破戒 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (512ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101055077

感想・レビュー・書評

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  • 明治初期、新身分制度制定に伴い新たに誕生した「新平民」。旧制度では「えた・ひにん」と呼ばれたこの身分、当時の明治社会では強烈な差別意識が、未だ根強く残っていた。
    主人公の丑松はこの新平民に属するが、その扱いの劣悪さを恐れ、また父親と交わした戒律に則り、自らの身分をひた隠して生きている。
    生まれながらの特異な境遇を噛み締めながら生きる丑松の苦悩を見事に描いた大作だ。

    物語はわずか数カ月を描いているのだが、短い期間でこれほどの心象風景・感情の機微を描くとは…さすが名作と称されるだけはある。
    特に注目すべきは「丑松が周囲の偏見によって二重にダメージを受けている」という点だろう。「外からの非難」だけでなく、「身分を隠して生きる自分」に対する「内からの非難」が絡み合っているのだ。
    自らと同じ新平民という立場でありながら(だからこそ丑松が尊敬してやまない)、社会に対して立ち向かう勇気ある思想家、猪子蓮太郎。
    素性を隠せと説く父の遺言を忠実に守るも、社会の疑いの目から逃げ続ける自分。
    丑松は両者を比較し、猪子の魂の健全さに(己の魂の卑劣さに)絶望する。
    尊敬する猪子との邂逅(それは丑松にとって嬉しくも悲しい出来事なのだが)を重ねることで、その葛藤はますます苦しみを増し、ついに父との約束を「破戒」するに至る。
    しかし、教え子に対して「土下座しながらの告白」というみじめな行動でしか実現出来なかった丑松の「破戒」。
    藤村は、人間の弱さと、逆にまた勇気ある告白をした人間の清々しさを、ヒロイズムではなくリアリズムを通して伝えたかったのではないだろうか。
    私はこの丑松の姿をみじめだとは思うが、かっこ悪いとは思わない。読者が抱くこの感情も、藤村の思惑通りなのだろうか。

    一方で、よく言われることだが、ブルジョワジーとの階級闘争を暗に含んでいるということも忘れてはいけない。新平民である丑松、蓮太郎や、農業で生計を立てる子だくさん貧乏教師敬之進といった、いわゆる下層社会を代表する人々と、校長や郡視学(今で言う教育委員会)、代議士候補の高柳、丑松の下宿先のセクハラ住職といった富裕層代表の人々。
    この対立構造から、弱者の脆弱さ、強者の傲慢さを伝えようという藤村の意思が伝わってきやしないか。

    明治という激動期を舞台に、身分制度・プロレタリアートという社会問題と、一人の人間の告白のシリアスさを見事に融合させた本書。
    私のような若輩者にはその魅力を伝えきれません、ぜひご一読を。

  • 泣けました。本書から察するに、差別する側も差別される側の当時の状況も公平な目で描いているのではと思います。その上で信州の田舎の生活、風情などの美しい描写、登場人物の貧しいながらも生き生きとした描写などは素晴らしいと思います。だからこそ、丑松の行動も、とってつけたような結末も許容出来るほど、感情移入して読んでしまった。当時の状況下では、部落出身者である事が判明すれば、職を追われるのは致し方なしという結論になるのも納得出来ました。
    本書解説に詳しいが、部落問題の歴史から考えると部落解放を訴えているわけでは無く、むしろ問題からの逃避に近い結末で非常に扱いの難しい作品のようですが、作者本人も過去のものだと後に認めているように、当時の状況を馴染みやすいフォーマットで現代に伝えるには非常に良い小説だと思う。

  • 「穢多」に対する謂れのない差別にゾッとした後、もしこの「穢多」を「同性愛」なんかと読み替えてみたら、と考え寒気がした。
    まだ隠し通す「戒め」を守り続けねばならぬ人々がいる。

