。

    【あらすじ】
    「美は……美的なものはもう僕にとっては怨敵なんだ」。吃音と醜い外貌に悩む学僧・溝口にとって、金閣は世界を超脱した美そのものだった。ならばなぜ、彼は憧れを焼いたのか? 現実の金閣放火事件に材を取り、31歳の三島が自らの内面全てを託した不朽の名作。血と炎のイメージで描く〈現象の否定とイデアの肯定〉──三島文学を貫く最大の原理がここにある。

    【感想】
    これは名作だ。
    僕は三島作品を誤解していた。もっと難解で読みにくい作品だとばかり思っていた。逆だった。凄く読みやすく文体が整っており、いわゆる美文だ。読んでいるだけで美術品に触れている感覚がそこにはある。なのに扱っているテーマは、かなり重い。ご存知の方も多いと思うが「金閣寺」は、住み込みの青年僧による金閣放火という、1950(昭和25)年に実際の事件を元に取材した小説だ。三島氏は終戦後5年経った25歳で経験し、30歳から31歳のときに執筆している。金閣寺炎上は日本はもちろん世界的なニュースとなり、史上類を見ない蛮行として世界中から犯人に非難の声が殺到した。

    この小説が名作な理由を挙げると、いくつもあると思うが、僕がそう感じたのは大きく2点ある。1点目は「金閣炎上」という事実を元に書いているため、物語の骨子となる、住み込み青年僧が金閣寺を放火したことや、その青年僧が金閣炎上と共に自殺せず(未遂に終わる)、生き延びたところなど、時代小説と同じである種エンディングが読者に読む前からバレてしまっているのだ。それなのに感動したのはもちろんのこと、最後の50ページ程はページを捲る手が止まらなかった。結末を知っているのに、作品に没入させてくれるのだ。それは著者の構築したプロットが素晴らしいのは言うまでもなく、また哲学的思想も実に巧妙に絡ませ、読者を飽きさせずに作品に没入させる筆致は、見事としか言えない。

    2点目は、金閣寺放火という誰が考えても蛮行としか言えない理解不能な行為を、読者に納得感を持たせるという難題に敢えて取り組み、ある程度は納得できたところだ。(もちろんその行為自体を、肯定など出来る筈はない)それを成し得たのは、主人公の見た目が醜い上に、吃音症という身体的コンプレックスがまずベースとしてある。その身体的ハンデキャップを持ちつつも当然生きていかねばならず、そこで主人公である修行僧は、「美への追求」を生きるテーマに掲げ、現実社会との折り合いをつけ、日々の生活を送る。その美への追求の象徴となったのが、まさしく「金閣寺」であった。ではその美への追求の象徴たる金閣寺を、なぜ焼かなければいけなくなったのか?

    そこはまさに本書の核心部分なので、ネタバレを含んでしまうので書けないが、正直ここは賛否両論あるというか、僕もこの部分が一番納得感が薄い。まぁそれはある種当然というか、放火をしようと思い立ち、実際実行に移してしまう犯罪者心理には、一般人にはとうてい理解できない部分があって然るべきだと思う。

    作者である三島氏がもっとも力を入れて書いたであろう箇所が、禅海和尚とのやり取りだろう。(p307〜p311)このやり取りの最後に放った禅海和尚の「見抜く必要はない。みんなお前の面上にあらわれておる」この一言がこの作品の全てと言っても良いほどに重要な一言だ。おそらくこの一言を受け主人公は実行に移すことを最終決断したんだろう。三島由紀夫氏は、おそらくこの一言に持っていくために物語を書いたのではないかと感じてしまうほどに、僕は感動した。

    色んな意見があるかと思うが、僕は初めて読んだ三島作品が、今作で良かったと思う。なぜなら今後も三島作品を追いかけていこうと、強く思えたから。

    【雑感】
    次は予定通り、伊坂幸太郎氏の「逆ソクラテス」を読みます。実は伊坂作品を読むのはだいぶ久しぶりだ。今回久しぶりに読もうと思った理由は、ずばりタイトルだ。僕がいまもっとも興味を惹かれている本のジャンルは哲学だ。その哲学者の中でも、なぜソクラテス?実はソクラテスは、自身で一切書籍を書いていない。なので過去に読んだ「ソクラテスの弁明」も弟子のプラトンが書いたものだ。同じアテネ時代の哲学者なら自身で書籍を書いたプラトンやアリストテレスではなく、今回敢えてソクラテスを選択している。何か理由があるのだろう。気になる。尚且つ、逆とは?何に対して逆なの?めっちゃ気になる。じゃあ、読むしかないじゃん。ということで、我慢できずに読みます!

