破戒 (新潮文庫)

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感想 : 270
  • Amazon.co.jp ・本 (512ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101055077

感想・レビュー・書評

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  • 2022年再映画化決定とのこと。この小説が、令和の時代に理解されるのか、共感されるのかと再読。

    ロングセラーにまだ作品名が残るが、教科書や国語便覧等に必ず登場するからではと思っていた。

    出自の隠蔽という理不尽な背徳感を抱え続けて生きる青年・瀬川。父の教え「隠せ」は、彼の絶対だった。彼は、身分を隠して教員となっていた。
    同輩への世間の非常な風当たり。
    周囲の人の何気ないその出自に対する蔑みの会話。
    彼は、いつかその事実が白日の下に晒されることに恐れ、常に緊張と束縛の中にいた。

    隠し続ける苦しさの中、同輩の先輩の理不尽な運命をも退けようとする生き様に、感銘を受ける。
    そして、遂に、教師であった彼は、生徒達の前で、自ら出自の告白をする。差別を受ける瀬川自身が頭を下げるのだ。

    この身分差別の問題が、理解できなくても、自分が隠して生活しなければならない事柄、出生・経歴等として、読んでも見ても共感できると思う。

    だが、日本の各地に残っていると思われるこの人種差別について考えて欲しいとは思う。日本のこの制度は、同民族間で歴史も長い。この問題を抱える地域では、未だ根深い。

    瀬川が、その葛藤からの脱却だけでなく、何を破戒しこのラストを迎える事ができたか、何を破壊できなかったのかを想いたい。

  • 「蓮華寺では下宿を兼ねた」の、書き出しがいい。
    「全く、私は穢多です、調里です、不浄な人間です」という、破戒のシーンも秀逸。
    日本に根深く残る部落差別の問題を、切ないほど見事に描きだした作品。社会問題に対する正義とは何なのか?破戒の果てに光が見えるのか?
    再読必至。

  • 「蓮華寺では下宿を兼ねた。」

    という簡潔な出だしが秀逸

    「部落出身者」に対する世間の差別と
    本人が出身を隠して世間に出て(教師をして)いることを
    見つかる恐れと、正直に言うべき正義感とに
    迷い悩みにゆきくれるという
    明治時代の自然主義文学の先駆け作品

    文章は簡潔にして歯切れがよいし、今読んでも解りやすい
    近代国文学史で皆が習うが、読む人は少ないかもしれない

    まえに読んだのは20代であったから
    いろいろ世間を知った今は複雑な思いになる
    連綿として差別はあるし、あるからこそ差別に怒りを覚えるのだが

    この藤村の作品を
    丑松という主人公個人の悩みを描いていると見るか
    社会的問題提起を作者がしていると思うのか
    どちらにウエートをおいているのか

    解説では
    作者は個人の悩み「隠しているつらさ」の憂鬱を表現したいのであって
    差別問題提起しているのではないと言っている
    むしろ藤村自身も差別意識があったのではないかと

    しかし
    読み手が差別といじめに義憤するならそれでいいと思う

    丑松が父親の戒めを破ってついに
    自分は「エタである」「不浄である」と告白して土下座する場面の
    不愉快さがなんとも言えないやりきれなさのパンチが
    読み手に生きてこないと思う

    この21世紀
    差別やいじめは亡霊のごとく現れたり消えたり
    世間には、あいもかわらずあるのである

  • 身分差別が未だ残る時代、部落出身の教師丑松が父から授かりし戒めとは自身の出自を隠す事。理不尽さに対する義憤、周囲に知られる事を恐れる気持ち、同輩の為に声を上げる者達を横目で見ながら日常を過ごす心苦しさ、内面の葛藤が生々しい。現代においても、辛い過去の経歴、LGBTQ、宗教的な信条を持つ方々がおり、彼らの中にはアウディングや差別に苦しんでいる者もいるかもしれません。丑松の苦悩は時代を超えた普遍的な物であり、それ故に価値がある小説だと言えるのかもしれません。

  • 明治初期、新身分制度制定に伴い新たに誕生した「新平民」。旧制度では「えた・ひにん」と呼ばれたこの身分、当時の明治社会では強烈な差別意識が、未だ根強く残っていた。
    主人公の丑松はこの新平民に属するが、その扱いの劣悪さを恐れ、また父親と交わした戒律に則り、自らの身分をひた隠して生きている。
    生まれながらの特異な境遇を噛み締めながら生きる丑松の苦悩を見事に描いた大作だ。

    物語はわずか数カ月を描いているのだが、短い期間でこれほどの心象風景・感情の機微を描くとは…さすが名作と称されるだけはある。
    特に注目すべきは「丑松が周囲の偏見によって二重にダメージを受けている」という点だろう。「外からの非難」だけでなく、「身分を隠して生きる自分」に対する「内からの非難」が絡み合っているのだ。
    自らと同じ新平民という立場でありながら(だからこそ丑松が尊敬してやまない)、社会に対して立ち向かう勇気ある思想家、猪子蓮太郎。
    素性を隠せと説く父の遺言を忠実に守るも、社会の疑いの目から逃げ続ける自分。
    丑松は両者を比較し、猪子の魂の健全さに(己の魂の卑劣さに)絶望する。
    尊敬する猪子との邂逅(それは丑松にとって嬉しくも悲しい出来事なのだが)を重ねることで、その葛藤はますます苦しみを増し、ついに父との約束を「破戒」するに至る。
    しかし、教え子に対して「土下座しながらの告白」というみじめな行動でしか実現出来なかった丑松の「破戒」。
    藤村は、人間の弱さと、逆にまた勇気ある告白をした人間の清々しさを、ヒロイズムではなくリアリズムを通して伝えたかったのではないだろうか。
    私はこの丑松の姿をみじめだとは思うが、かっこ悪いとは思わない。読者が抱くこの感情も、藤村の思惑通りなのだろうか。

