浮雲 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
3.52
  • (22)
  • (38)
  • (57)
  • (9)
  • (3)
本棚登録 : 528
感想 : 51
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (480ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101061030

作品紹介・あらすじ

第二次大戦下、義弟との不倫な関係を逃れ仏印に渡ったゆき子は、農林研究所員富岡と出会う。一見冷酷な富岡は女を引きつける男だった。本国の戦況をよそに豊かな南国で共有した時間は、二人にとって生涯忘れえぬ蜜の味であった。そして終戦。焦土と化した東京の非情な現実に弄ばれ、ボロ布のように疲れ果てた男と女は、ついに雨の屋久島に行き着く。放浪の作家林芙美子の代表作。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 「浮雲」林芙美子著、新潮文庫、1953.04.05
    382p ¥520 C0193 (2023.09.03読了)(2008.09.15購入)(1994.05.30/71刷)(1968.06.30/30刷改版)
    幸田ゆき子と富岡兼吾の恋物語です。こんな恋愛小説は読みたくないですね。男と女の恋というのは、理屈では、どうにもならないものなんでしょうね。理性的には、こんなのやってれないです。まあ、恋愛したことのない人間のたわごとかもしれません。
    恋愛ものが好きな方は、一度読んでみるのもいいかもしれません。

    【目次】(なし)
    一~六十七
    解説  古谷綱武

    ☆関連図書(既読)
    「放浪記」林芙美子著、新潮文庫、1947.09.25
    「林芙美子『放浪記』」柚木麻子著、NHK出版、2023.07.01
    (アマゾンより)
    外地から引き揚げてきたゆき子は、食べるためには街の女になるしかなかった。
    恋に破れ、ボロ布の如く捨てられ死んだ女の哀しみ……。
    第二次大戦下、義弟との不倫な関係を逃れ仏印に渡ったゆき子は、農林研究所員富岡と出会う。一見冷酷な富岡は女を引きつける男だった。本国の戦況をよそに豊かな南国で共有した時間は、二人にとって生涯忘れえぬ蜜の味であった。そして終戦。焦土と化した東京の非情な現実に弄ばれ、ボロ布のように疲れ果てた男と女は、ついに雨の屋久島に行き着く。放浪の作家林芙美子の代表作。

  • 林芙美子の『放浪記』を読んだ後に、『浮雲』も読んでみたいなぁと、ずっと思っていた。
    どんな内容なのかしら?.....と、先ずは本を手に取りタイトルの“浮雲”に注目し、自分がはるか遠い昔に見た実際の浮雲の印象の記憶を手繰り寄せる。

    大きな青い空に頼りなさそうに浮かんでいる雲。
    よくもまぁ、広い空間に何の支えもなく浮かんでいられるものだと見つめていた。

    見つめているうちに私はなんだか哀しくなってしまい、その儚い雲が、あっけなく終わる人の一生に重ねていたのだった。

    この物語の男女は不倫している。
    ほんとうに仕様がないふたりで、別れたり浮気したりと、まわりの人達をも不幸の踏み台にして罪作りだ。
    結局は、愛しているのかわかんない感じで、寄り戻してと腐れ縁なんでしょう。
    落ちに落ちて呆れてしまう。

