- Amazon.co.jp ・本 (480ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101064048
感想・レビュー・書評
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これほど赤裸々で観察にあふれた物語を本当に初めて読んだ。冒頭の次郎ちゃんのくだりは美しく、その透明さが主人公の好き勝手な人生をまるで水の膜の向こうの出来事でもあるかの様に非現実にうつしている。唯一リアルがあったのは料理の描写かもしれない。食べたい。
上下巻通して哀しく切ない旅情だけれど、愛がある。愛情が細く糸の様にたくさん垂れ下がっていて美しい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
上巻の続きの欧米旅行編から始まる。
舞台はヨーロッパへ。
アパートの大家であるマダムに「私」とのふしだらを咎められて叩き出された菅野もと子を伴い、さながら、愛の逃避行。ロンドンから、パリへ。
もと子は事情があってローマへ行くこととなり、あとで落ち合う約束をしたが、結局それから会えることはなかった。
パリでの一人の生活、買い出しの様子などが生き生きと描かれる。
その後のスペイン、イタリア、ドイツをめぐる紀行も秀逸。
夢から醒めたように日本に降り立つ。
この小説の主人公、作者・檀一雄の分身である桂一雄は、行く場所の定まらない漂泊の人である。
(家は四軒もあるのだけれど)
いつも何かから逃れている気がする。
そして、旅のお供には、女が必要だった。
妻は家に居て動かざるもの。同棲中の愛人・恵子は新劇女優だったから旅公演もあり、桂の気まぐれの旅には同行できない。
それゆえ、旅には桂の気まぐれに付き合える、行くあてのない女たちが選ばれたようだ。
選ぶというより、行き当たりばったり、手当たり次第
そんな女たちも居どころを見つけて次々と桂の前を去って行く。
桂は病を得て、女たちとの別れを語る。病床で見た夢なのか、回想なのか・・・
本作は20年をかけて書き続けられ、完成したのは檀一雄、死の三ヶ月前だったという。
主人公の心と肉体の遍歴を描き、最後にやっと孤独の境地に達する、それを描ききるにはそれだけの年月と、作者自身の円熟が必要だったのだろう。 -
上下巻を通し、作者の好き勝手した一生をなぞる事が出来る。上巻のハイテンション(人生の謳歌)が、下巻に入ると人生に対する虚無や悲しみに置き換わり、老境に差し掛かる作者の内面の移り変わりが非常に興味深い。
筆力も凄まじく、基本自分勝手な事を言っているのに大体納得させられてしまう。 -
下巻。
読み終わったの、ちょい前なのにもう内容よく覚えていない。笑
今、パラパラとめくってみたら、セノセイさんは萌えるな……とか、檀さんがツイストとは……とか、断片的な記憶。
放埓ぶりは上巻と変わらず。
ただ、最終章まで読んでみて、軽くショックを受けたので下巻は☆4に増量。
「私小説」なので、あらかた真実だと思ってたら、檀先生にまんまと一杯食わされた。いい意味で。
もちろん、「私小説は必ず真実を書かなければならない」というルールなんかないし、無頼派の世代以降?、フィクションを盛り込んでる。
病床で最終章を書いていた、という真実を知っているので、この終わり方にすごく納得した。
と同時に、ポールオースターの『ガラスの街』をこの後読んだので、なにか近いものを感じました。 -
日本でしか成立しないような強烈な文章・文体ですが、印象に残ります。遺作だったのですね。
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えっなにこれ下巻すごいよかったんだけどなんなんだろ。著者の異常性に読者の俺が慣れてしまったのか?
最後の数章は死の淵で口述筆記されたんだよね。ほんとにそんな感じで、急ぎ足で書かれているのが切ない。と同時に、壮大な物語の終幕を予感させる。演劇っぽいよねそのへん。
そして次郎の話は落涙必至だわ。俺も子どもいるというのもあるし。幸せってなんだろね?と考えてしまうよ。第一のコース!次郎くん!第二のコース!チチくん!ってやると騒ぎ回るのは、すごく幸せだったんじゃないかな?そして人生で大切なことってほぼそれだけなんじゃないかな?と考え込んじゃう。なんつーかさ、瞬間的でもそういう最大風速的な楽しい時間があれば、あとはその事を思い出しながら生きれたりするじゃん。
まあ死んじゃうんだけどさ。悲痛だよね。
愛人にも愛人2にも捨てられるエンドは潔し。 -
自らの欲望に生きた作家の半生記の後半。
今の時世なら日本脳炎にかかった息子がメインになりそうなものだがそうはならずにあくまでも女、酒、海外旅行と後半でも余念がない。どうせならもっと破滅的に生きてくれた方が面白いが無駄にこども好きだったりとリアル路線なのか中途半端な印象。
女と好き放題やれるのもカネということで裏に自尊心のようなものまで感じる。それでも逝去前に作品を完成させたことはやはり凄い。 -
両手に抱えきれないほどたくさんの人間との関係を増やし続けた先の孤独の需要と喜び。元は自分ひとりのためだけに料理をしていたところに回帰していく主人公。
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「檀一雄」の長篇小説『火宅の人』を読みました。
「沢木耕太郎」の『檀』を読み「檀一雄」のことを妻「ヨソ子」の立場から知り、「檀ふみ」の『父の縁側、私の書斎』を読み「檀一雄」のことを娘「ふみ」の立場から知り、満を期して、「檀一雄」当人が、自らの生活を描いた作品を読んでみることにしました。
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〈上〉
妻子を放り、愛欲に溺れ、世界を彷徨し、すべてを失った男が独りで作る、タンシチューのなんと侘しいことか!
