千曲川のスケッチ (新潮文庫)

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101055138

感想・レビュー・書評

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  • 描写が素晴らしいので情景が簡単に浮かんでしまう。その場に行ってないのに癒される。自然、四季を感じる。読んでいるだけで心地が良い。
    ミレーの絵が浮かぶ
    まさか屠牛の光景が出てくるとは。でもこれが真実。牛から牛肉になる光景が生々しい。
    厳しいはずの冬の寒さも美しく感じる文章。

  • 藤村が「詩から散文へ」と、自らの文学スタイルを変えるきっかけとなったエッセイ。
    千曲川流域の自然、四季、人々の生活を、スケッチするよう巧みに描写しているため、もし存在するのであれば「写生文」というカテゴリに落ち着く作品である(題名はこれに由来する)。

    雪深い長野の原風景と、私が生まれ育った新潟の田舎風景は、そのノスタルジーを共有しているのではと、強く感じる。また私は月に一度、長野県は野辺山にそびえる八ヶ岳で土壌調査を行っているため、八ヶ岳に関する描写には大変共感した。
    「すこし裾の見えた八ヶ岳が次第に山骨を顕して来て、終いに紅色の光を帯びた巓(いただき)まで見られる頃は、影が山から山へさしておりました」
    山村の早朝を描いたこの一文は、実際に見たものにはその感動を再発させ、見ていないものにもノスタルジーを感じさせる見事な表現である。

    また、後半に収録されている「千曲川のスケッチ奥書」も大変面白い。
    「旧いものを毀(こわ)そうとするのは無駄な骨折りだ。ほんとうに自分らが新しくなることが出来れば、旧いものはすでに毀れている」
    この一文からも、藤村がすでに自分の文学に対して足りない何かを切望していたことが読み取れる。文学の大家である藤村の、新天地への強烈な意志を感じる。
    「不思議にもそれらの(海外)近代文学に親しんでみることが、反って古くから自分の国にあるものの読み直しを私に教えた」という、藤村の持つ読書観も窺える。

    「小作人」というスケッチは、ほぼそっくりそのまま、「屠牛」「烏帽子山麓の牧場」などの一部も「破戒」に用いられていることが、本書を読むことで分かる。
    藤村文学の“引き出し”としての「スケッチ」、その集大成として、いわゆる短編小説集として本書を扱うのも面白いかもしれない。

    趣深い一冊だ。

  • 当時としては信越地域特有のエッセイだったのかもしれないけど現時点では古き良き明治時代の山村におけるスケッチ書きとして読んでしまう感は否めない。それでもやはり雪深い地域の真冬の庶民生活の苛烈さが差し迫ってくる。

  • (以下Amazonからコピペ)
    このスケッチは、いろいろの意味で思い出の多い小諸生活の形見である。――藤村
    28歳の藤村の口語文への最初の試みは、大自然に囲まれた信州での生活において行われた。

    明治三十二年四月、詩集「若菜集」などにより、すでに新体詩人として名声を得ていた藤村は、教師として単身、信州小諸へ赴いた――。
    陽春の四月から一年の歳月、千曲川にのぞむ小諸一帯の自然のたたずまい、季節の微妙な移り変わり、人々の生活の断面を、画家がスケッチをするように精緻に綴った「写生文」。「詩から散文へ」と自らの文学の対象を変えた藤村の文体の基礎を成す作品。用語、時代背景などについての詳細な注解を付す。

    著者の言葉
    「もっと自分を新鮮に、そして簡素にすることはないか」
    これは私が都会の空気の中から抜け出して、あの山国へ行った時の心であった。私は信州の百姓の中へ行って種々(いろいろ)なことを学んだ。田舎教師としての私は小諸義塾で町の商人や旧士族やそれから百姓の子弟を教えるのが勤めであったけれども、一方から言えば私は学校の小使からも生徒の父兄からも学んだ。到頭七年の長い月日をあの山の上で送った。私の心は詩から小説の形式を択ぶように成った。……(「序」)

    島崎藤村(1872-1943)
    筑摩県馬籠村(現在の岐阜県中津川市)に生れる。明治学院卒。1893(明治26)年、北村透谷らと「文学界」を創刊し、教職に就く傍ら詩を発表。1897年、処女詩集『若菜集』を刊行。1906年、7年の歳月をかけて完成させた最初の長編『破戒』を自費出版するや、漱石らの激賞を受け自然主義文学の旗手として注目された。以降、自然主義文学の到達点『家』、告白文学の最高峰『新生』、歴史小説の白眉『夜明け前』等、次々と発表した。1943(昭和18)年、脳溢血で逝去。享年72。

  • 長野県小県郡青木村にある田沢温泉を訪れてこの本を知り読んでみた。信州小諸で教師をした藤村がこの地域の純朴な生活を素朴な文面で丁寧に再現している。友人である吉村樹(しげる)さんに贈るという体で描き出している。スケッチというタイトルが相応しいほど、村の様子が色彩よく思う浮かぶようである。

  • 描写の例としてこの本の話題が出たので、読んでみた。見たものを言葉で細かく捕まえていくさまは確かにスケッチ。長野出身なので山の色や冬の凍てつく空気のくだりは懐かしい。

  • みずみずしい小説だと思った。

  • 藤村が一時期住んでいた千曲川流域の自然や、風物等が、美しい文章でスケッチされています。
    藤村は、このあたりを機に、詩から小説へ転換しているので、散文の練習といった感もありますね。
    ツルゲーネフの猟人日記等に似た感じがするが、ツルゲーネフのほうがちょっとおもしろいかな。

  • 藤村が小諸で教師をしていた時代に書いたもの。
    タイトルにあるように、千曲川周辺の自然や人々の生活を
    まるでスケッチするかのように描いてあります。

  • 小諸などを舞台とした作品です。

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著者プロフィール

1872年3月25日、筑摩県馬籠村(現岐阜県中津川市馬籠)に生まれる。本名島崎春樹(しまざきはるき)。生家は江戸時代、本陣、庄屋、問屋をかねた旧家。明治学院普通科卒業。卒業後「女学雑誌」に翻訳・エッセイを寄稿しはじめ、明治25年、北村透谷の評論「厭世詩家と女性」に感動し、翌年1月、雑誌「文学界」の創刊に参加。明治女学校、東北学院で教鞭をとるかたわら「文学界」で北村透谷らとともに浪漫派詩人として活躍。明治30年には第一詩集『若菜集』を刊行し、近代日本浪漫主義の代表詩人としてその文学的第一歩を踏み出した。『一葉舟』『夏草』と続刊。第四詩集『落梅集』を刊行。『千曲川旅情のうた』『椰子の実』『惜別のうた』などは一世紀を越えた今も歌い継がれている。詩人として出発した藤村は、徐々に散文に移行。明治38年に上京、翌年『破戒』を自費出版、筆一本の小説家に転身した。日本の自然主義文学を代表する作家となる。

「2023年 『女声合唱とピアノのための 銀の笛 みどりの月影』 で使われていた紹介文から引用しています。」

島崎藤村の作品

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