私のなかの彼女 (新潮文庫)

  • 新潮社 (2016年4月28日発売)
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本 ・本 (400ページ) / ISBN・EAN: 9784101058320

作品紹介・あらすじ

「男と張り合おうとするな」醜女と呼ばれた亡き祖母、そして物書きを志した祖母の言葉の意味は何だったのだろう。和歌が心に芽生えた書く衝動を追い始めたとき、イラストレーターの仙太郎と夢見た穏やかな未来は、いびつに形を変えた。母の呪詛、恋人の抑圧、仕事の壁。それでも自分は切実に求めているのだ、何かを。すべてに抗いもがきながら、自分の道を踏み出す新しい私の物語。

感想・レビュー・書評

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  • 本田和歌
    わたしは彼女を、この物語の主人公である彼女を、自分の感情に誠実な女性だと思った。

    この作品の時代背景は、ちょうどわたしが産まれた頃。
    P11「1985年、200人いる和歌の学年で東京の四大に進学したのは、推薦入学をのぞくと28人だった」時代。
    男女雇用機会均等法が成立した頃。
    しかしまだまだ、女性が寿退社をするのが当たり前の時代。
    物語を追うにつれ、『オウム真理教による地下鉄サリン事件』『阪神・淡路大震災』『酒鬼薔薇聖事件』など、実際の出来事も登場し、その時代背景を強化する。

    のめり込むように読んだ。
    解説で津村記久子さんがおっしゃるように、この作品の面白さ、内容を人に伝えようとすると、P389「どうも普通だな、というような内容になってしまう」。
    わたしはだから、「どうも普通だな」というレビューにならないよう、慎重に、作品の言葉をお借りしながら、この作品の面白さを伝えていきたい。
    この作品は、本田和歌という一人の女性の、生きた証である。
    この作品はフィクションであり、実在の人物や団体とは関係ないかもしれない。けれど、これをフィクションとして片付けられる根拠も、実在した人物ではないという根拠も、どこにも存在しないのだ。

    和歌の恋人・仙太郎を好きになれなかった。
    P22「贔屓目でなくとも仙太郎は同世代の男の子たちよりは様子がいい。昨今もてはやされている醤油系統の顔立ちで、スタイルもよく服のセンスも悪くない」。
    P24「ああ、本当に仙太郎は手の届かないところにいったと和歌はやけに強く実感した。今はただ、遠い存在のはずの人が隣にいることが奇妙に思えてならなかった」。
    こういう人は、憧れの人、尊敬できる人として距離をとっておくのがわたしにはちょうどいい。

    そして和歌は徐々に、仙太郎がいる場所へ向かってゆく。
    P122「仙太郎と対等になれると和歌は思った。もう仙太郎をまぶしく見上げなくてもいい。うっすらといつも感じていた劣等感を脱ぎ捨てたところで向かい合うことが、きっとできる」。
    この、憧れの感情がない交ぜになっている恋人と並べたような瞬間は、とても嬉しい。

    しかし彼は、並ぼうとしてくる和歌に対して、棘の刺さったボールを投げてくる。ボールの速さは速すぎず、変化球でもない。普通のボールなら受け取れるそのボールは、よく見るとトゲトゲしていて、和歌は受け取る瞬間いつも、取りこぼしてしまう。指に刺さった棘は、いつまでも抜けないし、いつまでも痛い。
    (解説ではそれが「未必の故意」という言葉で表現されていて、さすが津村さんの解説は素晴らしい!)

    だから和歌は、P210「安堵の必要なほどの緊張を、何に対してしているのだろう?」と思ったし、P200「会社を辞めようかと、その日、和歌は思った。辞めれば、受けた依頼の仕事をこなす時間も増える。(中略)けれど、それを仙太郎に告げることを思うと、億劫だった」のである。
    角田さんは、恋人間の、毒を孕んだ関係性を描くのがとても上手な方で、この作品においても、それが冴えわたっている。
    こんなにも、人と人というのは分かり合えないものなのか。

    毒親って言葉も、デートDVって言葉もない時代。
    たぶん、これらは和歌のような人が必死に言葉を紡いできたからこそ生まれた言葉なんだろう。
    P332「自分は母親を、未だこわがっている。叱られることを、認めてもらえないことを、罵倒されることを、まるで母親に置いてきぼりにされた幼児のようにおそれ、こわがっている」。
    P337「恋人の機嫌をうかがい、笑っていれば安堵し、不機嫌なら不安になり、自分の言葉、行動、返答、笑い、何かが暴力の起爆剤になるのではないかと終始気を張り巡らせている語り手の気持ちを、和歌は知り尽くしていた」。
    言葉がなかっただけで、存在していた毒親とデートDVを、一生懸命受け止めながら、生きていくということ。
    P393「『精一杯生きること』よりも価値のあることなんてあるんだろうか。『自分の人生を生きる』気概とは何か。この小説は、どんな『生き方を教えてあげる』という本よりも精細に、どんな先人の知恵よりもフェアに、そのことを教えてくれる」。

