夜明け前 (第2部 下) (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (480ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101055114

感想・レビュー・書評

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  • 書き出しがあまりに有名な、幕末から明治にかけての馬籠宿を舞台にした島崎藤村の小説。なんとなく森鷗外「舞姫」のような文体を想像していたので、意外と読みやすくてビックリした。さて、本作の主人公・青山半蔵は、本陣の当主であり、参覲交代や長州征伐などさまざまなできごとを通して、激動の時代を描き出している。幕末を舞台にした小説ではやれ坂本龍馬だのやれ勝海舟だのといった志士たちがとかく主人公になりがちであるから、フィクションとはいえ、こういう田舎のいち宿場町を通してこの時代を見つめるということが非常に新鮮で興味深かった。また、この時代に順応しようとする一方で、昔から信奉する国学に固執し、時代に抗おうともする半蔵のアンビヴァレントな感じも興味深かった。そして、なんといってもその怒濤の展開。時代が時代であるだけに、淡淡と日常を描くだけでも十分に物語になるはずであるが、やはり文学史上に残り続けているだけあって、それだけでは終わらない。自殺未遂やら発狂やら、後半には昼ドラも真っ青のエピソードが続く。まったく想像もしていなかったのでビックリしたが、そもそもこの内容でこの結末になると予想できる人がいるであろうか。半蔵は藤村の父・正樹がモデルのようだが、藤村本人も姪との関係をめぐって問題になったのは有名な話。半蔵=正樹の晩年の様子を見ていると、「血は争えない」ということがよくわかる。全篇を通してとにかく揺れ動く感情、揺れ動く時代、揺れ動く馬籠が巧みに表現されていて、しかもおもしろさも持ち合わせた、紛うことなき傑作である。

  • それまでの3冊は歴史記述もふんだんで、情景も事細やかに描けていたが、個人的には一人の人間を十分に描ききれていない気がしていたが、最終巻では主人公半蔵の葛藤が分かりやすいほど根深く描かれ、ドラマとして面白く感じることができた。
    本来ならばもっと奥ゆかしい表現や慎ましい心理描写に心を砕くことが大事なのだろうが、機微や些細な変化に対してあまり感性がないせいで、こうした大きな展開がなければ作品を楽しめないのは、昔からの性格と言っていいかもしれない。これは読者であるじぶんの欠陥かもしれないが、とりあえず読破には成功し、終章は見事なほど素早く一気に読み通してしまった。
    100年前の小説であるが、文学的価値を離れた面でもいまだに十分親しむことができるのは、やはり島崎藤村の手腕と言えるし、今度はそれに最後までべったりと頼ることができた。
    正直、最後は思わず涙ぐんでしまった場面も少なくない。長い作品だったし、それゆえに本作と付き合う時間はほかよりずっと多めだったが、こうして琴線に触れるのは、ほかの小説と同様、ひとしく本作も読破するに値するものだということを指し示している。

  • 「木曾路はすべて山の中である」との名文で始まる藤村の最後の長編小説「夜明け前」。

    この”苦しくて果てのない地道な物語”を、昨秋から今冬にかけて、じっくりと読み進め、四カ月かけて読み終えた。

    小説の主人公である青山半蔵は、藤村島崎春樹の父である島崎正樹がモデルであるが、作者である藤村自身の分身でもある。
    「親ゆずりの憂鬱」という言葉を、藤村は独特の意味をこめて、しばしば語っている。
    明治維新という大きな時代の波に翻弄され、最後は、座敷牢に狂死した半蔵の悲惨な運命は、島崎父子が親子で共に抱える宿命の反映だと思った。
    平田派の国学に親しみ、心酔し、「一度これが自分等の行く道だと見さだめをつけたら、それを改めることも変えることも出来ない一本気と正直さから来る」性格と行動の結末。
    半蔵は国学で人生に挑み、夢破れた。

