俘虜記 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (576ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101065014

感想・レビュー・書評

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  • 戦争に関する著書は、ノンフィクション、小説問わず数多くある。特に第二次世界大戦(太平洋戦争)に関する本は、星の数ほどあるだろう。その戦争の意義や勝敗の意味、その後の社会に与えた影響を分析する著作も枚挙にいとまがない。では、それらの著作の中で、戦争の最中に敵軍の俘虜となり、虜囚として過ごした日々を克明に著したものがどれほどあるだろう。

    戦いの記録は山ほどあり、我々はそれらによって日本も諸外国もいかに苛烈を極めた戦闘を繰り広げてきたかということを程度の差こそあれ知っている。だが、翻ってみると、戦争で捉われの身となった俘虜が収容所でどんな生活を送ったのか、ということについては意外なほど無知である。

    著者がいうように、俘虜という身分はもはや「兵士」ではない。不謹慎を承知の上で戦争をゲームと例えるならば、俘虜はすでにゲームオーバーとなったプレーヤーが、ゲームそのものが終了するのを待つ身ということになるだろう。捉えられ、閑暇を貪る身となった者たちの日常を描く作品が極端に少ないのも、そう考えれば当然と言える。

    俘虜となった者たちにも、しかしながら等しく日常は存在する。戦闘に明け暮れる兵士たちの日常がすなわち戦争であるが、俘虜となりもはや戦争への参加を許されない身分となった者たちが、ただひたすらに戦争が終わり、帰還できる日を待ちわびる日常もあるのだということを、『俘虜記』は教えてくれる。

    俘虜の一人に大岡昇平という人物がいたことの幸運を、我々は喜ぶべきかもしれない。大岡氏は俘虜という閑暇に満ちた生活を、冷徹に観察し、つぶさに記憶し、静謐に描いたのだから。こうして内部に身を置いた者以外にはほとんど知り得ない俘虜の生活が、本作によって詳らかにされたのである。米軍以外の俘虜となったり、他の収容所に幽閉されたりすることでの違いはあっただろう。それでも、俘虜の生活という一見怠惰にも見える日常を生きいきと、克明に描き、その中から米軍と日本軍の、つまりは米国と日本の(当時の)考え方の違いは浮き彫りになる。

    大岡氏はさらに、俘虜の生活を描く中に、自身の省察を挟み込む。例えば俘虜生活の観察を通して、日米の違いを感じ取り、日本軍の敗戦について確信に近い予感を得ていた。俘虜となった絶望、あるいは怠惰に流された生活を送っていただけでは、これらの洞察は得られない。虜囚の身となりながらも、自己を含めたあらゆるものを客観視して、分析できる冷静さを備えていた大岡昇平に対して、だから私は快哉を叫びたい。

    抑制の効いた文章は、ドラマティックな展開を期待することなどできようはずもない俘虜の生活がテーマゆえ、時に退屈を感じる人もいるだろう。それでも、「俘虜」という戦争がある以上、おそらく永遠に残り続ける身分とその生活をつぶさに記録した作品として、『俘虜記』を読むことは貴重な経験となったと思う。

  • 大岡昇平については、私は完全に食わず嫌いをしていた。
    よく見かける、生きて帰った途端、軍はだめだって言い出す人の作品だと思っていたのだ。

    ところがどっこい(死語?)、全然違う。
    戦争、というより日本人ということを突きつけられる。厳しい、との一言。

    今でも俘虜ではないか、という一文がねぇ…言葉もない。
    これいつ書いているかと考えると、この時代、そして軍を経験した人が、ここまで冷静にあの時のことを、厳しい目で書けるってすごいよなぁ。
    戦争の残虐さなんじゃない、人間の恐ろしさ。

    日常でも見かける人々がいる。
    だからこそ、読み進めていてどこか居心地が悪い。私もその中の一人なのだから。

    私も俘虜だ。

  • 従軍した著者が語る捕虜収容所の実体験。正直、南方の収容所のエピソードはだいたい似通っている。日本人の戦記ものに特有の、軍隊の上下関係や食料調達などの滑稽さ・理不尽さ・悲惨さを描くのが普通だがこの作家のは違う。明晰な文章や視点が明らかに異質で息を呑む部分がある。特殊な状況に遭遇した自身の感情を冷静に分析していくのは面白い。理知的なはずの著者がところどころで感情をあらわにするのは見ものだ。のちの「野火」などで使われるモチーフがでてくる。

