田舎教師 (新潮文庫 た-8-2 新潮文庫)

  • 新潮社 (1952年8月19日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (368ページ) / ISBN・EAN: 9784101079028

みんなの感想まとめ

人間の内面的な葛藤と孤独を描いた作品は、主人公の心情に深く共鳴します。教員としての経験を持つ読者は、彼の努力や挫折、他者との関係に見える嫉妬や憧れに共感し、自身の人生と重ね合わせることで、普遍的なテー...

感想・レビュー・書評

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  • ※ネタバレ※
    下記終盤で物語の結末にも触れています。古典にあたる作品で、あらすじもやさしいため注意は不要かもしれませんが、念のため。

    明治三十四年。熊谷に住む林清三は文学の道を志しながらも貧しい家庭の事情で進学を諦め、友人の父親の紹介によって田舎の小学校の教員となる。就職した当初は青年らしい野心と不本意な田舎における生活から、そこに甘んじる人びとへの軽視も覗かせつつ、文芸同人誌の活動などを通して地元の同級生たちとの交流を続ける。しかし、進学や恋愛を巡る友人たちへの嫉妬と境遇の格差への焦りから、地元の仲間たちとは次第に距離を置くようになる。それと同時に小学校や村において寄せられる信頼からくる居心地の良さから、小学校教員としての一生涯も思い描くにいたる。本作ではそのような清三の遷ろう心境が主眼となっており、装幀がイメージさせるような教員としての児童たちとの触れ合いはわずか。

    巻末に掲載されている福田恆存氏の解説では、学問に対しての興味が文学・音楽・動植物の研究と移り変わる事実から清三の志は単なる出世主義に過ぎないと断じ、恋愛についても「恋に恋している」だけであるとし、本作の主人公の人間性について真摯さに欠けるものと切り捨てています。さらには作品自体もこのテーマなら短編で十分といわんばかりの言及も含めて、かなり辛辣なものとなっています。書籍に付属する解説といえば、作品や作家に対してエールを送ることが目的化していることが透けてしまい、読んでかえって興ざめになるケースも少なくないなか、本書の解説は厳しいながらも同意できる内容もあって、面白く参照しました。

    その後の清三は、やり切れなさも手伝って娼婦に執心したがために借金がかさんで村人や同僚からの信頼を失いかけたり、音楽学校への入学試験の落第なども重なって消極的に傾いていきます。改心後は教師としてのやりがいも感じ始めますが、もともとの虚弱気味な体質から病を得るにいたり、日露戦争の開戦から戦勝までの世論の盛り上がりに相反するようにして体調がみるみる悪化し、ついには病没するところで終幕となります。主人公の清三はたしかに解説で両断されるような一介のボンクラには過ぎないとは思いますが、だからこそ、彼の願いが一つずつ潰えて諦めを受け入れていく過程には、感じ入るところがありました。

  •  作者の田山花袋は日本の文学史に名を残す作家で「自然主義文学」の代表的な作家と言われています。名前は以前から知っていたが、その作品を読んだことはなかった。館林に引っ越してきて、市内の公園で田山花袋の文学碑を目にし、この作家が館林市の出身だと知った。市役所の近くに田山花袋文学記念館があり、そこで代表作と言われる『田舎教師』という素朴な題名の小説を買ってみた。

     物語は明治時代に生きた実在の人物をモデルにした小説。主人公の林清三は足利出身で、熊谷の中学校を卒業し、羽生市のはずれ(現在の東北自動車道羽生サービスエリア近く)にあった弥勒高等小学校(明治42年に廃校)に3年半ほど勤務した文学青年です。彼は家庭が貧しく、高等学校に進学することが出来なかった。中学時代の友達たちは東京や浦和の学校に進学していく。友人たちを羨ましく思いながら、当時住んでいた行田から四里離れた弥勒の小学校で代用教員として働き出す。彼は大きな志を抱いていた。最初のうちは以前住んでいた行田にも毎週末帰り、友と遊び語らう。「行田文学」という文学誌も立ち上げた。やがて自己の境遇・現実に触れるにしたがって理想が崩れていき次第に諦めに変わる…。恋愛も金銭面も、自己の目標達成も思い通りにならない。地元で友達と会った週末の帰り路、行田から羽生、弥勒とだんだんと活気がなくなる景色に彼の心情が重なっていく。やがて現実に折り合いをつけ教師にやりがいを見いだしていくが、体が弱かった彼は仕事が出来なくなるまで体を壊してしまう。自宅の暗い病床で日露戦争の戦勝に沸く提灯行列の喧騒を聞きながら、親に看取られ短い生涯を終える。以上がこの物語のあらすじです。