    けれども自分は、まっとうに生きているからって、彼らを笑ってはいけないんじゃないかと思う。
    人は誰しも浮雲のようにさすらっているんだから。

    あの日に見た浮雲の印象は、読んだ後も変わらない。

  •  1949(昭和24)年から作者48歳で死没の1951(昭和26)年まで雑誌に掲載された長編小説。
     そういえば林芙美子作品は、今まで読んでなかったらしい。近代文学の有名作はだいたい読んできたのだったが、外国小説の翻訳物の方が得意分野で、日本の近代文学ではまだ読んでない有名作品がいくつもある。特に女性の手になる小説は、そう言えば何故かあまり読んで来なかった。女性の書くもの→少女マンガ→女が読むもの。という文化のジェンダー分割が子どもの頃から植え付けられていたので、無意識に、小説一般ですら、女性の小説をなんとなく積極的にはあまり読まないという習性になったのかもしれない(その割には、アガサ・クリスティーあたりはよく読んだ)。
     林芙美子読もう!と思ったのは、最近お気に入りの現代作家・桐野夏生さんが『ナニカアル』という小説で林芙美子の人生をフィクション化して扱っているので、それを読む前に、ちゃんと林芙美子を読んでおかなくては。と、考えたからである。桐野夏生さんは林芙美子『浮雲』について、「女性の心理を最もよく書けた小説」と、確か発言されていた。
     この『浮雲』はたぶん、林芙美子の晩年の代表作の一つと思われるが、読み始めてみると、非常に読みにくいと感じ戸惑った。読点が非常に多く、しかも妙なところに付いていて、そのリズムにどうしても乗れない。この時代の小説でこんなに読みにくいと感じたものはあまり無かった。
     苦労しながら読み進め、100ページ目付近からようやく慣れ、物語の進展にやがて夢中になって、その後は円滑に読み切ることが出来た。
     この小説は三人称体で書かれていて、最初の方は若い女主人公の「ゆき子」の視点でずっと進んで行くのに、40ページ目あたりで登場人物が3人になった時、突然別の男性の視点に切り替わるところがあって驚いた。しかも、切り替わったと思ったら数行でまた別の人物の視点に変わり、更にまたゆき子の視点に戻ったりして、あまりにも唐突な転調(私の作曲ではわざとよくやるのだが)のようで目眩がし、当惑した。基本的な小説作法としてはあまり推奨されない書き方で、漱石の『明暗』では確かもっとスムーズに・巧みに視点切り替えをやっていた筈だ。
     そこは減点対象ではあるものの、しかし、人間心理がとてもよく書けており、素晴らしかった。
     少女マンガを読むと、男性が妙に理想化されていたりして違和感を感じるが、それは男性が描くマンガに登場する少女が変に都合の良い、妄想が生んだイメージでしかなかったりするのと同様のことだろう。が、本作では男性心理が極めてリアルに・適切に捉えられている。
     ゆき子の恋愛対象である富岡は、まったくしょうもない男で、バンジャマン・コンスタンの『アドルフ』と同様、エゴイスティックで、一度手に入れた女性にはすぐ冷淡になり、ワガママ・無責任で、別の女性に欲望の赴くままに手を出したりを繰り返す、単細胞な発情アニマルである。敗戦後の日本でなかなか定職に就けず経済的にも完全に失敗しており、自分の人生もロクに切り開けずに、怠惰にぼんやりと生きている。
     だがそんな甲斐性の無い男の心を、とげとげしく批判的に描くのではなく、女性の心理と同等に、冷静に描写していることが素晴らしい。
     女心と男心をリアルに描写し切れていることが本作の大きな魅力であるが、「やぶれた国」での悲惨な、混沌とした生の有様が描かれていることも実に興味深い。ただちに新たな事業を開始し、その後の急速な経済的発展の端緒についた者もあったであろう反面、どうしていいか分からずに混迷し、極貧の苦しみを生き続けたこのような男女が無数にいたのであろう。実際にとても貧しかったらしい青春を送った林芙美子の生活実感がにじみ出ていて、痛切なものを感じさせる。
     ということで、これは実に優れた近代文学の名作であった。あと、『放浪記』の方も読んでから、桐野夏生さんの『ナニカアル』を読みたいと思っている。

  • 吹っ切れない女と、
    自制できない男。

    「逃げてゆこうといている男の心を、
    こうした事で、時々見はぐれたのだとゆき子は
    自分自身にもはっきりと言い聞かせるつもりで
    富岡との思い出ばかりに引きづられていてはならないと思った」

    いつの世にも、「惚れちまったものはどうしようもない」と
    いうことはあるのだと。
    しかも、戦争、戦後の混乱の中で、心は大いに揺さぶられ
    時代も大きなうねりで人を呑み込み、移り変わってゆく。