  • 2018年12月8日、読み始め。
    23頁まで読んだ。

    時間があれば、通読したい。

  •  戦争を内から見つめた文学。渦中にいた著者が見た、「戦争」とは。読み始めるのが少し怖かったけど、意外なことに、凄惨な描写はほとんどない。どこまでも冷静な筆致で、主に俘虜収容所で考察した日本社会、現代の文明に関する批評が書かれている。

     この本は、大きく捉まるまでと捉まったあとに分けることができる。
     捉まるまでの情景や心理描写は、戦場で紙とペンを持っていたわけではないだろうから、彼の記憶によってのみ書かれたものだ。しかし、その生々しさはズシンとくる。死につきまとわれると、人はどうなるのか。目の前の米兵を打たなかった心理。緊迫感を持ってページを繰り続けた。
     捉まったあと、つまり俘虜になってからは、一気に弛緩する。豊かな国アメリカの俘虜になるということは、毎日2700kcalの食事をとり、煙草を喫み、博打に興じ、文化・芸術を求め、同性愛者においては自己を主張できるということだ。不正はあっても犯罪はない。このような生活で著者は、人間を、日本社会を、戦争を指揮した軍人を、現代の文明を静かに見つめている。頭の良さに感服してしまう。
     これこそ次世代に読み継がれるべき本なのでは。今の社会のおかしさを考える上でも、この本のどこかにヒントがある気がする。

  • 昭和20年1月フィリピンにおいて米軍の捕虜となった体験をもとに、極限下の生の実存を描く。

  • 柄谷行人『倫理21』で話が出ていたので読んでみた。
    俘虜というので、石原吉郎『望郷』のようなひどい体験の話かと思ったが、違った。
    私の頭に浮かんでくる景色は、『戦場のメリークリスマス』のようなところ、それはインドネシア、まぁ近い。
    フィリピンと硫黄島を地図で見てみた、フィリピンの島の多さと硫黄島の遠さと人が暮らしているということに驚いた。
    戦争は、いろんな場所で行われていたんだな、戦争文学とまとめられるが、それぞれ違うんだなと当たり前ながら思った。
    Wikiで太平洋戦争の戦地を調べると、ほんとうに色んなところに攻めて行っていて把握しきれない。

    米兵を撃たなかったことについて述べられている一部以外は、内省的でない記録文に近く読みやすい。
    自らを俸給を貰って生活していた小市民と表し、そういう自身と日本国家との関係を述べた部分が、そうだなという感じ。
    「原子爆弾の驚きは、昔で言えば始めて大砲を見たとき、原始人が矢や鉄刀を見たときと同じで、第三者には驚きを与えるが死ぬ当人にしてみれば五十歩百歩ではあるまいか、戦場の光景を凄惨と感じるのは観察者の眼の感傷、戦時或は戦争準備中、喜んで恩恵を受けていたものであり全て身から出た錆。兵士となって以来、私は自分と同じ原因によって死ぬ人間に同情を失っている。
    戦局の絶望を知らぬはずがない軍部、原爆の威力を見ながら降伏を延期するのは一重に処刑されたくないという自己保存という生物的本能のほかない。」
    (p399~402)

    台湾人俘虜が出てくる。
    台湾が第二次世界大戦中、日本とどういう関係にあったのか知らなかったので調べた。
    1894~95年の日清戦争で日本勝利し清国の支配から日本国による支配に、台湾人の抵抗運動が続く、第二次世界大戦中は台湾人も従軍、日本敗戦により中華民国に返還1945/10/25光復節。
    台湾軍人・軍属の帰還と日本企業・行政機関の接収、49万人の日本人の帰国が始まった。