  • 恥ずかしい哉、本当にミシマ作品を読んだことがない。著者の思想や人となりも理解していいものなのか分からず。でも取り敢えずは人気作品だけでも知っておこうという中途半端な動機で、自分も(実話に基づいた)金閣寺放火事件を追った。
    「人に理解されないということが唯一の矜り」と言うけれど誰にも理解してほしくないんだな。たとえ理解できても分かってはもらえない。ちょうど自分が著者を理解しきれないと思ったように。そんな感情が、一番初めに飛び込んできた。

    ただ「私」による金閣寺による描写があまりに美しい、を通り過ぎて怪しくさえ映って、気がつけば胸の内を理解できずとももっと覗いていたいと吸い込まれるように見入っていた。
    そして(今みたいに煌びやかでなかったにも拘らず)ここまで金閣寺に取り憑かれ魅せられた少年が放火に至った真意をずっと先回りして考えていた。(美意識に続いて生まれる「暗黒の思想」とやらがどうしても飲み込みきれずにいたのもあって…)

    もうひとつ。鶴川や柏木の存在といい、いくら孤独に慣れた人間でもやっぱり人との繋がりは無視できない。初登場時から無機質に思えた「私」の心に変化が見え始めた時、少しだけ風通しが良くなった気がした。(不穏な空気は健在だったけど)性格や価値観が違うのに「私」が彼らの近くに長いこと留まれたのが奇跡にも思えてくる。

    放火事件については事前にWikipediaをチラ読みしたけど本作の「私」と実際の放火犯像、そして犯行後の行動が違っていた。不完全な自分を追い詰める完全な金閣寺を真正面から消し去ろうとする(ように自分は見えた)放火犯と、ついでにその存在をも超えようとした「私」。「ついカッとなって」だけでは小説にならんのもあるだろうけど、人に理解されたくない、自分にしかできないと言う生き方を著者は「私」に信念をもって全うして欲しかったのかな。

    別の方のエッセイに「夏目漱石の『こころ』の中の先生と三島由紀夫の死には何か関係があるのか」と外国人に聞かれたエピソードがある。だいぶ昔の話だし今もそんなコア過ぎる質問をしてくる人がいるのかは謎だが、今回のような一部の作品のちっちゃい胸の内を覗いただけでは到底その真理には辿り着かんだろうな。

  • 人生初の三島由紀夫だと思います。
    知る限りの彼はインパクトがありすぎて、作品にふれることを後回しにしていたのかも。

    国語の教科書を読んでいる感じだったかな。表現される言葉に想像が追いつかず、なかなか難しかった。
    恩田陸さんの解説に「青春小説」と書いてあり、なるほどなぁと思った。

    もう少し彼を知ってから、もう一回三島文学に挑んでみたい。
    読めて良かった。

  • 1月14日は三島由紀夫氏のお誕生日だったので、それに合わせて読むつもりが1週間遅れてしまいました。来年は生誕100周年です。

    吃音の学僧、溝口が金閣寺の美しさに憑りつかれ、障がい者のコンプレックス、老師との信頼関係、母親からのプレッシャー、女性の問題など色々な思いを混ぜながら「金閣を焼かなければならぬ」と思い至り、放火するまでのお話。
    金閣寺は最終章で『無数の人間の関節が一せいに鳴るような音』を響かせて燃えていきます。燃える様は泣きそうになるぐらいとても美しく、何度も読み返しました。
    ねっとりと美しい文章表現。読み落とさないよう8時間ぐらいかけて一日で読み切りました。長かった…

  • 三島再読シリーズ。

    大学時代から20代半ばくらいにかけて熱狂的と言ってよいくらい読んだ三島由紀夫を40代も半ばを過ぎてまた少しずつ読み返してみると、当時とはまったく違う着眼点で感動することに驚かされる。

