道・ローマの宿

  • 新潮社 (1981年10月1日発売)
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  • 本 ・本
  • / ISBN・EAN: 9784101063270

感想・レビュー・書評

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  • 井上靖は30年ぶりくらいに読む。短編集というかエッセイのようなもの。
    背筋の伸びた文体は読んでいて気持ちがいい。
    短編集「道」からの7作は、井上靖が亡くなった親族を偲ぶ短編。
    短編集「ローマの宿」からの5作は、旅とそこで出会った人たちの話。
    亡くなった方々を偲び、いつかそちらに行く自分の思い出も一緒に紙面に遺している。決して平坦ではない人生を歩み、密かにあの世に旅立った人たちと、生きている人たちに残った思い出。

    【道】
    山には獣道がある。我が家の庭には二匹の犬が通る”犬道”がある。幼稚園に通う孫娘には”こども”道がある。だが大人になるといつもの道、”馴染道”を歩くようになる。
    私の子供の頃にもこども道があった。それは自然との思い出に結びついている。おとなになると、野性から離れていくのだろうか。だがそれらの道はどこかで交差している。
    それなら人が行方不明になったり狂ったりするという”いけない道”を”馴染道”にしていた私の叔父はいったいどこへ行きたかったのだろうか。

    【風】
    亡くなった父の思い出を親族で文章にして小冊子にしようという話が出た。
    みんないくらでも思い出はあるはずなのに、父のことになると書くことが難しくなってしまう。
    私もそうだ。私の思い出の中で父と間違いなく親子だと思った時は何度かあるが、だが言葉を交わすことはなかったのだ。

    【桃李記】
    「私は一年の中でも、桃の花と李の花がともに開いている短い期間が好きである。中国流に言えば「桃李の頃」である。」
    著者が桃と李の花が一度に咲いている場所を探しながら、妻の祖父母の墓参りに行く道で、決して平坦ではない人生を歩んだ彼らを思い浮かべる。
    冬から春になる間に花が咲いては次の花に明け渡す、その描写が綺麗で凛々しくて。花の美しさと文章の美しさが直結しています。

    【雪の面】
    89歳でなくなった母の晩年の思い出。
    晩年の母は耄碌して、家族のことも忘れていった。
    母は夜中に家の中を歩き回り誰かを探していた。あの真剣な目で探していたのは、自分が子供になって母親を探していたのか、自分が母親になって子供を探していたのか。まるで名簿に線を引くように忘れ去られた自分たち家族は、どこで母から線を引かれたのだろう。きっと自分(井上靖)は家業の医者でなく執筆家になると言ったときだろう。軍人だった父が消されたのは終戦だろう。それはまるで自分の人生を70代、60代、50代というように手元から順々に消してゆくようだった。

    【壺】
    文学の先輩広瀬さんという人と、中国人文学者老舎との思い出。
    自分が死ぬ時に、大切なものを後に遺したいか、壊して自分のもののままにしたいのか。

    【ダージリン】
    印象深い新聞記者がいた。20年後にたまたま彼が自殺したというインドのダージリンを訪れた。
    自分は15年前に彼の追悼号に短編を載せた。普通は昔の作品に対する考えが変わっても、それは当時の自分がその時の責任において書いているので未熟でも不出来でもそれで仕方がないのだが、今回の場合は一人の人物像がそれで良かったのかという思いに囚われた。
    20年経っても「彼は自殺はしない。日本を捨てて姿を消したのだろう」と言われる毀誉褒貶の名物記者は、この街で何を思ったのか。

    【鬼の話】
    死んだ人たちの顔を思い浮かべていたら、彼らの中で角を生やしていた人たちがいた。その人達は角がある方が自然だった。そして角を生やしていない人達もいる。
    そこから”鬼”について考えが広がっていった。
    まず、”鬼”とは死者の霊だという。”魂魄”という言葉は、魂は精神を表し、魄は肉体を表し、陰と陽を持っている。
    鬼には”泣く”とは言わずに”集く”というという。
    そして鬼の字をもつ星の名前が多い。
    それなら自分が思い浮かべた死者の中で角がある人達は地上の鬼になり、角がない人たちは天上で星になったのかと思う。
    だが死者同士の世界に隔たりはない。天上と地上に分かれても互いに呼び合い通じ合い、その集き声は生きている自分たちとも通じ合っているのだろう。

