- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101063010
感想・レビュー・書評
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ブックオフで見つけて、芥川賞受賞作なので買ってみた。
読み終えて、なぜタイトルが『猟銃』なのか疑問に思った。
三杉が手紙の最後に書き添えたことの意味を考えると、
このタイトルの意味もなんとなく分かってきた。
すると、やはり彼は全てを知っていたのだろう、
どちらの蛇の正体も知っていたのだろう、と思った。
『闘牛』については、津上の孤独の影が強すぎて、
私は惹きつけられると言うより恐いと感じた。
三浦に対して感じてしまう敵意は星廻りのせいだと言い切っていたのが、
どうも納得できなかった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
2018.05.30
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三篇の中篇。
一人の男の不倫の模様を妻、愛人、愛人の娘の三通の手紙から浮き彫りにする「猟銃」。
社運を賭して闘牛大会を開こうとする新聞記者を描いた「闘牛」。
老学者の回顧を比良の風景に置いた「比良のシャクナゲ」。
3作品の主人公たちに共通する性質はなにかに夢中になれない男の哀れさだ。
「猟銃」」では、三人の女の手紙から浮かび上がる男の姿はなにかに堕っしきれない者の悲哀だ。妻からの手紙はやや通俗で興味本位な筆致だが、男の本質を衝いている。
「闘牛」の主人公は自覚している。社運を賭した闘牛大会が失敗しようが成功しようがどうでもいい。彼の周りで狂騒する者たちを横目に、何かに夢中になれるものを探している。だが、どれだけ求めても探してもそんなものにたどり着けないこともわかっている。そこに悲哀が滲む。
「比良のシャクナゲ」では俗物老学者の一生が描かれる。家族を犠牲にして研究に打ち込む研究者だが、自分の研究が忘れ去れるのではないかという不安と誰かに評価して欲しいという欲がある。ここで老学者の人生は破綻している。が、それに気付いていない。比良の風景との対比が彼の俗物性を際立たせている。
無我夢中。忘我。過去にも先に囚われず、目の前のことに没入できる境地。男が夢中になれるのは危機と遊びと開高健が言い残していたが、危機も遊びもないなかで一瞬の生の充実を味わうのはこの3人の男には難しい。 -
「闘牛」の題材になった定期興業は口蹄疫で約60年ぶりに中止に。代わりに読みました。それぞれの話で、みな孤独そうなのが良い。
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金持ちの孤独ってのが多いですね。何か思いいれでもあるんだろうか。それはともかく、どうしてこうも書簡形式の小説ってのは心ときめくんでしょう(猟銃)
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ちょっと変わった世界観。登場する女の人がどの人も魅力的。