- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101063119
感想・レビュー・書評
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なぜ今これを読もうと思ったのかわからないが、心惹かれて読む。遣唐使、鑑真、唐招提寺…教科書では数行の説明で済まされることだけど、それに載ってない人々の想いがすごいことだなーと。今と距離感の全く異なる異国の地にそもそも往来することが奇跡的なことだしそこで何かをなすことの過酷さ。第1章で脱落しそうになったが、第2章からはサラサラ読めた。唐招提寺に行かねばと思った。
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名作と言われるだけあって、人間の生き方の本質を考えさせる作品。史実だけをなぞってしまうと、大変な苦労をして留学僧が鑒真和尚を、日本仏教興隆の為に、渡日させることに成功しました。ということになるのだろうが、作者は、そこに、其々の留学僧の生き方考え方を、豊かな想像力で生き生きと描くとこにより、今でも通じる人間としてのあり方を問いかけている。
自分がどのタイプの留学僧に当たるのか考えると、登場する主要5人の中の誰かに、多くの人は当てはまるのではないだろうか。私は戒融、業行とはかなりタイプが違う。流させれやすいという点では、普照かな。 -
唐に留学した日本僧侶たちと渡日を果たす鑑真の姿を描いた内容。
日本史の教科書で目にした「遣唐使」が苛酷な事業だとは思いもしなかった。考えればあたりまえだが航海技術が発達していないし飛行機などない時代。海を渡ることは命懸けだった。唐に行くということは生きて故郷に帰れないかもしれない覚悟を必要とした。仏教を日本に伝える使命感だけで成し遂げられる仕事ではなかっただろう。大変なことだった。
唐に留学した僧侶たちのその後はそれぞれ異なる。放浪する者。唐で暮らすうち結婚し妻子を設ける者。ひたすら経典を模写する者。挫折し、志を果たせなかった者たちの生きる姿がそれぞれの個性を映し出している。
そして対比するかのように描かれる僧・鑑真。静かな佇まいに宿る不屈の精神。日本に渡ることをあっさり決めたが、海賊や嵐や役人の妨害にあって五度も渡日に失敗。それでも初志を曲げず渡来。この強固な意志はどこから来るのか。小説を読んでも見えてこない。
が、仏教を日本に伝える使命感があったのだろう。でもひょっとして’海の向こうにはなにがあるのか‘というロマンも鑑真を支えていたのではないかと読後に思った。 -
我が国の元祖国費留学生達の使命感と壮絶な人生に圧倒された。若い人、特にこれから留学する人達には是非読んでほしい。
それにしても、鑑真和上の不屈の意志にはただただ頭が下がる。歴史の教科書でサラッと語られている苦難の渡日がこれほどのものだったとは。「偉人の偉さ」を改めて感じることができる良著です。 -
本書は8世紀の奈良時代に第九次遣唐使として留学する4人の日本人僧侶を中心にして、後半は6度にもわたる挑戦で訪日をはたす鑑真の物語です。当時の日本人にとっては海外に行くことは命がけで、しかも船はそんなに頻繁に出ていない。無事に唐に渡れても帰ることができるのは何十年後の可能性もあって、帰りも無事に帰れる保証はない。そんな中当時の日本人の中でも外国文化を日本に持ち帰る重要な役割を果たしていたのが僧侶でした。
本書の中では唐に渡る4人の日本人留学僧と、唐で写経をひたすら続けている業行という5人の日本人僧侶が中心になりますが、それぞれの性格が違っていて、自分だったら誰のタイプになるかなと考えさせられました。もちろん訪日を果たした鑑真和上の偉大さはわかるのですが、個人的には無名の日本人留学僧が積み上げてきたもの、あるいは無念となったものが歴史となって日本を形作ってきたと思います。本書は用語が難解なところもかなりありますが、無意識のうちに自分を留学僧の誰かに重ね合わせながら、自分自身が8世紀の奈良および唐にいるような気分になりました。 -
