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本 ・本 (608ページ) / ISBN・EAN: 9784101060095
感想・レビュー・書評
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逆境におかれながらも経済的、精神的に自立した人間になろうと、ひたむきに努力する吾一少年の姿に心が震えた。
自分はいかにして生きるかという本質的な問いに対する答え、戦略を持つことの大切さを改めて感じた。
すごく面白かったけど、検閲の網に引っかかって未完なのが残念。 -
『路傍の石』を六十余年ぶりに読み返して
――昭和生まれの私が今、吾一から学んだこと――
1. あの赤い背表紙の記憶
小学校5年生──読書嫌いの私が、学校図書館でひときわ目立つ赤いハードカバーに手を伸ばしました。それが山本有三『路傍の石』との最初の出会い。母が内職をしていたちゃぶ台の隣でページをめくった記憶だけが残り、物語の中身はほとんど忘れていました。
「読んだけれど、何も感じていなかった」
そんな“読書の原点”を確かめたくて、60代最後の今あらためて本を開きました。
2. “未完”だからこそ響くリアル
『路傍の石』は1937年に新聞連載が始まり、検閲や戦争の影響で未完のまま筆が折られた作品です。物語の途中で終わるという“欠落”が、かえって吾一の未来を想像させ、読み手の心に余白を残します。
私も昭和30年代──高度成長の入口で“何でも作れば売れた”時代──に育ちました。戦時下を生きた吾一とは時代背景が違うのに、**「何度蹴られても、転がるたびに磨かれて光る石」**というメタファーが、自分の半世紀を重ね合わせて妙にリアルに感じられたのです。
3. 次野先生の痛烈な一喝
「学校ってところは、忘れることを詰め込む商売なんだろう」
教科書にない話をしただけでクビになった次野先生。昭和初期のセリフが、今の教育への違和感をズバリ言い当てているのに驚きました。
10歳までの基礎教養を身につけたら、
あとは**“学びたいときに学べる場”**へ自由にアクセスする。
YouTubeや電子書籍があふれる現代でこそ可能な学び方なのに、私たちは依然として“忘れるための詰め込み”を続けていないか──先生の言葉が60年越しに胸に刺さります。
4. 「働く」とは何かを問い直す
作中では、今では消えてしまった職業や徒弟制度がリアルに描かれます。
手に職を付けること=生き延びる手段だった時代
学校よりも**現場で学ぶ“労働の学校”**が当たり前だった文化
昭和の高度成長を経て、ホワイトカラー至上主義が定着した今こそ、吾一のように「働きながら学ぶ」スタイルを見直す価値があると痛感しました。
5. 60代の今、吾一に教わったこと
学びへの飢えこそ最大の幸せ
未完で終わる人生も、道半ばの輝きがある
“石”は蹴られ続けても磨かれる──転んでもただでは起きない図太さ
6. おわりに──読者への invitation
もし昔に挫折した本が本棚で眠っているなら、ぜひもう一度開いてみてください。年を経た今のあなたにだけ聞こえる**“行間の声”**が潜んでいるはずです。『路傍の石』はその好例──かつて私が途中で閉じたページの先に、こんな豊かな学びと気づきが待っていました。 -
八十年前以上に書かれた小説らしがらぬ感情がハラハラするストーリーだった。妙にこのえがかれた境遇と取り組み方が、私の仕事に対する向かい方を刺激した。時代は変われど心のモチベーション意識には普遍なんだろう。不合理であり弱者はずーっと弱者みたいな、そんな境遇を己の力と努力で脱したい。
また、血の繋がりあるだけで全ての過去を許してしまう状況も共鳴してしまう。大変面白く読むことができた。 -
一気に読んだ。ここで終わんの!!!て感じ。
今でも十分やのに速記を覚えたり、手を繋ぎ合わないとという話を自分なりに解釈して味方にしたり、素直さと貪欲さに痺れた。
少年が頑張る話、いつまでも好きやわ… -
働かないで家にも滅多に帰ってこず、吾一の貯めたわずかばかりの貯金さえ使い込んでしまうような父。生活のために内職をして体をこわし早くに亡くなってしまう母。吾一は奉公先を飛び出し東京で一人なんとか生きていく。子供ながらにその強さには感心する。次野先生の「吾一」とは「われひとり」この世にたった一人の大切な存在なのだと言うことばを胸にひたすらに努力して自力で学校にも通い、勉強を重ねる。だが再び父親に独立しようと貯めておいたお金を使い込まれる。彼は何度も何度も蹴られる路傍の石であった。
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本の内容はあえて省く。この本の書かれた時代が偶然にせよ、完結にまでいたらせなかったことが非常に残念ではある。主人公が厳しい境遇にありながらたくましく生きていくことは素晴らしいことであるが、自分の乏しい経験からするともはや時代遅れと感じている。
20年以上も前になるが、自分がいた会社で統括部長がその年にが新入社員に訓示したことは「石の上にも三年という言葉があるが、今はそんなことはない」というものであった。去る者はとっととされ、自分のやり方についてくるものだけついてこい、と自分は理解したが当時会社の中でもプロジェクトがあまり思わしくない状況であり、目の前は誰が見ても泥船でありそれを立て直すことに運命づけられた新人ははっきりいってハズレくじを引いたとしかいいようがない。
話がズレて申し訳ないが、少子化の時代でこの本を読むことは自らの幸せを感じることになることに一見みえるが、成人のそのあとはとても明るいものとは思えない。作者はこのような時代になるとはとても想像しなかったろう。 -
吾一が今後どうなるのか続きが気になる。
昔読んだことがあり、読み返すつもりが違う本と勘違いしていたのかもしれなかった本。
運命に翻弄される不遇の少年の話と思って読み始めた。
ところが、吾一は、思っていたよりも、強い上昇志向(倍働いて出世する、色恋よりも仕事を優先)と未来を掴み取ろうとする意志の強さを持っており、実際は、不遇の運命に挑戦し続ける話であった。
一方で、無理して仕事をしても健康な吾一に対して、あっさり亡くなってしまった人間や、必死に吾一が身につけたスキルが変な方向に利用されるなど、頑張れば報われる話ではない。
まさしく人生など自分など路傍の石でないか、なんのために生きているのかと考えさせられる。
“いかに生きるでなく、いかにして生きるか、、のほうがおれたちのようなものにはもっと問題ではないのか。”
平成の終わりまできても未だに、後者のレベルで人類は生きている気がする。どうやって食べてくかでなく、どんな人生をどんな風に生きたいかをちゃんと答えられるようにならないとなと思う。 -
主人公の吾一と同年代である若いときに読むのもいいけれど、大人になって改めて読んだらまた、大人の登場人物の心情や日露戦争前後の社会の空気など、いろいろ違うものが見えて面白かった。
山本有三の作品