    若いときは、その美学や思索に、それがわかるのはオレだけだ的な選民思想にかぶれながら興奮したものだった。が、今は、人生の後半戦に入ることの焦燥、諦念などがしみじみと押し寄せる。
    その意味で、若いときよりある意味はるかにおもしろく読めるのである。

    さて、そしていよいよ「金閣寺」であるが、若いときあれほどこれは最高傑作だ間違いない、なんて思っていたのが、今読むと「あー、、、若いな」となってしまうのがほとんど我ながら衝撃であった。

    身体的劣等感から内向的になり、また高度に思弁的になり、女性に対して堂々と振る舞えず、そのくせ自分には確たるなすべきことがあると妄想する、この感じ。うん、いやまあオレもそうだったよ。辛いよな。

    だが、である。もうこの歳になるとこういうのはまあ乗り越えてしまっているのである。大丈夫なのである。そのうちなんとかなるよ。なにも金閣寺を焼かなくても。
    そういう話になってしまっているのである、すくなくとも今の私にとっては。

    それでも、なおしかし、最後堂内に火を放つシーンの美しさ(と、言ってよいのか)は比類がなかった。これを堪能するには、やはり歳を重ねないといけない、のかもしれない。

    、、、というわけで、やはり発見はある再読なのであった。

    以下、閑話休題。おひまがあれば。

    村上春樹の熱狂的読者として、本人は頑として認めないが実は村上は三島由紀夫の影響を多大に受けている、というかほとんど模倣者ではないか、という状況証拠を集めるのはほとんど私の趣味となっていて、実際ここブクログでも再三言及しているのであるが、今回も2件提案してみたい。

    「ねじまき鳥」の屋敷の庭にある「今にも飛び立とうとして固まってしまったかのような鳥の像」のイメージはたぶん以下の文章からきている。

    「、、、金閣はこんなに強い晩夏の日ざしの下では、細部の趣きを失って、内に暗い冷ややかな闇を包んだまま、ただその神秘な輪郭で、ぎらぎらした周囲の世界を拒んでいるように見えるのである。そして頂きの鳳凰だけは、太陽によろめくまいとして、鋭い爪を立てて、台座にしっかりとつかまっている」(p50)。

    そして次の一文は、「パン屋再襲撃」に大いなるインスピレーションを与えたのではないかと思われる。
    「、、、このときの私が突然食欲に襲われたのは、あまりにも予想に叶っていて、却って私は裏切られたような感じに襲われた」(p268)。

    もちろん私の大勘違いの可能性も多々あるので、ご関心のある方は検討してみてください。
    それにしても、書き写すだけでなにか快楽が湧き立つような文章ですね。 

    • 本ぶらさん
      三島由紀夫、やっと読みました。
      ちなみに、読んだのは順番に『美しい星』、『金閣寺』、『午後の曳航』。

      ま、『美しい星』はともかくw
      ...
      三島由紀夫、やっと読みました。
      ちなみに、読んだのは順番に『美しい星』、『金閣寺』、『午後の曳航』。

      ま、『美しい星』はともかくw
      『金閣寺』を読んで思ったのは、naosunayaさんのように若い内(多感な頃?)に一度読んだ人と、自分のように大人になってから読んだ人では全然印象が異なる小説なんだろうなーって。
      やっぱり、これは若い内、出来れば10代の内に、わからなくてもいいから一度読んでこその小説なんだろうなって思いました。

      というのは、大人になっちゃうと、(naosunayaさんも書いていますけど)それなりにいろいろ経験しちゃうのと、いろんな本、それこそ今だとエンタメ小説を当たり前として読んでいるから。
      素直に読めないのと、あと、どうしてもエンタメ的面白さ(与えてもらえる面白さ?)をもとめちゃうところがあるからなんじゃないですかね。

      ただ。
      『金閣寺』って、あとからくる(爆)
      それは、『金閣寺』を読み終わって、次の本を読んでいて感じました。
      今のエンタメ小説を読んでいると、なぁ〜んか、物足りなさを感じるんですよ。