     この小説を最初読んだときは小説の世界(明治時代の一般人の話)になかなか入り込めない感じがした。しかし読み進むうちに主人公に同情し、共感していった。気付いたら「自分も同じだな」と考えていた。 描かれているのは当時を生きた無名の日本人青年で、功名心を抱きながらも次第に諦め、現実生活に折り合いをつけ小さな喜びを見いだしていく。その生き方に、自らの能力への矜持と出世主義、友人や周りへの羨望と挫折感、寂しさ、侘しさといった人間の感情が凝縮されていて、とても奥深いヒューマンドラマです。
     歴史に名を残した人の話ではなく「無名の人の話」というのがこの小説が僕の心に響いた点ですが、その核心が最後の場面に象徴されています。日露戦争の戦勝に沸く人々の賑わいを主人公は病床で聞きます。日露戦争当時の日本を描いた小説で真っ先に思い浮かぶのは『坂の上の雲』ですが、その登場人物たちは「歴史を作った人たち」で名を残した人です。題名の如く坂の上の雲を目指して当時の日本を牽引したスターの話です。対して「田舎教師」は同じ時代の日本で、彼方で戦う同胞に想いを馳せ、何もできない自分を不甲斐なく思います。現代社会の片隅で生きている自分も主人公と同じだなと思えてきます。
     この小説を読んで、小説ゆかりの地羽生を訪ねました。作者や主人公が生きたこの物語の世界を身近に感じられる街歩きも含めて、味わいたいストーリーです。

  • 田山花袋
    初めて読んだ。田舎教師 教員としてスタートした自分と重なったから読んでみた。人は今いる場所で頑張らねばならない。つい華やかな友人の道を羨ましく思ってしまうことがあるが、今いるその場所で輝ける人はきっとどこでも輝ける人なのであろう。2020.9.22

  • 志は挫け恋にも破れた主人公の孤独の心情、その寂しさをあの手この手で遣り過ごそうとする悪足掻き(友人への嫉妬、生活に安穏とする同僚への軽蔑、日々の労働とは無関係の素人研究への熱中、上級資格の検定試験を受けて何とか成り上がろうとする試み、幼いがゆえに純粋な者たちと接する中に見出す慰め、商売女との仮初の交わり、遠いところへの憧憬、世捨人然とした生活、諦念と沈黙・・・)、それが今までの自分の姿と重ねられる。

    "あゝわれ終に堪えんや、あゝわれ遂に田舎の一教師に埋れんとするか。明日! 明日は万事定るべし。"

    自己の内面に一度でも沈潜してしまった者は、その深淵に比して自らを捕り囲む実生活の尺度が余りに卑小であることに、軽蔑と戦慄を覚える。唾棄すべき俗世の中で何者かとして固定され埋れてしまうことへの恐怖。つまらぬ日常は、それこそ毎日、補給され続ける。

    内的な理念によって自らを吊り支えることも能わず、他者と情愛を遣り取りする合せ鏡の間に自己の居場所を見つけることも叶わず、かといって世俗の汚泥に頭まで浸かりせいぜい実利計算にばかり長けた小賢しい愚鈍の俗物に堕することも潔しとしない。自殺もできぬ、発狂もできぬ、宗教にも走れぬ。せいぜいが、束の間、生理的快楽に孤独を紛らわせるくらいしかできない。

    内的な信念への重苦しい誠実さを抱え続けること、実生活の尺度に合わせて「小さく生きる」こと――ルカーチならば、節制 Haltung と呼ぶだろうか――、如何にしてその折り合いをつけていけるものだろうか。執着か妥協か、何が本当なのか分からない。

    嘗ての教え子である女生徒の中に清三の影が残っていることが、救いだ。

  • 田山花袋はとても評価が低いらしくて、どんな文庫の
    「あとがき」を読んでも「ぬるい」ということが書いて
    ありますけど、こんなに風景をテンポよく、さりげなく
    書ける作家は田山花袋ぐらいじゃないでしょうか。

    私は大好きです。明治時代にタイムトリップしたい!
    と思ったらすぐに読み始めます。ただ、、、主人公が
    ちょっとどうしようもなく辛そうなのは辛い、、。