    戦争は影響が一国全体に及び、全国民が出来事を共有するので題材になるが、戦後は全国民が共有するような大きな出来事があるのか?
    そういうものが無いと、一体何が書き表されていくのか?
    何が時代を区切っていくのか? インターネット、スマートフォンの普及、SNSの利用、などが変化の原因となるのか。

    【阿諛】あゆ
    顔色を見て、相手の気に入るようにふるまうこと。

    【pw】
    prisoner of war

    【px】
    post exchange
    アメリカ軍用語。軍隊内で飲食物,日用品などを売る店のこと。旧日本軍では酒保。

    【玉に瑕】たまにきず
    こういう字を書くんだ!時たまのたまかと思ってた。
    (宝玉にわずかな瑕がある様から)それさえなければ完全といえる、わずかな欠点。

    唐突な長い休み。
    最近本を読めない状態になっていた。
    長い休みは、大学の長期休暇を思い起こした。
    村上龍『とおくはなれてそばにいて』を読み、ノートに少し物を書き、布団に横になっていたあの暮らしを思い出した。

  • 長い…とにかく長かった。
    それに加えて記録を語るのが敗戦色濃厚となった頃にかき集められた年嵩のいった補充兵なのだから軍隊特有の昂りも荒ぶりもなくまるで傍観者のような目線であり読んでいても退屈極まりない。
    個人的には「捉まるまで」だけで十分だと思うのだが当時の生きた資料として、そして識者の眼で見詰めた戦争の実態と愚かさを知るためにもやはりこの長さは必要であって耐える読書も決して無駄にはならない。
    俘虜の記を通して思うことは兵士とは単なる戦争の道具にしか過ぎないということ…そんなもののために捧げる命とはいったい何なのだろうか

  • また新たな視点で「戦争」についての示唆を得られた1冊。

    「米軍が俘虜に自国の兵士と同じ被服と食糧を与えたのは、必ずしも温情のみではない。それはルソー以来の人権の思想に基く赤十字の精神というものである。人権の自覚に薄い日本人がこれを理解しなかったのは当然といえば当然であるが、しかし俘虜の位置から見れば、赤十字の精神自体かなり人を当惑さすものがあるのは事実である」(p80)

    「天皇制の経済的基礎とか、人間天皇の笑顔とかいう高遠な問題は私にはわからないが、俘虜の生物学的感情から推せば、8月11日から14日まで四日間に、無意味に死んだ人達の霊にかけても、天皇の存在は有害である」(p323)

    「我々にとっての日本降伏の日附は八月十五日ではなく、八月十日であった」(p323)

  • 同胞の俘虜たちへの徹底的な人間観察が興味深い。描写は細かいが、対象から心的にやや距離を置いてる分、読む側に恣意や誇張を感じさせない。
    著者が感じる通り、米軍に捉まってからの生活の方が、各地で戦闘中の兵士や故郷の人々より、衣食住に余程恵まれており、結果退屈と堕落に至るという皮肉。本人同士に恨みはないのに、殺し合わなければならない不条理。その相手とも、一旦一定エリア内で暮らしをともにすれば、それなりの交流が生まれる。ここには強い人間よりは弱い人間が多く登場するが、それらすべて含め、どんな状況にも"慣れる"という、人間の(ある意味の)たくましさを感じもした。

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著者プロフィール

大岡昇平

明治四十二年(一九〇九)東京牛込に生まれる。成城高校を経て京大文学部仏文科に入学。成城時代、東大生の小林秀雄にフランス語の個人指導を受け、中原中也、河上徹太郎らを知る。昭和七年京大卒業後、スタンダールの翻訳、文芸批評を試みる。昭和十九年三月召集の後、フィリピン、ミンドロ島に派遣され、二十年一月米軍の俘虜となり、十二月復員。昭和二十三年『俘虜記』を「文学界」に発表。以後『武蔵野夫人』『野火』(読売文学賞)『花影』(新潮社文学賞)『将門記』『中原中也』(野間文芸賞)『歴史小説の問題』『事件』(日本推理作家協会賞)『雲の肖像』等を発表、この間、昭和四十七年『レイテ戦記』により毎日芸術賞を受賞した。昭和六十三年(一九八八)死去。

「2019年 『成城だよりⅢ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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