      そんなわけで、次に比較的エンタメ小説っぽい『午後の曳航』を読んで。
      『午後の曳航』の房子と竜二の交歓シーンを読んでいて、ふと感じた、三島由紀夫って同性愛の傾向があったっていうけど、もしかしたら同性愛は同性愛でも受け身の側だったのかな?ってことで、『仮面の告白』を読み始めたんですけど。
      あれは、ちょっと文章が辛気臭くてダメ(^^ゞ

      てことで、三島由紀夫はそこで止まっちゃったんですけど、とりあえず最後の4部作は絶対読みたいですね。
      2023/12/05
    • naosunayaさん
      本ぶらさん、今更気がつきました、ありがとうございます!
      金閣寺が後からくる、という感覚はひじょーによくわかります。なんというかガチの「芸術鑑...
      本ぶらさん、今更気がつきました、ありがとうございます!
      金閣寺が後からくる、という感覚はひじょーによくわかります。なんというかガチの「芸術鑑賞」と言いますか。
      四部作はぜひ感想をお聞かせください。
      あと「宴のあと」もおすすめしたい。
      2024/01/25
  • 2010年新潮文庫の100冊、全面金色のカバーに朱色で「金閣寺 三島由紀夫」と書いてある。13年間、積読状態となっていた。いや、数回、積読の山から取り出し読もうとしたのだが、第1章を読み終える前に他の本に移ってしまい、読み終えることがなかった。なんということなく読み進めるのが面倒くさくなったのだ。
    今回、その面倒くさいという壁を越えた。すると、面白い。その世界に入って行きさえすれば、どんどんとページが繰られていく。
    読み進むうちに、何かに似ているという感覚にとらえられた。作者が大嫌いだったという太宰治だ。人間失格である。人間失格を三島が書けばこうなる、それが金閣寺だと感じた。こんなに似ているのなら、太宰を嫌悪、憎悪する三島に納得できそうだ。
    主人公の強烈な自我、その常軌を逸しているとまで言えそうな自意識。他者との関係における擬態と言おうか、演技と言おうか。主人公は作者そのものであると思い込ませるような語り口。ただし、粘着質でじわじわと絡みつきシミを作りそうな太宰に対して、三島は華麗、豪奢まで感じさせる。そして、常に肉体がつきまとう。
    とても肉感的で性的なイメージがある金閣寺であった。
    中村光夫さんの文章に解説で久しぶりに触れた。鋭くうなずかせる解説、お見事です。
    描写に圧倒されながら読み通した。再度読もうと思う。その時は描写を味わい尽くし、対等な視点から読み直そうと思う。

  • 吃音をもち、自分の感情もいつも世間からは一つ遅れている。そんなコンプレックスを抱えている学僧の金閣という絶対的な憧れ。そしてそれを破滅しようと思うに至った心情の描写が丁寧に書き進められている。破滅させようと思ったときにふと自分の人生が前よりも前向きになったり、周りの人からの評価や言われがどうでも良くなったり、話の展開の中に共感できるところも数多くあった。
    思っていることを言うには、表現するにはもう自分は周りから遅れてしまっている、そんな自分がどんどんと嫌になる。そう言う言葉で片付けてはいけないと思うが、それは現在のSNS文化にも通じるところがある。周りを輝かせて、自分を暗くして、何かと周りと比較して自分を卑下して、私も正直そういうところがある。わかっていても認識を変えるだけではうまくいかない、行動に移さないと変わることができない。そういう葛藤もあると思う。
    何かをやり遂げたとき、自分の思いが達成されたとき、そういう自分からの感情が発露されたとき、より人は「生きたい」と強く願うことができるのではないか。

  • 言わずと知れた名作。知識として作品作者の名前はもちろん知ってたけど、純文学は読むの疲れるからあまり手を出してなかった。でも学力や人間性において信頼してる人に「すげえよ」と言われて興味が湧いた次第。



    すごかった。私の語彙力では表現しきれない。
    たしかに青春小説だわね。

    金閣寺の美に魅了され、取り憑かれ、アンビバレントな内省と行動に突き進んでいく青年の話。
    情景描写でさえ、内省的で観念的。いちいち言葉をしっかり読み、想像力を働かせないと理解ができないので本当に疲れた(笑)私も基本的には隠なので共感できるところやなるほどやすげえや!と思うところもたくさんあったし、you think soと思うところもあった。

