後白河院 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101063201

感想・レビュー・書評

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  • 四人(平信範・建春門院中納言・吉田経房・九条兼実)の同時代人を語り手に
    保元・平治の乱から晩年にいたる後白河院の姿を浮かび上がらせていく。
    文章生出身の蔵人、院の女御の女房(俊成の娘にして定家の姉)、硬骨な近臣、
    院に疎まれていた右大臣のそれぞれの立場に即した語りの内容や口吻も巧み。

    話者の一人はこれまで陰気にくすぶっていた皇室や公卿たちの対立が、
    武士たちの合戦であっという間に片が付いてしまうことに素直に驚き、
    世人の心に小気味よさが萌したと付け加える。
    その武士たちも歯が立たない信西入道さえその自害の原因を院の心が離れたからと推測する。

    このような時代に実力者の器量を確かめ使い方を考えてでもいるように凝視する後白河院。
    そこにひんやりとしたものを覚えるが、それは冷酷さというよりも、
    むしろ誰にも心の内を打ち明けることが出来ない帝王の孤独といったものだろうか。
    院は公卿朝臣が日和見で役には立たないこと、そして自身も武家の力を借りなければ
    ならないことを十分に承知している。だからといって屈服するわけではない。

    四人が語り終えても何か得体の知れない不気味さが残りはする。

  • 平安末期から鎌倉初期、つまり院政期から武士の台頭、保元・平治の乱、平家全盛と没落から鎌倉幕府の時代、年代で言えば12世紀の日本の中央権力の有様を復習できる、またある程度わかっていないと読んでもなんのことかわからない。
    院政の始まりの部分はいまいちわからない―中公文庫の「日本の歴史 6:武士の誕生」でわかった。道長から次の次の代ですでに院政の萌芽があったのだ。驕れる者は久しからず!
    院政の権力自体にパワー的な無理があったから武士が台頭したのかな・・・たぶん。院政の守護者としての北面の武士。ということは道長の時代の武力はいかに存在していたのか、というテーマもまたある。

    しかし、こうして歴史ものを読んでいくと江戸250年の平和の実現は相当にすごいことだ。250年も続く事自体が驚くべき。それは逆説的に「なぜ、それ以前の時代は平和が長続きしないのか」という問いを発することになる。鎌倉幕府も室町幕府も。

    一番単純に言えば「辺境がある間は平和にはならない」という大胆なまとめかな。島国なので、まあ主な島だけに限ってでいいのだが、日本という国土の中に辺境がある間は、辺境の支配と中央の支配が別であるわけで、支配力と支配力の衝突は常に起こり平和にはならない。秀吉・家康によって辺境は消滅した。
    世界に敷衍すれば・・・地続きに辺境があれば平和にはならないのだろう。山とか川とか自然の障壁があればそうでもないかもしれない。資本主義もまた同じか あるいは逆か

  • 井上靖は10代のときから好きな作家である。「あすなろ物語」「しろばんば」に始まり、「淀どの日記」「楊貴妃伝」「敦煌」「天平の甍」「蒼き狼」「本覚房遺文」など、むさぼり読んだ。特に「楊貴妃伝」と「淀どの日記」は好きで何度も何度も読み返し、これは今でも文庫本を手元に置いている。

    渡米して日本の本をあまり買えなくなってから少し遠ざかっていたが、先日日本食料品店の古本コーナーで彼の「孔子」を見つけて買い、読んだ。ひさしぶりに読む彼の文体は美しく、ああ、私がこの人の作品を好きなのは、内容もさることながら、文体が好きだからなんだ、と痛感したものである。

    そして日本から取り寄せた「後白河院」。昨年の大河ドラマ「平清盛」で、それまであまり詳しくなかった平安末期も人の名前や出来事が身近に感じられるようになったので、やっと、この時代を舞台にした作品を楽しめるようになったからこそ、この作品をじっくり味わうことが出来たようだ。

    もっとも、後白河院を想像すると松田翔太さんの大河ドラマの顔が浮かぶのは避けられないのだが(笑)。

    この辺りの歴史があまりわかっていないで読むと、それほど楽しめないかもしれない本ではあるが、井上靖の醍醐味はその日本語の美しさ。特に敬語が美しい。だから、私が好きな彼の作品は、高貴な地位にある人を描いたものや、カリスマ性があった人間をその弟子などが回想する形で描いた小説などになってしまうんだろうなあ、と思う。

    彼の作品はまだ未読のものが多数あるので、これからまた読んで見たい、という気持ちがふつふつとわきあがっている。

  • 凋落していく貴族社会の頂点に君臨し、平家の台頭から源氏の天下取りへと目まぐるしく移り変わる時代を生き抜き、源頼朝に「当代随一の天狗」と言わしめた後白河院の半生を描いた作品です。
    平家台頭以前、平家台頭以後、源氏台頭時、源氏天下の時代のそれぞれの院の姿が、四人の人物の視点から語られています。
    四者四様の立場と価値観でそれぞれに語られているのに誰一人として院の実像はつかめていないし、読者もつかめないまま終わるというのが、院の不気味さを見事に強調しています。しかも、語り部四人は皆宮廷人なので、院にとっては味方のはずなのに。
    これは、敵方であった平氏や源氏にとってはさぞ厄介だっただろうな、とじわじわ怖くなります。