  • 「失敗を恐れるな、失敗は次の成功の糧となる」そんな風に若者に語るシニアには、あなた自身はどうされるのかと問いたくなる。(ついでに、あんたは蚊帳の外で口を出すだけかと喧嘩を売りたいシニアがゴマンといる。)
    自分にとってプラスとか、自分の人生にとってプラスとか、そんなセリフは残念ながら虚飾に過ぎない。変わり続ける社会、日常、人の心とすり合わせていくとき、同じ状況など二度とないわけで、下手を打つと何もかもが敵に見えてしまう日が来るのかもしれない。理想や信条を打ち立てて行動することには虚しさが伴う。
    ただ生きるのではなく、人として生きることの難しさが描かれていやしないかな。

    「銀河英雄伝説」に引き続き長編を読んで、ちょっと小説に疲れ気味。しばらく買いためた小説に手をかけることはしなくなりそう。

  • 夢見た維新後の世界は、過酷であり半蔵はこれまでの地位、役職を剥がされ、家は零落していく。「夜明け前」の解題はいかにしたものか。日本国としては、討幕によりすでに夜が明けているといえるのではないか。政府の中枢はすでに明るい舞台で活躍しているが、農民や町民の生活や思想はまだこれからだということであろうか。2020.9.8

  • 島崎藤村は文豪として知られるが、読書家の知人を見渡しても夏目漱石などと比べあまり読まれていないという印象を受ける。私自身島村には馴染みはなかったが、書店でふと目に止まりあらすじを見たところ引き込まれ、全4巻一気に読んでしまった。私が読んだ歴史小説の中で傑作中の傑作である。

    夜明け前の主人公のモデルは平田篤胤の国学に心酔する宿場町の庄屋であり、「古き良き時代」を取り戻そうという志を胸に秘める。それはすなわち、武家政権を倒し古事記の時代にあるような王政を復古させるというものだった。一介の庄屋という高くはない身分の主人公であったが、勤皇の志士に便宜を図ったり草莽の志士たちが集う会合に出席したりして、彼は復古運動に密かに情熱を注ぐ。折しも幕末。開国によって社会が混迷を深める中、彼らの運動は多くの人々の心をとらえていった。

    封建制の下諸藩に強い影響力を及ぼしていた徳川幕府の力も幕末の荒波によって地に落ち、ついに大政奉還によって待ち望んでいた「復古」がなされたかに見えた。しかし現実は思わぬ方向へと進む。西欧の文物が急速に流入し、国学を信奉する主人公の居場所は次第になくなっていったのだ。かれはやがて発狂し、その生涯の幕を閉じる。

    島村は、本書に「夜明け前」という題名をつけた。近代化という夜明けの前にあった出来事という意味なのだと思う。しかし私は、この題名は、その響きのもつ芸術性は別にして、どうしても本質からずれているように思えてならない。本書は決して、近代化の直前にあった話という単純なものではないと思う。むしろ、近代そのものの話であるはずだ。近代化にとってどうしても必要だった何か、表立っては語られないが近代を影で成立させている何か、その「何か」が本書のテーマだと考える。いずれにせよ、「近代国家日本」が曲がり角に差し掛かっている今だからこそ、この作品は大きな意味を帯びるようになるだろう。

  • 重厚で、漢字も多く、かなりの長編ということもあって、なかなか読む気が起こらなかったが、読み始めてみると、スラスラ読むことができた。

    題材の面白さや、落ち着いた文章――派手さを抑え、実質のある過不足ない文書で、長編にぴったり――のおかげもあるが、なによりも、文の中に込められたリズムが良いからだと思う。

    島崎藤村は詩人から出発した人だから、当然である。

    長編のどこを取ってきてもいいのだが、たとえば、

     隆盛は寡言の人である。彼は利秋のように言い争わなかった。しかしもともと彼の武人気質は戊申当時の京都において慶喜の処分問題等につき勤王諸藩の代表者の間に激しい意見の衝突を見た時にも、剣あるのみの英断に出、徳川氏に対する最後の解決をそこに求めて行った人である。その彼は容易ならぬ周囲の形勢を見、部下の要求の制えがたいことを知り、後には自ら進んで遣韓大使ともなり朝鮮問題の解決者たることを志すようになった。岩倉大使一行の帰朝、征韓論の破裂、政府の分裂、西郷以下多くの薩人の帰国、参議副島、後藤、板垣、江藤等の辞表奉呈はその結果であった。上書して頗る政府を威嚇するの意を含めたものもある。旗勢をさかんにし風靡するの徒が辞表を奉呈するものは続きに続いた。近衛兵は殆ど瓦解し、三藩の兵のうちで動かないものは長州兵のみであった。(p123)