出版部 金寿煥
「一郎」は窃盗をやらかす。
「次郎」は全身麻痺で寝たきり。
「弥太」はまだヨチヨチ歩き。
「フミ子」は鶏の餌を喰ってひよ子のように泣きわめく。
「サト子」は生れたばかり。
妻は主人の放蕩・濫費・狂躁を見かねて家出騒ぎ……。
よしたとえ、わが身は火宅にあろうとも、人々の賑わいのなか、天然の旅情に従って己れをどえらく解放してみたい――。
壮絶な逸脱を通して謳い上げる、豪放な魂の記録。
〈下〉
女、酒、放浪。
無頼を地で行く小説家の、壮絶な魂の記録。
「チチ帰った?」「うん帰ったよ」「もう、ドッコも行かん?」「うん、ドッコも行かん」「もう、ドッコも行く?」「うん、ドッコも行く」女たち、酒、とめどない放浪。
崩壊寸前のわが家をよそに、小説家「桂一雄」のアテドない放埒は、一層激しさを加えた。
けれども、次郎の死を迎えて、身辺にわかに寂寞が……。
二十年を費し、死の床に完成した執念の遺作長編。
〈読売文学賞・日本文学大賞受賞〉
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「檀一雄」が、自らの生活や体験を描いた私小説、、、
名前も一部変更されていてフィクションが含まれているものの、ほぼ実生活が忠実に描かれているようです… 行きあたりばったりで気紛れな生き方、そして出鱈目な生活なんだけど、或る意味、本能に忠実に生きた男の捨てがたい魅力が描かれている作品でしたね。
主人公で売れっ子小説家の「桂一雄(檀一雄)」は、日本脳炎の後遺症により障害を持つ子どもを含む、5人の子どもを妻に押し付け、18歳も歳の離れた若い女優「矢島恵子(入江杏子)」と同棲… 他の愛人も抱え、自ら保有する4軒の家やホテル、知人宅を渡り歩き、そして、取材と称して国内だけでなく、世界各地を放浪、、、
毎日のように酒場やバーを飲み歩き、自宅やホテルでもビールやウィスキーを中心とする酒類が手放せず、料理が大好きで日ごろから良質の食材探しに余念がなく、その合間で溜まった連載小説を執筆という生活を続けている模様が生々しく描かれています… 女と放浪と料理、そして家族の逸話で構成されている物語でしたね。
実際は愛憎にまみれたドロドロの生活だったのかもしれませんが… 「檀一雄」の性格や筆致の影響で、意外と重苦しくない表現になっていましたね、、、
それにしても… 多くの家を持ち(借家含む)、ホテル住まいが多く、機会があれば銀座で豪遊するという生活が、あまりにも庶民生活とかけ離れていて、想像し難かったですね。
最大で10本の連載を抱え、当時(昭和30年代?)の月収が50万円から多い時は130万円だったようなので、経済的に恵まれていたからこそ、実現できた生活なんでしょうねぇ、、、
でも、これの作品が文学賞(第27回読売文学賞(小説部門)、第8回日本文学大賞)を受賞しているというのは、ちょっと理解できないなぁ… うーん、ブンガクの評価って、難しいなぁ。
有り余る程のエネルギーには驚かされるし、不思議な魅力を感じるのも事実ですが… やっぱり、自分には理解できない行動や判断ばかりで戸惑いが残る作品です。 -
上巻の洋行の続きから日本に帰ってきてからの放浪を描く。とはいえこれまで一緒に暮らした恵子とも仲はこじれ、家にも帰れず、終盤には、ゴキブリの徘徊するホテルに一人ぼっちになる。解説にもあるけれども、人間様々に繋がっているけど、究極一人滅んでいく、その哀れを引き受け、自分をどえらく解放したい、という放浪記はなかなか感動的だった。ちょっと途中読んでいて、だれたけど…
著者プロフィール
檀一雄の作品