    一方で、よく言われることだが、ブルジョワジーとの階級闘争を暗に含んでいるということも忘れてはいけない。新平民である丑松、蓮太郎や、農業で生計を立てる子だくさん貧乏教師敬之進といった、いわゆる下層社会を代表する人々と、校長や郡視学(今で言う教育委員会)、代議士候補の高柳、丑松の下宿先のセクハラ住職といった富裕層代表の人々。
    この対立構造から、弱者の脆弱さ、強者の傲慢さを伝えようという藤村の意思が伝わってきやしないか。

    明治という激動期を舞台に、身分制度・プロレタリアートという社会問題と、一人の人間の告白のシリアスさを見事に融合させた本書。
    私のような若輩者にはその魅力を伝えきれません、ぜひご一読を。

  • 島崎藤村『破戒』
    部落出身の瀬川丑松が、「穢多であることを決して口外してはならぬ」という父の「戒め」を破ってしまうまでの話。
    部落出身者であるとカミングアウトするまでの激しい葛藤と苦悩とが緻密に、力強く描写されている。

    世間一般の差別の眼が、抗い難く、強力に、瀬川自身に内面化されてしまっている。それゆえ、「理性」の次元では穢多であることを恥じる必要はないと分かっているけれど、「本能」の次元では自らが穢多であるという事実が露顕することをどうしても恐れてしまう。
    穢多が差別される現実を目の当たりにし、また「瀬川が穢多である」という噂が周囲に広がっていく中で、「世間の非難」と「社会的放逐」とに対する恐怖が募り、じわじわと丑松の精神を追い込んでいく。
    同時に瀬川は、穢多である自分には世間一般の人と同じ幸せを願うことはできないのだという、とてつもない孤独感に苛まれていく。

    そういった被差別者の内面に真に迫るような筆致が魅力的だ。

    作中の巧い仕掛けとして、「父」と「猪子蓮太郎」という2人の登場人物がいる。
    父からの「戒め」は、呪いのように瀬川の人生につきまとう。その一方で、自らの師と仰ぐ、同じ被差別部落出身の思想家である猪子蓮太郎への憧れを募らせ、その人物に自らを同一化させていく。
    そのことが「自己の分裂」を瀬川にもたらすのである。
    すなわち、「破戒」を《禁忌》だと考える自分がいる一方で、「破戒」を《使命》だと考える自分がいる。
    その「二つの自分」の狭間で激しい葛藤に苛まれるのだ。

    凄まじいほどの「文学の力」というやうなものを、感じた。
    教科書には絶対に載せられないだろうけれど、現代に於いては批判されるべき価値観が小説の中に保存されてはいるけれど、ーいや、むしろそうであるが故に、ーこの作品はスゴいと感じた。

    物語の結末はこれでよかったのか。落とし所が他にあり得たようにも思う。

  • 隠せ。

    部落差別問題の渦中で身を焼く瀬川丑松。父の教え。活動家猪子の生き様。「忘れるな」。狭量な社会。不遇の娘お志保。友の存在。

    丑松が破戒した瞬間、暗く惨めな過去から新しい未来へ放たれた希望の音が聞こえた気がしました。

  • 差別がある時代に、自分が差別対象者(穢多)であることを隠して生きている丑松。
    同じく穢多でありながら、身分を明かして堂々と活動している思想家・猪子を師と仰ぎ、彼にだけは素性を打ち明けたいと思いつつも中々打ち明けられない状態…。
    彼なら受け入れてくれるだろうと思いつつも、父から「絶対言うな」と言われていたのもあり、中々言い出せない気持ちは分かるので、「いつ明かすんだろう」とドキドキしました。

    最終的に自分は穢多であると勤め先の小学校にて告白した時、『卑しい穢多なのです。』との言葉に、それが当時の世情だったとしても「そこまで卑下しなくても…」と少し胸が締め付けられる思いでした。ここの告白シーンは強く印象に残っています。

    穢多であるとカミングアウトすることで周りの態度がどう変わるかと思いきや、散々穢多を否定していた銀之助は変わらず丑松を助けようとし、穢多の子を煙たがってた学校の子供たちは変わらず丑松を慕い、学校を去る丑松を見送りに来る。思いを寄せていたお志保とはここにきて思いが通じる。素直に良かったなあと思いました。

    自分の素性を告白し、今までの世界を破壊した丑松のこれからは明るいなと感じることができる良いラストでした。

  • 日本人とは、無意識に洗脳されまいと、日頃強い警戒心をもって自分の言葉で主張する人を冷めた目でみるが、その実不覚にも洗脳されやすい集団だという思いを新たにした。その時代に生きていたら、聡明さと勇気に欠ける私もそのうちの1人であった可能性は高い。現代でもその差別が残っていると聞いたが、信じられない。明治の時代にあって、島崎藤村が普遍的ヒューマニズムの視点を持っていたこと、それを小説として発表したことの偉大さを再確認。

  • 初めましての島崎藤村。思っていたよりずっと読みやすい文章で惹き込まれました。文章が情感に富み、美しく、風景描写は映像や絵画を眺めるようです。物語としてはとても胸が痛くなるような、読んでいて私も何処かで誰かを謂れのない差別をしているのかもしれないと思ってしまいました。自分ではどうすることも出来ない自出故に蔑まれ、差別される者の苦しみ。部落出身であることを隠しながら生きている丑松の辛さは、事柄が違えど自分にも通じる部分があり尚更辛くなりました。解説にもありましたが、この作品は一種のプロレタリア文学とも読めると思います。今も人種差別や男女差別が絶えない世を見ると差別との闘いが如何に難しく度し難いものであるかを痛感します。

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