風濤 (新潮文庫 い-7-17 新潮文庫)

  • 新潮社 (1967年3月22日発売)
3.50
  • (6)
  • (18)
  • (25)
  • (2)
  • (1)
本棚登録 : 259
感想 : 22
サイトに貼り付ける

本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています

本 ・本 (352ページ) / ISBN・EAN: 9784101063171

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  •  本作は発表当時も、またその後の読者にとっても、極めて読み辛く、評価が困難な作品であったと思われる。
       文学賞こそ受賞しているが、同時代の評価としては  ぐらいである。
     理由としては簡単で小説の結構をとっていない。漢文の書き下し文が現代語訳なしで、そのまま挿入される。200箇所弱に及ぶ編注がつくほど、説明なしに当時のモンゴル語、高麗語の言葉が使用される。これはいったいどういうことか?

     元寇に至るまでを高麗の立場で描く。朝鮮半島の人々に課せられた元による様々な苛斂誅求を辛くもくぐり抜けるが、言うまでもなく2回に及ぶ日本征討は失敗に帰し、高麗の全土は荒野と成り果てる。ここには何も希望も幸福も、肯定的なものは何もない。
     強いて言えば高麗の人々の、逃れることが絶対に不可能な状況での不撓不屈の精神とその行動力である。 
     さらに言えばここには一貫した主人公や中心人物はいない。高麗王は元宗から忠烈王に引き継がれ、その宰相は李蔵用から金  へと引き継がれるが、小説的な意味での主人公とは言い難い。敢えて、そのような人物を探すとすれば、篠田一士もいうように、元皇帝たるフビライ汗ということになるが、彼の人間像は人間的であることを拒否した形で現れている。その意味では、ここにある主人公は歴史そのものとでも言うべきものだ。井上靖はそれを、恐らく相当意識して書いていると思われる。
    煩瑣と思われる元――高麗間の交換文書などが漢文の書き下し文が挿入される。多くの読者はそこを読み飛ばすか、あるいはそのゆえに読書を中途で止めてしまうであろうが、恐らく編集者から同様の指摘を受けたであろうが、井上としては、そこは引き下がれない店だったと思われる。歴史そのものに可能な限り推参するという意味で、是非とも、これらの歴史文書を味読されたい、という作家の意志の表れであろう。
     井上には鴎外の舞姫の現代語訳があるが、何ゆえに、鴎外だろうか、と訝しんだが、鴎外が晩年に至る過程で小説、つまりは作り話から、史伝へと沈潜していったことが井上の意識にはあったのだろう。
     これは、ほぼ前作に当たる『蒼き狼』の存在があると思われる。
     大岡昇平は蒼き狼をして歴史小説に非ずと断じた。要は歴史小説を名乗るのであれば、史料に基づき、史料を改変するなかれ、ということに尽きる。その意味では、そもそも井上靖の書く、いわゆる「歴史小説」なるものは、その大半が歴史小説とは言い難い、単なる時代小説、ということになる。何となれば、そのほとんどが小説的空想力で構成されたものだからだ。
     井上には井上の歴史小説についての一家言があるだろう。しかしながら、井上靖の書く小説に歴史小説や時代小説の区別が真の意味であるだろうか? あるいはそれらと現代小説と境目はあるだろうか? 
     以前、私は、『淀どの日記』をして、現代小説と見なすべきではないのか、と述べたが、それもおかしいかもしれぬ。井上はただ単に小説を書こうとしていただけなのだ。
     とすれば、本作『風濤』は、大岡の批判を受けて、そんなものは幾らでも書ける、これがそうだ、としたのであろうか? 
     これ以降、同種の方法論を、とった作品は見られない。強いて言えば、『おろしあ゙国酔夢譚』がそれだが、時代の差もあってか、『風濤』ほど徹底されていない。
     結局のところ、小説家は必ずしも、その文学的信念に従って作品を、書いているわけではなくて、読者に受け入れられるようなものでないと意味がない、と井上は十分過ぎるほど理解していたに違いない。 
     江藤淳