  • 日本版の『罪と罰』だと思っている。
    より身近に感じた分、『破戒』の方が考えさせられた。

    生まれながらにして、家柄という罪を背負い、差別をおそれ、それを隠しながら生活する様子、戒を破り告白するまでの苦悩、苦痛が、私の中でラスコーリニコフと被った。

    努力や根性ではどうしようもない”家”という罪や、残酷な差別に、やるせなくなる。

    救済できるのは、”家族”や、”宗教”や、”お金”ではなく、
    ”友人”、”愛情”であるという教訓を得たことも、『罪と罰』と重なった。
    ”師弟愛”が『破戒』では加わっている。


    また読みたい。また考えたい。

  • 112年前の作品ながら、現代にも通じる問題を取り上げている。

    明治後期、部落出身の教員瀬川丑松(うしまつ)は父親から身分を隠せと堅く戒められていた。丑松と同様に部落出身ながらその出自を公表している解放運動家、猪子(ゐのこ)蓮太郎と接する中で、丑松は出自を打ち明けるべきかどうか思い悩む。

    丑松はもちろん、その周囲の人たちや、信州の情景なども克明に描写されており、圧倒される。
    あまりに過酷な運命を辿る丑松。読みながら、人は差別をすることでしか自分を保てないのかと憤りが生じてくる。差別について深刻な問いを投げかける傑作。

  • 恥ずかしながらつい最近まで「破壊」だと思っていました。ふとした事をきっかけに題名の誤りとこの本の内容について知り、島崎藤村はよくこの題材に切り込んで書いたなと感心しました。
    鬱々と終わるのかと思いきや、意外と清々しい終わり方をしていて色々な驚きがある作品でした。ただ、丑松が父の戒めを破り、涙ながらに自分素性を打ち明け、謝罪し、教師を辞めなければならなかったのはやはり悲しいですね。
    現代だからこそ差別はいけない事だと分かりますが、その時代に生まれていたら差別を差別だなんて思わかなったかもしれません。ただその家柄に生まれついたというだけで差別されるなんて、耐えられないですよね。今はいい時代になりました。

  •  明治後期、元「穢多」の新平民であることを世間に隠せと父から戒められていた教員瀬川丑松は、同じ境遇の解放運動家・猪子蓮太郎に心を動かされ、新平民に対する世間の差別と芽生えた自意識との間で葛藤する。自然主義文学の嚆矢となった小説。

     世間から批判の的、差別の対象とされることを分かっていながら、自ら進んで秘密を暴露し、声高に自己の主張を叫び信念の赴くままに生きていく。こんな生き方ができる人物は稀代の英雄と呼ばれる。本作の猪子蓮太郎がそれにあたるだろう。比べて主人公・瀬川丑松は決して英雄ではない。最後には父からの戒めを破り告白をするが、泣きながら板敷に跪く姿は猪子蓮太郎のそれとはかけ離れている。
     しかし私は、丑松が好きだ。彼の人間らしさに心を打たれた。彼は多くの人が持つ人間の心の弱さをそのまま持っている。秘密がばれたくないという想い、一方で英雄的人物から刺激を受け「本当に自分はこのままでいいのか」と自己の在り方に疑問を持つ。尊敬する猪子氏の死により「破戒」の決意を固めるが、クライマックス、担当する学級の生徒たちの前で震えながら告白する丑松の姿に、私は強く強く胸を打たれた。生徒たちに「全く、私は穢多です、調里です、不浄な人間です」と頭を下げる丑松。なんと弱く、強く、醜く、美しい姿ではないか。こんなこと、猪子蓮太郎にさえできない。きっと彼の生徒たちは、丑松のこの告白を生涯忘れないだろう。穢多、新平民と自分たちは何が違うのだと疑問を持つことであろう。新しい時代を担う子供たちへの、人生を賭けた「授業」なのだと思うのだ。社会が抱える「業」を、丑松は子どもたちに身をもって示したのではないだろうか。

     一人の人間を描くことは、その人物を取り巻く複数の人間を描くことになる。複数の人間を描こうとすれば、そこにはその時代の社会思想が顔を覗かせる。つまり、個人を描けば社会を描くことになる。本作品は社会問題小説か、個人の自己告白小説かという論争があったらしいが、答えは「どちらも」なのだろう。全てを包括するからこそ、本小説はどんな角度から見ても多様に反射し、文学作品としての深みを獲得しているのだ。

