野火(のび) (新潮文庫)

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  • 新潮社
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レビュー : 244
  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101065038

作品紹介・あらすじ

敗北が決定的となったフィリピン戦線で結核に冒され、わずか数本の芋を渡されて本隊を追放された田村一等兵。野火の燃えひろがる原野を彷徨う田村は、極度の飢えに襲われ、自分の血を吸った蛭まで食べたあげく、友軍の屍体に目を向ける…。平凡な一人の中年男の異常な戦争体験をもとにして、彼がなぜ人肉嗜食に踏み切れなかったかをたどる戦争文学の代表的作品である。

感想・レビュー・書評

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  • 「戦争文学」の傑作と名高い作品を読む。
    なんか重そう、と今まで読むのを避けてたんだけど、まあ、面白い。濃い。しかも美しい。

    死を前にしたとき、南の島の自然がワサワサと押し寄せ感じる「自然の中で絶えず増大して行く快感」(P15)の感覚がなんともサイケデリック。
    「私は死の前にこうして生の氾濫を見せてくれた偶然に感謝した。」(P15)

    テレンス・マリックの美しすぎる戦争映画「シン・レッド・ライン」の映像を思わせる。

    月あかりのもと、「香しい汁と甘い実をつけた果実」があるながらも取ることのできない椰子の木の下、
    「私が命を断つべきは今と思われた。」(P47)
    と思ったとたんに生への執着に襲われ、まわりの椰子が過去の愛した女たちへと変わっていく・・・、というなんとも美しい幻覚。

    他人から見られている感覚、「贋の追憶」、自分を自分が見ている感覚、宗教体験・・・完全に飢餓からくる脳内麻薬ドバーッ!のドラッグ小説として楽しめる。

    さて、本題・・・・

    極限の状態での人肉を食べることの葛藤は、人間の尊厳といえるのか?
    「アンデスの聖餐」「生きてこそ」などの映画化で知られる、遭難者の肉を食べたウルグアイでの航空事故の際、キリスト教徒であったラグビー選手は、「聖餐」として友人らの肉を食べるのを受容した。教会も、死者の肉を食べることは罪にはならない、としている。

    本書の主人公の田村、「死んだら食べていいよ」と言って死んだ戦友を食べようと剣をむけると、左手がダメとおさえる。それは理性なのか?嫌悪なのか?道徳心なのか?
    「猿の肉」と言われて渡された干し肉は、人肉とわかりながらも食べるのに。
    これって、スーパーのパックの鶏肉はOKだけど、丸ままの鶏見ると無理、というのと同じなのか?
    丸鶏はOKだけど、首がついてたら無理、
    いや首はOKだけど羽がついててたら無理、
    とか・・・。
    あれ、なんか違うか?

    過去、市川崑が映画化していたけど、白黒でなんとも憂鬱な映画だった覚えが・・・。
    今年「鉄男」の塚本晋也による再映画化が公開、サイケデリックな映画・・・にはならないだろうなー。

  •  敗戦間近のフィリピン、レイテ島の戦線で、肺病にかかり
    部隊から追放された田村一等兵の姿を描く戦争文学。

     著者の大岡昇平さんは従軍経験があり、フィリピンにも戦闘
    に行った経験もあるためか、情景描写がとても濃密だったのが
    第一印象として強いです。

     また食料を持たない傷病兵が治療どころか医療所に
    入ることすらできないというのも驚きました。
    人間を人間扱いさせてくれなくするのがやはり戦争なの
    だろうな、と改めて思います。

     印象的な場面は飢えの中、田村が死体の肉に手を
    伸ばそうとする場面。
    死体の肉を切る刀を持った右の手首を半ば無意識的に
    つかむ左手。そしてその左手を奇妙な思いで眺める
    田村の姿に、極限状態の中で揺れる人の理性と本能の
    姿を強く感じる場面でした。

     そしてその理性と本能の戦いがどのような結末を迎える
    のか、というところはとても読みごたえがあり考え
    させられるところでもあります。

     概念や宗教的な場面もあって難しいと言われれば、
    難しい作品でもあるのですが、純粋に戦争の悲劇を知る
    という単純な意味で読み継がれてほしい作品です。

     ちなみに、この作品は田村の回想形式で書かれていて、
    終盤は病院に入院する田村が今、思うことが書かれて
    いるのですが、それがとても印象的だったので、引用文の
    登録ページとは別にレビュー内でも引用させていただ
    こうかと思います。