  • 中学の同級生が進学をして立身出世を目指す一方で、家庭貧しく進学のできない林清三は田舎の小学校教師として赴任する。東京で青春を謳歌するかつての同級生を羨み、田舎教師としての生活を抜け出そうと努力するも、次第に田舎教師の生活に馴染んでいく。しかし、田舎教師として生きていくことを受け入れたと同時に清三は病に侵され死ぬ。清三のコンプレックスを掘り下げれば、もっとドロドロとした、胸に突き刺さるような作品にもなり得たのかなと思った。あとがきで福田恆存がこの作品は小説というより紀行文であると評価したのも納得である。

  •  自然主義作家田山花袋の代表作の一つ。世に出て事を成し遂げたいという志を有しながらも恋に夢に生活に破れる田舎教師の挫折。

     本作が発表されたのは一九〇九年。実に百十五年前である。にも拘らず主人公・林清三には何処となく親近感すら感じて了う。彼の理想と現実のギャップに悶え苦悩する姿はまるきり現代の意識高い系の若者に他ならないからだ。

     志と言っても、具体的なものは無く、兎に角何でも良いから世に出て成功者に成りたい。そんなところだろう。時代が五十年違えば安保闘争にでも燃えただろうか。尤も清三なら病床に伏して歯痒い思いをするだけかも知れないが。

     時代が変われども人間の本質は変わらない。そういう普遍の真理が、田舎教師林清三の姿を借りて此処に描かれている。

  • やっと読み切った本。何度か挫折しながら読んだ。解説を読んでやっと理解できた。

  • 河原の景色、放課後の校舎。
    情景描写がとにかく美しい。
    主人公がずっと鬱々としているので、余計に際立つ。

    どこにでもいる普通の青年。ぼんやりと、このままではイヤだ、都会に行って何かになりたいと思うけれど、経済的に進学できず、家計を助けるために教職に就く。自分の境遇を嘆くターンが長くて苦しい。教師としての自分を肯定できたら、いい先生になるだろうになあ。
    ようやくそれを受け容れて前に進もうとしたところで病に斃れる。ひたすら切ない。

    若いときに出会いたかったような、そうでないような話。若いときに読んだら苦しいだろうなあ。何にもなれない、生きていくための何かを見つけることができないのは辛い。
    いま読むと清三くんが自分の子どもであるかのような気持ちになってしまってやっぱり辛い。

  • 友人知人が前途に希望を持って都会に行き、また日本全体が日露戦争という国事に奔走する中、哀惜や諦念の流露を伴い田舎の一教師として埋もれていく主人公の姿が描かれる。

  • 5月13日『花袋忌』この一冊

  •  自然主義文学の旗手として歴史にも名高い、文豪田山花袋の代表作。『温泉めぐり』『日本一周』など紀行文を多く書いた作者らしく、風景の描写は結構多い。各地の間の距離が何里であるかところどころ細かく書いてあったり、初版本(国会図書館の近代デジタルライブラリーなどで閲覧可能)では舞台となる地域の地図が載っているあたりは、舞台となる風土もひっくるめて楽しんでほしいと言う作者の想いの現れなのだろうか。
     ただ、今から約100年前に書かれた小説(1909年)ということもあり、現代に生きる身としてはなかなか風景の描写を頭の中にイメージできず、作品の良さを十分に楽しめなかったと思う。長いなぁという印象は、恐らくこれが原因ではないだろうか。

     テーマは、青年が抱く夢・願望と、それが潰えてからどんな道を歩んでゆくか、という話。田舎の小学校教師のままどんどん埋もれていく焦りと諦観、それによる一時の堕落、そして復活。こうした道は多くの人がたどるべき運命なのかもしれない。こんな過去もあったなぁと酒の肴にできる日がいつかやってくる類のものだ。
     しかし、この小説では、そういった段階に至る前に主人公清三が命を落としてしまうところが特徴的。「今死んでは、生れて来た甲斐がありゃしない」という言葉が本心から出た言葉だとすれば、彼は失意と後悔の中で人生の幕を閉じてしまったことになる。
     実際は生徒に愛され地域に慕われていたが、彼はそのことに気が付いていただろうか。また、過去の自分を思い出し、まるで他人のようにそれを眺めていたというシーンがあるが、彼はその「他人」をどんな気持ちで眺め、どんな評価を下していたのだろうか。涙こそ流しているが、その心の内は語られていない。こういった話を読んでいると、改めて自分の「幸せ」はどれだけ人を幸せにできたかに依るのかなと思ってしまう。そうでなければ、彼があまりにもかわいそうだ。