    大きな波にのまれて、刹那的に生きてしまう
    弱い男と、どんなことがあろうと「好きだ」という
    気持ちにまっすぐに男に手を差し伸べてしまう女。

    こう書くと、ありがちな話にも思えるのだけれど
    それをぐいぐいと引き込まれるように読ませてしまうのが
    林芙美子の筆力だなぁ。と。

    広い空に浮雲を見つけたら、この小説のことを
    思い出すのだろう。

  • 二葉亭四迷の浮雲と間違えて読み始めたやつ。戦後の混乱期と戦中の東南アジア駐在期を対比させながら、ダメダメになっていく男女の悲哀を描いた。男も女も徹底的にダメダメすぎて全く感情移入できなかったが、かつてはこういう人たちも多かったのだろうと思う。

  • 仏印に渡ったゆき子が出会った富岡と日本に戻っても別れきれずにくっついたり離れたりする。いつの時代でもこういことあるんだな。帰ってきてからの二人のやる気のなさがw
    蒲団や時計を売って四五日の生活出来るくらいにはなるんだなと当時の物価に興味が沸いた。百円札とかどれくらいなのかな。←自分で調べろw
    後半の屋久島あたりからはずっと富岡視点で進んでいったので、わたしは最後まで同性のゆき子の声が聞きたいと思った。

  • タイトルが素晴らしい。人が生きるということは、浮雲のようなのだ。流れ流れて、どこへ行き着くでもなく、徐々に体を散らせて行く。

    ゆき子は富岡という浮雲に乗ってしまったばっかりに、自らも漂う運命になってしまった。富岡の流れるところへ、ゆき子も自然と流れて行く。富岡はそんなゆき子をうっとおしく思うが、自分が乗せたゆき子だけに、離れることは出来ない。邦子やおせいは浮雲の流れる早さについていけず死んでしまい、最後までしがみついていたゆき子も力尽きて死んでしまった。

    ゆき子までも失った富岡はきっと、これからも流れていくのだろう。だって浮雲なんだから。

  • 終戦までフランス領インドシナで過ごした恋人との1年の思い出にすがって生きるゆき子と、恋人だった女に絡めとられてさまよう富丘。女は生きるためなら愛人でも宗教でもなんでもやる。男もその場だけの感情と成り行きで女と関係して不安な気持ちをまぎらわせる。愛だの恋だの言ってる場合じゃないけれど、それでも愛が欲しい女。男はそれが鬱陶しいけれど、かといって一人で進めるほど強くないから、結局は女に絡め取られる。
    二人に共通するのは、インドシナの高原の美しい思い出と、圧倒的な飢えである。だからといって、お互いを欲しているのかといえばそういうわけでもなく・・・二人にもそれがわかっているのに、関係は続くばかり。読んでて空しくなる。

    日本人にとって戦後は、新しい希望に燃えた出発ではなくて、終戦における物質的にも精神的にも大きな損失から始まる道程だったのかなと思う。自分以外に頼れるものがない、孤独な二人には、この時代の多くの人が共感したのかもしれない。

    ゆき子は最後に死んでしまうけど、人生にしぶとく勝ったのは、生き残った富岡じゃなくてゆき子かな、と思う。富岡は、結局は中身のない、雲のような男なのだ。成り行き任せで女に手を出し、財産も失い、それでも死ねずに放浪を続ける。そんな男を追いかけてたゆき子は、富岡じゃなくて美しい思い出を追いかけてただけだのかもしれない。それでも、何か求める気持ちがある女、「私、飢えてるのよ!!」と叫ぶ女は、ただ漂ってる男よりは強いように見える。

  • 後半,敗北者の惨めさと図太さが読む気を削いでくるのだが,そこに味わいを求めることも可能か。

  • すごく暗くて何が面白いのかよくわからない不倫の話。戦時中の日本がインドシナで逞しく生きていたことは凄いなと思った。今あのように現地化した日本人はいないだろう。フランス人はもっと現地化していたが。

全51件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

1903(明治36)年生まれ、1951(昭和26)年6月28日没。
詩集『蒼馬を見たり』(南宋書院、1929年)、『放浪記』『続放浪記』(改造社、1930年)など、生前の単行本170冊。

「2021年 『新選 林芙美子童話集 第3巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

林芙美子の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×