  •  保元から建久までの政局の流れを、四人の語り手の叙述で綴る、四部構成のオムニバス式歴史小説。
     平信範(「兵範記」)・建春門院中納言(=健御前「たまきはる」)・吉田経房(「吉記」)・九条兼実(「玉葉」)といずれも当代の重要資料を遺した人々が、各々の視点から局地的な分析を施す。
     宮廷争乱において人々の命吹き荒れる嵐の中心にあるかの如く鎮座する後白河法皇の為人(ひととなり)を、四人の人物は憶測し、慄き、弁護し、批判する。
     彼らの回想の背景に、憑きものにも等しい、時代の巨人が浮かび上がる。
     愚帝とも天才とも大天狗とも数々の評を受けた法皇の、不可解な心中を紐解きつつも得体の知れなさを保たせる。
     その崩御は、一つの時代の終焉と必然の推移であったのだと。
     法皇の施政に対し常に厳しい目を向け、不遇を囲ってきた兼実が末筆に記した、遺詔の所領処分の感想が、懐かしささえ窺える余韻を残している。

  • 「若しもこの世に変らない人があるとすれば、それは後白河院であらせられるかも知れない。左様、後白河院だけは六十六年の生涯、ただ一度もおかわりにならなかったと申し上げてよさそうである。」
    「院はご即位の日から崩御の日まで、ご自分の前に現れて来る公卿も武人も、例外なくすべての者を己が敵としてごらんにならなければならなかったのである。誰にも気をお許しになることはできなかった。」
    (本文、第四部より、各々一部引用)
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    朝廷内の不和、摂関家の内部争い、武士の台頭、平家滅亡と源氏台頭...平安末期の動乱の時代に、まるで一本の太い幹のようにひたすらそこにあり続けた存在、雅仁親王(後白河院)。大天狗とまで称された後白河院の生き様を、院の周囲の4人の人物の語りによって描くという手法が、非常に効果的に機能している。おそらく院自らがその生涯の上で何かを働きかけたわけではなく、周囲の皇族たちが、摂関家の人間たちが、平家の思惑が、源氏の思惑が、後白河院という人物に対して幾重もの光を当て続け、そのことで背後に幾重もの大きな影を造り出していたのではないか。本書を読んでいると、後白河院自身は一度も語らないものの、いつのまにか院の姿が立体的に浮かび上がってくる心持ちがする。それこそが、後白河院という人物の本質なのかもしれない。
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    永井路子の「王朝序曲」(藤原冬嗣の視点を通して、桓武帝・平城帝・嵯峨帝の生き様を描いた小説)と系統は似ていますが、客観的な視点(語り手である4人の人物の主観的な視点を、外から読み進めることで、読み手は常に批判的な立場をもって後白河院の姿を客観視することが可能となる)の積み重ねで立体的な人物像を生み出す、井上靖の綿密に構築された見事な構成による、渋い味わいのある作品。
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  • 平安時代、つまり貴族の時代が、完全に破壊されて鎌倉時代、つまり武士の時代に移ってゆくその時に治天の君として生き抜いた後白河院。4人が語る院の姿は、激流の中で動かない巨岩のような印象を受けました。

  • いつかの大河ドラマの清盛と、今やってる鎌倉殿の13人を必死で思い出しながら読んでる。難しい、観ててよかった。
    権威権力は持っているけれど実力(軍事力)を持たない朝廷=後白河法皇が、
    軍事力を持つ者らとどのように戦ったか。その時の大勢力に対し、対抗勢力に力をもたせ戦わせることで牽制し、戦わせてやがて滅びていくのを見ている。不気味で冷静で、軍事力はないが権威あるものの戦い方。
    後白河法皇、第一部〜第三部、言うことバラバラやん!って思ってたけど、第四部で、実は一目的は貫してるってことがわかった。

  • 『しろばんば』『敦煌』『額田女王』『孔子』。
    これまでに読んできた井上靖作品は、これが全て。
    後白河を取り上げたものがあったのか、と驚きもあって手にした。
    ちょうど先日、アンソロジーで『梁塵秘抄』に触れたばかりだったことだし。

    源平争乱のあの時代、白河、後鳥羽、崇徳、後白河あたりの天皇家の確執に、摂関家、武家の覇権争いが重なる。
    その構図の複雑さに、どうしてもこの時代を扱ったものを避けて通りたくなる。
    だから、四つの章の語り手が、平信範、建礼門院中納言(健御前)、吉田経房、九条兼実と移り変わっていくこの小説はの結構は、表現効果の見事さはわかっても、少しつらい。

    近づいて来る者たちに心を許さず、自分に離反する時期が来たら切り捨てる。
    こうして一人生き延びたのが後白河という帝王だった、というのが、この作品での後白河像だ。

    乱世の中、語ることと書き残すことで身を支えてきた貴族社会の人々の無力感を思ってしまった。

  • 後半流し読み。
    なんだか平安時代の話は苦手である。
    とっつきにくいというか。
    まぁ、知識がないだけなのであろう。

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著者プロフィール

井上 靖 (1907~1991)
北海道旭川生まれ。京都帝国大学を卒業後、大阪毎日新聞社に入社。1949(昭和24)年、小説『闘牛』で第22回芥川賞受賞、文壇へは1950(昭和25)年43歳デビュー。1951年に退社して以降、「天平の甍」で芸術選奨(1957年)、「おろしや国酔夢譚」で日本文学大賞(1969年)、「孔子」で野間文芸賞(1989年)など受賞作多数。1976年文化勲章を受章。現代小説、歴史小説、随筆、紀行、詩集など、創作は多岐に及び、次々と名作を産み出す。1971(昭和46)年から、約1年間にわたり、朝日新聞紙面上で連載された『星と祭』の舞台となった滋賀県湖北地域には、連載終了後も度々訪れ、仏像を守る人たちと交流を深めた。長浜市立高月図書館には「井上靖記念室」が設けられ、今も多くの人が訪れている。

「2019年 『星と祭』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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