    とても苦しい時代だったと思う。
    とても生きづらかったと思う。
    そこで時代を切り開いていく芯の強さ。その芯を奪う者の存在。
    時代が変わろうとする時、そこで苦しむのは、いつだって社会の最前線にいる若者だ。
    社会の最前線で、時代を切り開いてくれた方々に、和歌のような女性たちに、わたしは心から感謝を申し上げたい。

    • naonaonao16gさん
      kuma0504さん

      おはようございます!コメントありがとうございます^^

      この作品、時代背景と、その時代の価値観も結構含まれていました...
      kuma0504さん

      おはようございます!コメントありがとうございます^^

      この作品、時代背景と、その時代の価値観も結構含まれていました。
      でも、人間関係から発生する感情に時代なんて変わりはないのだなぁ…という感じでしょうか。

      よく分からない書き方をしてすみませんでしたm(_ _)m
      2021/10/19
    • kuma0504さん
      いやいや、この書き方ではそう取るのが普通ですよね。
      よくわからない書き方で、ごめんなさい!
      私のレビューの評価基準「新鮮な視点を貰った」とい...
      いやいや、この書き方ではそう取るのが普通ですよね。
      よくわからない書き方で、ごめんなさい!
      私のレビューの評価基準「新鮮な視点を貰った」ということで、かなり感心したということを伝えたかったんです!
      2021/10/19
    • naonaonao16gさん
      kuma0504さん

      ネタバレせず、「面白い作品なので読んでもらいたい!」と伝えるのって結構難しいですよね…

      なるほど、レビューの視点面...
      kuma0504さん

      ネタバレせず、「面白い作品なので読んでもらいたい!」と伝えるのって結構難しいですよね…

      なるほど、レビューの視点面白いですね!
      ありがとうございます^^
      2021/10/19
  • あなたが現在の職業に就くと決めたのはいつのことでしょうか?それはどんなきっかけだったでしょうか?

    どんな職業に就いたとしても、どこかにそのきっかけは必ずあります。今の仕事が好きかどうかは別にして、応募したのはどこまでいってもあなた自身です。

    ここに小説家という職業があります。そして、ここに小説家になりたいという一人の女性がいます。その女性は『書いてみたい』と言います。『何かしたいという漠然としたものではなく、はっきり、書いてみたい』と言います。それは『脚本でもない、ドキュメントでもない、フィクションだ。架空の話』だと言います。そして『この先ぜったいに知りようがない』のであれば『自分で作ればいい』と言います。『だれでもない、ともかく自分がそれを読んでみたい』と言います。

    小説家はなりたいと思ってなれる職業でしょうか?そう、この小説はある時、ある瞬間に小説家になりたいと思い、すべてを捧げて小説家の道を邁進していく一人の女性の物語です。