    または、

     つつましくはあるが、しかし楽しい山家風な食事のうちに日は暮れて行った。街道筋に近く住む頃ともちがい、本家の方ではまだ宵の口の時刻に、隠宅の周囲はまことにひっそりとしたものだ。谷の深さを思わせるようなものが、ここには数知れずある。どうかすると里の近くに来て啼く狐の声もする。食後に、半蔵は二階へも登らずに、燈火のかげで夜業を始めたお民を相手に書見なぞしていたが、ふと夜の空気を通して伝わってくる遠い人声を聞きつけて、両方の耳に手をあてがった。
    「あ――誰か俺を呼ぶような声がする」
     と彼はお民に言ったが、妻には聞こえないというものも彼には聞こえる。彼はまた耳を澄ましながら、じっとその夜の声に聞き入った。(p344-345)

    いずれも実に自然で、すっと入ってくる。
    こういう文章を名文というのだと思う。

  • (2017.06.08読了)(1999.08.15購入)(1997.12.05・56刷)

    【目次】
    第二部
    第八章  5頁
    第九章  40頁
    第十章  73頁
    第十一章  108頁
    第十二章  139頁
    第十三章  175頁
    第十四章  237頁
    終の章   291頁
    注解  三好行雄  333頁
    島崎藤村 人と文学  平野謙  341頁
    『夜明け前』について  三好行雄  352頁
    年譜  編集部  361頁

    ☆関連図書(既読)
    「夜明け前 第一部(上)」島崎藤村著、新潮文庫、1954.12.25
    「夜明け前 第一部(下)」島崎藤村著、新潮文庫、1954.12.25
    「夜明け前 第二部(上)」島崎藤村著、岩波文庫、1969.03.17
    「破戒」島崎藤村著、新潮文庫、1954.12.
    「桜の実の熟する時」島崎藤村著、新潮文庫、1955.05.10

    内容紹介(amazon)
    新政府は半蔵が夢見ていたものではなかった。戸長を免職され、神に仕えたいと飛騨の神社の宮司になるが、ここでも溢れる情熱は報われない。木曽に帰り、隠居した彼は仕事もなく、村の子供の教育に熱中する。しかし、夢を失い、失望した彼はしだいに幻覚を見るようになり、遂には座敷牢に監禁されてしまうのだった。小説の完成に7年の歳月を要した藤村最後の長編である。

  • ようやく読み終えました。
    「夜明け前」の意味が、やっと分かりました。

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著者プロフィール

1872年3月25日、筑摩県馬籠村(現岐阜県中津川市馬籠)に生まれる。本名島崎春樹(しまざきはるき)。生家は江戸時代、本陣、庄屋、問屋をかねた旧家。明治学院普通科卒業。卒業後「女学雑誌」に翻訳・エッセイを寄稿しはじめ、明治25年、北村透谷の評論「厭世詩家と女性」に感動し、翌年1月、雑誌「文学界」の創刊に参加。明治女学校、東北学院で教鞭をとるかたわら「文学界」で北村透谷らとともに浪漫派詩人として活躍。明治30年には第一詩集『若菜集』を刊行し、近代日本浪漫主義の代表詩人としてその文学的第一歩を踏み出した。『一葉舟』『夏草』と続刊。第四詩集『落梅集』を刊行。『千曲川旅情のうた』『椰子の実』『惜別のうた』などは一世紀を越えた今も歌い継がれている。詩人として出発した藤村は、徐々に散文に移行。明治38年に上京、翌年『破戒』を自費出版、筆一本の小説家に転身した。日本の自然主義文学を代表する作家となる。

「2023年 『女声合唱とピアノのための 銀の笛 みどりの月影』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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