- 新潮社 (1952年8月19日発売)
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感想 : 57件
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Amazon.co.jp ・本 (368ページ) / ISBN・EAN: 9784101079028
みんなの感想まとめ
人間の内面的な葛藤と孤独を描いた作品は、主人公の心情に深く共鳴します。教員としての経験を持つ読者は、彼の努力や挫折、他者との関係に見える嫉妬や憧れに共感し、自身の人生と重ね合わせることで、普遍的なテー...
感想・レビュー・書評
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田山花袋
初めて読んだ。田舎教師 教員としてスタートした自分と重なったから読んでみた。人は今いる場所で頑張らねばならない。つい華やかな友人の道を羨ましく思ってしまうことがあるが、今いるその場所で輝ける人はきっとどこでも輝ける人なのであろう。2020.9.22 -
志は挫け恋にも破れた主人公の孤独の心情、その寂しさをあの手この手で遣り過ごそうとする悪足掻き(友人への嫉妬、生活に安穏とする同僚への軽蔑、日々の労働とは無関係の素人研究への熱中、上級資格の検定試験を受けて何とか成り上がろうとする試み、幼いがゆえに純粋な者たちと接する中に見出す慰め、商売女との仮初の交わり、遠いところへの憧憬、世捨人然とした生活、諦念と沈黙・・・)、それが今までの自分の姿と重ねられる。
"あゝわれ終に堪えんや、あゝわれ遂に田舎の一教師に埋れんとするか。明日! 明日は万事定るべし。"
自己の内面に一度でも沈潜してしまった者は、その深淵に比して自らを捕り囲む実生活の尺度が余りに卑小であることに、軽蔑と戦慄を覚える。唾棄すべき俗世の中で何者かとして固定され埋れてしまうことへの恐怖。つまらぬ日常は、それこそ毎日、補給され続ける。
内的な理念によって自らを吊り支えることも能わず、他者と情愛を遣り取りする合せ鏡の間に自己の居場所を見つけることも叶わず、かといって世俗の汚泥に頭まで浸かりせいぜい実利計算にばかり長けた小賢しい愚鈍の俗物に堕することも潔しとしない。自殺もできぬ、発狂もできぬ、宗教にも走れぬ。せいぜいが、束の間、生理的快楽に孤独を紛らわせるくらいしかできない。
内的な信念への重苦しい誠実さを抱え続けること、実生活の尺度に合わせて「小さく生きる」こと――ルカーチならば、節制 Haltung と呼ぶだろうか――、如何にしてその折り合いをつけていけるものだろうか。執着か妥協か、何が本当なのか分からない。
嘗ての教え子である女生徒の中に清三の影が残っていることが、救いだ。 -
田山花袋はとても評価が低いらしくて、どんな文庫の
「あとがき」を読んでも「ぬるい」ということが書いて
ありますけど、こんなに風景をテンポよく、さりげなく
書ける作家は田山花袋ぐらいじゃないでしょうか。
私は大好きです。明治時代にタイムトリップしたい!
と思ったらすぐに読み始めます。ただ、、、主人公が
ちょっとどうしようもなく辛そうなのは辛い、、。 -
中学の同級生が進学をして立身出世を目指す一方で、家庭貧しく進学のできない林清三は田舎の小学校教師として赴任する。東京で青春を謳歌するかつての同級生を羨み、田舎教師としての生活を抜け出そうと努力するも、次第に田舎教師の生活に馴染んでいく。しかし、田舎教師として生きていくことを受け入れたと同時に清三は病に侵され死ぬ。清三のコンプレックスを掘り下げれば、もっとドロドロとした、胸に突き刺さるような作品にもなり得たのかなと思った。あとがきで福田恆存がこの作品は小説というより紀行文であると評価したのも納得である。
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自然主義作家田山花袋の代表作の一つ。世に出て事を成し遂げたいという志を有しながらも恋に夢に生活に破れる田舎教師の挫折。
本作が発表されたのは一九〇九年。実に百十五年前である。にも拘らず主人公・林清三には何処となく親近感すら感じて了う。彼の理想と現実のギャップに悶え苦悩する姿はまるきり現代の意識高い系の若者に他ならないからだ。
志と言っても、具体的なものは無く、兎に角何でも良いから世に出て成功者に成りたい。そんなところだろう。時代が五十年違えば安保闘争にでも燃えただろうか。尤も清三なら病床に伏して歯痒い思いをするだけかも知れないが。
時代が変われども人間の本質は変わらない。そういう普遍の真理が、田舎教師林清三の姿を借りて此処に描かれている。 -
やっと読み切った本。何度か挫折しながら読んだ。解説を読んでやっと理解できた。
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友人知人が前途に希望を持って都会に行き、また日本全体が日露戦争という国事に奔走する中、哀惜や諦念の流露を伴い田舎の一教師として埋もれていく主人公の姿が描かれる。