     やや感傷的にすぎ淡々と話が進むところは退屈かもしれないが、人生の岐路で彷徨いながらその道を選択してゆく青年の感性をたっぷりとに味わうことができる名作。解説では「傍観者的紀行文作家」の「影の薄い」作品と評価されている。フィクションと割り切って淡々と読んでしまうと、ちょっと退屈に感じてしまうかもしれない。だが、読者が揺れる青年の心に自らを投影して様々な思いを馳せるためには、適した描き方だったんじゃないかと思う。

  • 2024/10/22
    読み応え抜群。というか、こういうものがやっぱり文学作品なんだと改めて感じるような現代から見ると少し古風な言い回しに思える表現の多くが読み応えをより高いものにしてると思います。
    現代の埼玉県の加須を中心とした地域に学校の教師として赴任することになった林清三が主人公の話。
    内容はとても平凡で小説の中で特に大事件が起きるわけでもなく、1教師の生活が淡々と描かれている。
    途中の展開として恋に落ちる場面や、友人との諍いや、教師の道を踏み外してしまいそうになる場面などは出てくるが、予想を大きく裏切るような感じでは無い。
    でも描かれている時代が日露戦争期の人々の様子であることも相俟って、令和の現代とは全く違う当時にしか存在しなかった職業の数々、現代では考えられないような慣習や風習、当時の人々の過ごし方などを小説を読むことでかなり感じることができたように思う。
    当時の人々は戦争をこのように受け止めていたのかとか、戦争に対して一若者はこう考える人もいるんだなぁみたいな部分も面白かった。
    読むのにとても時間がかかり、分からない言葉も多くあったが、逆に色々な言葉や言い回しもこうした時代の文学作品を読むことで知ることができたと思う。
    定期的にこうした文学作品を読み挟んでいきたい、

  • 家庭の貧しさから、友たちと同じように勉強できないことや
    人語らうのが好きな主人公に、寂しがり屋な人だなと思いながら同情もした。
    けれど途中からは、その気持ちも無くなった。

    父親にはムカつくけれど、もっと彼は幸せに生きる道があったと思いえる。

  • 埼玉県の田舎の風景や人々の生活ぶりなどの描写が美しい。四季折々に見られる植物の名前も数多く挙げられて風情豊かに季節の移り変わりが感じられる。
    文学や音楽に憧れながら、田舎の小学校教師として勤めて実家の家計を支え埋もれてゆく青年の生き様を淡々と描いている。
    大志を持って進学を目指す友人がいるかたわら、平凡に見える暮らしぶりにも充実した生活を送る親友や和尚さんの姿も印象的に描かれている。

  •  
    ── 田山 花袋《田舎教師 1909‥‥ 19520819 新潮文庫》
    http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4101079021
     
    (20231126)

  • 主人公の精神的未熟と、自らもそれに気がつかず空回りする哀れさ。
    向上の志が強すぎ、方向性も少し誤って、結果的に人生を途中退場してしまい残念。

  • 青年でしか感じられる劣等感。
    自分のうまれてきた状況とのとりksた

  • 清三は人より承認欲求が強い人間だったのかもしれない。

  • 現状(貧困環境、時代背景、生活基盤・場所)を認めてしまった(認めざるを得なかった)者の悲運と切なさ、そしてその結果として与えられた人生の選択肢の少なさと侘しさ・険しさが淡々と物語られている。幸少なしと。

    環境は変えられるのか、環境に購えるのか? 確かに、本書で描かれた時代では難しいかもしれない。同窓生が、高等学校に進学する姿を指を銜えて見ているしかなかったかもしれない。しかしそれが、音楽学校の試験に挫折したままの言い訳にはならない。結局、自分が一番嫌っていた、「まごまごしていれば、自分もこうなって了うんだ!」に陥ることなる。
    夢はいつしか遠のき、生活に追われる日々の中で、大切だったものは失われてゆきます。心の中で馬鹿にしていた普通の人々の生活は、……。

    「しょせん、境遇は境遇なり、運命は運命なり、かれらをうらやみて捨て去りしわれの小なりしことよ。」で、終わらせて良かったのでしょうか。
    私達は、この時代より進んでいる時代に生きていると考えてよいでしょうか。
    ふと、そんなことを感じました。

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著者プロフィール

1872年群馬県生まれ。小説家。『蒲団』『田舎教師』等、自然主義派の作品を発表。1930年没。

「2017年 『温泉天国 ごきげん文藝』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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