    私は基本的に前情報なく本を読むタイプで、今回も読後にwikiなど読んでみた。実際の事件として金閣寺が放火で焼け落ち、それを元に執筆したとのこと。出生や吃音症や母親の過度な期待など事実を反映しつつ、フィクションをおり混ぜ、ひとつの作品となっている。犯人はこんなふうに作品にされて評価されて、どう思ったんだろうね。
    (wikiのあらすじ書いてる人だれ?!まとめ方うますぎない?!小説書けるよ!笑)

    この作品が昭和31年度のベストワンに選ばれる世相って、感受性豊かでいいなぁと思う反面、隠の影響力が大きそうで怖いなぁっていうのと。

    東大卒だらけのエリート一家。高校時代から作品を出し注目され続けた三島由紀夫。三島由紀夫に共感し対等な目線で物を言った人もいれば、叩きに叩いた人もいるだろうし、分かってねえのに崇拝した人もいたと思う。この作品に滲み出る三島由紀夫の感受性の豊かさと内省の表現力と、自衛隊で演説をし、その場で自決をした行動力を見ると、きっととんでもねえカリスマ性があっただろうなとも思う。

    45歳で自決したのに作品数が思った以上にあって、この心を削るような執筆活動をこのペースでやってたのかと思うと、頭の回転の早さと物事に対する猶予の無さを感じる。世の中に答えのないことなんて山ほどあるけど、性格と時代背景もあるのだろうなと思った。

    もし大学の文学部に入っていたら、卒論は三島由紀夫をテーマにしたかもしれないなぁ。でも過去にたくさんの人が論文書いてるだろうから、関連資料だけでも読むの大変そう(笑)
    書くなら、「金閣寺」のアンビバレント性についてかなぁ。
    (ちなみに実際は、人間学部人間科学科だったので家族心理学ゼミで「きょうだい構成とパーソナリティ形成について」書きました)

    アンビバレントな感情っていうのは、たとえば好きなのに(好きだから)憎いとか、好きになり過ぎて自分がそのものになりたくて本物を亡くそうとするとか、永遠のものにしたくて壊しちゃうとか。行き過ぎると、自分の中で固定観念化し、それを本物よりも本物とすることで、実際のものを偽物としたり蔑ろにするよね。純粋な好意が、どこでアンビバレントなものに切り替わるのか、もしくは少しずつ湧いてくるのか。ちょっと共感できちゃう部分もある分(え、怖ァ…w)、興味ある。



    この作品の最後に主人公をなぜ殺さなかったのかと問われた際に、「小説の中でたくさん人を殺したけど、生かすべきときに殺しちゃったり、殺すべきときに生かしちゃったり。難しい。でも、生きようとしたときに牢屋の中しかないというのも狙いだった。」と読んで、なるほどなぁと思った。



    ◆内容(BOOK データベースより)
    1950年7月1日、「国宝・金閣寺焼失。放火犯人は寺の青年僧」という衝撃のニュースが世人の耳目を驚かせた。この事件の陰に潜められた若い学僧の悩み―ハンディを背負った宿命の子の、生への消しがたい呪いと、それゆえに金閣の美の魔力に魂を奪われ、ついには幻想と心中するにいたった悲劇…。31歳の鬼才三島が全青春の決算として告白体の名文に綴った不朽の金字塔。

  • 三島の“あの日”から50年を迎えたということで、蹶起や自決や肉体改造や東大全共闘との討論など方々から喧しく三島のことが語られているようだ。

    だけどそれだからこそ、あえてそれらの“雑音”から耳を塞ぎ、静かに「金閣寺」の文庫本だけに向き合うようにして頁をめくり、流麗でいて明晰な文章の美しさを存分に味わいたい。

    ちなみに私が持つ文庫本は、白地にオレンジ色で書名が、薄墨色で著者名が書かれただけの表紙で、私が高校生のときに買ったもの。
    三島の文庫本はその表紙こそがふさわしい。

