出家とその弟子 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
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感想 : 47
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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101059013

作品紹介・あらすじ

恋愛と性欲、それらと宗教との相克の問題についての親鸞とその息子善鸞、弟子の唯円の葛藤を軸に、親鸞の法語集『歎異抄』の教えを戯曲化した宗教文学の名作。本書には、青年がどうしても通らなければならない青春の一時期におけるあるゆる問題が、渾然としたまま率直に示されており、発表後一世紀近くを経た今日でも、その衝撃力は失われず、読む者に熱烈な感動を与え続けている。

感想・レビュー・書評

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  • 名作!の一言、亀井勝一郎氏の解説も素晴らしい。この解説は昭和24年、私の生まれた年である。亀井さんの顔は色々と見た記憶がある。

  • 恋愛と性欲、宗教との相克。
    親鸞と息子の善鸞、弟子の唯円の葛藤を中心に、『歎異抄』の教えを戯曲化した宗教文学の名作です。
    青春の一時期の問題が率直に示されており、発表後一世紀近くを経た今日でも、読む者に熱烈な感動を与えます。
    ずいぶん昔から本書の存在は知っていましたが、なかなか読めませんでした。
    大学生の時に読むのと、今読んだのとでは、読後感はずいぶん違ったんだろうなと思います。
    素晴らしい文学作品です。

  •  かれこれ1年以上中断していた、読書力養成読書、8冊目。これからも普段の読書に織り交ぜて、楽しく続けていきます!

     本作は、小説ではなく戯曲です。タイトルの「出家」というのは親鸞のことで、親鸞と弟子たちとのやり取りが戯曲になっています。

     たくさんいる弟子の中でも、唯円を中心に描かれています。唯円の恋とそれによる苦悩、他の僧たちの反応、さらに親鸞と息子善鸞との関係など、普通にストーリーを楽しめました。親鸞に息子がいたとは知りませんでしたわ。

     これらの会話の中で、悪人正機、他力本願、念仏など、親鸞の教えが語られるわけです。なので、それぞれが具体的にどのような教えなのかがよくわかります。

     親鸞と善鸞との関係が、親鸞の人間らしい部分を浮き上がらせていて、とても良かった。これまでは「親鸞聖人」としてのイメージしかなかったのですが、本書により親近感が持てました。

     唯円が僧たちに語った、恋の歓びに胸打たれました。以下引用しておきます。
    〈私はどうしても恋を悪いものとは思われません。若し悪いものとしたら何故涙と感謝とがその感情にともなうのでしょう。あの人を思う私のこころは真実に充ちています。胸の内を愛が輝き流れています。湯のような喜びが全身を浸します。今こそ生きているのだというような気が致します〉


    追記:本棚登録をしたら、表紙がかわいくてびっくり。今売ってるのはこんな表紙なんですね。いいなぁ。私の手元にあるのは平成13年版なので、なんともシンプルで面白味のない(失礼!)表紙です。

  • オススメ図書
    ●『出家とその弟子』倉田百三
    人間の弱さや悲しみをこれでもかと丁寧に向き合い、描写するその姿勢に救われます。
    立派な人間、良い心を持った人間に憧れ、それに向かって自分を磨こうとするのですが、振り返ってみるとほぼ絶望的なまでに難しい自分がいました。
    人間、虐げられたり疎外される状況になると、心の弱さの方が優ってしまう。
    人間は自力では悪から逃れることはできません。
    悲しいニュースを見るたびに、「人は皆等しく悪人」であることをゆめゆめ忘れてはならないと自戒しています。
    努力精進できることも、そうした環境や出会いさまざまな要因の支えのおかげなのだということを忘れずに感謝を忘れたくないものです。

  • 普段読まないジャンルだけど、母の勧めで読みました。宗教色がもんのすごく強い!ようでいて、まあ結局は宗教すらそんなに関係ない哲学というか、人の優しさ(赦すこと、信じること、愛すること)の真理であるような。これを理想論で片付けていけば今のような世の中になるよね~。この考え方は大事だなと思うけど、母の日々の言動に活かされていると全く思えない不思議、、

  • 2017/03/20

  • 大正時代のベストセラー。
    深い感動と慈愛と受容の心が育まれる書。

  • 親鸞とその弟子の唯円らとの問答のような形式で、脚本のような著書だ。まあ、当たり前なのだろうが、脚本だけあって、本書は外国などでも演じられたようだ。それもそのはずで、親鸞の考えというか、本書における親鸞の応えなどが非常にキリスト教の教えに近しい感じで書かれているからだ。でも、実際は、そうではないだろう。そういうこともあったからだろうか、本書の末尾には哲学者 阿部次郎が注釈というか、解題している。そこでも同様のことを指摘している。確かに、キリスト教と仏教(特に浄土教)は、重要な真理を共有はしている。いっさいを神に帰する他力の信仰、信仰によって救われること、原罪(仏教で言う業)の深さに関する思想は、両者は同じ様な考えだ。しかし、キリスト教の神は造物主で宇宙の万物に対して創造者としての権力と責任とを有するものである。仏教の仏は覚者であって、その本願の力によって救われるものである。キリスト教の天国は神の主宰する唯一の祝福の国である。弥陀の浄土は諸仏の浄土の一つであって、その本願を信ずるものを摂取するところである。キリスト教の天国の生活はわれらの究極の理想郷であって、弥陀の浄土はそこに往生して涅槃を証せんとするもの、煩悩を取り払うことが出来てその国に生まれることを期するものである。キリスト教にあっては天国に行ける者の運命は永遠である。仏教においては、われらはついに浄土にいけるまでは永遠に輪廻する修行者である。これら種々のことにおいては両者は相違する。しかし、本書は、非常にキリスト教に近いこたえを親鸞が発しているので、少々とまどう人もいるだろう。そのことを踏まえたうえで、戯曲として本書を楽しむのがよい。

  • 京都の西本願寺で坊さんの話を聞く機会があり、そこで親鸞に興味を持ったので、本書を読んでみた。読みやすいしストーリーもおもしろかった。青年の悩みどうこうよりも、親鸞のセリフに説得力があって終始引きつけられた。唯円を責める僧侶たちをなだめるシーンも良かったし、唯円に言い聞かせるシーンもさらに良かった。一貫性のある魅力的な教えだと思う。「みな助かっているのじゃ」
     
    前半に「淋しい」がキーワードとして多用されてたけど後半ぱったり無くなってしまったのはもったいなかった。

  • 親鸞の『歎異抄』の教えを戯曲化したもの。ということになっているが、キリスト教の影響を感じる解釈になっている。とはいえ、本格的に入ってきた西洋のいいところと、真宗のいいところを橋渡ししていて西洋的な概念に慣れ親しむ現代日本人にはむしろいいように思う。多くのことが語られていていろいろと考えさせられる素晴らしい作品。

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著者プロフィール

1891年広島県生まれ。旧制第一高等学校を病気のため中退。大正期の人道主義的文学を代表する。1943年没。著書に『出家とその弟子』『愛と認識との出発』『絶対的生活』など多数。

「2018年 『新版  法然と親鸞の信仰』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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