井上靖(1907~91年)氏は、北海道旭川町(現・旭川市)生まれ、京都帝大文学部哲学科卒の、戦後日本を代表する作家。1950年に『闘牛』で芥川賞を受賞し、社会小説から歴史小説、自伝的小説、風刺小説、心理小説・私小説など、幅広い作品を執筆した。日本芸術院賞、野間文芸賞、菊池寛賞、朝日賞等を受賞。文化勲章受章。
私は基本的に新書や(単行本・文庫でも)ノンフィクションものを好むのだが、最近は新古書店で目にした有名小説を読むことが増え、本書もその中の一冊である。
本作品は、名僧・鑒眞(鑑真)の来朝という、日本古代文化史上の大きな事実の裏に躍った、天平留学僧たちの運命を描いた歴史小説で、1957年に刊行、1964年に文庫化された。また、1980年には、日中国交正常化後初の中国ロケによる映画として公開され話題を呼んだ。
読み終えてまず感じたのは、人間の歴史というのは、無名とも言える人間の(一人ひとりの意志を超えた)無数の捨て石の上に築かれているものだということであった。
本書には、主に、天平5年(733年)の第9次遣唐船で大陸に渡った留学僧4人(普照、栄叡、玄朗、戒融)と、その前から入唐していた業行の、5人の運命が描かれているのだが、彼らの中には、同じ頃に唐に渡った阿倍仲麻呂、吉備真備、僧・玄昉のような文名・学才・政治的才幹を史上に留めた者はいない。
栄叡は、自分ひとりが勉強することは無駄だと考え、鑑真を招くことを自らに課しながら、志半ばで病死し、業行は、同様に自分ひとりが勉強することの限界を感じ、日本へ持ち帰るための経文の書写をひたすら行い、帰朝の船に乗るものの、遭難してしまう。また、玄朗は、還俗して唐の女と結婚し、子供を得、帰国を夢見ながらも、唐土に落ち着く決断をし、戒融は、唐土を知るために出奔して托鉢僧となりながら、最後に日本へ帰ることを試みる。そして、主人公の普照は、栄叡の熱意に引きずられながらも、鑑真を招くことに力を注ぎ、結局、20年後に鑑真を伴って日本に帰ることに、ただ一人成功するのである。
当時の航海は困難を伴うもので、多くの留学僧は、自分たちが吸収したものを日本に持って帰れるのか、日本の国土に生かすことができるのかすらわからない中で、それぞれの道を見つけ、その運命を貫いて一筋に生き、そして、悠久の歴史の流れに消え去ったのだ。
翻って、1,300年を経た現代に生きる我々にとっても、人の一生とは大きく異なるものではないのだろう。無名の人間が毎日を一生懸命に生きる、その上に歴史は築かれていくのだということを教えてくれるような、歴史小説の力作である。
(2023年3月了) -
読みにくかったなぁ。
言葉使いの難しさ、人名の読みにくさ。
文学というより記録文ではないかと思うようなデータの記述。
もう途中で投げ出そうかと一度だけ思った。
不思議なことに一度きりで、そのあとは読みにくいと感じながらも話が普照と鑑真の日本渡来に絞られてくると、多くの身内からさえも白眼視されるその目的を果たすための彼らの命がけの熱意が私にページをめくらせてくれました。
そうか、鑑真が日本に渡って仏教の何たるかを教えたからこそ日本における仏教が本物のものになったのか。
小学校で習ったかなあ?
視力を失った鑑真和上像の写真が思い出されるだけだ。 -
業行が印象的だった。怖いほどの執念が年々滲み出て、でも結局彼の意志が成し遂げられなかったのが、足元が崩れていくようで怖かった。
普照は渡唐に際して確固たる目的がないように見えたけど、その時その時にとるべき最善を尽くして、結局最後は運も味方して元々の任務だった戒律師を日本に連れ帰ることを果たしたし、日本に帰ってからのモノの感じ方考え方がいいなと思った -
受戒は資格のある僧が行う必要がある。そのために奈良時代の日本は唐から鑑真を招いた。鑑真は苦労に苦労を重ねて日本に辿り着いた。日本への渡航の許可が下りなかったため、無許可で日本に行こうとしたが、計画が漏れて失敗する。出港しても船が遭難することを繰り返した。