    『祖母は醜女だった』と幼い頃からくり返し聞かされてきた主人公の本田和歌。『六歳のときに亡くなった祖母の容姿をはっきりと覚えてはいない』という和歌。そんな和歌は『母がさほど美しくないのと同様、自分も客観的に見ればそんなにかわいいわけではない』と感じます。そんな『十八歳の和歌は、内村仙太郎に幾度』もそんな話をします。『和歌がはじめて肉体関係込みで交際をしている恋人である』仙太郎は『いや、かわいいよ和歌は』と返します。『親しくなったのが仙太郎でよかった』という和歌は『仙太郎は扉だった。開けるたび未知の世界が拡張していく扉を、彼は幾つも持っていた』という自分の知らない世界をたくさん知る仙太郎に魅了されていきます。そんな仙太郎は仕事を始めます。『週刊漫画誌での連載』を持ち『雑誌に書かれた肩書きは「アーティスト」』という仙太郎。『連載がはじまったのが十月、そうして十二月には、別の雑誌から仙太郎に仕事の依頼がきていた』と仕事が増えます。一方で『三年の終わりごろになっても、和歌は就職についていっさい考えなかった』という一方で『すでに仕事があり就職するつもりのない仙太郎』という二人。やむなく『大学院進学』を匂わす和歌の本音は『仙太郎と結婚したかった』と、とにかく就職しなければならない現実に向き合いません。『自分を含まない世のなかは、和歌のすぐ近くまでやってきた』という大学四年となり『みな次々と就職を決めていた。銀行に出版社に、広告代理店にメーカー』と同級生と差が開く和歌。そんな和歌に『就職したほうがいいと強く言った』仙太郎は『仕事はまったく途切れることなく、増え続けて』いるという状況。しかし『仙太郎が自筆で書く言葉はたいてい意味がない。「トトラトラ、ほらそこに、トトラトラ、二日続けて雨だって」』という内容に『正直をいえば和歌には何がおもしろいのか』と理解できないでいる和歌。しかし『学食で昼飯を食べていると「内村さんですよね」と男女にかかわらず仙太郎に声をかけてくる学生がいた』と有名になっていく仙太郎。オートロック付きの立派なマンションに引っ越した仙太郎に『同棲を持ちかけてくれるのではないかと期待していたが、そんな話は仙太郎の口から出なかった』とどんどん追い詰められる和歌。『和歌はさ、就職するつもり、ないの。結局、逃げてるだけだろ。漫然とやりたいことが向こうからやってくるなんてことはないんだからさ』と心配してくれる仙太郎。『就職なんてまるきりしたくない』、でも『そうしなくてはいけないような気になってくる』という和歌。そんな中『リクルートスーツは買ったものの、なかなか動き出さない和歌にしびれを切らした』仙太郎は、『知り合いを紹介すると言いだし』ます。そして、仙太郎にも後押しされる和歌の就職活動が始まりました。

    実の娘が『醜女』と言う祖母、物書きを志し、そして何故かその道を捨てたというそんな祖母が残した「うららかな実」という本を見つけた和歌が、祖母の人生に隠された真実を探し求めるなかで、自らの人生をそこに絶妙にオーバーラップさせながら展開するこの作品。小説内小説として登場する「うららかな実」という作品は概要は語られますが、詳細が描かれるわけではありません。それよりもこの作品では小説家を志した祖母、そしてその人生をもとに小説を書こうとする和歌、という小説の中で小説を書く小説家の姿が描かれるのが特徴的です。それは角田さんなりの一つの小説家像ではないかと当然に考えてしまいます。そんな中で一番興味深かったのは初めての小説を和歌が書き始めて出来上がるまでのこんな描写でした。場面が1990年代初頭ということもあり『ボーナスがでると、和歌はそれでワープロを買った』というはじまり。『文字の配列を覚えるために意味のない文章を打ち続けた。そうしながら、小説にすべくストーリーを考えた』とウォーミングアップしながら小説に取り掛かる和歌。『祖母のことを書こうとしていた和歌だが、すぐに無理だと気づいた』と早々に自身の今の力量を知る和歌。『ならば、と、時代設定を現代にして、祖母ではない主人公を作り上げた』と試行錯誤する和歌。『高校卒業後、親のツテで腰掛け的に就職し、見合い結婚ですぐさま家庭に入った専業主婦を主人公と決めた』と基本設定を完了すると、『ワープロに打ち込む文章は、意味をなさないものから、その主人公の言葉に変わっていった』とどんどん小説世界に気持ちが入り始めていきます。そして『そのうち、彼女が自分に向かって語りかけているように和歌には感じられるようになった』という和歌は、『ときどき、聞き取ったことをワープロで打つのが間に合わず、和歌はあわてて学生時代に使っていたノートを引っ張り出して、空白のページに乱暴に書き殴った』というリアルな創作の舞台裏が描かれます。そして『打ち込んでは消し、打ち込んでは消しをくり返し』という作業により書き上がった『小説もどき』。初めての小説に苦労しながらも一生懸命取り組む和歌の姿がとても初々しく描かれていく名シーンだと思いました。また、このシーンが、和歌という主人公を読者に強く印象付けた、そのようにも感じました。