    『この田舎にも朝夕配られて来る新聞紙の報道は、
    私の最も欲しないこと、つまり戦争をさせようとして
    いるらしい。現代の戦争を操る少数の紳士諸君は、
    それが利益なのだから別として、再び彼等に欺されたい
    らしい人達を私は理解できない。恐らく彼等は私が比島の
    山中で遇ったような目に遇うほかはあるまい。その時
    彼等は思い知るであろう。戦争を知らない人間は、半分は
    子供である。』

     これからの日本がどの方向に転ぶかは分かりませんが、
    この言葉だけは全ての日本人の心に刻み込まれてほしいな
    と強く思います。

  • 平成の終わりに戦争文学の傑作を読む。
    レイテにおける敗兵の狂気、飢え、諦め、執念。理不尽な死と直面して究極の選択を迫られる、
    そこに美しさなどあるはずが無い。
    ただ「野火」の詩のような表現、風景の鮮やかな描写。
    主人公「私」が自分と向き合う言葉、啓示のようなもの、それらの表現がとても美しく、
    文学として読むことができる。
    主人公「私」が友軍と時おり出会っては交わす言葉が、ここは戦場なのだ と生々しく、
    その他の詩的な表現との対比が際立つ。
    主人公「私」は結局誰と戦っていたのだろう。

  • 日本軍は一体何と戦っていたのだ。

  • こういう本当に力のあるブンガク読むと、現代のチャラチャラしたものは読めなくなるなー。

  • 田村本人の視点で語られる淡々とした文章はどこか現実味がない。人間が禁忌を犯す様を目前にしながらも「思考する人」であり続ける田村。常人が狂人へと変貌する姿は眼を見張る。価値観をがらりと変えられた一作。

  • 太平洋戦争末期、敗北が決定的となったフィリピン、レイテ島。肺病を患ったためわずか6本の芋を渡され追放された田村は、つねに行く手に死を見据えながら熱帯の丘陵を彷徨う。
    糧食は尽き、飢餓の中少しの幸運(不運か)に導かれ生き延びていく。そこにあるのはただ、飢餓と、孤独と、絶望のみ。実際に米軍のレイテ俘虜収容所に収容された作者だけに、その描写は真に迫る。

    孤独と絶望の中、死と対峙する田村の内面の彷徨が丁寧に描かれ、この作品がただ戦争文学という分類で語ることを拒否している。
    特に後半、人間としてのタブーを犯す同胞たちに直面し、深く哲学的な思考に入っていく田村の精神が次第に壊れ、幼い頃に接した神を意識し多分に宗教的になっていくあたりはもはや哲学。

    木の根を食い、自分の血を吸った山蛭を食った田村が、最後まで人喰いを拒否しながら、「猿」の肉を喰うまでの葛藤、自分の肉なら喰えるという論理、「人間はどんな異常な状況でも、受け入れることが出来るものである。」という彼の精神の到達点に、今の世にある自分の思考が追い付かない。「平穏な傍観者」の自分を思い知る、なかなかハードな作品だった。

    この作品は、あまたある戦争をテーマにした作品のように「戦争は悲惨だ。戦争は起こしてはいけない。」というありがちな感想を拒む作品であるように思う。
    重く、深く、人間という生き物を人間たらしめているもの、孤独と絶望のもたらすもの、人間が人間でなくなる瞬間などをじっくり考えさせられる読書体験だった。

    さて、塚本晋也監督の映画も見に行こう。

  • 流されていく田村が、延々屁理屈(殺したのはこの銃のせいだ)をこねながら、状況的には堕ちていく。
    生きるか死ぬか、ではなく、死ぬことを前提としていたのに流されるままに生きてしまう、という展開の中で、
    人肉を食べること、だけでなく、その周辺に人が生きること、人間とは何か、といった思考が繰り広げられる。

    状況的な堕落の中でしかし、青春時代に(主に性の絡みで)憧憬を持っていたキリスト教が、折りに触れて蘇えってくる。
    内容は自己流、異端。
    この極限の状況で、神や救世主を思考するとき、自己流の宗教が生まれてくる。
    戦争はダメ、でもなく、道徳や倫理からも一歩退いて、思考思考思考がやがて混濁してくる。
    もはや花が振り向いて食べてもいいわよと言い出すくらいだ。
    そこにセイントが登場する。右手を止める左半身こそが理性であり神でありセイントと言えるのではないか。(そして現在執筆している私自身)
    「もし人間がその飢えの果てに、互いに食い合うのが必然であるならば、この世は神の怒りの跡にすぎない」
    という終盤での結論は、自己流宗教の開祖でもある。そして狂人でも。
    天使すなわち「神の怒りの代行者」として、殺したかどうか。