  • この本について何かを言うには自分にはまだまだ知識も経験も足りていないように思える。被差別階級、そんなものが日本にあって、その人たちがどんな扱いを受けてきたのか。この本を読むまでそんなことを考えたことはほとんどなかった。もちろん知識として知ってはいた。教科書にも載っていた。でもそれだけだったのだ

    自分は世の中でどういった存在なのか。世の中に自分以外どんな人々が暮らしているのか。知らなくてはならないことがたくさんあると感じた

  • 主人公は瀬川丑松という青年で、先祖は被差別身分の人でした。
    明治時代、士農工商という身分がなくなった、というのはご存じの方も多いでしょうが、それと同時に、その士農工商の外にいた被差別身分の人たちも普通の人になりました。
    制度的な差別がなくなった、とはいえ、人々の中の偏見は残っています。
    もともと被差別身分の出身者だとわかれば、社会から追放されてしまうような時期です。
    その被差別身分の出身であることを誰かにも明かしてはいけない、それがこの主人公が父から何度も言われている戒めです。

    その一方で、彼が先輩と慕う人は被差別身分であることを明かして社会から追放されてもしぶとく活動をしている人でした。
    彼はその先輩にひどく惹かれていきます。
    けれど、彼は惹かれている相手にすら自分のことを隠しています。
    隠しているから、まだどこか先輩と自分が隔てられているように感じてしまいます。
    彼は先輩にだけは自分の秘密を打ち明けようと決心します。

    同じ頃、地域である噂が広まります。
    彼が働いている学校でその被差別身分出身の先生がいること。
    そんな人には教えてほしくない、と人々はささやきます。
    もちろん、それは彼のことです。
    彼は身分を隠しているので、あたかも普通の人として扱われています。
    生徒から尊敬もされています、友だちもいます。
    けれど、彼らは何も知りません。
    知らないから、彼とその被差別身分の出身者のことを話して悪く言います。
    彼の他にも被差別身分出身の登場人物が何人か出て来ます。
    その人たちと、何も知らない人たちの言葉からその被差別身分の人たちがどんなに息苦しい生活をしていたかが想像できます。

    話を聞きながら、丑松は『人間は平等である』と思います。
    思いながらも、そうやって反論することができません。
    そういう心の叫びを抱えた人は今もまだ世界にたくさん存在していると思います。
    被差別身分の出身でなくても、ちょっとした他者との違いでつまはじきにされてしまう場合もあります。
    他人と違うこと、個性的であること、それはそんなにもいけないことなのかな、と思います。
    これだけ人間がいるんだから、みんな違うのなんて当たり前。
    マイノリティが差別されない世の中になることを祈ります。

  • 瀬川丑松は小諸出身の小学校教員であり、部落民である。彼は父の「隠せ」という戒めを厳に守り、一般の人々に紛れて生活をしていた。

    しかし、同じ部落民の猪子連太郎の生き様に触れ、彼と交流するうちに、自分の出自について告白をしようという思いを徐々にあらわにし始める。

    父の戒めを守るか、告白(=破戒)をするか、様々な思いに揺れ動くなか、丑松の下した決断は…?

    ******

    世が日露戦争のさなか、島崎藤村が「人生の従軍記者」にならんと考えて執筆、自費出版した力作。発表当時から、現在にいたるまで、文学の世界ではその賛否が大いに議論されてきた作品である。(研究点数は、ゆうに300本を越える。)

    また、いわゆる「部落問題」を文学のテーマとして真正面からとらえた最初期の作品だともされている。もちろん、これ以前にも部落の人々の生活を描いた作品はあるが、ある問題意識をもって描いたのはこれがはじめてというのが定説となっている。

    透谷との影響関係もほのかに感じられるような、浪漫的要素も読みとれる。とにかく、何度読んでも発見が多い作品。一度読んでみて、様々なことについてあれこれ考えてみるといいかもしれません。

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