    小説家を志す人が、いつの頃からその職業を意識し出すのかはわかりません。結局のところ人それぞれだとも思います。この作品の主人公である和歌はそもそも将来の自分の姿が思い描けないまま、就職活動からも逃げ、親からも逃げ、と現実から逃げ回った人生を歩んできました。そんな中に偶然にも見つけたのが、祖母が確かに生きた足跡でした。人生を生きる中で、自分の身近な人が歩んだ人生というのはやはりとても気になるものです。人が生きていく中では『何が欲しいのか。何なら手に入るのか。それを手に入れるためには何を手放さなければならないのか。何なら手放せるのか』というような問答をずっと続けなければなりません。そして、そんな選択に迷った時、身近な人はどうしたのだろう、どう選択したのだろうか、と先達の答えを参考にしたくなるのは当然のこととも言えます。そんな中で、結果として祖母がかつて目指した小説家の道を歩み出した和歌。そして『仙太郎と対等になれると和歌は思った』という和歌は、大学時代から一番身近な存在であった仙太郎が歩む人生をも強く意識していたことに気づきます。『もう仙太郎をまぶしく見上げなくてもいい。うっすらといつも感じていた劣等感を脱ぎ捨てたところで向かい合うことが、きっとできる』と捉える和歌。それに対して『ふつうの暮らしができない人間に、人の心に届く小説は書けないんじゃないか』と言う仙太郎。和歌と仙太郎の微妙な気持ちのズレ、そしてそれがかつて同じ道を生きようとした祖母の人生にオーバーラップしていく構成のこの作品。そしてさらに、和歌と生年が重なることもあってこの作品の作者である角田光代さんの人生がさらに複層に重なっているのではないかと見えてしまう絶妙感。もしかして…が倍増させる読書はいろんな思いに囚われ、想像力を飛躍させてくれる読書でもあります。ただ、当の角田さんは自身との重なりを明確に否定されているので、あくまでこれはこの作品の中で閉じた物語ではありますが、その生活風景が頭に浮かんでくるようなリアルな小説家の日常生活の描写により、普段接することのない本の向こう側にいる小説家を”一人の人間”として、ぐっと身近に感じることができました。

    『文字を打ちこんでいると、たしかに、何ものかがゆっくりと頭をもたげ、蠢きはじめるのが感じられた』、そして『書く高揚にもいろいろあるのだと、和歌ははじめて恋をした時のような気持ちで思った』など、小説家が主人公のこの作品では、小説家という職業を生業にすることの喜びと悲しみ、そして苦しみをリアルに感じることができました。『祖母は醜女だった』というなんとも言えない冒頭からはじまるこの作品。和歌が解き明かしたその真実の姿は読者の中の『醜女』というイメージを違うものへと変えました。自分の人生を生きた祖母、そして自分の人生を歩み始めた和歌。そんな和歌が書く次の小説を是非読んでみたい、そう感じた作品でした。

  • やはり俺が尊敬して敬愛する偉大なる作家先生である
    角田光代様の作品!
    とても面白かったです。
    読んでいて、どの人物にも自己投影できないんだけど
    そこは、さすがの文章力でどんどん読み進められました。
    なんとも感想を書くのが難しいのですが、
    文庫本の最後の解説で津村記久子が書いているのが
    本当にその通りと言った感じでございました。

    本編を読む前にこの解説を読んでからだと
    めちゃくちゃ読みたくなるかもしれません…

    この解説の最後がまさにこの小説を表しているので抜粋します。

    「精一杯生きること」よりも価値のあることなんてあるんだろうか。
    「自分の人生を生きる」気概とは何か。
    この小説は、「生き方を教えてあげる」という本より精細に、どんな先人の知恵よりもフェアに、そのことを教えてくれる。
    読む人の心に、小さいが簡単に消えない生きる勇気を灯す。

  • 大学在学中にイラストレーターとして活躍し始めた恋人、仙太郎との結婚を夢見ていた和歌が、かつて祖母の書いた小説を見つけたのを機に、自分も小説を書き、作家業を中心にしたい思いと、仙太郎への遠慮との間で常にモヤモヤさながら、自らの道を進み始める物語。

    社会で活躍しようとする女性の生き辛さ、表面上は男女平等といいながら、女性に期待する役割についてはまだ昔ながらのものがあると感じる現在の状況も重ね合わせて読むと、和歌の気持ちもわからないわけではないが、和歌は少し病的と言えるほど何かに囚われすぎている感じが否めず、あまり共感できなかった。

    一方で、仕事が忙しいと家事が疎かになる点は自分にも思い当たるところがあり、だから自分はダメなのか、と痛い気持ちにもなった。

  • 久しぶりの角田さん。
    以前読んだ本の内容はすっかり忘れてしまったしまだ若い頃だったので、再挑戦。

    こちらは自信のない大学生が、
    成功者の彼氏に劣等感を持ち続け、
    対等になるべく奮闘する話。

    自分の限界を決めるのは自分自身、
    みたいなところは良かった。

  • 2022.4.8読了
    序盤は和歌の恋人の仙太郎が鼻について読むのが苦痛だった。慣れない場所に連れて行かれて緊張する和歌が自分に重なり、正直見ていられない気持ちになった。その他にも仙太郎の発言が気に障り、和歌はなぜこんなにもいけすかない男とつきあっているのだろうかとイライラしながら読んだ。
    和歌が、実家の蔵で祖母の秘密に出会ってからはとても面白くスムーズに読み進めた。
    多くはない手掛かりで祖母という人を紐解いていき、ようやくその人を和歌が捕まえることができた時、なんだかホッとしてしまった。