    とても面白かった。

  • 1970年代の旧字体が多く、書き下し文も散見し、非常に読みにくいにも拘わらず、読んだ瞬間に13世紀の朝鮮半島に投げ出された気分になった。砂煙の、人々の汗の、涙の、その当時の空気の香りさえ漂ってくる絶品の文章。余分な感情表現や心情表現を極力排して、淡々と歴史を辿るように事実が描かれて進んでいく世界にどんどん引き込まれていきました。細やかな表現の一つ一つが美しい。

  • 金大生のための読書案内で展示していた図書です。
    ▼先生の推薦文はこちら
    https://library.kanazawa-u.ac.jp/?page_id=18417

    ▼金沢大学附属図書館の所蔵情報
    http://www1.lib.kanazawa-u.ac.jp/recordID/catalog.bib/BB13117952

  • 二度にわたる元寇を日本の目でなく途中経路にある高麗から見る。武力により属国となった高麗では王や首脳が無理難題の要求に何年も苦しみを味わう。世界史的にも島嶼の地域を無理して征服する意味は不可解だが、いわゆる中華思想のなせる技か。2021.3.24

  • 読みづらいので断念

  • 元の世祖フビライが日本への侵攻を試みた元寇(文永・弘安の役)を、その中継地となった朝鮮半島・高麗の視点で描いた歴史小説。強大な軍事国家に隣接する弱小国の悲哀がリアルに描き出されている。

    高麗の王、元宗、中烈王やその忠臣、李蔵用や金方慶は、無慈悲な皇帝フビライから次々に出される無理難題に抗えず、国が疲弊していく。

    こういう悲惨な歴史体験って、民族のDNAの中に刷り込まれてしまうものなのかな?

    本書、漢文調の資料の引用が多いこともあって、とにかく読みにくい。また、盛り上がりのない淡々とした(かつ救いのない悲惨な)ストーリー展開ということもあって、星二つ。

  • 「島国根性」なんて言葉がある以上、「半島」にもそれに類する言葉が生成されがちな事情はあるとは思ってたけれど、隣の大国の理不尽さにヒドい目にあい続けたらそりゃ「恨」が醸成されるよな。唐辛子が持ち込まれる前の話。

  • 日本の目から見たら侵略者であり、暴風により2度にわたり奇跡的に防衛された元寇ですが、それを当事者であった高麗の国から描いた作品です。
    元の圧制に対する高麗の硬軟あわせた数々の外交戦が主体に語られます。その中でフビライや側近の洪茶丘、高麗国王・玄宗、宰相・李蔵用など多くの人物が登場します。しかし、誰かを主人公に立てた物語と言うよりも、史実に沿って俯瞰的に描いた作品です。かといって史書と言うわけではなくて、血が通っていると言うか、物語でもあります。そのあたりのバランスが絶妙です。

  •  流し読み。同じ(こちらは朝鮮の歴史)中国歴史時代小説の大家、陳舜臣にも言えるんだけど、歴史資料を日本語訳で読ませるような小説って楽しめるのかな、それってあくまで資料であって小説じゃないよね。正直おもろなぃ。

  • 元寇における高麗の悪戦苦闘と悲惨を描いた傑作。いや、タタールのくびきの恐ろしさよ。

全22件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

井上 靖 (1907~1991)
北海道旭川生まれ。京都帝国大学を卒業後、大阪毎日新聞社に入社。1949(昭和24)年、小説『闘牛』で第22回芥川賞受賞、文壇へは1950(昭和25)年43歳デビュー。1951年に退社して以降、「天平の甍」で芸術選奨(1957年)、「おろしや国酔夢譚」で日本文学大賞(1969年)、「孔子」で野間文芸賞(1989年)など受賞作多数。1976年文化勲章を受章。現代小説、歴史小説、随筆、紀行、詩集など、創作は多岐に及び、次々と名作を産み出す。1971(昭和46)年から、約1年間にわたり、朝日新聞紙面上で連載された『星と祭』の舞台となった滋賀県湖北地域には、連載終了後も度々訪れ、仏像を守る人たちと交流を深めた。長浜市立高月図書館には「井上靖記念室」が設けられ、今も多くの人が訪れている。

「2019年 『星と祭』 で使われていた紹介文から引用しています。」

井上靖の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×