    猿肉をなかば予想しつつも食べ、猿肉のために殺人が行われていると目撃したあとも、知らなかったのだから自分は人肉食をしていなかったのだ、
    と書かせるほどの自己欺瞞を、せざるをえない人間の心理。

    終盤で唐突に、この手記は精神病院にいる私が(医師の勧めもあり)書いているもの、と明かされる。
    途切れた記憶の部分を書き継ぐことからもわかるように、完全な記録として、ではなく、精神病院にいる現在の想起という行為が、内容にまで絡みついてくる。
    この読みが正しいかどうかは不明だが、再三現れていた「見られている」という感覚は、現在書いている私が、過去の私を「見ている」、その裏返しの感覚なのではないか。
    とすると、右手を制止した左手の動きは、超自我でもあり、現在の私でもある。
    タイムスリップ? 文芸技巧? ともあれ小説でしか果たせなかった部分である。

    もとは「100分de名著」に取り上げられていて、中学以来再読したのだが、番組でその精神病院の現在がしっかり扱われていなかったのは、2015年に実写で監督した塚本晋也の作品では「小説の達成」には触れられなかったのではないか。
    もちろん映画も見てみたいが、小説ならではの偉業に着目して、読み込んでいきたい。

    「ライ麦畑でつかまえて」「河童」「人間失格」など同種の構造の小説でも、もちろん。

    ネットで感想を漁っていて、
    信仰の書であると同時に背信の書であるという捉え方、宗教文学というよりも超自我とエゴイズムとの葛藤の書であるという捉え方、をそれぞれ読んだ。
    個人的にはそれらに重なるようにして、新しい宗教観を身につけざるを得なかった人の書、とも主張したい。

  • 映画公開に寄せて「野火」を読んだ、読売文学賞受賞作。新潮文庫のあらすじに書いてあることは作品の本質に迫っていないと痛感。
    第二次世界大戦末期の日本兵の悲惨な状況が描かれるが、手記という形式をとり、戦争を振り返るという作品の構造によって作品には当時を分析する私が存在する。この私の手記の最後をどう読み取るか、大岡昇平の本心に迫る上で非常に重要なものだと考える。
    ただ、作品のタイトルは「野火」であって、野火は私の戦争の記憶に直接結びつくが、手記の最後との関連は一見感じられない。ただ、野火を小説内の記述のみに依拠し、そこで思考を止めるのはたやすいが危険なことにも思える。吉田健一が解説で述べるように幾通りにも読めるからこそ、ただ一つの作者の本心を知りたいのも事実。
    興味深いのはこの作品はポォの作品が元にあるという事実、「野火」をより楽しむためにも併せて読みたい。

  •  異国の島の情景や極限状態における心理描写が濃密に描写されていて、私の人生経験では到底消化しきれないものが詰め込まれているように感じた。

     美しく生命力に満ちた草木の中で、点々と転がる同胞の屍体。自分もやがてそこに行き着くのだという予感が、どれだけ人間性に影響を与えるか。
     飢餓に苦しみ、人肉食いの欲求と抵抗を繰り返していくことによって、しだいに主人公の自我は分裂していく。人肉を食べようとする右手と、それを抑え込む左手。もはや自分の意志だけでは抑えきれなくなっても、神の存在を作り上げてまで彼は抵抗を続ける。

     しかしそんな、人肉を拒む平凡な良心を持つ男であっても、異常な状況に順応できてしまうのだ。結果的に彼は人を殺し、「猿肉」も食べてしまった。
     彼にとって、唯一残された人間性…自分の意志では人肉を食さなかった、という事実が、どれだけ救いだったのか。しかしそこに神の導きを見出そうとするラストの文章に、どことなく不安な気持ちを誘われるのはどうしてだろうか。

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著者プロフィール

大岡昇平

明治四十二年(一九〇九)東京牛込に生まれる。成城高校を経て京大文学部仏文科に入学。成城時代、東大生の小林秀雄にフランス語の個人指導を受け、中原中也、河上徹太郎らを知る。昭和七年京大卒業後、スタンダールの翻訳、文芸批評を試みる。昭和十九年三月召集の後、フィリピン、ミンドロ島に派遣され、二十年一月米軍の俘虜となり、十二月復員。昭和二十三年『俘虜記』を「文学界」に発表。以後『武蔵野夫人』『野火』(読売文学賞)『花影』(新潮社文学賞)『将門記』『中原中也』(野間文芸賞)『歴史小説の問題』『事件』(日本推理作家協会賞)『雲の肖像』等を発表、この間、昭和四十七年『レイテ戦記』により毎日芸術賞を受賞した。昭和六十三年(一九八八)死去。

「2019年 『成城だより 付・作家の日記』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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