    【ローマの宿】
    ローマオリンピック(※1960年)の取材のためにローマを訪れた著者が、下宿として泊まった宿の主の老婆と、日本人通訳であり本職は画家だという宇津木という男の思い出。
    すこし異様な雰囲気や、どこにも属していないような孤独さを感じる人たち。

    【フライイング】
    ローマオリンピックの短距離走で、世界記録を期待されたレースでフライイングがあった。そのためレースは散々なものだった。
    だがあれは本当にフライイングだったのだろうか?そんなことは本人にもわからない。だから判定する第三者が必要になる。
    それなら、と事故で妻を亡くした男がいう。自分は妻が足を滑らせたときの本当に迷わず手を差し伸べたのだろうか?一瞬の遅れが彼女を死なせたのではないだろうか?自分でもわからない。誰も判定はしてくれない。

    【ローヌ川】
    川の流れと人間の街について。
    そして川の流れを語る男に、彼の生き方と行末を感じたということ。

    【テペのある街にて】
    彼の名前はスドウ・ミノル。おそらく須藤実などという字を当てるのだろう。父親は須藤マサオだという。
    トルクメン共和国に行った時に、父親が日本人だというミハエル・マサオヴィッチ・スドウという青年に話しかけられる。日本人一行の我々を見て自分のルーツを縋るように求めてきた。混血が進みすぎてもはや混血などという言葉すら意味はない。
    だが彼はその地で生きている。

    【アム・ダリヤの水溜り】
    またまた川の流れと人間の街について。
    川の源流を旅した時の人間模様。

    • nejidonさん
      淳水堂さん、こんにちは(^^♪
      「桃李」の文字で「松坂君?」と連想したダメダメなワタクシです・笑
      いいですねぇ。井上靖さんは大好きな作家...
      淳水堂さん、こんにちは(^^♪
      「桃李」の文字で「松坂君?」と連想したダメダメなワタクシです・笑
      いいですねぇ。井上靖さんは大好きな作家さんです。
      これはいつか手に取って読みたいですね!
      ありがとうございます。
      2020/07/23
    • 淳水堂さん
      nejidonさんこんにちは。
      松坂くんの名前も中国の故事から来ているそうなので、その連想は正しいです!(笑)

      短編集と言ってもエッセイの...
      nejidonさんこんにちは。
      松坂くんの名前も中国の故事から来ているそうなので、その連想は正しいです!(笑)

      短編集と言ってもエッセイのようなもので、亡くなった方々を偲び、いつかそちらに行く自分の思い出も一緒に、紙面に遺しているような。(←あ、これあとで本文に追記しよう)
      nejidonさんは鬼の児童書読んでましたよね。井上靖の「鬼の話」もかなり良かったです。自分が鬱に近い時に、亡くなった人たちの顔を思い浮かべたら角が付いていて、それがなんだか安心した、という感じです。

      ぜひどうそ〜
      2020/07/23
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著者プロフィール

井上 靖 (1907~1991)
北海道旭川生まれ。京都帝国大学を卒業後、大阪毎日新聞社に入社。1949(昭和24)年、小説『闘牛』で第22回芥川賞受賞、文壇へは1950(昭和25)年43歳デビュー。1951年に退社して以降、「天平の甍」で芸術選奨(1957年)、「おろしや国酔夢譚」で日本文学大賞(1969年)、「孔子」で野間文芸賞(1989年)など受賞作多数。1976年文化勲章を受章。現代小説、歴史小説、随筆、紀行、詩集など、創作は多岐に及び、次々と名作を産み出す。1971(昭和46)年から、約1年間にわたり、朝日新聞紙面上で連載された『星と祭』の舞台となった滋賀県湖北地域には、連載終了後も度々訪れ、仏像を守る人たちと交流を深めた。長浜市立高月図書館には「井上靖記念室」が設けられ、今も多くの人が訪れている。

「2019年 『星と祭』 で使われていた紹介文から引用しています。」

井上靖の作品

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