- 本 ・本 (362ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101054018
感想・レビュー・書評
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『土』という漢字の持ち合わせる意味、要素を余すことなく描いた作品でした。
そして、本作品が描かれた明治43年にして既に、当時の現代人からは遠く離れた暮らしになってしまっていた百姓・小作人、街頭や道路など、およそ文明の及ばない、貧しい農村を舞台とした作品。
いくら写生小説とは言われても、現代の1番先端を生きている私にとって、本作品はハリーポッター以上にファンタジーを感じるほどに、異色の内容でした。
本作で避けては通れないのが、仏教用語に言う三毒=貪・瞋・癡。貧困、無知、猜疑心。それらすべてがどのように生まれてくるのかが、ありありと描けれているというところです。
ー三毒の育まれる土壌ー
まず、生まれてこれない。
子どもが百姓仕事を覚えて、働ける肉体に育つまで10数年。この間、子どもは働けないどころか、その日を生きるのにギリギリな家族にとって巨額の損失を生み続ける足枷のようなもの。
もちろん母親は慢性的な栄養失調から乳も出ない。家族総出で、主人から借り受けた田畑を耕さないと、収穫まで漕ぎ着けない。収穫がないということは、その田畑を返さなければならないということ。
収穫があるまで、どうにか暮らしていくには、百姓仕事と並行して、日雇い(肉体を酷使する開墾)に行かなければ、銭が無い。
それなのに、子供ができてしまうと、他人の目を憚って、自分で卵膜に木の棒を突っ込んで堕胎する。
一見、無知のようにも見えるけれど、他人から後ろ指を指されることへの恐怖や実害を恐れての行為だと気づく。
当然、感染症に罹っては死ぬ。
村から葬式が出ると、葬式に呼ばれる女房や人々は嬉しくて仕方がない。普段、食べることのできない白飯やおかずが振る舞われるから。
人々の関心後は、食べ物と性欲の二つに限ることが、まじまじと見えてくるのです。
そんな極度の貧困に対抗する為に、人は信じ難いほどの節制に出ていきます。
いま、あるものを少しでも減らさぬよう。内からの損失を最小化し、外からの利益を最大化する。
ここに盗みが生まれるのですね。
その盗みの仕組みも如実に描かれていきます。
貧乏を舐め尽くしている百姓は、僅かな種を、貯蓄の銭で買い求め、育てる。ただし、肥料も買えなければ、育ちが悪い。そこで、少し余裕のある村人の畑あら盗みを働く。自分の畑には手をつけることなど出来ず、盗まれる方も、盗む方も、互いに監視の目を光らせています。
ー彼我の境界線ー
食べなければ死んでしまう。でも食べるものも、食べるものを得るお金もない。
そんな環境下で、まず自死は考えない。自死を考える余裕すらない。
そんななかで、40歳の勘二、8歳の与吉、20歳のおつぎ、80歳の卯平の四人で暮らす一家は、天高く聳える、分厚い壁に仕切られている。この一家でありながら、彼我の境界線の巧みな描写にはゾッとさせられます。
今でいう二世帯同棲のようなもの。しかし、そこに貧困が乗っかる。
歯のグラついた卯平に、硬いモノは噛み砕けない。でも、百姓仕事に向かう勘二たちは、何度も咀嚼しなければ、少ないご飯で労働を乗り切れない。
子どもと同じく、ただただ消費し続ける居候のような老人を、例え家族であっても、憎まずにはいられない同居人。減り続ける米がさらに拍車をかけていくような、終わりの無い貧困に、冷たい現実が描かれていきます。
丁寧に描かれながら、助長や蛇足、不足の無い文章が、文字から映像をありありと浮かび上がらせるほどの描写で溢れているのが、作者の文体の特徴です。
四季が巡っていく姿も、見落としてしまいがちな季節の移ろいの兆候を、逃さずに描写する。
では、説明的な文章に終始するのかと聞かれると、それとは違う。
「土」という全体の環境と、その上で呼吸し、代謝し、運動し、汗を流し、涙を流し、寝息を立て、他人の作物を盗み、貯蓄の残りに絶望し、田畑を耕し、男女が営み、少年と壮年と老年が交わり、主人と小作農の封建があり、病気、災害があり、そのすべてが土そのものの、性質でも言わんとばかりに、均一なパズルのピースのように繋がりあわさっていくのを、読みながら、震えて感じました。
読後の読後感がないことも、新たな発見でした。
移ろい、循環する。
川の水が海に流れるからと言って、そこで終わったとは思えないように、本作に描かれた、土の上で起きているすべての出来事が、完結の無い、今も繰り返されている、循環に思えてきます。
だから読了感がない。こんな不思議な小説に出会ったのは初めてでした。
そして、改めて本を読む、物語に触れるという、行為について考えさせられたのです。
『土』を教養目的に読み解くこともできる。失われた、百姓文化や、風俗。自然学。農学。
娯楽目的に、登場人物たちの、吹いてくる風に向かって唾を吐くような、虚しい努力。極貧から生まれる、人間のドス黒い生存本能。
一つの絵として、全体を俯瞰する読み方。
現代の自分と重ね合わせてみたり。
私は、すべての読み方ができると思いつつ、本作に描かれたことが、失われた時代の遺物とはとても思えませんでした。
物的な貧困を解消したと称される現代でも、手を変え、品を変え、『土』に描かれた人間の営みは確実に繰り返されていると思うのです。
堕胎一つ取ってみれば、『土』に描かれた内容とは何も変わらない。就職活動中に赤ちゃんを公衆トイレで出産し、ビニールで殺害して公園に埋めた女性を取り巻いていた現実を。
年齢による、齟齬から生じた事件。介護施設で高齢の障害者を殺害した男性。
点滴に消毒液を入れて、患者を殺害した女性。