    ちゃんとしたレビューは、読み切ってから改めて筆をおこしたい。

    三島が存命ならば、2020年のこの日で95歳を迎えていた。

    • おびのりさん
      おはようございます。

      私の「金閣寺」も、この白地にオレンジです。
      嬉しくなって、コメント入れてしまいました。

      先日、金閣寺は再読しました...
      おはようございます。

      私の「金閣寺」も、この白地にオレンジです。
      嬉しくなって、コメント入れてしまいました。

      先日、金閣寺は再読しました。これから、少しづつ、他の作品も読むつもりです。

      良い週末を。
      2022/03/06
    • たまどんさん
      >おびのりさん
      私が高校生のとき、工芸の授業で旧文庫本の表紙をまねてレタリングしてみたものの、難しい字が多くて手に負えなかった記憶があります...
      >おびのりさん
      私が高校生のとき、工芸の授業で旧文庫本の表紙をまねてレタリングしてみたものの、難しい字が多くて手に負えなかった記憶があります。
      やはり白地にオレンジの表紙のほうが、無地にレタリングだけという単純さの中に技巧が潜むという美の本髄を表しているようで私は好きです。三島存命中もこの表紙だったはずで、その点からも、現在の速水御舟の炎の絵は蛇足のような気がします。
      2022/03/13
    • おびのりさん
      たまどんさん
      そうなんです。昭和の文庫は、重厚感ありましたよね。三島作品は、「美徳のよろめき」「永すぎた春」をこの装丁で持っています。
      残念...
      たまどんさん
      そうなんです。昭和の文庫は、重厚感ありましたよね。三島作品は、「美徳のよろめき」「永すぎた春」をこの装丁で持っています。
      残念ながら、今の活字と比べると読みにくくて。
      2022/03/18
  •  読む以前に私は金閣寺のあらすじとして、父親から金閣寺が美しいと聞いて育った主人公が実際の金閣寺を見た時に想像していたものと違ったため理想との乖離から燃やす話と聞いていたが、全く違った。
     主人公は確かに一度は金閣寺に対し失望を経験するものの、その失望にいつまでも留まっていないし、そもそも金閣寺は美しいものではなく、美しさそのものとして描かれていた。
     私の解釈に過ぎないが、この物語は普遍論争と成長の二つの要素から成る物語だと思う。普遍論争でいう、普遍的なもの・永遠たるイデアは存在する実在論が主人公で、普遍的なものは存在せず数多くの具体から導かれたイメージの抽出に過ぎないという唯名論が柏木だった。ただ、主人公にとっての、普遍、つまり美とは金閣寺という具体的な物質であり、また、父や有為子を始め故人のことであった。それ故に様々な現実の場面で齟齬が生じた。
     世間から理解されないことを個性としていた主人公は自分が思う以上に人並みであった。欲と葛藤し、反抗期もあった。そのことが金閣寺を燃やすことに繋がったのだと思う。金閣寺は美しいという考えは故人である父から与えられたものだった。主人公にとって故人は美化の対象であった。何度でも心の中で反復するうちに理想化していった。そうした一人に親友だった鶴川の存在があった。けれど、柏木がその理想化を破り去った。だから、大人になるため、これからの人生を生きるため主人公は金閣寺を故人とともに焼き払ったのだと思う。
     主人公の吃りを始め、時代や環境で意固地になってしまうを得ない状況があり、主人公が金閣寺を焼くしかないという考えに追い込まれていく様が丁寧に描かれていた。最初は三島由紀夫特有の固い文章も相まって読みにくかったが、構造が見えてからはその緻密さに驚きながら読むことができた。

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著者プロフィール

本名平岡公威。東京四谷生まれ。学習院中等科在学中、〈三島由紀夫〉のペンネームで「花ざかりの森」を書き、早熟の才をうたわれる。東大法科を経て大蔵省に入るが、まもなく退職。『仮面の告白』によって文壇の地位を確立。以後、『愛の渇き』『金閣寺』『潮騒』『憂国』『豊饒の海』など、次々話題作を発表、たえずジャーナリズムの渦中にあった。ちくま文庫に『三島由紀夫レター教室』『命売ります』『肉体の学校』『反貞女大学』『恋の都』『私の遍歴時代』『文化防衛論』『三島由紀夫の美学講座』などがある。

「1998年 『命売ります』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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