- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101077017
感想・レビュー・書評
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詩人を志した男が深夜発狂して宿を飛び出し、虎になる物語。
高校時代に、古文の課題として出逢い、解釈したこの山月記という話を、私はどうしても忘れられない。
男のどうしようもない虚しさ、苦しさ、憤り。駆けても駆け抜いても振り切れない感情に酷く共感してしまった記憶がある。
ふとした時に、自分の中に虎の慟哭が聴こえるような気もしてくる。山月記という話は、昔の話でありながら、どうも今の時代や現代を生きる私の中にも、その記しが在りそうに思えるのである。
一つに、男の虚栄心に共感する。
自分の才を信じ、何かを成し遂げたく、詩の道に進むため官の座を退いたけれど、結局花は開くことなく、かつての同胞は遥か高みまで行ってしまう。
自分には自分にしか成し得ない何かがきっとある、本当の自分探しをしよう、というような言葉は、思ったことも聞いたり見たりしたことも、ある。よくある。
一歩踏み出すのか、今の座に居続けるか。一歩踏み出したらどうなってしまうのかという不安もありながら、自分の才能として「何か」があることは信じたい気持ちも拭えない。
燻る男の思いに、共感する。
また、ふとした時に発狂する男を思い出しては、「ああ、私もいつか虎になる日が来るかもしれない。」なんて思ったことは、恥ずかしながら一度や二度ではない。
深夜に発狂し虎になる。人外のモノになる。
燻る思いの行き場がなく、その混沌とした思いが自分に染み込んでいったある日、人としての一歩を踏み間違えるのかもしれない。
悲しいけれど、世の中に残酷な事件が起きていることも、もしかすると、行き場のない燻った思い、適切に昇華できなかった思いなのかもしれないと感じることがある。(きっとそれだけではないが。)
読み慣れない古文に時間がかかり、まだ途中であるが、
弓の名人になりたかった男の話も印象的であった。
対象を見つめ続ければ、それが物凄く大きく射易い的に見えてくる。
物事をどう捉えるか、そして、行き過ぎたらどうなるのかを、まさにストーリーテラーの如く教訓として伝え、そして普通の人の道を外れたという意味で少しだけ怖く語られているように思えるのである。
新しい本も手に取るが、大人になった今、こうして解釈しながら読み返してみるのも良いかもしれないと思えた読書時間であった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
初めて読んだ中島敦の作品は、「山月記」だったか「名人伝」だったか、既に定かではない。いずれにしても、国語の教科書で読んだような気がする。メモによれば高校1年生のときに買ったらしいこの本を、久しぶりに取り出して読んでみると、やはりその2作が印象深い。それにしても、当時の文庫本は、なんと活字が小さいことか。昭和四十四年九月二十日発行、昭和五十三年六月十五日十八刷改版、144ページ、定価140円。
収録作品:「山月記」、「名人伝」、「弟子」、「李陵」、注解(吉田精一)、解説(瀬沼茂樹)、年譜 -
山月記が残るなあ
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はじめての中島敦 「山月記」「名人伝」「弟子」「李陵」短編4集 「山月記」は高校教科書掲載回数NO.1らしいがカフカの変身のような驚きもなくちょっと期待外れ。こんな訳の分からない小説を試験対策させられる高校生は大変そう。
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万城目学さんの「悟浄出立」にインスパイヤされて読みました。
古い時代の作品なので、かなづかいの読みにくさはありますが、じっくり読んでいくと奥が深いです。
脚注が充実しているので、そちらと見比べ、ネットでいろいろしらべつつ、ゆっくり噛みながら読むといいでしょう。
20170228 -
懐かしい。
中学校の国語の教科書にあったような。
これも、再読。
久々に、難しい単語が出てくる本を読んだなぁ。
とか。
昔、もっと怖かったりまじめすぎたりするイメージだったけど、なんか、今なら意外と普通に読めてしまう、カフカの変身的位付。
年を取るというのもなかなか恐ろしいことである。
ただ、逆に、普通すぎて、「面白さ」が、精神的面白さと言うより普通のドラマ的面白さに変わったような気もする。 -
高校の授業で『山月記』を扱った。
親友が授業が終わったあといつも泣きそうな顔をしていたのをよく覚えている。 -
久しぶりに読んでも面白い
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今の我もこのままではいづれ虎になるであろう
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国語の教科書にも載っている名作。高校生の時に習った記憶がありますが、ほとんど内容を覚えていませんでした。色々解釈、考察ができる、まさに読めば読むほど味わい深くなる作品だと思います。