  • 様々な場面で強く心を揺さぶられた。最後まで恋人への執着がすごかった。常に意識の根底に恋人の存在があって、主人公はずっと振り回されているけど、だんだん実像ではなく、自分の中の恋人像に振り回されていったような気もした。大切にしていたものと、小さなズレを感じて(いつもの感じじゃない)少しずつ不安になっていくところと、自分の衝動との葛藤が読んでいてとてもどきどきした。
    主人公の執着もすごいけど、恋人のつけ離し方も恐ろしい。安心していた存在から、牙をむかれる感覚が恐ろしかった。「あんな汚い生活してるから」には鳥肌が立った。
    強い淋しさを、静かな怒りで返していたのかもしれないけど、受け入れられないものを傷つける人間にはなりたくないと思った。

    母の「醜女」とまで呼んだ祖母に対する軽蔑のような思いも、執着なように感じた。自分は絶対に母のようにはならない、という思いが読んでいて苦しかった。
    人は受け入れられないことがあると、何かのせいにして、自分を守ろうとするのかもしれない。手放せた方がきっと楽なのに。端から見るとそう思ってしまう。自分の中にも手放せないものたくさんありそう。
    母や恋人に何度も言葉で傷つけられても、”ただしい”と思うのは、打ちのめされすぎて立ち上がれないから?自分を責めることでしか自分を守れなかったのかな。
    怒りは、人の心を守るものなのだと思った。

    書きたい衝動を猛獣と表現しているところが好き。振り回されながらも追いかけずにはいられない。そんな体験してみたい。

    術後のシーンでは何度も心が揺さぶられた。手術して初めて「1人じゃなかった」と感じること、なんとしても賞をとらなければという思い、全てから解放されたのに感じるむなしさ、自分の本音に耳をふさぎたくなる思い。どれも痛いほど伝わってきた。

  • 登場人物は少ないものの、その人物描写たるや圧巻です。

    主人公、和歌、同居人であり彼である仙太郎、和歌の父、母、祖母に至って全ての登場人物が絶えず脳内映像で動いていました。

    大学から会社勤め~そして小説家へと悩みながら決断し、その時々で様々な葛藤があり、心が潰れそうになる時の和歌の気持ちに共感出来ました。

    客観的な意見が欲しい、自分ではどうしようもない そんな経験がある方は大なり小なり和歌の気持ちに寄り添える様な気がします。

    スッキリとして無駄な部分がないのも著者の作品の魅力です

  • 「妄想のなかで生きることと現実を暮らすことは矛盾しない」

    繰り返しの内省と自問自答のなかでもがき、自分の出した結論に更に疑問を投げかけ、妄想と現実のなかで自らの軸としての祖母が自ら選んだ道を歩んだという妄想に現実の希望を見出していく・・・

    複雑ですっきりと入ってくる話ではありませんでしたがじわじわと心に染みるお話でした。

  • これは、非常に重い。なかなか、生々しいお話。しかし同世代の女性に勧めたい一冊。 憧れの恋人を追いかける姿とか、周りが見えなくなる感じとか、彼が大した男ではなかった、と認めるのも辛いし、生きづらいんだな。。 結果、自分は自分、と生きて行く姿はかっこよかった。

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著者プロフィール

1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部文芸科卒業。90年『幸福な遊戯』で「海燕新人文学賞」を受賞し、デビュー。96年『まどろむ夜のUFO』で、「野間文芸新人賞」、2003年『空中庭園』で「婦人公論文芸賞」、05年『対岸の彼女』で「直木賞」、07年『八日目の蝉』で「中央公論文芸賞」、11年『ツリーハウス』で「伊藤整文学賞」、12年『かなたの子』で「泉鏡花文学賞」、『紙の月』で「柴田錬三郎賞」、14年『私のなかの彼女』で「河合隼雄物語賞」、21年『源氏物語』の完全新訳で「読売文学賞」を受賞する。他の著書に、『月と雷』『坂の途中の家』『銀の夜』『タラント』、エッセイ集『世界は終わりそうにない』『月夜の散歩』等がある。

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