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5月13日『花袋忌』この一冊
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自然主義文学の旗手として歴史にも名高い、文豪田山花袋の代表作。『温泉めぐり』『日本一周』など紀行文を多く書いた作者らしく、風景の描写は結構多い。各地の間の距離が何里であるかところどころ細かく書いてあったり、初版本(国会図書館の近代デジタルライブラリーなどで閲覧可能)では舞台となる地域の地図が載っているあたりは、舞台となる風土もひっくるめて楽しんでほしいと言う作者の想いの現れなのだろうか。
ただ、今から約100年前に書かれた小説(1909年)ということもあり、現代に生きる身としてはなかなか風景の描写を頭の中にイメージできず、作品の良さを十分に楽しめなかったと思う。長いなぁという印象は、恐らくこれが原因ではないだろうか。
テーマは、青年が抱く夢・願望と、それが潰えてからどんな道を歩んでゆくか、という話。田舎の小学校教師のままどんどん埋もれていく焦りと諦観、それによる一時の堕落、そして復活。こうした道は多くの人がたどるべき運命なのかもしれない。こんな過去もあったなぁと酒の肴にできる日がいつかやってくる類のものだ。
しかし、この小説では、そういった段階に至る前に主人公清三が命を落としてしまうところが特徴的。「今死んでは、生れて来た甲斐がありゃしない」という言葉が本心から出た言葉だとすれば、彼は失意と後悔の中で人生の幕を閉じてしまったことになる。
実際は生徒に愛され地域に慕われていたが、彼はそのことに気が付いていただろうか。また、過去の自分を思い出し、まるで他人のようにそれを眺めていたというシーンがあるが、彼はその「他人」をどんな気持ちで眺め、どんな評価を下していたのだろうか。涙こそ流しているが、その心の内は語られていない。こういった話を読んでいると、改めて自分の「幸せ」はどれだけ人を幸せにできたかに依るのかなと思ってしまう。そうでなければ、彼があまりにもかわいそうだ。
やや感傷的にすぎ淡々と話が進むところは退屈かもしれないが、人生の岐路で彷徨いながらその道を選択してゆく青年の感性をたっぷりとに味わうことができる名作。解説では「傍観者的紀行文作家」の「影の薄い」作品と評価されている。フィクションと割り切って淡々と読んでしまうと、ちょっと退屈に感じてしまうかもしれない。だが、読者が揺れる青年の心に自らを投影して様々な思いを馳せるためには、適した描き方だったんじゃないかと思う。 -
2024/10/22
読み応え抜群。というか、こういうものがやっぱり文学作品なんだと改めて感じるような現代から見ると少し古風な言い回しに思える表現の多くが読み応えをより高いものにしてると思います。
現代の埼玉県の加須を中心とした地域に学校の教師として赴任することになった林清三が主人公の話。
内容はとても平凡で小説の中で特に大事件が起きるわけでもなく、1教師の生活が淡々と描かれている。
途中の展開として恋に落ちる場面や、友人との諍いや、教師の道を踏み外してしまいそうになる場面などは出てくるが、予想を大きく裏切るような感じでは無い。
でも描かれている時代が日露戦争期の人々の様子であることも相俟って、令和の現代とは全く違う当時にしか存在しなかった職業の数々、現代では考えられないような慣習や風習、当時の人々の過ごし方などを小説を読むことでかなり感じることができたように思う。
当時の人々は戦争をこのように受け止めていたのかとか、戦争に対して一若者はこう考える人もいるんだなぁみたいな部分も面白かった。
読むのにとても時間がかかり、分からない言葉も多くあったが、逆に色々な言葉や言い回しもこうした時代の文学作品を読むことで知ることができたと思う。
定期的にこうした文学作品を読み挟んでいきたい、
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家庭の貧しさから、友たちと同じように勉強できないことや
人語らうのが好きな主人公に、寂しがり屋な人だなと思いながら同情もした。
けれど途中からは、その気持ちも無くなった。
父親にはムカつくけれど、もっと彼は幸せに生きる道があったと思いえる。 -
埼玉県の田舎の風景や人々の生活ぶりなどの描写が美しい。四季折々に見られる植物の名前も数多く挙げられて風情豊かに季節の移り変わりが感じられる。
文学や音楽に憧れながら、田舎の小学校教師として勤めて実家の家計を支え埋もれてゆく青年の生き様を淡々と描いている。
大志を持って進学を目指す友人がいるかたわら、平凡に見える暮らしぶりにも充実した生活を送る親友や和尚さんの姿も印象的に描かれている。
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主人公の精神的未熟と、自らもそれに気がつかず空回りする哀れさ。
向上の志が強すぎ、方向性も少し誤って、結果的に人生を途中退場してしまい残念。 -
清三は人より承認欲求が強い人間だったのかもしれない。
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