死刑になりたかったから、電車で人を刺し、車両に火を放った男性。
『土』のページをめくるたびに、彼ら、彼女らの断片に出会える。そして、自分の中にも確実に存在する断片に出会える。
『土』。折に触れて読み返していく、大切な一冊です。
初読了日 2021.11.9
初感想日 2021.11.18
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明治時代、小作人である勘次は貧窮の状態の中、生きていた
貧乏ゆえに貪欲であり、狡猾になり、利己的で品性がない生き方をしてしまう
というのが主題の小説
作者はその農民生活を凄絶なリアリズムの筆致で描き
四季折々、自然の描写が俳画的巧みで、普遍的名作というのは再確認したが
そんなことより
わたしが一昔前に感想をいうなら
豪農があって、小作制度というものがあって
きっと「その社会の仕組みが悪い」との感想になったのかもしれない
そんなのは短慮であると今では思う
実際、父の実家は庄屋だったので
戦後の農地改革で田畑をすっかり失い見る影もなくなり
父の兄は夜間高校のしがない教師で何とか生きたのであったが
その村の田畑は郊外住宅地となり町になってしまった
土地の売り買いで農家がなくなってしまたのはどうよ
『土』に描かれている人間のどうしょうもない愚かさは
貧しいとか、豊かであるとかは関係ないのではないとしみじみ思わされた
ひとより少しでも早くいい情報を入手したがり、それを隠す
(それを知らないのは自己責任であると言う)
自分が少しでも得をするように画策するし、騙す
(競争社会だもの当然であると言う)
自分より少しでもいい状態のひとを羨む、嫉む
(そのいい状態は何か悪いことをしてなったのであると言う)
ひとのしあわせは嬉しくない
(ひとの不幸は蜜の味であると言う)
当時夏目漱石さんはこの小説を絶賛して
ご自分の娘や息子たちが年頃になって
観劇だの音楽会だのに行きたがりだしたら
そうしてそれに行くために着ていく着物だ洋服だ
バックや靴などおしゃれなものを欲しがり
はては美味しいものや贅沢な物に目を奪われだしたら
この本を読ませたいとおっしゃった
そう、昔はそれでよかった
今は現実がそのるつぼであるからしてその必要はない
利己的な生き方をしないと生きられない世の中
勘次を憐れんだり笑ったりしてはいられないんだ -
幼い頃から、母に「『土』はいつか必ず読みなさい」と言われていました。夏目漱石も娘に読ませたいとの言葉を寄せたそうですが、実際に読んでみるとその意味がよく分かりました。
私の恵まれた人生が始まるまでに受け渡されてきたバトンリレーには、こんなふうに毎日毎日、懸命に働いてお金を貯めて命をつないで来た先祖の姿があったんだな、と思います。
食うや食わずの時代、生きるか死ぬかの時代。身分差別、性差別のあった時代。外国など遠い存在だった時代。仕事に自己実現など求められない時代。…豊かで平和な現代に到るまでに、様々な時代を生き抜いてきた日本人達がいたのだと、強く認識させられました。 -
夏目漱石の小説と比較して読むと面白い。漱石の小説は親の遺産で生活する恵まれた都会の人々のどちらかと言えばひ弱な生活を描いているのに対し、「土」は土にまみれてたくましく生きる百姓の暮らしが描かれている。漱石は「土」を娘に読ませたい小説だと書いているが、上から目線のようで…。漱石の小説は面白いが、何故か馴染めない理由がこの辺にあるのかも。(漱石の悪口ばかりでごめんなさい) とにかく、「土」は日本人なら一度は読んでおくべき小説だと思う。(これも上から目線か…)
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50年前、中学校の現国の先生が授業中に薦めて下さった本でした。長編で尚且つ難読な方言のため、何度挫折してきたかわかりません。やっと読み終えました。多分、また何度か読みたくなるような気がします。
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方言が読みにくくて困った。
明治の農民の暮らしがよくわかる。
みんなそれなりに、一生懸命生きている。 -
届いたのを、もどかしく包装を引き破り、すぐに目を文字に当てた。気づくと声に出して読んでいた。そして、泣きたくなった。寒い夜の貧しい女の苦しい暮らしが目の前にと浮かび上がる。わたしの世界はここにある。探し求めたわたしの世界だ。
この悲しみは今に通ずる。時代遅れにはならない物語である。 -
身体の矮小さゆえに、何をやっても軽んじられた
だから周囲を見返そうと、人一倍労働に励んできたはいいが
その怨念が心のこわばりとなり偏屈な人格を形成している
村の方針に逆らうではない
しかしけして心から溶け合うということもない
まさに水と油
近代的な個人主義者といえないこともないが
自然界の厳しさを前にして
他者との協力なしに生きてゆくこともままならない
そんなことに屈辱を感じる、プライドの高い百姓男の話だ
根はいいやつに違いないんだけどね
信用するはカネばかりのけちんぼで、娘を嫁に出すことすら惜しみつつ
「困ったときはお互い様」と施しを受けるより
盗みを働くほうがまだ気楽と感じてしまう
そういう因業なおじさんだから
まるで昔話のようにバチを当てられるのも当然なんだ
…って、んなわきゃないがまあ、次から次へと災難におそわれるんだ
自然界の描写がくだくだしく、やや読みづらいけど
小説としての完成度はそれなりに高い
ラストが失敗したドストエフスキーみたいになってるのはご愛嬌だ
夏目漱石が朝日新聞に紹介したもので
最晩年の作品を見るに、漱石自身もかなり大きな影響を受けたようだ
長塚節の作品





